2-6 これが生だったのか、それならもう一度!

海 日没

スピーチセラピーが功を奏し、ヴァルターも地元の小学校に通うことが叶ったが、今度は「鼻づまり」「キャベツ頭」とからかわれ、「一生、鼻づまりで生きていくぐらいなら、死んだ方がマシ」と自分自身に失望する。

どうしてやればいいのか、カールスルーエの母に相談すると、

「地上に生きることは、甲斐のあることだ。ツァラトゥストラと共にした一日、一つの祭りが、わたしに地を愛することを教えたのだ。『これが――生だったのか』わたしは死に向かって言おう。『よし! それならもう一度』と」

母はツァラトゥストラの一節を語って聞かせる。

「魂の幸せとは、自分自身を肯定し、生きることを悦ぶ気持ちだ」と。

それからグンター自身も『ツァラトゥストラ』を読み返し、ヴァルターに自己肯定を説いて聞かせるようになる。

「だから、ヴァルター。皆と違っていても、上手く出来ないことがあっても、君が心の底から『これが人生か。よし、もう一度!』と思えたら、それが本当の魂の幸福なんだよ」

だが、幼いヴァルターには何のことか分からない。

そこで『永劫回帰』を『永遠の環』になぞらえ、

「じゃあ、こう言おう。Der Ring der Ewigkeit――『永遠の環』だ。たとえば、太陽は海の向こうに沈んでも、また昇って輝きたいと思う。それは太陽である自分自身を悦んでいるからだ。永遠の環を廻るように、何度でも生きたいと願う。それと同じように、君もこの人生、この自分自身を何度でも生きたいと思えるほどに自分自身を愛せるようになれば、絶望や劣等感や抜け出して、苦悩からも自由になれる」

それはやがてヴァルターの中で『リング』のイメージになる――。

引用

WEBに掲載している文章は『第二稿』です。書籍版とは内容が若干異なります。
 御礼の電話を入れた際、海での出来事を話すと、母がおもむろに言った。
「地上に生きることは、甲斐のあることだ。ツァラトゥストラと共にした一日、一つの祭りが、わたしに地を愛することを教えたのだ。『これが――生だったのか』わたしは死に向かって言おう。『よし! それならもう一度』と」
 グンターがはっと顔を上げると、母はさらに暗誦を続けた。
「おまえたちがかつて「一度」を二度欲したことがあるなら、かつて「おまえはわたしの気に入った、幸福よ、刹那よ、瞬間よ」と言ったことがあるなら、それならおまえたちはいっさいのことの回帰を欲したのだ。おまえたち、永遠な者たちよ、世界を愛せよ、永遠に、また不断に。痛みに向かっても「去れ、しかし帰ってこい」と言え。全ての悦楽は――永遠を欲するからだ」
 それから席を立ち、子供部屋の書架から一冊の古びた本を取ってくると、背表紙をカメラに近づけた。
「Also sprach Zarathustraツァラトゥストラはかく語りき*2……」
「あなたは最後まで読んだことがなかったでしょう。中学生の時、最初の数ページを眺めただけで、『僕、こういうの苦手だ。くどくど五月蠅い感じがする』とすぐに書架に戻してしまったから。それ以来、一度も手に取っていないはずよ。ワーグナーが好きなら、いつかこの本にも手を伸ばすだろうと期待していたのだけれど」
「すっかり忘れてたよ」

<中略>

「僕はどう力づけたらいい?」
「この本に書いてあることを教えてあげればいいと思うわ。魂の幸せとは、自分自身を肯定し、生きることを悦ぶ気持ちだと」
「自身を肯定し、生きることを悦ぶ……」
「あなたは以前からあの子の言葉の問題を直そう、直さなければと躍起になっている。もちろん、その努力は正しいし、訓練次第で見違えるように改善するのも本当でしょう。でも、直らないからといって、あの子の価値が半減するわけじゃない。直りさえすれば幸福になれるというものでもない。肝心なのは、受入れること。言葉に不自由しようが、周りに誤解されようが、『それで良し!』と思える気持ちでしょう」

<中略>

 グンターはいつしか自分自身が夢中になっているのを感じた。
 学生時代、なぜこの本に見向きもしなかったのか不思議なくらいだ。
 『自分を肯定する』。
 このシンプルな諦観が、人によっては何故こうも難しいのだろう。
 人は誰でも自分が好きで、自分第一という印象があるが、そんな人でさえ「心の底から自分を肯定できるか」と問われたら決してそうではない。『肯定』は自惚れや大風とは異なるし、背伸びや虚勢でもない。
 ただ、ありのままを愛する。
 自分自身も、世の中の矛盾も、不運さえも。
 どんなに財産や名声を得ても、自身を肯定できなければ生も虚しい。努力は空回りし、何をやっても満たされることはないだろう。
 逆に、どれほど劣っても、思う通りに生きられなくても、自身に納得し、心の底から「よし、もう一度!」と思えたら、それは魂の平安をもたらす。
「だから、ヴァルター。皆と違っていても、上手く出来ないことがあっても、君が心の底から『これが人生か。よし、もう一度!』と思えたら、それが本当の魂の幸福なんだよ」

Product Notes

文中での『ツァラトゥストラ』の引用はこちらです。

永劫回帰にもいろんな解釈がありますが、「これが生だったのか、それなら、よしもう一度」の一言に尽きると思います。
ツァラトゥストラも、最初は暗いトーンで始まって、最後に、この一言に辿り着く過程が素晴らしいんですよね。

ちなみに当該個所の文章は次の通りです。(手塚富雄・訳)

第四章 酔歌

そのとき、この長い驚くべき日のうちで最も驚くべきことが起こった。最も醜い人間が、もう一度、そしてこれを最後として、喉を鳴らし、鼻息をしはじめたのだ。そして、ついにかれがそれをことばにして言ったとき、見よ、かれの口からは一つの問いが、まろやかに、清くおどり出た。一つのよい、深い、明るく澄んだ問いであった。それは耳を傾けたすべての者の心を感動させた。
「わたしの友なるすべての人よ」と、最も醜い人は要った。「あなたがたはどう思うか。きょうこの一日に出会ったために──わたしははじめて満足した。今までの全生涯にたいして。

だが、それだけを証言したのでは、まだ十分ではない。地上に生きることは、かいのあることだ。ツァラトゥストラと共にした一日、一つの祭りが、わたしに地を愛することを教えたのだ。『これが──生だったのか』わたしは死に向かって言おう。『よし、それならもう一度!』と。