2-8 これが生だったのか わたしは死に向かって言おう よし、もう一度!

海 日没

生意気盛りのヴァルターは母親に口答えばかりする。
夕暮れの海岸に連れ出し、訳を聞いてみると、今も「無力感」や「劣等感」に囚われていることが分かる。
グンターの胸に「これが生だったのか」の想いが去来し、家族への愛がいっそう深まる。

その頃、はるか北の洋上では徐々に大気が乱れ、巨大な黒雲が天地を覆いつつあった――。

引用

WEBに掲載している文章は『第二稿』です。書籍版とは内容が若干異なります。
「俺、怖いんだ。いつかまた大きな壁にぶち当たって、鼻くそみたいな自分に戻るんじゃないか、って。答えては笑われ、意見しては笑われ、まるで自分に何の価値もないように思えて、無性に死にたくなる。そうなったら、今、俺を認めてくれる人も『こいつは駄目だ』とそっぽを向くかもしれない。仲間と慕ってくれる友だちも次々に離れて、また独りぼっちに戻るかもしれない。父さんは『生きることを悦ぶ』と言うけれど、俺にはまったく意味が分からない。今日は勝っても、明日は負けるかもしれない現実の中で、何をどう楽しめばいいのか、俺には毎日がプレッシャーだ。もし、レギュラー落ちして、お前は使い物にならないと見放されたら、どうやって、そこから抜け出せばいいの? 勉強も、高校や大学に進んで、もっと難しいテキストを読まねばならなくなったら、また言葉の問題で躓くかもしれない。その頃には、幼子みたいに父さんに頼ることもできず、落ち込み、傷つきするだろう。再び鼻くそみたいに丸まって、二度と立ち上がれないかもしれない。俺、自分でもよく分かってるんだ。父さんも母さんもいなくなったら、本当はとても弱い人間だってこと……」
「そんなことはない。君は強いから、オステルハウト先生の教室に二年も通って、言葉の問題を克服したんだ。クラスメートにからかわれても、罵ったり、殴り返したりせず、自分の良心を貫いてきた。君が本当に弱い人間なら、勉強もサッカーもとっくに投げ出して、苛めた人間に仕返しするような、心の曲がった子供に育っていただろう。この先、辛い出来事があっても、君ならきっと乗り越えていける。躓き、自信をなくしても、Luctor et Emergo(私は闘い、水の中から姿を現す)のように何度でも立ち上がるだろう。今はまだ世の中のこともよく知らないから、不安に感じるだけだよ。よく学び、経験し、本物の知恵を身につければ、些細な事に心を揺さぶられなくなる。試験やサッカーの順位に一喜一憂するのではない、どんと心に根が張った、本物の強さだ。僕はね、照れ隠しにお母さんに悪態をついたり、フィールドでも虚勢を張って、何が何でもゴール前に持って行こうとする君より、こんな風に、素直に不安や葛藤を語ってくれる君がとても好きだ。いつかは大きく育って、世のため、人のため、我が身をなげうって尽力しそうな予感もある。いくつもの試練を通り抜け、心の目が開けば、今の悩みなどちっぽけに感じるよ。僕が初めて締め切り大堤防(アフシユライトダイク)を目にした時のように」

≪中略≫

この世でもっとも愛しい温もりが胸に広がり、生への願いがふつふつと湧いてくる。いろんな出来事があったが、今ほど命の貴さを感じた瞬間もない。何度生まれても、どのように生きても、この出会いに感謝し、生きる悦びを謳うだろう。

Es lohnt sich auf der Erde zu leben: 
地上に生きることは、かいのあることだ。

Ein Tag, Ein Fest mit Zarathustra lehrte mich die Erde lieben.
ツァラトゥストラと共にした一日、一つの祭りが、わたしに地を愛することを教えたのだ。

`War _Das_ – das Leben?` will ich zum Tode sprechen.
これが――生だったのか わたしは死に向かって言おう。

`Wohlan! Noch Ein Mal!`
「よし! それならもう一度」と!*26

Product Notes

引用はこちらから。

ドイツ語の原文は海外版・青空文庫『Free ebooks by Project Gutenberg – Gutenberg』で無料でダウンロードする事ができます。興味のある方はぜひ。

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