恋と女性の生き方

独身でも、既婚でも ~「輝く私」を目指して~

2004年4月1日

先日、ヨーロッパで、フィギュアスケートの世界選手権が開催されました。
日本ではなかなか見られない出場者全組の演技を見ることができて、とても面白かったです。

私はペアのプログラムから見始めたのですが、最初は、あの人も、この人も、ジャンプの度にコロコロ転んで、
「えっ、これでも世界選手権? リンクのコンディションがよっぽど悪いのかしら??」
なんて思っていたのですが、初めの方に登場するのは下位の選手なんですね。

二時間、三時間経ち、いよいよ終盤になると、世界ランキング1位~3位のペアが次々に登場し、私の知っている「世界レベルの演技」というものを見ることができました。
その差は素人の私が見ても歴然としていて、一口に「世界選手権」といっても、ずいぶん幅が広いことを思い知らされた感じです。
下位の選手も、地元では一、二を争うトップ・スケーターにに違いないのですが。

それにしても、中国選手団の躍進には目覚ましいものがありました。
私が子供の頃は、フィギュアといえば、ロシアかヨーロッパ先進国の独壇場でした。
中国の選手も時々見かけましたが、「やっとこの場に出てきた」という感じで、非常に影が薄かったような印象があります。
それが今では、ペアに限って言えば、上位は中国選手団に独占され、ロシアがようやくフィギュア王国の体面を保っているような感じでした。
こんな所にも国際情勢が表れているのかと思うと、なかなか興味深かったです。

もう一つ、驚かされたのが、日本女子選手の活躍です。
女子シングルでは、上位グループに日本選手が三名も食い込み、ミッシェル・クワンやサラ・コーエンといった、かつての銀盤の女王を押さえて、アラカワ シズカさんが堂々の一位を勝ち取りました。
以前は、日本女子選手といえば、「ドタ足のおデブちゃん」というイメージが強かったのですが、今では、容姿もプロポーションも欧米選手にまったく引けを取りません。
その上、伊藤みどりさんが、オリンピックの舞台で一回成功させるのにあれほど苦労したトリプル・アクセルも朝飯前といった感じで、後進たちのレベルの高さには、ただただ圧倒されるばかりです。

が、思い返せば、それもこれも、伊藤みどりさんという偉大な先輩が頑張ったからでしょう。その前には、渡辺絵美さんもいました。今ではすっかり芸能界のご意見番みたいになっちゃってますけど。

私が、みどりさんを初めて見たのは、渡辺絵美さんが現役で活躍していた頃のNHK杯のエキシビジョンでした。当時、みどりさんは小学校六年生で、競技への参加は適わなかったのですが、エキシビジョンのすべてのプログラムが終了した後、「特別演技」として登場されたのです。

それまで大人の選手が重そうに飛んでいたダブル・アクセルやトリプルを、小さなみどりさんが、まるでコマに羽根が生えたような軽やかさで次々に決めていくのを見て、姉と二人、「この子、いったい何者?!」と、TVの前で騒然としたのを今でもよく覚えています。
それから程なくして大きな競技会で「伊藤みどり」という名前を耳にするようになり、最初の冬期オリンピックで全国的に知られるようになってからは、「ついに出てきたか」という眩しい思いで見ていました。
金メダル確実と言われながら、それは叶いませんでしたが、みどりさんの背中を見て、後進たちがここまで来たのは疑いようもない事実です。
若い彼女たちが、世界の檜舞台で、一流の欧米選手に負けず劣らず競技する姿を見ながら、私はしみじみ「みどりさん、ご苦労様」って思いました。
オリンピックで銀メダルを取ったあの時よりも、今の方がいっそう、みどりさんの存在の大きさが分かるのは、みどりさんがそれだけのものを残していったからでしょうね。

ところで、ペアの演技を見ていて思ったのですが、あれはシングルとはまた違うメンタルな努力が要るものですね。
近年は、技術のレベルがさらに進歩して、女性を空高く(?)くるくると放り投げるような技や、男性の腕一本で持ち上げるような技が次々に登場し、ちょっとリフトしたぐらいでは評価されないようになりました。
足場がしっかりしている床体操ならともかく、お互いかなりのスピードで滑走する氷上で、あんな風にくるくる放り投げられたり、腕一本で高く持ち上げられたりしたら、いくらプロの選手とはいえ、やっぱり怖いですよ。
「この人、ちゃんと支えられるのかしら」
「こいつ、俺のことを信用してるのかな」
なんて疑いだしたら、ペアを組んで演技することさえ難しくなるでしょう。

よくペアの真髄は「呼吸と信頼」だと言いますが、あのサーカスばりのアクロバティックな演技を見ていると、その事が非常によく分かります。
どちがかが、チラとでもお互いを疑えば、あんな危険な演技は出来ないし、まして成功もしないと思うからです。

また、どちらか一方がミスした時、
「ああ、もうっ! 何やってるのよっ!」
とカッカするようでは、演技は続けられないでしょう。
相手が転んでも、次の瞬間にはすぐに体勢を立て直して、元の演技に戻らなければならりません。
その時に、お互いが動揺したり、疑ったり、不満に思うようでは、やはり後がメチャクチャになってしまうのです。

そう考えると、シングルの方が、相手に足を引っ張られるということがない分、集中しやすいのかなと思ったりもします。
演技に失敗したとしても、それはあくまで自分に起因すること。自己責任において失敗する分は、いくらでも気持ちの立て直しが利きますから、そういう意味では、相手にミスされて、自分まで足を引っ張られる方が、精神的にはよほど難しいのではないかと思うのです。

かといって、シングルが気楽に頑張れるかといえばそうではなく、たった一人で競技の場に出て行かねばならないプレッシャーは、想像して余りあります。
たとえ四回転ジャンプに成功したとしても、すぐ側で抱き合って喜びを分かち合えるパートナーはありませんし、コーチと手を取り合って喜んだとしても、共に闘うパートナーと分かち合うものとは、またちょっと違っているのではないでしょうか。
私も経験したことがありませんから、あくまで推測なんですけどね。

そんな事を思い巡らしていると、人間の生き方もこれに当てはまるような感じがしました。
同じスケート競技に挑むにしても、シングルで勝負することと、ペアを組むことは、精神的にも技術的にも、異なる努力を要します。
どちらが上とか下とかの問題ではなく、必要とされる精神力が違うということです。

シングルで勝負するのは、山登りに似て、非常に自己鍛錬を必要とします。
成功も失敗も、自分一人の器にかかってくるのですから、たとえ横からサポートし、アドバイスしてくれる人間がいたとしても、あくまでカヤの外であり、最後は自分の力で歩いていかなければなりません。
泣いても、叫んでも、その声は誰にも聞こえないし、「あなたの苦労、分かるわ」という人が現れたとしても、同じ苦しみを背負って歩いてくれる訳ではないのです。
手抜きしようと思えば、いつでも手抜きできるし、途中で挫折したって、誰も同情などしてくれません。頼りのコーチの手だって、勝負の場では遠く及ばないのです。
周りを見渡せば、気の遠くなるような孤独の中で、心を研ぎ澄まし、たゆまず歩き続けた人だけが、シングルの競技で勝利します。
やれ「あの人が悪い、運が悪い、誰も解ってくれない」と甘えてばかりの人は、所詮、何をやっても上手く行かないのではないでしょうか。

かといって、ペアを組めば、たちまち楽できるというものでもありません。
お互い支え合い、助け合っているように見えても、立っているのは一人です。
空高く放り投げられたはいいものの、自分一人で着地もできないような情けないレベルでは、とてもじゃないけどペアの演技など無理。
一人で演技できる力量があって、はじめて、ペアとして成功するのです。

そんな風に、自分で自分の演技がままならない人が、どうしてプロのスケーターとペアを組むことができるでしょうか。
「世界一の男性とパートナーになれば私も一番になれる」と願ったところで、世界一の男性がパートナーに選ぶのは、やっぱり同レベルの女性なんですよね。

また、いくら本人に一流の技術があったとしても、パートナーとの信頼関係を築けないようではペアとして成り立ちません。
相手がちょっとミスしただけで、目を吊り上げ、突っ掛かるような人。すぐに動揺して、自分を見失ってしまう人。ミスの原因を何もかも相手のせいにしてしまう人。自分磨きに必死で相手のことなど省みない人。自分さえ評価されればいいと思っている人。おんぶに抱っこで、相手に頼り切っている人。
シングルでは世界一流でも、ペアを組めば、ジャンプ一つまともに出来ないでしょう。

ペアを組めば、何でも「2分の1」になると思うのは間違いで、やはり自分が基本になることに変わりありません。
むしろ、ペアという、自分とは異なるものとの組み合わせの中で、自分を確立し、なおかつ相手と助け合っていくというのは、シングルの厳しさとはまた違う、地道な努力を必要とするのではないでしょうか。

闘う人間の姿は、シングルでも、ペアでも美しいものです。

いつ、誰が見ても、輝いている人間でいたいものですね。

You are here

エッセー > 恋と女性の生き方 > 独身でも、既婚でも ~「輝く私」を目指して~