25-1 子育てと大人の愛 町をデザインする

海岸

様々な出来事を経て、ヴァルターの元に届けられたのは、『赤ちゃん』だった。
リズの手紙から、それは紛れもなく我が子であることを悟り、一人で育てることを決意する。

しかしながら、実際に育てるとなると、戸籍、ビザ、収入、様々な現実問題が横たわる。
児童福祉司やローレル・インスティテュートの手を借り、何とかルークの保護と生活の手立てを考える。

子育てに専念する間、ヴァルターはローレル・インスティテュートの聴講生となり、プロジェクト・マネージメントや都市計画の勉強に取り組む。
ちょっとしたインターバルは、これまでの生き方を見つめ直す良い機会となる。

引用

WEBに掲載している文章は『第二稿』です。書籍版とは内容が若干異なります。
 ベビーカーはフラットにも対面式にもなるバギータイプの三輪カーだ。サスペンションの効いた大型タイヤが使われ、砂浜の自然道も難なく進むことができる。
 しかし、住宅街に入ると、道路の段差や陥没、公共施設の階段、歩道を塞ぐ駐車など、ベビーカーの負担になるものは多い。まるで町中で障害物競走をしているが如くだ。
 今まで当たり前のように目にしてきた風景も、よくよく見渡せば、「健康な大人」を対象に設計されており、幼子や高齢者、身体的ハンディのある人には決してやさしくない。

《デザイン》

 それは作り手の哲学や美意識の具現化だとジュン・オキタ社長は言った。
 リビングに飾る絵画や陶器ならともかく、人間の暮らしの土台となる『都市』を設計するには、美観や独創性だけでなく、様々な住人のライフスタイルを考慮する必要がある。加えて、安全性、経済性、耐久性、芸術性、等々。
 階段一つとっても、そこには作り手の気配りや創意工夫が如実に表れる。

《意思が町を作る》

 どんな小さなものでも、形あるものは、すべて人間の意思の現れだ。
 頑丈に作られた堤防が数百年の長きに渡って干拓地を守るように、配慮の行き届いた町は幸福の土台となる。どんな形も決して偶然の産物ではなく、配慮や信念の結果だ。愛の欠如した町作りに未来はない。

<中略>

 だが、アステリアは依然として落ち着かず、舵をなくした船のように右往左往している。時々、メイファン女史やダグ達とも連絡を取っているが、区の権限は強くなるどころか、上から下からトリヴィア政府に突っつかれ、小舟のように浮つ沈みつしている。キプリング社長やイリヤ・ノボロスキ社長のような古参の大物が何とか音頭をとろうとしているが、それも新興勢力に押され、以前と同じようにはいかない。
 それとは対照的に、ペネロペ湾では開発事業が着々と進み、どの業者も飛ぶ鳥の勢いだ。ウェストフィリア探鉱に併せて企業や研究機関の誘致も進み、ペネロペ湾周辺に地学や海洋科学の研究所を創設する計画も浮上している。
 それはそれで有意義だとは思うが、一つの指針の元に計画的に推し進められるのと、その場の勢いだけであれもこれも作られるのでは訳が違う。そもそも政府も住民も、このアステリアをどうしたいのだろう? これからも属領で構わないのか、それとも、自治権を拡大して、トリヴィアとは違った社会の構築を目指したいのか。そうした根源的な話し合いが何一つなされないまま、目先の利害だけで右往左往しているのを見ると、五年後十年後には目も当てられない状況になりそうで不安を感じる。自分はまだしも、ルークが大人になった時、努力する者が生き辛い社会になって欲しくはない。

Product Notes

この動画でも子供が模型を使って都市を設計する様子が描かれていますが、「未来の都市設計」といえば、ジョージ・ルーカスの映画に出てきそうな前衛的な町並みを作るのではなく、社会の土台となる概念を学ぶことだと思います。視覚的に「お洒落な都市」を構築するなら、CGの世界だけでやってればいいだけの話ですからね。

そうではなく、「現実に人が暮らす都市に必要なもの」について考えることは、人間性、経済性、安全性、様々な側面から配慮することであり、その意図によって、道路の向きさえ変わってきます(碁盤状にするか、放射状にするか)。

ちなみに私は京都出身ですが、京都に生まれ育つと、よその町は歩けないです。あそこに暮らすと、碁盤の目に都市を設計した先人の知恵を実感します。

都市設計にもいろんな考え方があると思いますが、一つだけ確かなことは、そこに暮らす人の安全性、快適性を無視した町作りは、住民の心持ちにも大きく影響し、いずれ飽きられ、すたれていく、ということです。