幸せな恋

2017年9月15日恋と女性の生き方

私は美輪明宏さんが大好きで、舞台や講演会は欠かさず見ているのですが、最近、出版された『愛の話 幸福の話(集英社)』の中で、こんな事を書いておられました。

「幸せとは充足感。これ以上何も望むものはないとしみじみ思う気持ち。
一度手に入れたからといって、永久不変に維持できる固形物ではないのです。
永遠に幸せでいる方法はたったひとつ。
感謝の心を忘れないことです。
そうすれば、幸せはいくらでも自前で調達できます」

私も、この数年間、「幸福」というものについて、何度も考えました。

以前は、幸福についての定義はもちろん、自分が幸せになれる、幸せを求めている、ということにすら気付かなかったので、そんな事は微塵も考えなかったのですが。

かのアブラハム・リンカーンも言いました。

「人は、自分が決心した分だけ、幸せになれる」と。

不幸だ、不運だ、と嘆いてばかりいる人は、幸せについて考えたこともなければ、幸せになろうと決心したことさえ無いのではないかと思います。

警察官でも作曲家でも、「なろう」と決心しない事には、なれません。

幸せもそれと同じで、「幸せになる」決心が無ければ、そして、それを得るための努力が無ければ、幸せになれないのだと思います。

ところで、私たちは幸運がもたらす恍惚感、あれを幸せだと勘違いしてないでしょうか。

「宝くじが大当たりした」→ 「ヤッター、うれしー」

「課長に昇進した」 → 「ヤッター、うれしー」

「恋人に愛してると言われた」→ 「ヤッター、うれしー」

確かに、思いがけない幸運や努力の報酬から得られる「ヤッター、うれしー」は、天にも昇るような恍惚感を与えてくれますが、それも一生続くエクスタシーではありません。

お金が増えたら、お金にまつわるトラブルもやってくるし、昇進すれば、そのポストに見合うだけの重責を負わなければならない。恋人ができたら、不安や嫉妬やすれ違いに悩まなければならないし、結婚式の感動も一生続くわけじゃない。

あの恍惚感こそ幸せだと勘違いしたら、私たちは一生、喜びと幻滅の狭間を行ったり来たりすることになるでしょう。

そうではなく、今、手の中にあるものに感謝する気持ち。

もう十分、与えられているのだと思える、心のゆとり。

美輪さんは、それこそ幸せの本質だと言っておられるのではないかと思います。

そう考えたら、「幸せな恋」って、どういう恋愛をいうのでしょうね。

告白されたり、デートを楽しんだり、甘いラブラブ状態の、あの恍惚感を「恋の幸せ」と定義づけたら、それもまた新たな不幸の始まりでしょう。

私たちは、しょっちゅう、相手に恍惚感を求めなければならないし、それが無ければ、不幸だ、愛されてない、と思うようになる。これでは、どんな関係も上手くはいきませんよね。

私は、ここにきて、一つだけ痛感したことがあります。

それは「自分を好きになれる恋」こそ、本当に幸せな恋だ、ということ。

恋をすれば、不安になったり、寂しくなったり、我を忘れたりするのは当たり前。

そして、そんな自分を、いったい誰が好きになるでしょう――?

自分でさえ好きになれない自分を、相手が好きにならないのは当たり前、だからいっそう、自分を嫌い、憎み、どんどん卑しめていくようになる。

そうなれば、どんなに楽しい恋も、みじめで、辛い恋になってしまいますよね。

これは私の脳天気な発想かもしれませんが、人ってのは、よほどのことが無い限り、人のことを嫌いになったり、遠ざけたりしないものだと思います。

最初、上手くいっていたものが、だんだん重く、暗い関係になって、しまいには相手に嫌われてしまうのは、そうなる過程で、自分で自分を愛せなくなってしまうからではないでしょうか。

だけど、どうにかして、相手に愛されることで、もう一度、自分に対する愛情を復活させようとする・・・それが追っかけの心理であり、本当に取り戻したいのは自分に対する愛情と信頼ではないかという気がします。

たとえば・・

彼からの電話を一日中イライラと待って、結局かかってこなければ、もう全て終わったような絶望感にさいなまれるとします。

だけど、その時、本当に憎んでいる相手は、彼ではなく、自分自身ではないですか。

そんな風に、イライラと電話を待ち続けて、落ち込んだり、苦しんだりしている自分自身に絶望しているのではないですか。

だけど、彼から電話があって、自分に対する愛情を確認できたとします。

そうすれば、あなたも、あなた自身に対する愛情を取り戻して、安心するでしょう。

それは二人の関係がどうこうというよりも、自分に対する愛情や信頼の持ち方の問題ではないでしょうか。

誰だって、不安や悲しみといったネガティブな感情でいっぱいになった自分を好きになどなりません。

だけど、人から愛されれば、自分で埋められない心の隙間を埋めてもらうことができます。

私たちが、人に愛を求めるのは、自分で自分を愛せないからであり、それが著しく欠乏している時――ネガティブな感情でいっぱいになって、
自己嫌悪や自己不信に陥っている時――に、「もっと、もっと」と、しつこいくらい、相手に損失補填を求めてしまうのかもしれません。

恋人がいないから、苦しいのではなく、恋人がいない自分を嫌っているから苦しいのだ――。

結婚できないから、みじめなのではなく、結婚できない自分を卑下しているから、みじめに思うのだ――。

それが、多くの「不幸」の正体だと思います。

だから、『恋人さえいれば』『結婚さえすれば』、自分を好きになって、幸せになれると勘違いしてしまうのでしょうね。

これは、他の条件にしたって同じ事。

お金が無いから人生を楽しめないのではなく、お金が無いことに劣等感を持っているから、何をやっても楽しめないのだ――。

**大学に合格できない人間がダメなのではなく、**大学に合格できない自分を無能と思い込むから、ダメ人間になってしまうのだ――。

条件はあくまで条件であって、条件に意味を付けるのは、その人自身です。

無意味と思えば意味はなくなるし、悪く取れば、いくらでも悪くなるんですね。

もし、今、あなたが誰かに恋をして、悩んだり、苦しんだりしているとしたら、一度、自分の「不幸感」の正体を突き詰めてみてください。

『自分で自分を好きになれる恋こそ、本当に幸せな恋なのだ』と分かれば、相手が自分をどれほど愛しているか、とか、週に何回電話をくれるか、とか、誕生日に宝石を買ってくれた、とかいう事は、さほど意味が無くなると思いますよ。

私が最初に書いた言葉、『自分を愛することから始めよう』を思い出してね。