飛べない蝶にも意味はある 映画『パピヨン』 

2017年9月15日映画, 生きていくこと

周回遅れで、スティーブ・マックイーン主演の映画『パピヨン』を見ました。

『風と共に去りぬ』と同じく、世界中の誰もが結末を知っている名作なので、ずばり結末だけ申せば、殺人の濡れ衣を着せられた『蝶(パピヨン)』の入れ墨をもつ男(スティーブ・マックイーン)が、ラスト、断崖絶壁から海に飛び込み、過酷な収容所から脱獄して自由を得る──という物語です。

この映画の感想となると、十中八九は、海に飛び込んだスティーブ・マックイーンが英雄視され、その場に残ったもう一人の囚人ドガ(ダスティン・ホフマン)は、己の人生に何をも為せなかった負け犬のように言われますが、果たしてそうでしょうか。

私も10代20代の頃なら、「スティーブ・マックイーン、格好エエ! やっぱ人間はかくあるべし」と単純に万歳していたでしょう。

でも、年を取ってから見ると、その場に残ったドガにも、ドガなりの覚悟と諦観があるような気がしてなりません。

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ラスト、断崖から飛び降りることを決意したパピヨンと、それに気圧されるように付いて行くドガ。だけども、ドガはこの島に残ると決める。

パピヨン

命を懸けて飛び降り、椰子の実の筏にしがみつくパピヨン。

パピヨン

それを見届けるドガ。この微笑みは友の勇気と幸運を心から祝福している。

 パピヨン

だが、次の瞬間、ドガの微笑みは涙顔に変わる。

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この表情を、パピヨンのように飛べなかった自身への悔いと取る人もあれば、友と別れた悲しみ、あるいは、これからも延々と続く孤独と貧窮への絶望、等々。
解釈は人それぞれと思います。

だけども、ドガはパピヨンのように遠くまで行く体力も気力もないし(前の脱獄で足に大怪我を負い、今も不自由である)、自身で「ここまでが限界」とも知っていた。同じようにパピヨンと飛び込んでも、結局、大洋のど真ん中で力尽き、息絶えたかもしれません。

そう考えると、ドガはドガなりに自分を貫いたといえるし、死ぬまであの島で孤独に貧しく暮らしたとしても、それはそれで納得したのではないでしょうか。

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誰がどう見ても、パピヨンの方が勇ましいし、それが理想的な生き方かもしれませんが、ドガにもドガの決意があり、ドガらしい人生がある。

どちらが正義、どちらが負け犬、という訳でもありません。

ドガも終生、僕はひ弱だ、臆病者だと、我と我が身を嘆きながら、非業の最期を遂げたわけではないでしょうし、どんな生涯であれ、最後まで生きたなら、それはそれで「悲運に打ち克った」と言えるのではないでしょうか。

飛べない蝶にも意味がある。

それはダスティン・ホフマンの演技を見ていれば分かります。

Amazonのレビューに「ダスティン・ホフマンが演じる意味があったのか」というコメントがあったけれども、ラストのあの表情はやはりダスティンでないと出来ない、という感がありますよ。

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また、こんな風に、10代20代とは全く違った見方ができる──というのが、年を重ねることの素晴らしさだと思います(決して負け惜しみではなく (^^;

社会(現実)の囚われ人となっても自由を諦めないパピヨン
パピヨン

アイテム

■ ラオウ・内海賢二サマと宮部昭夫の二種類の吹き替えが収録された愛蔵版。
マニアックなカスタマーレビューが面白い。