料理も人生も味わって ピクサー映画『レミーのおいしいレストラン』

2017年9月15日映画, 仕事と人生, 創作と芸術

ピクサーの映画は「モンスターズ・インク」のから欠かさず観ていて、最近ではロボットが主人公のSFラブロマンス「ウォーリー」が大のお気に入りなのだけど、ベストと言えば、「レミーのおいしいレストラン」(原題:ラタトゥイユ)だ。

この作品に関しては、できれば原題「ラタトゥイユ(本作曰く「ねずみがかき回して作った」の意味がある)をそのまま邦題にして欲しかったけど、やはり子どもの反応を考えてだろう。

邦題やスチール写真だけ観れば、ネズミとコックのドタバタ劇のような印象があるが、これはもう完全に大人向けの作品。「創造」「人生」「批評」……子ども向け作品とカテゴライズするには余りに惜しい、深い哲学性と芸術性に彩られた物語だからだ。

生まれながらに鼻と舌が利くネズミのレミーは、現実主義の父親とおおらかな兄のエミールと共に、フランスの片田舎で残飯をあさり、人間に追われる生活をしていたが、いつかはパリの有名な五つ星シェフ、グストーのような一流のコックになりたいと憧れていた。

ある日、料理番組に夢中になるうちに、おばあさんに狙撃されそうになったレミーとエミールは、たくさんの仲間と共に逃走、だがレミーだけが一人、下水管に流されてしまう。

そこで出会ったのは、最近、他界したグストーの幻。彼は、フランス一の料理評論家アントン・イーゴの厳しい批判を受けたショックで急逝したのだった。

グストーの魂に導かれるように、彼のレストランの調理場に忍び込み、雑用係のリングイニがめちゃくちゃにしたスープを味付けし直して、店の評価を高めることになる。

この偶然から料理人の一人としてキッチンを任されるようになったリングイニは、レミーとタッグを組んで、次々に素晴らしい料理を送り出し、ついにはグストーの跡取りとしてレストランのオーナーに上り詰めるが、そんな彼の成功を喜ばない批評家のイーゴは、彼に鋭い挑戦状をたたきつけ、また、リングイニのせいでシェフの座を奪われた意地悪なスキナーは、そんな彼の秘密を暴こうと躍起になる。

そして、対決の夜。

ついにレミーとリングイニの秘密を知らされた調理場の仲間たちはショックを受け、リングイニは一人、取り残されて、闘う意欲も失ってしまうが、レミーはシェフとしてのプロ意識から調理場に戻り、家庭料理の「ラタトゥイユ」でイーゴに闘いを挑む──。

この作品の見所は、今にも美味しい匂いが漂ってきそうな美しい映像の効果と、一流レストランの裏側に親しめる点だが、何と言っても素晴らしいのは「芸術」そして「批評」という二つの相対する哲学を、小さい子どもでも分かりやすい形で伝えている点。

レミーの作ったラタトゥイユを食したイーゴは、翌日の新聞に、批評家生命をかけて寄稿する。

「厳しい批評は、書く側にとっても、読む側にとっても楽しいものだ。料理人たちが命懸けで作った料理にも、批評家たちは厳しい審判を下す。だが、批評家も時には冒険をする。それは新しい才能が登場した時だ。誰もが偉大な芸術家になれるわけではないが、誰が偉大な芸術家になってもおかしくはない」

というメッセージは、まさに世界中の若いクリエイターを奮い立たせるエールであり、一方で、新しいものをコキおろし、本当に価値あるものにバツをつけて、文化ひいては社会全体に著しい不利益をもたらすウケ狙いの批評家に対するエクスキューズでもある。

かつてフランス中の料理人を震え上がらせた冷徹な評論家アントン・イーゴ。

「誰にでも料理はできる」と唱えたグストーに真っ向から反論し、彼の料理を「インスタント冷凍食品」よばわりして、料理家生命に止めを差した男。

そんな彼の心をとかしたのは、レミーの作る新感覚のラタトゥイユだった。

それはまさに昔食べた「ママの味」。

いわば、このフランスにおいて、「至高の料理」というべきものは、いかにもグルメが喜びそうな豪華珍味ではなく、人間の味覚の原点である「ママの手料理」だった。多分、小さな子どもが観ても、この展開には心底納得するだろう。

おそらくイーゴは、幼い時に料理上手な母親を亡くしたかなんかで、ずっとその「幻の味」を大人になるまでひきずり続けたにちがいない。

料理評論家になり、あちこちの一流と呼ばれるレストランを食べ歩いて、ママの料理に代わるものを探し求めるけども、どれも見た目はきれいだが、嘘の香りがして喉を通らない。とても料理する心が伝わってこない。

だから、イーゴは言う。

「I don’t like food. I LOVE food.(私は料理が好きなのではない。愛しているのだ)」。

彼の料理への「愛」は、すなわち、失われた母への愛であり、永遠に忘れられない心の味なのだ。

そんなイーゴが、レミーの作ったラタトゥーユを一口、口にした途端、これまで多くの料理人を傷つけてきたペンが床にゴトン!と落ち、彼の目が温もりと懐かしさに見開かれる。

そして、「これぞ探し求めていた味」とばかり、ラタトゥーユに舌鼓を打つ。その姿はもはや冷徹な料理評論家ではなく、昔、お母さんの手料理を美味しい、美味しいと夢中で頬張った少年の顔だ。

イーゴの体験した幸福感は、一杯のライスカレーやカツ丼に身も心も満たされた経験を持つ人なら、誰でも共感するのではないだろうか。

思いっきりネタバレ映像です。

アカデミー賞を受賞した華麗なカメラワーク。躍動感があふれています。

この作品には悪役が二人いて、一人はイーゴ、もう一人は、グストーの名前の語り、粗悪な冷凍食品で一儲けしようと企む料理長のスキナーだ。

調理台に背も届かないチビッコで、グストーの死後、料理の味を落としてレストランの名声を著しく損なったにもかかわらず、まだ恥の上塗りのような冷凍食品を売り出すことに躍起になっている。

一流料理の対極にあるのが「冷凍食品」という設定も絶妙だが、「どうせ普通のヤツラに本物の料理の味など分かるわけ無い」と、自らの客を舐めきっている態度もなかなかのものだ。

昔はグストーの薫陶を受けた料理人だったのかもしれないが、イマドキの大衆は、手を掛け時間を賭けた本物の料理より、ちょいとレンジで調理して、すぐに空腹を紛らわせる手軽なモノの方が好きだということを的確に見抜いている。スキナー料理長にとっては、もはや料理は「味わって楽しんでいただく」ものではなく、ガソリンか何かのように、大衆の空きっ腹に収めればそれでいいものなのだ。

そうして、大衆が、手軽なインスタントや冷凍食品を好み、本物の料理の味を忘れたとしても、現役の料理人たちはまだ夢を失ってはいない。

誰もが「グストーの冷凍食品」で一儲けすることに賛成かといえば決してそうではなく、グストーの隠し子だったリングイニが料理界の新星として認められ(もちろんその功績はレミーにある)、レストランを後継してスキナーを追い出した時、調理場の仲間が真っ先にやったことは、開発途中の冷凍食品をクレーム・ド・ブリュレに使うバナーであぶり、店の裏でぜんぶ燃やしてしまうことだった。

それだけに、新シェフ・リングイニに再び夢と希望をかけた彼らが、実は、料理を作っていたのはネズミだと知り、やりきれない哀しみの中で次々に調理場を去って行く姿にも納得が行く。

このあたりの間の描き方も絶妙だ。

そして、今度こそ、グストーの店は終わりだ。イーゴはさらに厳しい批評を書き立て、グストーの店は料理人を欠いたまま、明日にも閉鎖されるだろう……という時、奇蹟が起こる。

まあ、現実的に考えれば、調理場で数百匹(?)ものネズミがソースを作り、肉をしごいて、サラダを盛りつけている場面など、想像するだけで吐き気をもよおすが、この奇怪なシチューエーションもピクサーの手にかかればまるで魔法のように輝き出すのだから、まったくもって天才集団としか言いようがない(私もこの場面は目頭が熱くなった)。

しかも、料理人としては最悪、他の仕事だってまともに出来そうにないリングイニが、ウェイターに回れば電光石火のごとく、素晴らしい給仕を展開するのだから、誰にでも一つぐらいは取り柄があるし、本当に無能で役に立たない人間など存在しないんだな、と、つくづく。

こうして最後まで入念な設定と描写で「(ネズミが調理場にいるという)あり得ない話」を万人に納得行くような形でまとめあげている本作だが、この作品の最大のメッセージは何かと言えば、やはりこのエピソードだろう。

レミーがまだ田舎で仲間のネズミたちと残飯をあさりながら暮らしていた頃、現実主義の父親は言う。

「食べ物はエネルギーだ。とにかく食べて力をつけろ」と。

だが、レミーの考えは違う。

「僕たちはただ食べるだけでなく、素晴らしいものを作り出すために生きているはずだ」

「空腹が満たされればそれでいい」「何を食べても一緒」と、電子レンジでチンして出来る、アミノ酸とでんぷんをこね合わせて作ったようなインスタント食品をドカ食い早食いしてる人は、ぜひこの作品を観て欲しい。

料理も人生も自ら作り出し、「味わうためにある」ということがよく分かるから。

関連アイテム

グルメの都・パリを舞台に、ネズミと見習いシェフがフランス料理界に“おいしい”奇跡を巻き起こす、勇気と友情を描いた感動のストーリー。シェフになることを夢見るネズミのレミーと料理が苦手な見習いシェフのリングイニは、パリの高級レストラン「グストー」で運命的な出会いを果たす。次第にパリのグルメたちを魅了し、全てが順風満帆に思えた2人だったが、予期せぬ出来事が突如起こり始める・・。

先にも書いたように「子ども向けアニメ」に分類するには余りに惜しい哲学的な作品。子どもより大人の方が評価が高く、女の子より少年の支持が高い。勧善懲悪の可愛いストーリーを期待すると裏切られるけど、「料理という芸術」「芸術と人生」という観点から見れば非常に味わい深い。全てはラストのイーゴの批評が物語っている。これだけでもアーティスティックなものに興味のある人は心打たれるのではないだろうか。

いま、もっとも注目を浴びている39歳の日本料理人・奥田透の初の単行本。高校のときに居酒屋でアルバイトをしたのをきっかけに、“たまたま”料理の道へ。その後、苦難の連続で、包丁すら握らせてもらえない修行時代が続く。その著者が、なぜ短期間で料理人としての才能を開花させ、自分の店を構えてわずか5年でミシュラン三つ星を獲得できたのか?
そこには、料理界以外にも通用する、仕事に向き合う哲学の真髄が!・・・

料理は誰にでもできる……確かにそうなんだけど、レシピ通りに作っても決して美味しくないし、最後は舌と鼻が決め手になる。まさにセンスの問題、と思います。料理って五感の芸術ですよ。しかも生活習慣や大衆の傾向に左右される。厳しい世界だと思います。

ファストフードはどうやって作られているか、何が入っているのか、食べ続けるとどうなるか。その問題点を子どもたちに向けてわかりやすく説明した、食を考える上で必読の書。

「子ども向け」とあるけれど、中高生を対象にした内容。大人が読んでも十分に手応えのある内容だ。安さと手軽さに慣れきってる人は一読して、99円バーガーなんてあり得ない現実を考えてみてはどうかと思う。
詳細はこちら→『おいしいハンバーガーのこわい話』何を食べ、どう生きるか

食品添加物商社の元セールスマンは『食品の裏側』の中で、毎日の食に潜む危険性を指摘する。我々は食品添加物の特性についてあまりにも無知だと主張。その毒性ばかりを煽り立てる報道は良くないとしながらも、ラーメンやハム・ソーセージ、明太子など人気の食品の一部が、無害とは言えない添加物にまみれている実態を次々に明らかにする。添加物の大量摂取によって「子供たちの舌が壊れていく」と警鐘を鳴らす。

これを読んだら、スーパーにおいてあるものは気持ち悪くて食べられなくなります。
とはいえ、添加物とまったく無縁で生きて行けるはずもなく、せめて「少量に抑える」という努力しかできないのが現代の食生活。