12-1 苦難を経て栄光へ PER ASPERA AD ASTRA

銀河 星

ヴァルターとリズのヒアリングとプロモーションが功を奏し、ついに海洋情報ネットワークの実行委員会が発足する。
会議場であるアライアンスセンターのエントランスで、ヴァルターは『PER ASPERA AD ASTRA』と刻まれたメタルプレートに目を留める。意味は『苦難を通じて栄光へ』。「遠い話」とこぼすヴァルターに、リズは完成を目指すことが人生だと説明する。

会議の場で、「大多数を対象としなくても、本当にそれを必要とする海洋産業や研究分野に絞り込んだ方が、はるかに良い結果が得られるんじゃないかね。一般に普及するのは、それからでも遅くはない」という意見が出るが、リズは「娯楽色ばかり強い情報ばかりが前面に押し出され、素人でも分かりやすい情報が不足しているからではないか」と反論する。

そこでヴァルターは一般向けの情報の入り口として『オーシャン・ポータル』を提案する。

アイデアはいいが、具体的にどう運営するのかという話に、言葉を返せないでいると、リズが主張する。

「経理、広報、法務、監理。それら全てを提案者がこなさねばならない必要はありません。海洋学の専門家でなくとも、ブレーンを組織して海底鉱物資源の採掘をすることは可能ですし、足りない技術は外注すれば済むことです。『JP SODA』の創始者も、元は工業塩の輸入業者ではないですか。必要とあらば、皆で知恵を出し合えばいいことです。アイデアの提案者が資金集めから営業まで、何もかもやらねばならない義務はありません」

引用

WEBに掲載している文章は『第二稿』です。書籍版とは内容が若干異なります。
「一般人は、どちらかといえば遊びにしか興味がない。技術だ、新産業の創出だと、立派な看板を掲げたところで、関心を持つのは一部の上層だ。確かに彼のアイデアは素晴らしいし、メイファン部長やキプリング社長の志にも共感するが、現実はどうだ。産業振興会の勉強会に足繁く通う顔ぶれだって、毎回ほとんど同じじゃないか。あれほどメディアで啓蒙しても、所詮、この程度かとがっかりさせられることも多い。それと同じことになれば、また一つ赤字プロジェクトを抱えるだけだ。大多数を対象としなくても、本当にそれを必要とする海洋産業や研究分野に絞り込んだ方が、はるかに良い結果が得られるんじゃないかね。一般に普及するのは、それからでも遅くはない」
 その時、隣に座っていたリズが思いがけなく強い口調で言った。
「実利や専門性を第一とする理事らの意見はもっともですが、それこそ海上安全局の情報サービスを拡充するだけで十分ではありませんか。わたくし共が海洋情報ネットワークを新鮮に感じたのは、『一般に訴えかける』という点です。そもそも一般人が遊びにしか興味を持たないのは、ボート遊びやリゾートホテルのように娯楽色の強い情報ばかりが前面に押し出され、学問や産業に繋がるような、素人でも分かりやすい情報が不足しているからではありませんか。一般の人々が興味を持つのは、不思議なこと、驚くこと、美しいことです。そうした心の体験が、海への親しみや好奇心を高めてゆくのです。どうせ作るなら、アステリアならではの、個性あるものを構築しませんか。ステラマリスとは異なる『海の玄関口』です」

<中略>

「やはりデータ共有と多方向への活用は重要ですよ。ブルーライン海運公社のフェリーが利用しているデータも、海洋安全局のパトロールが利用しているデータも、多くが共有ですもの。継続的な海洋観測の予算も限られていますし、一つの観測ブイが送信するデータを企業、行政機関、学術などで、手軽に共有できるシステムは必要でしょう。それが一般にも浸透すれば尚のことです。効率的なデータ共有はコストの削減にも繋がりますからね。その上で、ユーザーの使い勝手を考えて、専門家向けと一般向けの二通りのサービスを導入する。それなら、いろいろ付加価値を付けて、ステラマリスには存在しないような、ユニークな情報サービスを提供することも可能でしょう。ヴァルター、あなたは何かアイデアがある?」
「娯楽性やメッセージ性に富んだ『オーシャン・ポータル』はどうです? 俺が少年の頃、よく通っていた海洋博物館の公式サイトが参考になります。3Dの水族館ライブ中継やヴァーチャル飼育、ゲームやフォトギャラリーなど、子供向けコンテンツの他に、海の百科事典や魚の図鑑など、学術的な内容も充実していました。あるいは、海洋開発の歴史を編纂するのも意義深いと思います」
「そんなものに人が興味をもつかね」
「歴史は共同体の基盤でしょう。ここには独自の文化もなければ民族もない。いろんな属性の寄せ集めですから、みなを一つに結ぼうと思えば、全体の共感を呼び覚ますようなシンボルが必要だと思うんです。特に、ここで生まれ育った若い世代は、アイデンティティの基礎となるものを欲しがっている。自分が何もので、どんな役割をもち、この先、何処へ向かうのか、明確な拠り所を求めています。その土台となるのが『歴史』です。俺は歴史のある土地に生まれ育ったから、逆に彼らの不安や閉塞感が理解できるんです。アステリアは『属領』だけども、だからといって何の歴史もないわけじゃない。ここがどういう経緯で開かれ、今、どの段階にあって、これからどのように開けていくのか、それを分かりやすく示せば、意外と興味を引くんじゃないでしょうか。とりわけ、ここで生まれ育ったネイティブ世代には」
「それなら、歴史の専門家も必要だねぇ。なんだか、どんどん大風呂敷になってないかね」
 一人がちくりと刺すように言うと、
「今すぐアカデミックな歴史書を編纂する訳ではありません」
と彼は落ち着いた口調で答えた。
「手記的なものなら、素人でも手がけることができます。開発が本格化した三十年前から、ここで根を張って仕事に打ち込んできた人が大勢います。いわば歴史の生き証人です。そうした人々がまだ現役で活躍しているうちに、貴重な資料や証言、記念の物などを書庫化するのです。時と共に人々の記憶も薄れたら、感動も何も残らなくなる。それに、何かの形を残せば、その人たちにとってもこの地に生きた証になるでしょう」
 彼はダグやガーフィールドやマードック夫妻らの顔を思い浮かべながら言った。
「それを海洋情報ネットワークに取り込む?」
「一般向けのコンテンツとして提供します」
「金は誰が出すんだね」
「……それはまた後で考えます」
「実務がからむと、君は弱いな」
「その為に専門家がいるのですわ」
 リズが言い添えた。
「経理、広報、法務、監理。それら全てを提案者がこなさねばならない必要はありません。海洋学の専門家でなくとも、ブレーンを組織して海底鉱物資源の採掘をすることは可能ですし、足りない技術は外注すれば済むことです。『JP SODA』の創始者も、元は工業塩の輸入業者ではないですか。必要とあらば、皆で知恵を出し合えばいいことです。アイデアの提案者が資金集めから営業まで、何でもやらねばならない義務はありません」

Product Notes

PER ASPERA AD ASTRA もしくは AD ASTRA PER ASPERA で知られるラテン語の名句です。

「ラテン語名句小辞典」によると

人生の多くの困難を克服し、大きな名誉を獲得し、神々の側に列せられること。セネカ『狂えるヘラクレス』では、ヘラクレスの妻メガラがヘラクレスについてnon est ad astra mollis e terris via 「大地から天への道は緩やかではない(険しい)と言っている。なお、見出し句は、米国カンザス州のモットーとなっている。

ちなみに似たような名句で『PER ARDUA AD ASTRA』(艱難を経て星へ)は、英国空軍のモットーです。
Royal Air Force (RAF)

イギリス 王立軍

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