オスカー・ワイルドはFacebookの「いいね」が嫌い

2017年9月15日書籍と絵画

私が時々眺めているウェブサイトにGoodReaders / Quotesがあります。

ユーザーおすすめの古今東西の英文の引用が掲載されています。

仕事関係や英文科の学生さんで洒落た英語の言い回しをお探しの方におすすめです。

私はオスカー・ワイルドが好きなのですが、特に共感するのがコレ。

くだけた言い方をしますと、

自分が何か意見を口にした時、みなが自分に同意すると、「オレ、なんか間違った事を言うたかな??」と不安になる。

“Whenever people agree with me I always feel I must be wrong.”
― Oscar Wilde

この違和感、すごく分かります。

自分が何かを意見した時、皆が同意すると、かえって間違ったような気分になる、というものです。

むしろ、「何それ?」と言われた方が安心する。

多数が安易に同意する時、実は「何も考えてない」という事が案外多い。

その場のノリや、同調の空気から、「いいね!」と頷いてるだけで、そこまでじっくり考えてない。

あるいは、あまりに人並みで、正論すぎて、意見する側に何の面白みもないか。

オスカー・ワイルドの場合、後者が大きいんじゃないでしょうかね。

別に意図して奇をてらったことを言ってるわけではないけれど、皆が一様に同意する事の中に真新しさや個性はないし、そこには繰り返される正論と常識があるだけ。その退屈さに自分自身が嫌になる……という心理です。

もしオスカー・ワイルドがFacebookをやってて、書き込みするごとに「いいね!」が100も200もついたら、嫌気が差して、アカウントを閉じてしまうのでしょう。

お前ら、何を安易に同調してんだよ。

いや、あるいは、オレの考えが当たり前すぎて、ついにくだらん人間に成り下がったか??

なんて不安になってね。

そうかと思えば、とにかく「いいね!」しまくって、世界中に拡散してくれ! な、マルクスみたいな人もおるだろうし。(実際、そうかは分からんけどね)

ともあれ、「大多数の同調(いいね)」は、逆に気味悪いものですよ。

人気商売はそれでいいけども、本当に何か究めんとする人にとって、安易な同調の中に「思考の突破口」は無いからです。

よく世界の成功者のコメントで、「皆が反対するから、やるんです」みたいなのがあるけども、それと似たようなものかもしれません。

*

今は人との繋がりを求めてSNSをやる人は多いだろうし、その中で「いいね」や「リツイート」の数は、大きな充足のバロメーターなのでしょう。

でも、100万の「いいね」より、一本の紫のバラの方がよほど心の支えになることもあります。

『ガラスの仮面』に登場する、

「どんな時も、変わらずに私を信じて応援してくれる、たった一人のファン」です。

その時々にたくさんメッセージをもらうより、「一本の紫のバラ」の方が、はるかに人生の支えになるかもしれません。

恋愛でも、100万人にチヤホヤされるより、一人の人に深く愛された方が幸せでしょう。あなたの為なら地球の裏側からでも会いに来てくれるような、ね。

顔も知らない、どこの誰かも分からない、一人の心を深く激しく動かすものは、万人に通じるものです。

数の大小に一喜一憂するのも楽しいかもしれませんが、ネットで『紫のバラの人』との出会いを大切にするのもいいですよ。