16-4 潜水艇の準備とパイロットの誇り

いよいよメテオラ海丘に向けて、第一回目の潜航が始まる。
ヴァルターは準備万端で臨むが、ひょんなことから潜水艇のパイロットに抜擢された新人のユーリは緊張で青くなっている。

どことなく弱腰なユーリに「潜水艇は嫌い?」と問いかけると、ユーリは率直な気持ちを語る。

新米パイロットの気持ちも落ち着き、潜水艇に搭乗しようという時、オリアナがやって来て、今日の潜航調査の模様をモニターで見学するから、それを前提にファーラー社長に分かりやすく解説しろと要求する。
ただでさえ困難な中、突然、解説を求められて、応じられるわけがないと反論するも、オリアナは強硬な姿勢を崩さない。

引用

WEBに掲載している文章は『第二稿』です。書籍版とは内容が若干異なります。
 彼はユーリの隣に腰を下ろすと、「緊張するだろ?」と、以前の自分を重ね見るように訊いた。
 ユーリは「ほんの二五〇〇メートルですから」と気丈に答えたが、声が少しうわずっている。
「君らの置かれている状況は、俺の時よりずっと難しい。俺が初めて操縦席に着いた時は、この道二十年のベテラン操縦士長が隣でサポートし、海上では最先端の知識とキャリアを備えたスタッフがナビゲートしてくれた。それこそ大船に乗った気分だったよ。だが、君の置かれた状況はまったく違う。怖くて当たり前だ」
「しかし、情けないですね」
「そんなことはない。航海士でも、飛行士でも、最初から自信満々で操縦桿を握る人などないさ。一つ言うなら、ニムロディウム合金の耐圧殻を使った旧式の潜水艇は、珊瑚礁ツアーで使われているメタクリル型の観光潜水艇より、ずっと安全で、頑丈だ。プルザネのプロテウスも建造されてから半世紀以上経つが、事故は一度も起きたことがない。さらに遡れば、アンナ・ドミノの時代から数千メートル級の有人潜水調査は行われているが、その間も死傷者が出るような事故はいっさい無しだ。それぐらい安全管理が行き届いている。むしろ水上スキーやスクーバダイビングの方が危険なぐらいだよ」
 ユーリは青白い顔を両手で撫でながら、
「僕は元々、操船に興味があって、将来、大きな船の一等航海士にでもなれたらと、ローレル・インスティテュートで船舶工学や航海術を学んだんです。昨年、たまたまノボロスキ社の求人を見つけて、話だけでも聞いてみようと訪れたら、いきなり潜水艇がどうのこうのと言われて、格納庫に連れて行かれて……。家族や知人に相談したら、特殊技能を身に付けた方が就職にも有利とか何とか言われて、軽い気持ちで講習会に参加したら、そのままパイロットに――」
「潜水艇は嫌い?」
「そんなことはないですよ。操船は楽しいです。一般の船と全く違うし、特殊な感じで、ちょっと格好いいかな、って。でも、海の怖さを知れば、嫌なことも考えます。今は二〇〇〇メートルぐらいの潜航ですが、これが四〇〇〇メートルになり、六〇〇〇メートルになり、もっと過酷な現場に赴くようになれば、どうなるんだろうと――。なんで潜るんですかね。無人機でも十分なのに。ノボロスキ社でも、すごい自航能力をもった潜水ロボットを開発中です。七〇〇〇メートルの海底でも魚みたいに自由に行き来できるそうですよ。そんなのが出来たら、もうプロテウスなんて必要ないじゃないですか。こんな危険を冒しても、人が潜水する意義があるんでしょうか?」
「気持ちは分かるよ。潜水艇で五〇〇〇メートルや七〇〇〇メートルの深海に潜って、何が見えるかと言えば、一面の暗黒だ。まるで真っ暗闇の火口を懐中電灯一本でさ迷っているような気分になる。一年に何十回と潜っても、学界があっと驚くような大発見など、一生に一度、あるか、ないかだ。大深度潜水艇といっても、航行速度は人の歩く程度、視界はほんの十メートルで、色彩もない。潜航時間も限られて、数キロも動けたら上等だ。大西洋の隅から隅までくまなく調べようと思ったら、千年かけてもまだ足りない。しかも、海洋底は日に日に移動し、少しずつ形状を変えてゆく。相手は何十億年という尺度の中で生きているんだ、人間の知識や技術が簡単に追いつくわけないさ。それでも、人は見たい、知りたいと思う。水中カメラを通してではなく、自分自身の眼で確かめたいと願う。何度も潜っていたら、いつか宇宙を形作るエネルギーを身近に感じるようになるよ」
「ずいぶん深遠な話ですね」
「本当のことさ。このアステリアにも宇宙に通じる場所はたくさんある。水深数千メートルに阻まれて、人間の目には見えないだけだ」
「それを発見すれば、パイロットとしての格も上がりますかね?」
「そうじゃなくて、一生、誇りに思える」

Product Notes

こちらは国立海洋開発研究所(IFREMER) が所有する潜水艇Nautileがガラパゴス諸島の熱水噴出孔を調査する模様です。熱水がわき出す周囲にモロモロ、フワフワ

こちらはアメリカ・ウッズホール海洋研究所の『Alvin』。

乗組員の命を守る真球の耐圧殻(コクピット)。

耐圧殻

中は狭くて、薄暗い。この中に何時間も閉じ込められるのはコワイ。

耐圧殻

こちらはアメリカのNOAAのフォトアルバムから。

調査機器の海中降下。
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これは多分、海底堆積物の採取です。
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女性整備士も活躍。
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深海の不思議な生き物。
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ウォールのPhoto : https://flic.kr/p/JafDNS