食と移民と共生と 映画『マダム・マロリーと魔法のスパイス』

2017年9月15日映画, 感動ドラマ

某国の首相が難民ウェルカムのメッセージを発して、百万規模の難民・移民が欧州に流入してから──いや、それ以前から、移民問題はいずこの国にも根深く存在してきた。

町に一人か二人の外国人妻。

大学に一人か二人の外国人留学生。

工場に一人か二人の外国人従業員。

バラエティ番組のネタになる程度の規模ならまだしも、これが百人、二百人と増え続け、数千、数万のコロニーになれば、当然、人々の暮らしは大きな影響を受けるし、相手の文化習慣に合わせて、法律や制度の改変も必要になってくる。

しかも移住してくる人は、「ノーベル賞の中村さん」や「少年よ、大志を抱けのクラーク博士」や「外国人だけどJリーグに貢献しますのラモス選手」みたいに、立派で、高度な技能を有して、地元社会に貢献してくれる人ばかりではない。

現地語も英語もできません、最低限の読み書きや計算能力もありません、○○教なのでアレもコレもできません、○○人なので現地のことなど全く興味ありません、今さら勉強する気もありません、現地のルールに合わせる気もありません、、、という人も当然出てくる。

また逆に、現地には無条件に外国人を嫌う人もあれば、いっさい関わりたくないという人もある。

いくら崇高な理想を掲げようと、個々の恐れ、違和感、嫌悪感などを完全にコントロールするのは不可能で、外国人の行くところ、先々で何かしら問題が起きるのが当たり前と考えた方がいい。

だからこそ、我々はどう受け入れ、またどう馴染むべきなのか、政治的思惑は抜きにして、個人レベルでも考えるところまで来ているのだけども、何かあると、真っ先に動くのが全体の世論であり、政治であり、それゆえ、実態をいっそう難しくしているのが現在ではないか、と思う。

会社でも、地域でも、相手が何人であろうと、個人レベルではそこそこ上手くやっている人が大半のはずなのだが。(あいつら、仕事の考え方が全然違うわー、という愚痴は存在しても)

*

2014年に公開された『マダム・マロリーと魔法のスパイス』(原題:The Hundred-Foot Journey)は、一見、ヘレン・ミレン演じる素敵な老婦人が美味しい料理をご馳走して、村人を幸せにするかのような印象だけど、中身は全く違う。原題にあるように、インドからはるばるやって来た青年とその一家の自立、そして、受け入れる側の葛藤や気持ちの変化を描いた良作である。

インドで暴動に巻き込まれ、欧州にやって来たインド人のカダム一家。最初ロンドンに住んでいたが、「英国の野菜に問題が……魂も生命もないんです」という理由で、再び移動。車で国境を越えられるのが欧州のいいところ。
彼らがやって来たのは南フランスの山間だ。その町には、ミシュラン一つ星を誇る老舗のフレンチ・レストラン「ル・ソール・プリョルール」があった。切り盛りするのは、英国からきた女主人マダム・マロリー。

マダム・マロリーと魔法のスパイス

店の向かいの大きな空き家に目を留めたパパ・カダムは、ここでインド料理のレストランを開くことを思い付く。
一つ星レストランの向かいに、まさかのマハラジャ。。。

マダム・マロリーと魔法のスパイス

マダム・マロリーと魔法のスパイス

客足が悪いと見るや、あの手この手で引き込み。

マダム・マロリーと魔法のスパイス

マダム・マロリーと魔法のスパイス

マダム・マロリーと魔法のスパイス

当然のこと、一つ星の雰囲気はぶちこわし。マダム・マロリーとも険悪になるが、天才的な息子ハッサンの腕はたちまち評判になる。
これ美味しそう~。

マダム・マロリーと魔法のスパイス

マダム・マロリーと魔法のスパイス

そんな彼らの関係を変えたのは、放火事件だった。
店の壁に大きく書かれた「フランスはフランス人のもの」という落書き。
レストランは炎に包まれ、ハッサンも両手に火傷を負う。
「移民を認めるのですか」というフランス人シェフの言葉に一つの本音が垣間見える。

マダム・マロリーと魔法のスパイス

マダム・マロリーと魔法のスパイス

マダム・マロリーと魔法のスパイス

さすがに黙って見ておれなくなったマダム・マロリーは、自ら落書きを消しに赴く。
そんなマロリーもまた、英国人という移民であり、フランス人シェフにどこか見下されていた。

「ここの戦争は終わった」という言葉には二重の意味がある。

インド人の隣人に対し、やってはならない行為に及んだことで、個人的な怨讐はなくなったこと。

さらに見方を拡げれば、もはや国と国が争っている場合ではない、私たちは「放火」という卑劣な行為に毅然と立ち向かい、手を取り合う時が来たのだ、というメッセージでもある。

マダム・マロリーと魔法のスパイス

マダム・マロリーと魔法のスパイス

実は誰よりも深くハッサンの才能を理解していたマロリー。
罪滅ぼしの気持ちもあり、自らのレストランに招いて、荒削りなハッサンを鍛える。
ここでは「伝統」と「オリジナリティ」の見事な融合が見て取れる。
確かにハッサンは天才肌の料理人であるが、数百年にわたって培われてきた正統派のメソッドはない。
それをマロリーが訓練することにより、料理の基礎が確かなものになる。
料理でも芸術でも、基礎は大切ということ。

一方、伝統に囚われていたマロリーも、ハッサンの新しい味を受け入れることで、一段と実力を増す。

「コリアンダーを入れました」
「200年のレシピを変えるの?」
「200年たつと味に飽きがきますよ」

マダム・マロリーと魔法のスパイス

ハッサンはパリの革新的なレストランに招かれ、一気に才能を花開かせる。
美術、料理ともに、パリらしい演出。

マダム・マロリーと魔法のスパイス

こんな料理、見たことない! これぞ『創作』という感じ。

”コリアンダーとマサラでサプライズが誕生しました
タンドリ風の味わいが絶品
マリネしたタマリンドとスモークしたチリ・パウダー
やみつきになる魚料理です”

マダム・マロリーと魔法のスパイス

マダム・マロリーと魔法のスパイス

マダム・マロリーと魔法のスパイス

故郷で息子の活躍を見守るパパ・カダムとミセス・マロリー。
一流の料理雑誌に掲載された息子の写真に「まるでテロリストだ」と溜め息。
そしてまた故郷に残されたパパとマロリーの間にも友愛が芽生えていく。

マダム・マロリーと魔法のスパイス

田舎くさいカレー屋の親父が、いつの間にやら、一つ星レストランの広間で英国貴婦人と社交ダンスを踊るダンディーに。変わったのは味ばかりではない。パパ・ガダムもまた、英国流、フランス流の行儀や文化を取り入れ、自らに融合する。

マダム・マロリーと魔法のスパイス

だが、華々しい成功とは裏腹に、ハッサンの心は満たされない。
ある夜、閉店した店の片隅で弁当をつつく同僚に声を掛け、彼の奥さんの手料理を味わう。
マンゴ・パウダーやガラム・マサラなど、インドの懐かしいスパイスを口にするうち、故郷を思い出し、涙を流すハッサン。

マダム・マロリーと魔法のスパイス

マダム・マロリーと魔法のスパイス

ついに自分の居場所を見つけたハッサン。それはインド人家族にとっても安住の地を見つけた証。
敵対していた一つ星レストランとインド料理の店は和やかに融け合い、みなで料理を幸せに味わう。。。

マダム・マロリーと魔法のスパイス

マダム・マロリーと魔法のスパイス

料理と異文化交流と共生

太古の昔から、言語、服装、建物、しきたりなど、様々な文化が出会い、時に敵対しながらも、一つに融け合ってきた。

わけても、皆が大好きで、手軽にアレンジできるもの、それが料理だ。

中国ガー、韓国ガー、という人でも、炒飯や餃子は美味い美味いと食べるだろうし、カルビもビビンバも本場の味を知れば病みつきになること請け合いだ(私も韓国人一家から本物のキムチとビビンバをご馳走になったけど、顎が抜けそうなほど美味しかった。今も忘れられない)

敵対し、いがみ合う民族同士でも、ほかほかのバゲットは同じように美味しいし、ケバブもカレーもピロシキもチリコンカンも、美味いものは美味い。

いくらフランスが嫌いでも、まったりとしたポタージュやエスカルゴや牛肉の赤ワイン煮込みまで、同じように嫌う人はないはずだ。

一方、フランス嫌い、インド嫌い、中国嫌いという人でも、「ああ、あの春巻きが美味しかった。今度、モヤシを使って作ってみよう」「カレーに漬け物を添えたら、もっと美味しいかも」と、自国流にアレンジして楽しむだろう。

まさに料理に国境はなく、これほど簡単に国と国、文化と文化が融合するアイテムもない。

そして、美味しいものを悦ぶ気持ちは何人でも同じ。

みなで食卓を囲めば、そこに憎しみなどあろうはずがないのに・・・というメッセージであろうと、私は思う。

実際、人と人のもてなしは飯に始まり、飯で盛り上がる。

中には「刺身とか寿司とか、魚を生で食べるなんて、信じられない! ギョウ虫、大丈夫?」という人もあるけども、そんな人でも、かにかま+レタス+フィラデルフィアのチーズ入りは「美味しい」と喜ぶ。私から見れば、寿司飯にチーズとか、有り得ない組み合わせだけども(初めての時はオエっとなった)、こうして自己流、相手流に、いろいろ工夫し、お互いに楽しめるものを作り出すのが「共生」というのだろう。

実際、外国人と交流するのに難しい理屈など必要ない。

そこに美味いものがあれば、自ずと雰囲気は和むし、自国の料理を褒められて怒り出す人はない。

この映画は、「一つ星レストラン+英国の貴婦人+フランス人シェフ」VS「インド料理+移民」という、まったく質の異なるものが出会い、反発し、融合して、一つの新しい味を作り上げる過程を描いているが、その転機となったのが「放火」という理不尽な攻撃であり、その点がいかにも現代的で、示唆に富んでいる。

何も悪いことなどしていないのに、「インド人」というだけで大切な店を破壊された一家の無念。

自分も同じように移民であり、その苦労を少なからず知っているミセス・マロリー。

この一件で敵対から和解に大きく舵を切ったのが「英国貴婦人」というのも、なかなかに含みがあるだろう。

どうしても相容れないフランス人シェフとインド人一家の間にも、客観的な視点を持つマロリー的なものが介在すれば、そこに突破口が開けるかもしれない、という点で。

*

どこの世界、どんな国でも、共生は難しい。

自分と異なるものを恐れ、忌み嫌うのは、生物的に仕方のない部分もある。

それでも、私たちには料理(=文化)があるし、知性もある。

いたずらに嘆くのではなく、互いの味を味わってはどうか。

それはきっと、作中でも右往左往するだけで、何の力にもなれなかった町長(=政治的な象徴)よりも、きっと実際的で、友好的だろう。

そこに美味い料理がある限り、人も自ずと笑顔を浮かべる。

そして、この国際社会が、ラストの和気藹々とした食卓のようになればいいのにね……

という願いを描いたハートフルなコメディです☆

芸術とメソッド

この作品では、芸術の温故知新も描かれ、伝統だけでは古びる一方だし、自己流だけではいつか伸び悩む、というメッセージも込められています。

ハッサンがフランス語の料理本を熱心に読む場面では、古来から、どこの国の人もこのようにして異文化に出会い、そのエッセンスを吸収して、独自のものを作り上げてきた歴史が窺えます。

そういう意味で、移民=異文化との出会いは避けて通れないし、またそれ無くして自国の興隆も有り得ない。

本来、それは火花と火花が飛び散るように刺激的で、ダイナミックなものであるのに、悲しいかな、負の部分もつきまとうのですね。

だけども、とにもかくにも人類は生き延びたように、これからも生き延びるだろうし、社会も幾度となく崩壊、再生、変化、建立を繰り返し、歴史を綴っていくのだろうと思います。

そんな中でも、決して滅びぬものがある。

それが文化であり、毎日口にする料理です。

どこの国の、どんな人種を、どれほど悪く罵ろうと、餃子もカレーもピロシキも寿司も、永遠に続いていく。

それは案外、どれほど耳障りのいいスローガンより、もっと人を引きつけ、和ませるのかもしれません。

アイテム

ヘレン・ミレン主演と知って、これは必見と思い視聴。

本物のエリザベス女王を彷彿とさせる気品と存在感でアカデミー賞を受賞した『クィーン 』、グロテスクだけども、どこか悲しい『コックと泥棒、その妻と愛人』も魅力的でしたが、本作では一つ星レストランを率いる女主人を好演。最初はイヤな婆さんですが、徐々に、愛らしい魅力を見せてくれます。

Photo : http://brightestyoungthings.com/articles/movie-review-the-hundred-foot-journey