2-2 アフシュライトダイク(締め切り大堤防)と社会の基盤

アフシュライトダイク(締め切り大堤防)

ゾイデル海を仕切るアフシュライトダイク(締め切り大堤防)を訪れたグンターは、その歴史と偉容に心を動かされ、ネーデルラントの治水に興味を持つ。
大学で土木工学を学び、ゼーラント州の治水管理局に職を得たグンターは、フェーレという町に移り住むが、どれほど高い志をもって仕事に取り組んでも、地元民から見れば、グンターは異邦人でしかない。

孤独を感じながら思い返すのは、ブレーメン行きの電車で出会った女の子のことだ。

あの時、どうして無理にでも彼女の名前を聞かなかったのか、今も悔やまれる。

今度、素敵な天使に出会ったら、今度こそ彼女の名前を聞き出し、その翼を掴んで離さない――。

引用

WEBに掲載している文章は『第二稿』です。書籍版とは内容が若干異なります。
 アフシュライトダイク(締切り大堤防)は、Anno Dominiの時代、一九二七年から一九三二年にかけてゾイデル内海と北海を仕切る形で建設された。全長三十二キロメートル、幅九〇メートル、海抜約七メートルの世界屈指の大堤防である。
 古来より、ネーデルラントは高潮や洪水に苦しめられ、堤防や運河の建設が国家的事業として推し進められてきた。
 わけても二十世紀初めに実施されたゾイデル海開発計画は、北海の高潮から陸地を守り、干拓地を拡張することを目的とした世紀の一大事業で知られる。
 その一環として建設されたアフシュライトダイクは、文字通り海を仕切り、干拓地を守る治水の要所として国を支えてきた。
 それは今もモーセの奇跡のように大海原を二つに分かち、虹のような威容を誇る。
 現在、堤防上面には片側二車線の快適な自動車道路が敷設され、幾つもの河口に分断されたネーデルラントの沿岸部を一つに結ぶ主要な交通路でもある。
 グンターは途中のパーキングエリアでバスを降りると、記念碑や資料館を見て回った。
 そこには膝上まで水に浸かりながら、一つ一つ石を積み上げ、ポンプで水を汲み出し、地盤に杭を打ち付ける作業員の写真や、工事に使われた道具や設計書などが展示されている。高機能なパワー重機もコンピュータ支援設計も無い時代、ネーデルラントの人々はどのようにしてこれほどの巨大建設を成し遂げたのか、グンターには想像もつかない。
 堤防の見晴らしのいい場所には、プロジェクトを指揮したCornelis Lelyの銅像の他、両手で石を積む工夫の彫像、石と棒具を手にした三人の作業員を象ったモニュメントも建立され、当時の苦労や意気込みを今に伝えている。
 また記念碑には工事で命を落とした人々の名前も刻まれ、大勢の努力と献身に支えられた難事業であったことが偲ばれる。
 それらを見るうちに、グンターの脳裏に「この世は神が創り給うたが、ネーデルラントはネーデルラント人が造った」という諺が浮かび、人間の意思がどれほどの事を成し得るか思い知らされた。たとえ一人一人の名は歴史に残らなくても、彼らの思いは一枚岩のように祖国の礎となり、現在(いま)を支えている。それは父に脅え、卑屈に縮こまっている自分がちっぽけに感じるほど力強く胸に迫った。

Product Notes

前述にもあるように、オランダの『アフシュライトダイク(締め切り大堤防』は、1927年から1932年にかけて、国家的な治水事業の一環として建設されました。
全長32キロ、幅90メートル、高さ7.25メートルの威容を誇り、北海から仕切られた内湾は、現在、アイセル湖となっています。
治水の重要な拠点であると同時に、湾岸の南北を結ぶ主要な交通路でもあり、中継点には記念碑や観光客向けの施設が設けられています。

ITもハイテク重機もない時代に、よくこれだけのものを作ったと、惚れ惚れ。

ここは旅行会社の観光ルートからも外されているので、個人的に移動するしかありません。(たいていは、風車とゴッホ&レンブラント美術館、チューリップ園で終わり)
私はアムステルダムからアルクマールまで電車でアクセスした後、バスを乗り継いで、締め切り堤防まで行きました。
天候にも恵まれ、天の架け橋のような眺望でした(^^)

ちなみに、日本の土木技術は、多くをオランダから学んでいます。
鎖国の時代にも、日蘭の交易が続いていたこともあり、干拓、護岸、様々な技術を取り入れることができたのです。
他にもいろんな政治的理由はあったでしょうけど、オランダと交易を続けたのは正解だったと思います。
(大英帝国なら、日本の歴史自体が変わっていたかも)

アフシュライトダイク(締め切り大堤防)

アフシュライトダイク(締め切り大堤防)

アフシュライトダイク(締め切り大堤防)
Photo : http://dutchdikes.net/history/