6-9 嵐の中、病人を島に搬送する ~人生の曙光

海 夜明け

娯楽室でくつろいでいると、機関士のワディが急病との報せを受ける。
強い風雨で救急ヘリも飛ばせず、ヴァルターは島への搬送係を買って出る。

高波に揉まれながら操縦桿を握るうち、彼もまた自分自身を思い出す。
商船学校の初めての実習、やはり嵐に遭遇し、阿鼻叫喚の苦痛を味わった。
だが、嵐を乗り切り、甲板から曙光を目にした時の感動が今も忘れられない。

連絡船は無事に港に到着し、ワディは救急車で病院に運ばれた。

深夜、ずぶ濡れで立ち尽くす彼を迎えに来たのは、意外な人物だった――。

引用

WEBに掲載している文章は『第二稿』です。書籍版とは内容が若干異なります。
 ヴァルターはメディカル・スタッフから大量に下血した場合の対処法について説明を受けると、救急箱、大型のコットンパッド、保温用の電気毛布、デジタル血圧計、医療機関とリアルタイムに情報交換できるタブレット端末を携えて船室に乗り込んだ。
 海上の風速は毎秒十五メートル、波高は三メートルと最悪のコンディションではないが、激しいうねりが船底を突きあげ、甲板には絶え間なく白い波しぶきが上がっている。
 船室はどうにか風雨に守られているが、甲板から流れ込んだ水が床に徐々に広がり、病人に付き添っている彼の足下もずくずくだ。
 二人の乗務員はほとんど会話もなく、操舵装置にかじり付くようにして船位を保っているが、夜間とあって緊張もひとしおである。
 彼はぐったりと横たわるワディの様子を見ながら、時々、操舵室にも足を運んだ。乗組員は二人とも経験三年前後で、操舵にもだいぶ慣れていたが、夜間の時化を航行するのは初めてだという。まるでジェットコースターのような激しい揺れに彼らの表情も硬い。
彼らの操舵を後ろで見ながら、ヴァルターもいろいろアドバイスしていたが、緊張が限界に達すると途中で交替した。
 横からの力に煽られないよう分刻みに船の向きを変え、次々に立ち上る大波を正面から乗り越えていく。その度に大人の背丈をはるかに超える水しぶきが上がり、ステアリングを握る彼の手も汗ばんだが、難所も十五分ほどで通過した。海岸まで二〇キロメートル辺りまで来ると雨も小降りになり、操舵も一気に楽になった。
 二人の乗組員はまだ青ざめたような顔をしていたが、彼は「もう大丈夫だ」と声をかけると、再び船室に戻った。

<中略>

 商船学校に入学してから半年目、十日間の短期実習だ。
 朝の出港時は目の覚めるような好天だったが、午後から海が荒れ始め、日没には四百五十トンの実習船は絶叫マシーンのように激しく上下した。
 それまで威勢の良かった十五歳から十六歳の実習生は次々に洗面所に駆け込み、夕食に食べた物を全部吐き出して、床にうずくまるようにして酔いに耐えた。まるで悪魔に胃袋を鷲づかみにされ、脳味噌をぐちゃぐちゃに掻き回されるような苦しみである。こうなると酔い止めの錠剤など何の役にも立たず、ひたすら嵐が過ぎ去るのを待つしかない。
 その時はさすがに心の中で母に助けを求め、泳いでもマルセイユの港に帰りたい心境だったが、海で働くなら、これから何度となく時化にも立ち向かわなければならない。高潮に呑まれた父はもっと苦しかっただろうと思うと、闘志も湧く。俺だって負けるもんかと父の形見の大バーズウォッチを握りしめ、歯を食いしばって地獄のような苦痛に耐えた。
 そのうち船医が見回りに来て、錠剤とは異なる種類の薬液を肩に注射してくれた。それで少し苦痛が和らぎ、うつらうつらするうちに夜が明けた。
 甲板に出てみると、風雨も嘘のように収まり、雲の切れ目から朝日が昇り始めている。目を細め、水平線から立ち上る鮮烈な光を見るうちに、父がしばしば口にした『Morgenröte(曙光)』という言葉が思い出された。
 朝の光の中、母と旧港のカフェ『Pour toujours(プール トゥルージユ)』で「一生かけて幸せにする」と誓い合った。あれが僕の人生の曙光だった、と。
 だが、彼にとって人生の曙光とは、あの時船上で目にした『Morgenrood(曙光)』に他ならない。
 父は無くとも人生は続いていく。
 ひとたび自力で生きようと決めたからには、決して弱音は吐かない。どれほど波に揉まれ、ぼろ屑みたいに打ちのめされても、何度でも立ち上がって、苦境を切り開く。

Product Notes

イタリアの練習船(Training Ship)アメリゴ・ベスプッチ号。
今でも練習には帆船が使われるのが興味深いです。
https://en.wikipedia.org/wiki/Training_shipより。

帆船