恋と女性の生き方

人に優しい輪廻転生の話 ~恋と生き方に行き詰まったら

2008年3月17日

皆さんは、ご自身のパートナーと、前世でどんな関係だったか、すぐに思い浮かぶ方ですか?
だとしたら、それは相当深い縁があるということです。
恐らく、今生だけでなく、別れては生まれ変わり、この地上で何度となく出会いと別れを繰り返してきた人に違いありません。

と言うと、この手の話に嫌悪感をもよおす人はさっそく受け付けないかもしれませんが、ま、何かに参考に読み進めて頂ければ嬉しいです。

一般に「輪廻転生」というと、危ない新興宗教の受け売りか? なんて後退る人も多いですが、元々は仏教から派生した思想であり、ダライ・ラマのような宗教的指導者も、輪廻転生の思想に基づいて選ばれるのはよく知られている事です。

どうもインチキ宗教家に悪用されるせいか、「輪廻転生」という言葉を聞いただけで引いてしまう人が多いですが、私個人としては、「前世の業」とか、「生まれ変わり」がどうこうというより、与えられた人生の意味を考える上で、輪廻転生の思想はすごく人に優しいなあと思うんですね。

たとえば、「何の為に生まれてきたのか分からない」「なぜ私ばかりがこんな苦しい思いをするのか」なんて自暴自棄な気持ちに陥った時、「人生なんてそんなものさ」と言い切られると、後がまったく続かないでしょう。

だけど、美輪明宏さんのように、「この世に生まれてくるのは、いろんな経験を積んで、心を高めるためなんだ。心の鍛錬は厳しくて当たり前だし、自分でそれを選んで生まれてきたんだよ」と言われると、辛いことも、悲しいことも、納得が行きます。
それを一つずつクリアすれば、楽になるのが見えてくるからです。
それが分かれば、「私の人生には意味がない」とか「生きるなんて空しい」という気持ちにはならないでしょう。
多くの人が無闇にもがくのは、「今」の苦しみだけに囚われて、乗り越えた先にあるものを見ようとしないからではないでしょうか。

輪廻転生の考え方は、人生の問題にとどまらず、人との出会いにも当てはまります。

以前、大好きな人と別れた時、私の友人が言いました。
「この二人はもう学ぶべきものを学んだから、これ以上は必要ないって、神様が離ればなれにされたのよ。天に与えられたものは、再び天に帰っていくのが定めだから、別に失敗でも何でもないんだよ」と。
その時には、言葉の意味が分からなくて、おいおい泣くばかりだったのですが、今なら彼女の言いたかったことがよく分かります。

『天に与えられたものは、再び天に帰っていく』という言葉はなるほどで、意味あるものは、いつか必ず出会うし、意味がなければ、自然に別れていくものなんですよ。
不幸でも、敗北でも、何でもありません。

下手な慰めと言ってしまえばそれまでですが、そもそも人の痛み苦しみ、とりわけ恋愛に関する心痛は、対象に執着しすぎることから生じるんですね。
「この人を失いたくない」「もっと愛されたい」と、欲望のままに突っ走るから、現実が見えなくなって、暴走してしまう。

そこでふと理性を取り戻し、「ああ、この人はもう私には必要ないんだ。この世で関わる理由がなくなったから、離れていったのだ」と思えば、答えは自ずと見えてくるし、新たな希望も湧いてくるでしょう。
相手に執着さえしなければ、痛み苦しみもそこそこに終わるのです。

仏教の真髄は『無』という思想にあります。
この世のものは、元々、『無』であって、人の心(意識)が、それを形有るものにするという教えです。

有名なたとえ話に、ある人がお釈迦様に、
「苦しくて、苦しくて、たまりません。どうぞ、この苦しみを取り除いて、私をお救い下さい」
と助けを求めたところ、お釈迦様は次のように諭したといいます。
「では、その苦しみというものを心から取り出して、見せてごらん。そうすれば、取り除いてあげよう」

つまり、最初から「苦しみ」などというものは存在ないのです。
その人が「苦しい、苦しい」と思えば、そこに苦しみが生じ、「憎い、憎い」と思えば、そこに憎しみが生じます。
私たちは、そうした実体のないものに囚われ、執着し、自分で自分の首を絞めているだけに過ぎないのです。

「恋」や「出会い」も、元々は「この世に無かったもの」と言えるでしょう。
それが、あなたの心に、「好きだ」「愛されたい」という気持ちが生じることによって、「無」が「有」に変わります。
出会いさえも、あなたが意識することによって、はじめて「出会い」になるのです。

最初は嬉しい恋愛も、時が経ち、相手との関わりが深くなれば、不満も怒りも生じます。あんなに熱心だった相手の気持ちもいつか醒め、「何でこんなことに」と慌てふためくこともあるでしょう。

だけど、元から実体のないものは、刻一刻と変化するのが当たり前なのです。
「あの人が好きだ」「私は愛されている」という気持ちも、自分がそう感じているから、そこに存在するだけで、何も感じなければ、無いのと同じなのです。

恋愛の苦しみは、そうした実体のないものを、「いつまでも有る」「失いたくない」と思い込み、執着するところから生じます。
「彼の気持ちが分からない」「どうしたらもっと優しくしてもらえるの」といった悩み、不安も、あなたの心が作り出した迷いに過ぎません。
言い換えれば、あなた一人が心の中でドタバタしているだけで、何をどうこうしても、物事はなるようにしかならないのです。

そうした迷いや執着を一つ一つ断ち切って、冷静に考えれば、道は決して一つではなく、これきり永久に幸せが遠ざかるわけでもないことが見えてきます。
まして相手があなたを一方的に苦しめているわけでもありません。
それが分かれば、いたずらに相手を憎んだり、しつこく追いすがることもないでしょう。

「別れ」にしたって、この世で関わる意味が無くなったから「離れた」、あるいは「執着を断ち切った」と思えば、それまでです。
そこで「負けた」「悔しい」「どうしたら取り戻せるの」と、いつまでもそれに囚われ、うずくまっているから、苦しい、悲しいと、嘆かざるをえないのです。

元から無いものが再び無に帰ったからといって、あなた自身がどうなるわけでもありません。
すべての物事が、円を描くように、現れては消え、出会っては離れていくものだと思えば、自分が今どの位置に立ち、これからどのようにすればいいのか、自ずと見えてくるのではないでしょうか。

輪廻転生の考え方というのは、前世がどうとか、生まれ変わりがどうこうに限らず、もっと広いレンスで、生き方の知恵を授けてくれます。

たとえば、自分が今現在、関わっている人間について、どうすればいいか分からなくなった時、「前にやり残したことがあるから、今、もう一度、やり直すチャンスを与えられているのだ」と思えば、腹も据わるし、そこから何かをつかもうと努力するでしょう。
「ああ、しんどい、もういやだ」で投げ出してしまったら、結局、また同じような人間に巡り会い、同じような悲劇や苦難を繰り返します。
クリアすべき課題をそのままそこに放置しているからです。
人の生きる意味が、一段、一段、心の階段を上がって行くものであり、その為に、何度も生まれ変わって人生をやり直すのなら、人間関係のトラブルもどうにか乗り越えていくしかありません。
来世でまた会って、同じ災難を被るのはごめんでしょう?

人間の一生も同じです。

若い子達は相変わらず自殺するし、いい大人だって、ふらふらと死んでしまう。
そうまで追い詰められる気持ちを私は責めはしませんし、私自身、そのような衝動を何度も経験してきましたから、その人達が弱虫とか卑怯とかは思いません。

ただ、死にたいなと思った時、私はいつもこう考えました。
現世の問題は、現世で解決しなければ意味がない、と。
一瞬の苦しみに負けて、現世の問題を引きずって死んだら、永久に解決する機会を失ったまま、あの世で悶絶苦闘する羽目になる――そう思うと、そっちの方が怖くて、とても死ねなかったのです。

それに、今はこんなに苦しいけれど、来年の今頃はきっと忘れている。一時の苦しみの為に、その後何十年の幸せをふいにするのはもったいという気持ちもありました。

そういう損得勘定から、私は死なずに済んだのですが、他の方はそこで止めるものがないから、真っ逆さまに奈落にダイブしてしまうのでしょう。

こういう時、カウンセラーや訳知りの大人が説教するより、身に染みついた宗教的感情の方が、よほど抑止力があるような気がします。
それは「頭」や「心」といった表層の部分ではなく、その人の魂の奥深いところにずっしり響くからです。

頭で悪いことをしよう、心で死んでしまおうと思っても、人は究極、宗教的感情に基づいて行動せずにいません。
凶悪な殺人犯が、心の奥底では良心の咎にさいなむのと同じです。

つまり、「魂で悟ったこと」は何ものにも左右されないのです。

こうした知恵を、人生はもちろん、仕事、恋愛、人間関係、様々な場面に生かせば、どんどん生き方のコツが分かってくる、というか、楽になってくると思います。

恋愛に悩んだ時、多くの女性は恋愛マニュアル本に走りますが、ちょっと視線をずらして、宗教や哲学をベースに書かれた本(たとえば瀬戸内寂聴さん)などを手に取ってみると、違う目が開けてくるのではないでしょうか。

ご参考までに。。。


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ぜひチェックしてみて下さい。

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