「躾が行き届く」ということ

2017年9月15日子育てコラム

私の夫方の義家族(義理のお姉さん二人と義母さん)はアメリカ在住で、私たちもしばしば訪れることがあります。

日本では、小姑にネチネチやられるケースも少なくないようですが、私の場合は、義姉さん達によく可愛がってもらって、本当に幸せ者だな、と感じます。

そんな義姉さんとのやり取りで、今でも印象に残っているのが、夫と娘さんと私の3人で、SF大作の『マトリックス・リローデッド(シリーズ第二弾)』を見に行った時のことです。

当時、娘さんのBちゃんは15歳で、高校生になったばかりでした。

ところが、映画館に着くなり、Bちゃんが蒼くなって、「どうしよう、電話をかけなきゃ」と言い出すではないですか。

「一体、どうしたの?」と夫に訊ねると、

「この映画はPG-18(18禁)なんだよ。Bちゃんは15歳だから、この映画を見るには親の同伴が必要なんだ」

私は、「えっ??」という感じでした。
だって、日本で「マトリックス」を見るのに、親の許可を取っている中高生などないでしょう。
配給元の映画会社だって、「この作品は18禁ですから、中高生の皆さんは、必ず親と同伴するように」なんて告知はしませんしね。

皆さんもご存知だと思いますが、ハリウッドの作品は、本編が始まる前に必ず
『PG-18(18歳以下の鑑賞には保護者の同伴が必要)』
『PG-13(parents strongly caution=13歳以下の子供の鑑賞には強い注意が必要)』
『 All audience(家族向け)』
といった告知がなされます。

その審査は非常に厳しくて、子供に大人気のディズニー&ピクサー映画『Mr.インクレディブル』でも、冒頭にカーチェイスと銃撃戦があることから、『PG-13』の指定を受けていますし、もし、小学生の子供だけで映画館に入ろうとしたら、係の人に呼び止められて、場合によっては親に通報が行くのだそうです。

しかし、日本では、こうした指定はほとんど無視されていますし、社会をあげて規制しようという動きもありません。
小学生だろうが中学生だろうが、たくさん客が入って儲かったらそれでいい――的な考えがありますよね。

そして、それが当たり前だと思っていただけに、Bちゃんが『PG-18』 の指定に足を止めたことが、とても意外に感じられたのでした。
(私は、たとえこうした指定があっても、若い子は無視して通り過ぎるものだと思っていました)

「じゃあ、Bちゃんは映画館に入れないの?」
と私が訊くと、

「うん、それについて、これからママ(義姉)と相談しなきゃいけないんだ。だから、彼女と電話をかけに行ってくるから、ちょっと待ってて」
と、夫とBちゃんは、ママに電話をかけに行きました。

でも、仕事中のママとなかなか電話が繋がらず、「帰った方がいいかもしれない」という話になった時、やっとコンタクトが取れて、ママと相談した事には、『私や夫が一緒だからとりあえず見ていいけども、過激な暴力シーンで気分が悪くなったら、すぐに映画館を出なさい』――というものでした。

そして、劇場入り口でも、係の人に「彼女は18歳以下か?」と呼び止められて、事情を説明したら通してもらえたのですが、一見、自由奔放そうなアメリカ社会が、こと青少年の事に関しては、厳しい規律を守っていることに感銘を受けたものです。
(ちなみに、この州では、18歳以下の性行為は禁じられていて、相手がたとえ公認のボーイフレンドであっても親に告訴されるんですよ)

この時、私にはまだ子供がありませんでしたが、これが本当の親子間の信頼であり、『躾が行き届く』というのは、こういう事をいうのだな――と、つくづく思ったものでした。

Bちゃんがママに電話したのは、「ママに叱られるのがウザイ」からではなく、「どんな小さなことでも、ママを裏切りたくない」からで、恐怖や自己保身の為にそうしている訳じゃないんですね。

今、そこに母親の目が光っていなくても、心の中にはいつもお母さんの教えがあって、それに従って行動できる――これこそが、日頃の躾の成果だと思います。

たとえば、力で抑えつけて、「あれをするな、ここには行くな」ということを言い聞かせるのは、誰にでも出来ると思うんです。

子供も、「お母さんにバレたら、面倒なことになる」と思っている間は、適当に従い、聞き分けのいい振りをしているでしょう。
でも、いつか開き直った時――「親にバレても構わない、怒りたければ勝手に怒れ」という気持ちになった時、そういう主従関係は簡単に崩れるし、子供も、自分のやっている事に何の罪悪感も伴わなくて、どんどんエスカレートしていくと思うんですね。

そうではなく、日頃の行動の指針となり、いざという時、歯止めになるのは、やはり心の中の親の教えであり、そのように子供に信頼されるには、やはり親の人間としての器が成熟していなければならないように感じます。

子供が外で行儀良くしてさえいれば(おとなしくして問題さえ起こさなければ)、「躾が行き届いている」と思い込んでいる人もありますが、本当の躾というのは、親の教えが、その子の心の中で規範となってはじめて完成するのではないでしょうか。

どんな小さなことでもママを裏切れないBちゃんの気持ちも、そういう娘を信頼して、ある程度は自由にさせるママも、本当にいいなあと私は思います。

うちの子も、何かの時には、「そういえば、ママがあんな事言ってたしな……」と思い出してくれるような人間に育って欲しいのですが――というより、そのように育てないといけないんですけど、まあ、どうなりますことやら……。

うちは、これからが正念場です。