ビリー・ジョエル『ザンジバル』『イタリアンレストランで』

中学生の頃、「ニューヨーク」といえばビリー・ジョエルだった。

ニューヨークという名前と場所は知っていても、テレビや映画で一部を垣間見るだけ、大きいのか、進んでいるのか、どんな人が住んでいるのか、ただただ想像をめぐらすしかない。

そんな中、ビリーの曲は、ニューヨークの一角を鮮やかに描き出してくれた。

雨に煙るビル街。

夕焼けを映すハドソン・リバー。

人の数だけ哀しさを乗せて走る地下鉄とか。

その情景はいつも無口で、墨絵のようにぼやけ、明るい笑い声が聞こえることはない。

人はどこか淋しげで、やりきれない思いを抱えながら生きている。

ビリーの曲を聴いて励まされることは、まずないだろう。

メロディラインの美しさに心動かされることはあっても。

ところが、そんなビリーの曲の中でも二つだけ、鮮やかな色付きで聞こえる曲があった。

一つは『ザンジバル』。

もう一つは『イタリアンレストランで』

ザンジバル


ザンジバルは、出だしから泣きそう。

異国ムードたっぷりのメロディラインに、ビリーらしい発音がね。

ビリーの両親はネイティブの英語スピーカーではないでしょう。

ビリー自身はニューヨークに生まれ、アメリカ文化にどっぷり浸かって育ってきたとしても、物心ついた時からネイティブじゃない両親の言葉を聞きながら育っているから、ビリー自身も普通のアメリカ人の発音とはちょっと違う。

一番の特徴は母音がはっきり聞き取れること(日本人にとっては)

だから、中学生でもリスニングしやすいんですよ。

今でも中学の英語の授業でビリーの曲を使ってる先生があるんじゃないかな。

そんでもって、私の耳には「I’ve got a jazz guitar」が、「ジャーニーギター」に聞こえてね(ペギー・リーか、っちゅうの)

これはきっと異国のザンジバルの酒場で、流しのジャーニーギターを弾く情景を謳ってるんだわ、と、ずーっと思い描いてきました。

それにしても、中間部のピアノソロとミュート付きトランペットのアドリブが渋さの極みでしょう。

みんな、あのアドリブ聞きたさに『ザンジバル』を再生するんじゃないですか?

私もですよ。

一日一回はあのパートを聞かないと、一日が終わらないんです。

ザン ジッバール、トゥナーイ。

流しのジャーニーギター。

イタリアンレストランで

これは出だしがおとなしいので、一瞬、退屈系の曲かなと思うけども。

途中でアップテンポに変わって、間奏のピアノソロがまたいいんですね。

一つ、ピアノ弾きな話をすれば、鍵盤の下から上に駆け上がる時、親指を中指の下にくぐらせて指を回すのは簡単なんですよ。

でも、その逆、鍵盤の上から下に駆け下りる時、今度は中指で親指の上を跨がないといけない、これが物理的に、ゼロ、コンマ、ゼロゼロゼロ秒の差で、微妙に遅れるんですね。しかも親指の上から打鍵するから、音もどうしても弱くなりがち。それが「音階の切れ」「音飛び」みたいに聞こえてしまうのです。

ドレミファソラシドはスムーズに上がっても、ドシラソファミレドは途中でつかえるのです。

ビリーも、鍵盤の上から下に降りる時、けっこう音が飛ぶでしょう。

ああ、あそこで指を回してるなあ、って、何となく分かる。

でも、ジャズの場合、音が飛んだ方がかえって躍動感があっていいんですよね。クラシックピアノはひたすら「レガート(なめらかさ)」を要求されますけども。


そして少女は大人になる

ビリー・ジョエルの曲のイメージはこんな感じ。

ニューヨークのメインストリートからちょっと離れた下町に、築十数年は経つ、古びた雑居ビルがある。店のネオンは壊れて、文字の一つが不規則に点滅し、通りの水たまりに映ってる。

人影もなく、音もなく、みんな何所に行ってしまったのだろうと不思議に感じるけれど、雑居ビルの、大人一人がやっと通れるぐらいの細い階段を地下に降りていくと、取っ手の辺りが擦り切れた木製の扉があり、それを押して開くと、たちまち楽器と人のさざめきが流れてくる。

店内には煙草の煙が漂い、カウンターの向こうでは、色とりどりのボトルの前で、少し痩せた感じのバーテンダーが黙々とシェーカーを振っていて、その斜め向かいでは、くわえ煙草の似合う三十代の女性と少し盛りを過ぎた男性がギムレットを飲みながら、たわいもないお喋りに花を咲かせている──。

だから、早く大人になりたい、と。

酒と煙草の似合う大人になって、はにかみ屋さんの恋人とこういう場所でデートするんだ、と。

ずーーーーーーっと憧れていた割に、後者は叶わず。

世の男性が「本物の美女」に巡り会うのが難しいように、私も「はにかみ屋さん」には出会えなかった。

シャイな男性って、自分自身のことを低く評価しがちだけども、実は非常に魅力的なんですけどね。

かくして、少女の夢はジャーニーギターと共に去りぬ。

年だけとって、ニューヨークの町並みに埋もれていく。

それでもビリーの曲は、上手く生きられなかった人にも優しい光を当ててくれる。

不幸とも間違いともいえない、ありきたりの人生にも、懐かしい思い出ぐらいはあるものだ。

それだけでもいいじゃないか、いや、それが君なりに精一杯、生きた証なんだよと。

ビリーの曲はいつまでも人の心に寄り添ってくれるのです。

アイテム

「ザンジバル」収録。
これも名盤中の名盤。
こういうのが当たり前のようにFMラジオから流れていた日が懐かしいですわ・・。

「イタリアン・レストランにて」収録。
レンタルレコード店で借りてダビングした日のことが今も忘れられない。
Maxellのテープがすり切れるほど聞いたげな。

Photo:http://billyjoelmusc.weebly.com