曙光 Morgenrood

第2章 採鉱プラットフォーム

-ミッション開始-

鉱業の歴史を変える 海底鉱物資源と採鉱プラットフォーム

Introduction

マードックから採鉱システムの設計図を受け取ったヴァルターは、プリントアウトする為に総務部に足を運ぶ。
マードック夫人のカリーナは彼を手伝いながら、現行の鉱業法や、ニムロディウムをめぐる暗黒史について語って聞かせるが、逆に彼は対抗策を思い付き、海洋情報ネットワークの構想を口にする。カリーナは「理事長に話すべき」と勧めるが、これ以上関わりを持ちたくないヴァルターは逃げるようにその場を後にする。

一方、採鉱プラットフォームの主任会議では、テスト潜航の是非をめぐって意見が分かれる。結着がつかぬまま、会議はお開きになり、ヴァルターは休暇の為、いったんローレンシア島に帰島する。そこでリズと再び出会い、今度は少しだけ歩み寄る。

のんびりくつろぐヴァルターに、今度はアルがプレゼンテーションを命じ、単なるミーティングと思って出かけてみれば、重役会議だった。居並ぶ最高幹部を前に大恥をかかされたヴァルターは晩餐会の誘いも無視するが、アルは改めて彼の隠れた才能に注目し、なんとか『リング』の秘密を聞き出せないものかと策を練る。

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Quote

 彼はふとステラマリスの排他的経済水域のことを思い出し、「ローレンシア海域の鉱業権はどうなっているんです?」とミセス・マードックに質問した。
「トリヴィアの資源探査規制法に基づいてるわ」
 夫人は黒い丸眼鏡の縁を指先で押し上げた。
「アステリアはトリヴィアの属領(dependency(ディペンデンシー))なの。部分的に自治権を与えられたトリヴィアの『特別経済開発区』なのよ。地方都市との大きな違いは選挙が無いこと。区政の最高意思決定機関は十二人の管理委員で構成され、彼らは全てトリヴィア政府に任命された行政官という点よ」
「じゃあ、アステリアの産業活動や区民の社会生活もトリヴィアの法律に基づいているわけですね」
「そういうこと。そして、アステリアの鉱物資源は全てトリヴィア政府の資産であり、企業はトリヴィア政府から鉱業権を借り受ける形で探鉱や採掘を行うの」
「それならセス・ブライト専務から聞きました。ティターン海台の鉱業権は『リース権』で、営業利益率に応じて二〇パーセントから二十五パーセントのロイヤリティを支払うそうですね」
「形態としてはそうね。ただ、アステリアに関しては、本格的な鉱業活動はMIGが初めてだから、ネンブロットに比べたら審査基準も曖昧で、政府も進捗を見ながらルールを書き換えるような感じよ。それがMIGにとって有利に働くこともあれば、不利な条件を突きつけられることもある。その度にマクダエル理事長が鉱業局に直談判して、どうにかこうにか現在に至る、よ」
「鉱業権の期限はどれくらいです?」
「探鉱ライセンス──いわゆる排他的探鉱権は五年間。申請すれば五年まで延長可能。準備期間に相当するリテンション・ライセンス(活動継続権)も五年で、こちらも五年の延長が可能だけど、アステリアの海洋資源に限り、さらに五年の延長が認められているわ。トータルすれば、最長十五年間、権利の保有が認められる訳ね。さらに資源の採掘から販売までカバーする生産権は二〇年。これも五年ごとに延長が可能で、最大十年の延長期間が認められているわ。トータルすれば、最長三〇年、生産可能よ」
「じゃあ、今後三十年間は安泰というわけですね」
「厳密には、UST歴二二九年九月までよ。生産権は昨年九月に取得してるから。だけども、二一九年にはいったん権利を喪失するから、その後はどうなるか分からないわ」
「どうして?」
「ライセンスが延長されない恐れもあるからよ」
「ここまで開発が進んだものを無視するんですか」
「それがトリヴィアという所よ」

--中略--

「なぜ、そこまで一局に集中したんです?」
「Anno Domini(西暦)に制定された国際宇宙開発法『宇宙の領土はいかなる国家にも属さない』という古びた一文が、逆に巨大資本グループに有利に働いたからよ。本来、平和や協力を目的とした『超国家的』の前提が、彼らに都合のいい無政府状態を生み出したの。問題が可視化した時には司法機関でさえ抑えが効かないほど肥大し、今でも根っこの部分は変わってないわ。国や民族にとらわれない『自治領』というスタイルが理想の新社会という人もあるけれど、差別や格差は依然としてあるし、巨大資本のよる支配と従属は何も変わってないのよ」
「それなら、ファルコン・グループのMIGに対する怨恨も深いでしょうね」
「怨恨というより脅威でしょう。技術特許の数でも、社会的信用においても、ファルコン・グループは何一つ敵わない。大きいのは資本と政治力だけ。大衆がどちらを支持するか、言わずもがなでしょう。そして今度は、海台クラストの採掘という従来の鉱業の概念までも覆すようなシステムを完成しつつある。いくら資本や政治力で勝っても、世間もいつまでも物言わぬ子羊じゃなし、海のニムロディウムが市場に出回り、ニムロデ鉱山に対する絶対的な依存が崩れたら、今度こそファルコン・グループにとどめを刺すでしょうね。それだけに彼らもネガティブ・キャンペーンに必死。たとえ本採鉱が軌道にのっても、あの手この手で潰しにかかると思うわ」
「でも鉱業権に守られているでしょう」
「今のところはね。でも、十年先、二十年先は分からない。ネンブロットに限らず、さしたる理由もなく鉱業権を停止される事例は数多くあるから。鉱山会社と政府が十数年も係争して、結局、会社の方が泣き寝入りすることも珍しくない。私の父も長年陶器やガラス製品の原料をネンブロットから輸入してるけど、いつ細則が変わって業務に支障をきたすか分からないくらい。トリヴィア鉱業局もそこまで腐ってないと信じたいけどね」

--中略--

「それなら逆に、鉱業の場としてアステリアの強みを前面に打ち出せばどうです?」
「どういうこと」
「世界中の鉱山会社にとって魅力的な生産地なれば、後に続くものがきっと現れるはずです。アステリアの海底鉱物資源がネンブロットに匹敵するような財源になれば、トリヴィア政府もむやみに鉱業権を差し止めるようなことはしないでしょう。むしろMIGをモデルに採鉱事業を推進するはずです」
「それはそうだけど、MIGとしては真似されたら困る部分もあるわ」
「技術はそう簡単に真似できませんよ。採鉱システムやマッピングの核の部分は特許を申請して、知的財産として保護されていると聞いています。たとえアステリアの海底に鉱物資源が無尽蔵に眠っていても、何所に、どれだけ賦存しているか、確実に把握しなければ、採鉱システムだけを真似ても意味が無いし、水深数千メートルの堆積物の状態を把握するには非常に高度な技術と経験が必要です。今から他の鉱山会社が真似ても、採掘マップを作成するだけでも、十年、二十年とかかるでしょう。他社の技術がどの程度か知りませんが、一隻の調査船を出すにも、高度な造船技術、訓練された航海士、水中機器のオペレーションや通信技術に長けたエンジニア、司厨士など、何十人というスタッフが必要です。航海には海図が必須ですが、その海図も、優れた調査技術がなければ水深一つ正確に計測することは出来ません。その上、アステリアの海水の成分はステラマリスとは異なります。東洋の造船会社からタンカーを買い付けて、アステリアの海に浮かべても、数年と経たないうちに金属腐食でボロボロになるでしょう。その点、プラットフォームの補給船の塗装に使われているコーティングは見事なものです。建造して十年という割には船体にほとんど傷みがないので、乗務員に理由を聞いてみたら、化学プラントの溶射加工で実績のある『ネオプラズマ』の特別化合のスプレー剤を使っているそうですね。そんな些細な事でも、事業を支える礎になる。現地で十年、二十年の積み重ねがあればこそ活かせる技術です。MIGが上手くやってるからといって、誰もが簡単に真似できるわけではないですよ」
「じゃあ、あなたならMIGの権益を守る為にどんな方策を取るの?」
「俺ならむしろオープンにいきます」
「どんな風に?」
「誰でも気軽にアステリアの海にアクセスできるようにする」
「それは直行便を増やすということ?」
「そうではなく、情報の観点からです。俺もここに来る前、アステリアの海のことを詳しく調べようとしたのですが、海上安全局という公的機関が波高や潮流や水温に関する汎用データを提供しているだけで、これといった情報サービスが存在しません。アステリアに何があるのか、どんな企業がどんな事業を提供しているのか、まったくといっていいほど見えてこない。六週間後には世界の構図を変える海底鉱物資源の本採鉱が始まるにもかかわらず、です。こんな状況では、手練れの者がせめぎ合うだけで、本当の意味で自由競争や活性化には結びつきません。そうではなく、現在までに知り得た情報や知識を誰でも利用可能なオープンデータベースとして提供し、各方面にアステリアの海の可能性を示すことが、回り回ってMIGの為にもなるのではないですか」

*

「今後は水中作業も海洋調査も、なるべく無人機でやるという方向で合意していたはずよ。ジム・レビンソンが抜けた以上、プロテウスの必要性など無いじゃない。今後、十年、二十年と採鉱システムが稼働すれば、深海での水中作業も今以上に増えるわ。その度にプロテウスを運航していたら、金銭的にも人的にも消耗する一方じゃないの。もう、レビンソンは居ないのよ。これからは自分達で何でも決められる。全自動化の技術を確立する為にも、全面的に無人機に移行することを私は支持するわ」
   するとオリガの隣に座っていた三十三歳のノエ・ラルーシュも、「僕も同感だな」と声を合わせた。
「オリガの言った通り、もうジム・レビンソンは居ないんだし、今後は僕らの意向をどんどん現場に反映させるべきだと思う。潜水艇を使う意義を完全に否定はしないが、レビンソンのせいで無人化が大幅に遅れたのも事実だ。何かにつけて『オレが潜る』と言われ、その度にスタッフが駆り出されてきた。あの人の怒号を思い出すだけで、僕は未だに嘔気がする」
「ノエの言う通りだ。死んだ人間の悪口を言うわけじゃないが、あの人のせいで現場が疲弊し、無人化が大幅に遅れたのは事実だよ。今までプロテウスの潜航に注ぎ込んだ経費を無人機の開発や購入に当てれば、どれほど助けになったことか。オレも今後の方針として無人化を促進するのに賛成だ。プロテウスには別の存在意義がある」
「だがね。今度の接続ミッションは、やはり理事長の判断通り、プロテウスを使った方がいいんじゃないかな。過去三回のテスト採鉱も、二回はプロテウスで接続作業を行ったんだし」
「今後の方針は別として、十月十五日の接続ミッションは、従来のシナリオ通り、第一回、第二回のテスト採鉱と同じ要領でやるべきだと思うよ。無人機で出来るのも実証済みだが、海上でプラットフォーム全体の運航を司る立場としては、今までと勝手が変わるのはなるべく避けたい。オペレーター諸君の技術は信頼しているが、無人機の技術向上は本採鉱が始まってからでも遅くない。ここはやはり最初のシナリオ通りに行くべきじゃないか」
「ブロディ船長の言い分も分かるけど、プロテウスを使えば、その分、時間も人手も取られるわ。無人機で接続できる技術があるなら、そちらにウェイトを置いた方がよっぽどいいんじゃないの。それに、今度のパイロットさん、『テスト潜航しないと怖くて操縦桿が握れない』と仰ってるんだし」

--中略--

「その通り、テスト潜航に三〇〇万エルクも費やすぐらいなら、もうちょいマシな使い道がある。大体、これ以上、プロテウスを使うメリットがどれほどある? もう大方の調査は済んで、後は無人機とソナーで十分カバーできる。海中作業も同様だ。オレには、今更パイロットを連れてきて、もう一度、レビンソンと同じことを繰り返そうとする理事長の考えがよく分からん。プロテウスを出す度に金も人手も取られて、その尻ぬぐいをさせられるオレやダグの立場に立ってみろ。もう、うんざりだ。あのクソ野郎の時代から、未だかってオレたちの意思がストレートに現場に反映されたことがあったか?」
「馬鹿馬鹿しい」
 ヴァルターが吐き捨てるように言った。
「それだけ不満があるなら、なんでもっと早い段階で理事長に進言しないんだ? 何年もマネージャー業務に携わってるなら、話し合うチャンスは幾らでもあっただろう?」

-中略--

「俺は現実を言ってるんだよ。タヌキの理事長はプラットフォームに全人生を懸けている。あんた達の辛い思いと採鉱を秤にかければ、採鉱に傾くのが当たり前だ。それでも最大限の気遣いはしてきた。だから、あんた達も多少の理不尽を感じながらも、理事長に付いてきたんだろう。だが、もう過ぎた事だ。今、ここでレビンソンがどうこうと暴露大会したところで誰も浮かばれない。それより接続ミッションの事を話し合おう。テスト潜航の可否はともかく、一つ意識して欲しいことがある。それは採鉱区の地形と深海流だ」
「どういうこと」
「ここ数日、あんたらの嫌いなレビンソンが残した覚え書きに目を通して気付いたんだが、最初の採鉱区となる段差の下、テスト採鉱した場所より三〇〇メートル深い平地の東側は、毎秒三〇センチメートル以上の強い深海流が流れてる。しかも流量の変動が大きいので、長期にわたって連続的に観測しないと実態がつかめない。レビンソンは何度も採鉱予定区に潜って、プロテウスから有策無人機を遠隔操作する中で、その『おかしな流れ』を肌で感じたんだろう。制御不能とまではいかないが、無人機や潜水艇を定位置に保持するのが難しいと書き残している。俺も似たような経験があるから、レビンソンが何を言わんとしているか、よく分かるんだ。喩えるなら、車が強い横風に流されてハンドルを切りにくくなるのと同じだ。それに採鉱区は凹凸も多く、平均九パーセントの傾斜がある。重機の稼働には問題ないかもしれないが、揚鉱管の接続口は集鉱機のルーフにあって、微妙に傾いた状態で操作しないといけない。それに集鉱機の場合、安全装置解除のダイヤルスイッチが車体の左側側面にある。手順通り集鉱機を南向きで設置したら、ダイヤルスイッチは傾いた車体の下側にくる。海上から無人機を遠隔操作するにも、完全に水平な状態で作業するのと、車体が傾いた状態で作業するのでは勝手も違うだろう。その上に、毎秒三〇メートルの強い深海流が加われば、予期せぬトラブルも発生するかもしれない。一〇〇パーセント確実と言い切れないのは、無人機も同じだ」
「じゃあ、今までのテスト採鉱は何だったの?」
「思うに、レビンソンはわざと成功しやすい場所でテストしたんじゃないか。マッピングがどうこうは、それこそこじつけだ。あんた達が酒癖の悪い暴力男に逆らえないのをいいことに、自分で場所を選定し、段取りを決めて、プランを押し通した。テストに失敗すれば、自分の立場が弱くなるからだ。下手すればクビを切られて、十分に育ったマードックにリーダーを取って代わられるかもしれない。実際、理事長との間にそういうやり取りがあったんじゃないか? 恐らく、採鉱区の実際の状況がどんなものか、自分で何度も潜ったレビンソンが一番よく知っていたはずだ。それこそ無人機では推し量れない世界だ。そして、誰も強く言えないのをいいことに、自分の都合いいようにセッティングしてきた。ある意味、暴力や罵倒も、下っ端に文句を言わせない為の虚勢だったかもしれない。ところが、三回目のテスト採鉱で、全行程を無人機だけで完遂できる可能性が高まった。『プロテウスでしか出来ないこと』が、『プロテウス無しでも出来ること』に変われば、レビンソンも今までのように強気で出られなくなる。テストした夜に浴びるほど酒を飲んだのも、いよいよ解雇されると自覚したからじゃないか」
「なんで、そこまで言い切れる?」
「『プロテウスのパイロットは特殊技能だから簡単にはクビにできない』。この人も俺と同じことを考えていたような気がするからだ。何かといえば『オレが潜る』と言い張ったのも、自分にしか出来ないことを周りに強くアピールする為だろう。首の皮一枚で繋がった嫌われ者だという事を、一番よく知っていたのはレビンソン自身だ。プロテウスも強がりも、この人なりの生き残る術だったのかもしれない」
「だからといって、皆を傷つけた事実が許されるわけじゃないわ」
「もちろんだよ。ただ理解はできる。その人、天涯孤独だろう。ここを失ったら、どこにも行き場がなかったはずだ。たとえ皆に嫌われても、誰にも必要とされずに生きていける人などない。とても嫌な人だったと思うが、海で死んだら善人も悪人もない。そこには人の死があるだけだ」
「ともかく、レビンソンの話はいったん横に置こう。ミッションの段取りを決めないと。それでヴァルター、テスト潜航したい理由は接続操作だけなのか?」
「前にも言った通り、水中カメラや音響データでは確認できない部分が必ずある。三台の重機を二十四時間フルタイムで稼動すれば、地形もどんどん変わって、思わぬ事態が生じるものだ。もちろん全体を見通すのは一度の潜航では無理だが、たとえば採鉱区の特に傾斜の激しい部分、特にニムロディウムの含有量が多いとされるエリア、海底の堆積物の状態、いろいろ見るべき箇所はある。まさかシステムそのものが万全に稼動するからといって、今後、何も起きないと安心しきってるわけじゃないだろう。だから採鉱前の状態──三台の重機に掘り返される前の状態を目に焼き付けておきたいわけだよ。必要とあれば、カメラに撮影したり、サンプルを採取したり、やるべきことはいろいろある」
「それも一理あるな。重機が九度以上傾いた状態で接続するのも確かだし、揚鉱管の接続も、高電圧リアクターのダイヤルスイッチも、至近距離でプロテウスから小型無人機をランチャーして操作した方が分かりやすいのも本当だ。将来的にはリアクターや重機そのものの構造を変えて、全自動化する予定なんだから、今回だけは予定通りプロテウスを使ってはどうだ。そして本当に必要なら、テスト潜航も検討する」
「だが、三〇〇万エルクはどうするんだよ。もっと金が掛かるかもしれねえぞ」
「俺が一緒に考えよう。今すぐ三〇〇万エルクを捻出するのは無理でも、年単位で経費を節約することは可能なはずだ。たとえば、プラットフォームの夜間照明も、あれほど煌々と照らす必要はないだろう。いくつか消灯するだけで、かなりの電力が節約できるはずだ。初期費用はかかるが、ブリッジの屋上に太陽光発電のパネルを増設したり、浮体式の洋上風力発電ファームを導入するのも一手だと思う。また事務的な業務を見直して、エンタープライズ社や外注で出来ることは、なるべく遠隔に切り替える手もある。プラットフォームの常駐スタッフを一人削減するだけでも、かなりの節約になるはずだ。他にも、共同浴場のシャワーの水量を絞る、各階の娯楽室の夜間使用を制限する、炭酸飲料の自動販売機を一台減らす。調理室で気前よく配っているペットボトルのミネラルウォーターも何割か課金するか、プラットフォームに来る時には『一人二本ずつ持参』とか義務づけたらどうだ。一人二本持参するだけで、毎月二百本以上の節約になるぞ」
「それってオランダ式会計(ダツチアカウント)?」
「生活の知恵だよ。子供の頃、父親に教わらなかったか? 電灯はこまめに消すとか、使える物はとことん使い回すとか。プラットフォームだってその応用だ。あんたら、まさか自分の懐が痛まないからと言って、シャワーのお湯やら、娯楽室のコーヒーマシーンやら、がんがん使い込んできたわけじゃないだろうね。探せば節約できる部分はいくらでもある。一人一人が本気になれば、年間一〇〇万ぐらいは浮くはずだ。ともかく、テスト潜航と接続ミッションの件は、もう一度よく考え直してもらえないか。その上で、来週、皆で話し合おう。それまでに俺も三〇〇万を捻出する方策を考えてみるよ」

*

「今日はずいぶん機嫌がいいじゃないか。何か嬉しいことでもあったのかね」
「ええ。私、お話したいことがあるの」
 リズは顔を紅潮させた。
「パパに卒業祝いに買ってもらったスポーツカーを売ろうと思うのよ」
「なんだって?」
「パパの言う通り、ほとんどハンドルも握らず車庫に入れっぱなし。こっちに居る間は乗る機会も無いでしょう。それならいっそ売り払って、代金を運航費に充てた方がよほど皆さんの役に立つと思うの。一二〇〇万エルクで買ったから、一〇〇〇万くらいにはなるはずよ。内装もシートカバーから全部張り替えってもらって、世界にただ一つしかないフルカスタマイズですもの」
 リズが星のような睫毛を瞬くと、アルは呆気にとられたように娘の顔を見詰めた。
「甘いね、お前は。これは事業だよ。ガールズソロリティの寄付金集めとは訳が違う。予算が一〇〇〇万足りません、じゃあ、私のお小遣いからどうぞ、そんな次元の問題でないことぐらい、お前にも分かるだろう」
「でも……」
「お前の善意は理解できるが、男が自分で三〇〇万の経費を捻出すると言ってるんだ。だったら、好きにさせればいい。よかったら私のお小遣いを使ってね、私の方がお金持ちだからと、彼の顔を見て言えるかね。下手すれば彼のプライドを傷つけて、一生口も聞いてもらえなくなるよ」
 リズの水色の瞳がみるみる涙でいっぱいになると、アルは呆れたように溜め息をつき、
「まったく何を言い出すかと思えば、その為のゴルゴンゾーラと胡桃の蜂蜜添えかね? やることがまるで子供じゃないか」
「だって……」
「お前の気遣いは分かるがね。何でも親切にお膳立てすれば丸く解決するというものでもない。予算が足りないからこそ、生まれる工夫もある。求められる度に、はい一〇〇万、はい二〇〇万と渡していたら、マネジメント能力も育たない。だが、そういう気持ちは大事にすればいい。現場が困窮している時に無関心でいるよりずっと良い。ただ、皆を手助けしたいなら、わしが買い与えたものではなく、自身で得た中から差し伸べなさい。パパに買ってもらったスポーツカーをお金に換えるより、物流センターのお給金の中から缶ビールでも差し入れた方がよほど喜ばれる。さあ、ワインを飲みなさい。せっかく冷やしたのに、味が悪くなってしまうよ」 

*

 ここに来て二週間。
 アステリアのいいところは治安の良さと社会の明るさだ。
 便利といえば、トリヴィアの都心の方がはるかに充実しているし、文化的催しやエンターテイメントにも事欠かない。
 だけども治安は年々悪化する一方で、特に富裕層の婦女子を狙った犯罪は深刻だ。リズのクラスメートもある日忽然と姿を消し、一ヶ月後に郊外の駐車場で発見された時には二度と人前に出られない姿になっていた。彼らは尾行や地下組織の情報だけでなく、携帯電話の傍受、SNSの書き込み、同じ学校に通う生徒の話などを通して居場所や行動パターンを突き止め、巧妙に連れ出す。そして、家族に金品や権利、時には重大な施策の中止や退陣を求め、応じなければ、娘の顔を焼いたり、鼻を削いだり、いっそ殺された方がどれほど楽だったかと思うような酷い目に遭わせた。
 トリヴィアには超がつくほどの富裕層が多い。その多くは、開発初期に広大な土地や権利をただ同然で手に入れ、その後の社会の発展に伴い、巨万の富を得た人たちだ。二番目に多いのが、初期の税制優遇を利用してステラマリスから資産を移し、投資や取引で一財産築いた人。三番目が、ネンブロットや宇宙植民地の利権で濡れ手に粟の人たちだ。
 その一方で、市民の所得格差は広がり、かつては世界最高と言われた首都エルバラードにもスラムが形成され、市民は強盗や誘拐、殺人に怯えながら暮らしている。トリヴィアの住環境は地下に張り巡らされた『地熱ジェネレーター』によって作り出される為、犯罪に火器が使われることはないが、暴力の恐ろしさは筆舌に尽くしがたい。
 だが、それを招いたのも、五十年前の政策の誤りにある。エンデュミオンのようなサテライト都市を拡張する為、安価な労働力をネンブロットや他の植民地から大量に呼び込み、その後、社会として何の支援も施さなかったのが原因だ。不安定な臨時雇用や一時滞在者に対する無支援が、大量の失業者、低所得者、無縁者を生み出し、不法滞在や違法就労に拍車をかけた。その結果、持つ者と持たざる者の格差も増大し、社会不安と怨恨が犯罪の温床となった。
 これを解消すべく、今では官民をあげて様々な試みが行われているが、未だ効果は上がっていない。下層の人々が悲鳴を上げる一方で、富裕層の子弟――とりわけ年頃の娘たちは、桁外れの資産と誰もが羨むようなステータスを享受しながらも、身も凍るような事件に怯え、行きたい所も行けず、一人で自由に歩き回ることも叶わず、セキュリティ会社やボディガードに監視される日々を過ごしている。リズも例外ではなく、アイスクリーム一つ買いに出かけるにもボディガードが不可欠だ。

   

*

   

 男性コンシェルジュの案内でバンケットルームに足を運ぶと、既に会場は盛況で、壁際のフードコーナーには海鮮オードブルやグリルやデザートがずらりと並ぶ。
 リズは父の後ろに付いて一人一人と丁重に挨拶を交わすが、似たような社交辞令の繰り返しだ。黙っていても敬意を払われるが、相手は自分に頭を下げているのではない、背後の『アル・マクダエル』の看板に平伏しているだけだ。
 やがて父は顔馴染みの重工業メーカーの社長夫妻と折り入って話があるからとガーデンテラスに向かい、リズは一人で壁際の席に座った。
 軽くオードブルをつまみ、海鮮料理を味わった後、食後のダージリンティーを飲みながら一息ついた時、同じ年頃の青年に声を掛けられた。一目で『Ziggy Homme』と分かるチョークストライプのスーツを身に着け、栗色の髪をエリート・ビジネスマン風のベリーショートに整えている。バーカウンターで一緒にカクテルを飲みましょうと誘われ、あまり気乗りしなかったが、断る理由もないので同席した。
 男性は馴れた感じでサイドカーを注文し、彼女にはオレンジ風味のカクテル『グランマルニエ・コスモポリタン』をご馳走してくれた。
 男性も最近アステリアに来たばかりで、サフィールのパーティーに顔を出したのも「情報のアンテナを磨く」のが目的らしい。
 だが、よくよく話を聞いてみると、前年度下半期の決算で三期連続の減収減益となった自動車メーカーの跡取り息子ではないか。今後、アステリアにも営業拠点を開き、他社に先駆けて長距離型のクルーザーヨットの販売を手がけるつもりだと意気揚々と語るが、今でさえ主幹事業である自家用車の競争力が低迷している時に未知数の新規事業に手を出して、それで穴埋めできると思っているのだろうか。今、彼の会社に必要なのは経営戦略や開発力の見直しであり、こんな所で情報のアンテナを磨いている暇などないはずだ。
 カクテルを飲み終わると、男性は「近いうちにクルーザーでご一緒しませんか」と誘ったが、リズは丁重に断り、「父と約束がありますので」と席を外した。
 今、乗りたい船は世界に一つしかない。
 あの人となら何所までも行ってみたい。

   

*

   

「重役会議?」
「そうだ。重役会議だ。今日、MIGの最高幹部を集めた定例会が開かれる。何人かは現地入りして待機中だ」
「あんた、重役会議なんて一言も言わなかったじゃないか」
「言えば、そのように準備してくるだろう。だが、ただのミーティングと思えば、お前も多少は手抜きするはずだ。その手抜きの状態で、自分のアイデアをどれだけ簡潔に伝えられるか、いい実験場になる」
「……きたねぇ」
「何が汚いんだ。チャンスはいつ訪れるか分からん。明日にも有力なビジネスパートナーと廊下ですれ違うかもしれない、その時に相手の興味を引く話の一つもできなくて、どうしてチャンスを掴めるね」

 

Product Notes

無人機を使った海中作業の一例。周囲は真っ暗で、水中の浮遊物で視界も悪いです。機材やシステム自体が古いせいもありますが、地上でパイプを繋ぐようにはいきません。

こちらも有策無人機のマニピュレータを使った細かな水中作業です。全て船上のコントロール・ルームから遠隔操作しています。

無人機(ROV)にも潜水艇に搭載するような小型のものから、大人の背丈ほどある大きなものまで、サイズも用途も様々。こちらのビデオは細部まで分かりやすいです。

海外では鉱山会社の採掘現場にも女性が普通に任務を得て、重機を動かしたりしています。マッドマックスのフュリオーサ大隊長で有名なシャーリーズ・セロンが主演した『スタンドアップ』でも、炭鉱で働く女性のハラスメントを描いています。
本作では「悲惨な採掘現場」が登場しますが、一般的な鉱山会社の採掘現場では「奴隷のように鞭打たれて」というのは前時代の話。巨大なハイテクマシンが全自動でガンガン露天掘りをやってます。

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