3-3 不安と疑念・父は無責任で甘やかし?

孤独 自転車

ラクロワ邸での暮らしは快適そのものだった。望んで手に入らないものはなく、身の回りのことも全て家政婦がしてくれる。
だが、運河沿いの小さな家で、質素堅実に育てられたヴァルターには、贅沢な暮らしは罪悪感でしかない。
だが、そんな疑問も、ジャン・ラクロワは否定する。

父の教えはもっと温かく、優しかった。
父とラクロワ氏が子供を集めて話をすれば、子供はきっと父の話により耳を傾けるだろう。

二つの価値観が交錯する中、ヴァルターはラクロワ氏の口から思いがけない言葉を聞く。

引用

WEBに掲載している文章は『第二稿』です。書籍版とは内容が若干異なります。
 太陽を追いかけるようにプライベートジェットがマルセイユに向かう中、彼は軽く食事を取ると、疲れた身体をシートに横たえ、毛布の下でうつらうつらした。
 身体は鉛のように重いのに、目が冴えて、なかなか眠りに就くことができない。
 何度か寝返りを打ち、ようやく気が遠のきかけた時、彼が寝入ったと感じたのか、斜め前のシートでブランデーを傾けていたジャン・ラクロワが、「なかなか気難しい子だね。わたしもいろいろ気遣っているが、どうしたら心を開いてくれるのか――。君の息子だから、もっと素直で明るいかと思っていた」と溜め息をついた。
「素直で明るい子なのよ。今も父親の死から立ち直れず、心が塞いでいるけれど、本当は太陽みたいに溌剌としているの。ただ、何かにつけて時間がかかるのよ。心を開くのも、新しい環境に慣れるのも。どうか長い目で見てあげて」
 だが、ジャン・ラクロワは納得いかぬようにワインをあおると、
「君の前の夫は、少々甘やかし過ぎたんじゃないかね」
と耳を疑うような事を口にした。
「そういう部分もあったかもしれない。でも、この子は幼い時から特別なの。誰かがいつも気に掛けて見てないと、心が閉じてしまうのよ。だから、あの人がいつも側に付いて、手取り足取り教えてきたの。自分の仕事も愉しみも後回しにして、根気よく支えて、ようやく他の子と同じように学校に通えるようになったのよ。誰にでも出来ることじゃないわ」
「だが、世間ではそういうのを『甘やかし』と言うんだよ。手取り足取り世話した結果がこれだ。いつまでも赤ん坊みたいに背を丸めて、ろくに話もしないし、自分から立ち直ろうともしない。何をするにも助けが要る子供と知っていて、どうして置いていったりしたんだ。父親として無責任じゃないか」
「誰も自分が洪水で死ぬなんて考えないわ」
「そうかね。聞いた話じゃ、堤防は決壊寸前で、避難勧告が出ていたというじゃないか。そうと分かって現場に戻るなんて、とても賢明とは思えないがね」
 ジャン・ラクロワが侮蔑するように言うと、母も押し黙り、彼も毛布の端を握りしめた。
 「甘やかし」「無責任」――。
 思ってもみなかった言葉に、頭の中がガンガンと鳴り響く。
 そして、なぜ母は強く言い返さないのか。
 喧嘩してでも「父は正しい」と主張しないのか。

Product Notes

「聖トマスの疑い(不信)」のエピソードを描いたカラバッジョの作品です。
弟子の中で、唯一、キリストの復活を目にしなかったトマスは、「主の傷口(ローマの兵士ロンギヌスに槍で突かれた所)に指を入れるまでは信じない」と主張して憚りませんでした。すると、処刑から八日目に復活したイエスが目の前に現れ、聖トマスは主を信じるようになる・・という話です。

このエピソードがいわんとするところは、たくさんあります。

人間の心の弱さ。
信仰と疑念。
「納得したい」という人の心理。

ネットでもいろんな見解がUPされてますので、検索してみると面白いですよ。


ウォールのPhoto : http://poresperantamormonaro.weebly.com