曙光 Morgenrood

第1章 運命と意思

-フォルトゥナ号-

海底鉱物資源を採掘せよ 潜水艇のパイロットと深海

Introduction

宇宙世紀。みなみのうお座に打ち上げられた探査機が一つの鉱石を持ち帰る。そこから発見された新物質ニムロディウムによって科学技術は著しく発達し、宇宙開発も加速的に進むが、最大のニムロデ鉱山がファルコン・マイニング社の手にわたったことで、ファルコン・グループによる一党支配が始まる。

膠着した社会に風穴を空けるべく、特殊鋼メーカーのカリスマ経営者、アル・マクダエルは、惑星表面積の97%が海洋で覆われたアステリアの水深3000メートルからニムロディウムを含む海底鉱物資源の採掘に挑む。だが、本採鉱を前にして、プロジェクト・リーダーが失踪し、アルは急遽、水中作業のできる潜水艇のパイロットを探し求める。

数ヶ月前に解雇されたヴァルター・フォーゲルを紹介されるが、その過程で、彼が密かにGeoCADで描く海洋都市『リング』の鳥瞰図を目にする。これこそ海洋社会アステリアの未来を変える図と確信したアルは、違法にデータを覗き見した事実を伏せてヴァルターに接触を図る。

再建コンペで世界的建築士、フランシス・メイヤーと対立した為に故郷を追われ、潜水艇の職も失ったヴァルターは、アルに対しても突っかかるが、切羽詰まった状況からアルの差し出す契約書にサインする。

ウェブで公開中のタイトル一覧はこちら


Quote

 そして、UST歴九〇年、トリヴィアが自治権を獲得し、ネンブロットがトリヴィアの『属領(テリトリー)』として取り込まれると、「ファルコン・マイニング社、ファルコン・スチール社を基幹とするファルコン・グループは政財界の中枢にいっそう深く入り込み、鉱業行政のみならず、経済政策、外交、広報、労働問題や福祉に到るまで隠然たる影響力を持つようになった。その結果、ニムロディウムはもちろん、その他の金属資源までもがファルコン・マイニング社を頂点とする企業連合の支配下におかれ、価格、販売、生産量、輸送経路に至るまで、独占的に取り仕切られるようになった。
 わけても世界に多大な影響を及ぼしているのは、ハイテク産業の要ともいうべきレアメタル(希少金属)だ。
 レアメタルは、鉄、銅、亜鉛といったコモンメタルに微量に添加することで、耐熱性、耐食性、高張力といった金属性能を高め、新素材や技術開発の鍵となる重要な物質である。
   だが、「産出する場所がきわめて限定されている」「純金のように元々の埋蔵量が少ない」「純度の高い金属成分の抽出が非常に難しく、複雑な精錬プロセスを必要とする」といった理由から生産者も製造量も限られ、その安定供給には常に政治的、経済的問題がつきまとう。
 とりわけ良質なニムロイド鉱床はファルコン・マイニング社に抑えられ、生産も市場価格も彼らの意のままだ。トリヴィア政府も鉱業局の権限を強化し、マイニング社の寡占に対抗したが、鉱業局の幹部までもが収賄に手を染め、業界の浄化には至らない。
 ファルコン・スチール社との提携を解消し、独自路線を歩み始めたマクダエル特殊鋼も、ファルコン・マイニング社によって幾度となく原料の供給を止められたり、一方的に原価を吊り上げられたり、常に翻弄される立場にある。
 かといってニムロディウムの採掘には地下深く掘削するノウハウが必要であり、何の実績もない企業が真似できるほど甘くもない。誰もがファルコン・マイニング社に強い不満を抱きながらも、正面から「NO」を突きつけることができないのは、彼らが図体だけでなく、世界屈指の採掘技術と設備を誇っているからだ。

*

 ニムロイド合金の実用化により、人類は爆発的な勢いで宇宙に進出し、宇宙開発に必要な科学技術は著しく発達したが、海は置き去りにされた。
 金属も砕く深海の超水圧、どれほど強力なライトを用いても視界数メートルしか照らせない絶対的な闇、電気も電波も届かない水の世界が技術の前に立ちはだかり、研究は遅々として進まない。海底地形を調べるにも数十名の乗組員を集め、調査船を出し、水中機器のオペレーターや整備士、音響測深や音波探査のエキスパートなどを総動員せねばならず、同じ一平方キロメートル調べるにも、地上の鉱山と海底では掛かる経費も手間も桁違いである。
 また、ステラマリスでは深刻な海洋汚染によって自然保護が強く叫ばれ、産業界がより実益をもたらす宇宙にベクトルを向けた影響も大きい。海洋科学に投入される予算も、学問自体も縮小し、水中音響学、船舶工学などの特殊技能を有する人材までもが激減してしまった。
 それに加えて、商業的に採算の合う海底鉱物資源の採掘システムは未だ確立されていない。
 古来より、海に眠る未曾有の鉱物資源を得ようと国や企業がこぞって研究に取り組んできたが、水深数千メートルの海底鉱物資源を効率よく回収する技術は困難を極めた。
 まず正確な埋蔵量を把握する海洋探査が陸の鉱物探査に比べて非常にハードルが高く、一つの海域を調べるだけでも莫大な予算と手間を必要とする。地上の鉱山であれば、観測衛星や無人飛行機を使って地上の様子をつぶさに観察できるが、超水圧と暗闇に閉ざされた深海では海底地形の把握からして困難だ。探査に必要な水中機材の開発費だけでも馬鹿にならず、それを支える人材も年々減少している。Anno(アンノ) Domin(ドミニ)i(西暦)の後期には幾通りかの採鉱システムも考案され、プロトタイプによる試験採掘も行われたが、安全で効率的な手法を確立するには至らなかった。
 また採取した海底鉱物や堆積物から商業的価値のある金属成分を抽出・加工する技術も未完成であり、どれほど埋蔵量が膨大でも、陸上の鉱山業を凌ぐ経済効率を達成できなければ、海底資源の有用性はきわめて低いと言わざるを得ない。
 結局、海底鉱物資源の採鉱に必要な何十億もの初期投資と、その維持管理に必要な経費を考慮すれば、ネンブロットをはじめとする資源供給地との外交を重視し、技術協力や資金援助を通じて間接的な採鉱政策をとる方がより現実的という見方から、トリヴィア政府はアステリアの海洋開発を断念した。
 そして、発見から一世紀以上が経った今も、未曾有の海底鉱物資源は誰の手に渡ることなく、深く静かに眠り続けている。
 もし、それを掘り起こせる人間がいるとしたら、アル・マクダエルをおいて他になかった。

*

 Noblesse(ノブレス) oblige(オブリツジ).(高貴な者はそれにふさわしい社会的責任と義務を有する)
 それが祖父の教えの真髄だ。
 祖父の高潔な精神と生き様は、アルと姉のダナに強い影響を与えた。
 ビジネス会話の隠語としてラテン語を教えてくれたのも祖父なら、合金設計の技術を面白く語って聞かせてくれたのも祖父だ。愚かなことを口にすれば、実妹だろうが、次男の嫁だろうが厳しく叱責し、家族に煙たがられることもあったが、アルは一本芯の通った祖父が好きだった。祖父の話を聞いていると、人間の意思はこの世のどんな権力や財力にも勝るような気がするのだった。
 祖父はしばしば言っていた。
「自分が明日死ぬなど、誰も露ほども考えない」
 その言葉通りに祖父は死んだ。八十一歳だった。
 アルが十二歳になって間もなく、なかなか朝食に姿を現わさないので、心配して見に行くと、祖父は自室のバスルームで口を半開きにして倒れていた。夕べ祖父と話した時は、今日もチェスで一戦を交える約束だったのに。
 そんな祖父の教えの中で最も心に残っているのが「捨てるな」という言葉だ。
「人間には無限の可能性がある。自分を捨てることは、一切の可能性を捨てることなんだよ」
 それは自分以外の人間にも言えることだ。
 事業の要は「モノ」「カネ」「ヒト」。
 モノとカネには限りがあるが、ヒトには無限の可能性がある。
 工場の組み立てラインを管理するのもヒトなら、画期的な商品を編み出すのもヒトだ。
 優秀な人材がなければ、百億の予算も、世界有数の設備も、用を成さない。
 人こそ資本。
 それはそのままアルの経営哲学になった。
 人それぞれ長所も短所もあるが、アルは深海に眠る鉱物みたいな人間が好きだった。数十億年の星のエネルギーをぎゅっと内に秘めたような兵(つわもの)だ。

 

*

 本採鉱まで、二ヶ月余り。
 まるで最後の最後に運命の歯車が狂ったとしか言いようのない中で、アルは直ちに決断を迫られた。
 一つは本稼働を延期する。
 もう一つは、プロジェクト・リーダー抜きで揚鉱管(ライザーパイプ)の接続ミッションを決行するかだ。
 揚鉱管の接続は、水深三〇〇〇メートル下で、潜水艇と有策無人機を用いて行われる。深海底の集鉱機、水中ポンプ、そして海上の選鉱システムを一つに繋ぐ遠隔作業で、高度な水中技術を必要とする。
 もちろん、採鉱システムは、悪天候、機械トラブル、人為的ミスなど、あらゆる危機を想定して万全の備えをしており、プロジェクト・リーダーが失われたぐらいで機能不全に陥るほど脆弱ではない。
 それでも十月十五日のシナリオは、プロジェクト・リーダーを中心に組み上げてきた。一つの狂いが全体に波及し、思いがけない問題を引き起こさないとも限らない。自分でも『完璧』と思えるシナリオだったのに、こんな所で狂わされるとは、これも運命の試練か、慢心への戒めか。
 あれこれ思い巡らせながら窓の外を眺めていると、セスがさりげなく訊いた。
「十月十五日の接続ミッションは予定通り決行するのですか」
 アルは窓の外を向いたまま「さあね」と答えた。
 返事は素っ気ないが、セスには(腹の中で既に答えは決まっている)と分かる。
 十月十五日はノア・マクダエルの誕生日であり、真空直接電解法の新炉が稼働した日でもある。どうせ打上げ花火を上げるなら、記念すべき日に壮快に決めたい気持ちはセスも同じだ。海底鉱物資源の採鉱システムが完成し、アステリアの海でもニムロディウムの採掘が可能になれば、再び市場の様相が変わる。それは鉱業のあり方を根本から覆し、社会の構図も変えるだろう。
 その為にも、十月十五日には予定通り揚鉱管を接続し、本採鉱に繋げたい。一週間、一ヶ月と先に伸ばせば、その後の製造や供給の段取りまで大幅に狂ってしまう。
 アルは深く座り直すと、再び窓の向こうを見やった。
 眼下には銀のパノラマが広がり、どこまでが工場で、どこからが住まいか区別もつかない。完全自動化された工場は不夜城のように明かりが点り、人々が深い眠りに就いている間も部品を組み立て、輸送用ボックスに梱包し、世界中の店舗や倉庫に送り出していく。
 人間の欲望はどこまで際限がないのか、自ら市場競争に身を置きながらも世俗には懐疑的だ。
 そして、海底鉱物資源を知らなければ、アルもまた朝に夕に利益を追いかけ、ありきたりの世襲社長で終わっていたかもしれない。
 まこと人生と呼ぶにふさわしい生き道を与えてくれたのは、アステリアの海だ。
 その為にも、どうしても潜水艇のパイロットが欲しい。
 水深三〇〇〇メートル下で揚鉱管を繋ぐために。

*

 

 アルは鉱物学者の父子からアステリアの海に眠る膨大な鉱物資源について聞かされ、自分でもいろいろ調べてみたが、それを採取しようという話はどこからも出たことがなく、研究すら行われていない。
 だが、どうしても諦めきれないアルは、一度この目で見てやろうと、知古の口添えを得て産業省の企画する海洋産業研修ツアーに参加した。
 上空で待機する母船から『ネレイス』と呼ばれる空海両用機が降下され、ローレンシア島から一〇〇キロキロ離れた遠洋に着水すると、アルはカメラを片手に船室を飛び出し、最上階の展望室に急いだ。
 ところが、展望窓の向こうに見えるのは茫洋たる大海だけだ。手を掛ける場所もなければ、足を踏みしめる大地もなく、圧倒するような水の平原が広がるばかりである。
 しかもネレイスの浮かぶ一帯の水深はなんと六〇〇〇メートル。地上五〇階の高層ビルを二〇個並べたより、まだ深い。
 そんな海の深みからどうやって海底堆積物を回収するのか。長さ六〇〇〇メートルのパイプ付き掃除機を下ろして吸い上げる? それともSF映画に出てくるような巨大ロボを海底に派遣して石拾いさせるか。まともな深海調査船さえアステリアには無いというのに?
 目の前の大海を茫然と見詰めていると、同乗していたステラマリスの海洋科学者が言った。
「あなた、本当にこの超水圧を掻き分けて、水深数千メートルの海底から鉱物資源を回収するつもりですか? 気圧や無重力は今の技術でどうにか克服できますが、水は簡単には制御できません。変幻自在に形を変える上、止めることも、掴むこともできず、僅かな鉄板の隙間から鉄砲水のように侵入し、金属をも破壊するんですからね。仮に水深三〇〇〇メートルの海底から鉱物を回収するとしましょう。それは標高三〇〇〇メートルの山頂から麓の果樹園のリンゴを拾い集めるようなものです。的確にリンゴを採るのも難儀なら、集めたリンゴを頂上まで回収するのも至難の業だ。ましてそれを商売にしようと思ったら、一キロ、二キロを採ったぐらいでは話になりません。そんな無謀なリンゴ狩りをするぐらいなら、隣の果樹園からリンゴを仕入れた方がはるかに安上がりです。あなたがやろうとしている事は、それぐらい無鉄砲でリスキーだ。ステラマリスでも本気でやろうとしたベンチャー企業があったが、多額の負債を抱えて倒産しましたよ」
 それでもファルコン・グループの一党支配を崩すなら、アステリアの海からニムロディウムを採ってみせるしかない。幾千の労働者を犠牲に鉱山の深部から採掘するのではなく、完全自動化された新時代の採鉱システムを用いてだ。

*

 それから二年後、アルは再びアステリアを訪れ、工業港の建設計画が進む砂利浜に佇み、今一度、自身に問いかけた。
 既に頭の中には海を拓くのに必要な知識、技術、ノウハウなどが詰まっている。
 至難ではあるが、絶対不可能ではないことも心が識っている。
 だが、ローレンシア島の沖合に採鉱プラットフォームを建設することは社運を懸けた一大事業だ。下手すればMIGや自己資産のみならず、祖父が築いた技術革新の金字塔さえ灰燼と帰すかもしれない。
 最悪の結末を思えば総身が震え、引き返すなら今のうちと諌める声がする。
 だが、良質なニムロディウムを得る為に、生涯犬のようにファルコン・マイニング社の足元に這いつくばって、真の経営者と胸を張って生きていけるのか。
 死力を尽くせば達成できたかもしれないことを一生胸に抱えたまま、自分に言い訳しながら人生を終えるつもりか。
 否、否。
 この日の為に姉のダナと幾度となく話し合い、幾通りものビジネスプランを練り上げてきた。いくらか背伸びする部分もあるが、決して無謀な賭けでないことは心が識っている。
 Nunc(ヌンク) aut(アウト) numquam(ヌンクァム)(今成すか、永遠に行わないか)
 アルの脳裏に祖父の声がこだまし、目の前に採鉱プラットフォームが浮かんだ。
 それは決して夢や幻ではない。海中深く突き立てられた揚鉱管が力強い機械音を響かせながら、水深数千メートルの海底から鉱物資源を揚収する。水中無人機を遠隔操作するオペレーター、管制室のモニターウォールに映し出される深海底、港とプラットフォームを忙しなく行き交う輸送船。
 今、この砂利浜には静かに波が打ち付けるだけだが、ここに第一埠頭、あそこに第二埠頭、その裏手には工場や倉庫が建ち並び、造船所では最新の海洋調査機器を備えた支援船が建造される。それに併せて、道路、通信、オフィス、集合住宅、学校なども続々と開かれ、真の自由と公正を求める志高い人材が続々と集まってくる。今後アステリアが海洋化学工業を中心に発展するのは疑いようもなく、たとえ採鉱事業は成らなくても、二の手、三の手を打てば、物流や都市開発で先行者利益を得ることは十分に可能だ。
 やるなら『今』しかない。
 後で他人の成功に地団駄を踏んでも、チャンスは二度と戻らない。
 怯弱な二番手は永久に一番手の尻を舐め、何を見せても二番煎じと嘲られるだろう。

 

*

 宇宙航空局に問い合わせても「ヴァルター・ラクロワ」もしくは「ヴァルター・フォーゲル」の搭乗予定はなく、このままエンデュミオンに居れば逮捕されるのは時間の問題だ。
 一体どうするつもりだと、違法を承知で銀行やクレジットカードを調べさせたら、銀行の預金は底を尽き、クレジットカードは入領して間もなくアカウントを凍結されている。ステラマリスを出る時、ちゃんと手続きをしなかったのだろう。つまり、その場の思い付きで出てきた可能性が高い。
 となると、待ち受ける運命はただ一つ。不法滞在で逮捕されるか、どこかで野垂れ死ぬかだ。
 警察に届けて保護することも考えたが、もしアルの思い過ごしなら余計で話がややこしくなる。
 とりあえず調査員に依頼し、『水を治めるアーカイブ』を監視させていたら、ビザの切れる四日前、調査員が興味深いことを伝えてきた。
 深夜、トップページに『Beste Jan(ヤンへ)』という文言が現れたのである。
 Janは、デ・フローネンの代表ヤン・スナイデルのことだろう。Beste Janにはリンクが張られ、四文字の平易なパスワードでロックされていた。違法を承知でパスワードを解き、その先を辿ると、大海原に拓かれた美しい円環都市の鳥瞰図が描かれていた。
 プロジェクトのタイトルは『Der(デル) Ring(リング)』。*4二重の円環ダムに仕切られた海底の干拓都市だ。
 鳥瞰図に添えられた解説によると、外周ダムの直径は十五キロメートル。幅一〇〇メートルの鋼製ケーソンを約四八〇個連結し、海水の浸入を防ぐ。その内側にもう一つ、重力式コンクリートダムを建造し、内部の海水をドライアップして、現出した海底面に都市を築くアイデアだ。
 都市部には運河を張り巡らせ、ネーデルラントの干拓地のような町並みを作り出す。地盤改良を施した海底の用地には、住居、オフィス、工場、競技場など、様々な建築物が建設可能だ。
 また内周ダムの法面には緑化を施し、心理的な圧迫感を軽減すると共に、花壇や菜園として活用し、雨水の吸収や空気の浄化に役立てる。
 外周ダムに浮体式の海上構造物を連結すれば、船舶の係留やエネルギープラントなど、いろんな機能を付加することができる。また鋼製ケーソンの内部を水力タービンやパイプライン、産業廃棄物の処理に利用することも可能で、その拡張性は計り知れない。
 そして、一つ成功すれば、二つ、三つと、リングを増設することも可能であり、惑星表面積の九十七パーセントを海洋で覆われたアステリアにも「百万人が暮らす自治市」を構築することができる。
 アルは思わず立ち上がり、MIGの技術開発部長に電話をかけようとした。
 だが、ちょっと待て。
 これは不正に知り得たアイデアではないか――。

*

「じゃあ、俺もあんたに一つ質問していいかい?」
と切り返した。
「どうぞ。何でも聞くよ」
「あんた、今までに何人死なせた?」 
「どういう意味だね」
「アステリアの海洋開発だ。この三十年の間にも、たくさん死んでるはずだ」
 アルはしばし詰まったが、「八名だ」と正直に答えた。
「MIGが関わった工事では八名と記憶している。アステリア全体を含めれば、数倍になるだろう」
「そうだろうね。あんたに駆り出された労働者の多くは『海での作業は初めて』という素人のはずだ。まさかステラマリスから熟練工を何万人も連れて来るわけにいかないからな。もちろん、アステリアにもステラマリスで研鑽を積んだエキスパートが少なからず居るだろうが、大半はネンブロットやトリヴィアの職業斡旋所をうろついているような一時雇いの労働者のはずだ。あんた達はそういうズブの素人を掻き集めては、ろくに訓練も受けさせず、港湾土木や潜水作業、海上施設で組み立て作業などをさせてきた。そこでの事故が記録に残らないのは、作業員名簿にも載らないような臨時雇いの労働者が相手だからだ。死のうが、傷つこうが、数には入れないってことさ。図星だろ?」
「亡くなった者には申し訳なく思っている」
「その割にはアステリアの海洋基本法の安全要綱がまったく改訂されていないのはどういうわけだ? あんたからオファーがあった日、俺もあんたの会社とアステリアについて調べさせてもらったよ。区政センターの公式サイトで公開されている資料を見たら、安全要綱が改訂されたのは七年前だ。つい先日も護岸工事中に鉄骨の枠組みが倒壊し、作業員二名が海に投げ出されて、一名が負傷する事故があったばかりだ。安全ロープも付けず落水するなんて、監督が行き届いてない証だろう。作業枠の組み方にも問題があったんじゃないか。その二年前も荒天で曳航ロープが切断し、台船が転覆する事故が起きている。その前は、夜間の小型作業船の転覆事故。その前は、潜水訓練中に訓練生と救助に向かった指導員が共に死亡。この七年間にもいろんな事故があっただろうに、それらを条例や安全要項に繁栄させようという姿勢がない。もし行政や現場管理者に自覚があるなら、その都度、内容を見直して明文化するはずだし、管理者が怠っているなら、企業の長であるあんたが指導して然るべきだ。何も知らずに海に出れば、誰だって不安になる。だからこそ、細かい事でも明文化して、人にやり方を指し示す必要がある。それに一般投稿の写真やビデオも見たが、ライフジャケットも付けずに水上バイクに乗ったり、小型船舶で沖合に出たり、工事中の橋梁に侵入して自撮りしたり、まるで無法地帯だ。あんたはくだらないと思うかもしれないが、こういう小さな気の緩みが死亡事故に繋がるんだよ」
 彼はぐいと身を乗り出すと、
「海に落ちたら、ほぼ間違いなく死ぬ。あんた、知ってたか?」

*

「だいたい俺はアステリアの海底を掘り返そうという考え自体が気にくわないんだ」
「なぜ? 未曾有の鉱物資源だぞ?」
「それは企業家にとってだろう。海の生き物は違う」
「アステリアの海に生物は無い」
「あるさ。ここに証明されてるじゃないか」
 彼はどこかでプリントアウトした資料を荒っぽく繰ると、赤線を引いたページを示し、
「ローレンシア海域でも、赤道直下でも、数種類のプランクトンが発見されている。全海域をくまなく調査すれば、もっとたくさんの生物が見つかるはずだ。それを無視するなんて、おかしいじゃないか」
「たかが微生物だぞ。こういう事はどこの惑星開発でもつきものだし、ステラマリスも同様だ。生態も分からぬ微生物までいちいち保護の対象にしていたら、開発事業などとても成り立たない。保護すべき生物が発見されたら、その時点で対策を考える。それより。我々が今為さねばならないのは、我々自身の世界をいかに構築するかだ」
「あんたら企業家は『たかが微生物』と言うが、人間だって『たかが微生物』から進化したんだ。海の中で、何億年という時間をかけて。アステリアの海も生きている。ステラマリスの海と同じように生きているんだ。その生命の萌芽を、自分の事業の為に摘み取ってしまうつもりか?  あんたに『我々の世界』があるように、アステリアの微生物にも『我々の世界』がある。もっとも、あんたみたいに海の本当の価値を理解しない企業家に、踏みにじられる生命の痛みなど分かりやしないだろうがな」
「ヴァルター。わしは慈善事業家ではない。今、お前と環境問題を論じている場合ではないのだ。確かに微生物にも価値はあろう。だが、わしには自分の事業に連なる何千、何万という人間を養う義務がある。それは海のプランクトンを飼育するより、はるかに重大な責務だ。アステリアの海には未曾有の鉱物資源が眠っている。海のニムロディウムの採鉱に成功すれば、大企業の寡占も緩み、地下数百メートルの過酷な環境で、重さ数十キロのドリルを抱えてニムロイド鉱石を採掘している人々も、過酷な労働から解放されるだろう。今は目に見えないが、アステリアの海には計り知れない社会的価値がある。それでもまだ数種類のプランクトンの為に海底鉱物資源の採掘を中止しろと言うのかね」
「だったら、あんたが見殺しにした微生物は口を揃えてこう言うだろう。『今は目に見えないが、アステリアには十億年の生物学的価値がある』。生命の進化は文明の進歩より緩慢だ。だが確実に変化している。人間が介在しなければ、アステリアも何十億年という歳月をかけて独自の進化を遂げるだろう。あんたら企業家は、実利に結びつかないものは何でも『無駄』『無益』と切り捨てるが、アステリアの本当の価値が分かるのは、あんたの会社が潰れて、人類が滅び去ったその後だ」
 彼がしたり顔で言い切ると、アルは初めて作戦タイムを取った。
 次から次に屁理屈ばかり並べて、どこまで意固地な奴なのか。
 お前の青臭い哲学などたかが知れとるわ、と頭上から一喝してやりたい気もするが、相手は息子ほどの若造だ。子供相手にムキになるのも大人げない。
 アルはすっかり冷めた紅茶を飲み干すと、
「なるほど。君が非常に優秀で、見識の高い人間だということはよく解った。わしが君の直属の上司なら、一も二もなく、年を食っただけのパイロットの方を切っただろう。まあ、君とわしとどちらが正しいかは十億年後に判る話だ。それまでお互い長生きすればいいが。とりあえず、コンサルト料は支払うとしよう。小切手で十万エルクだ。どこの銀行でも換金してくれる。うちに来てくれたら、この倍額は保障するが、その気がないなら残念だ。誰か他を当たるとしよう」
 アルは背広のポケットから小切手のシートを取り出すと、万年筆で約束の金額を書き込み、テーブルの上に置いた。
 彼はしばらくそっぽを向いていたが、ちらとテーブルを見やると、十万エルクの小切手におずおずと手を伸ばした。
 その刹那、アルは小切手を掴み取り、
「お前も犬と一緒だな。たいした信念もないくせに、屁理屈だけは超一流、頭を撫でられ、餌を与えられたら、尻尾フリフリ付いてくる。お前も本音は海に還りたい、でも新しい海で役立たずの烙印を押されるのが怖い、それでこの先もトレーラー暮らしか。随分くだらんプライドだな」
 にわかに彼の顔付きが変わった。
「いったいお前は何の為に海洋学を学び、特殊な技能を身につけたんだ? その場その場で命じられたことをやるだけの飼い犬根性が君の正体か。たった一度の失敗で逃げ出すぐらいなら、最初から再建コンペなど身の程知らずな真似をしなければよかったんだ。今も未練たらしく『水を治めるアーカイブ』など公開して、誰にも必要とされないアイデアにしがみついている。わしならお前が一番やりたいことを明日にも形にしてやるぞ、カネと人を集めてな」
 わざと挑発するように言うと、彼は思わず腰を浮かし、
「あんたに何が分かる? 一方的に踏みつけられる悔しさを一度でも舐めたことがあるのか? 俺にはカネもコネも何もない。ただ自分という人間があるだけだ。それでも必死に積み上げてきた。あんたみたいに、金も力も手にした人間から見れば、俺など惨めな負け犬にしか見えないだろう。それでも一つだけ世界に誇れるものがある。それが『水を治める技術のアーカイブ』だ。あの中には洪水で家も家族も無くして、今も苦しんでいる人々の願いがいっぱいに詰まってる。大勢が故郷再建の望みを託して、無償で知識やアイデアを提供してくれた。たとえ俺が屑みたいな人間でも、その価値は変わらない。あんたは『水を治める技術のアーカイブは幾らで売ってくれる』と訊いたが、たとえ明日飢え死にしても、俺は絶対に売らない。百億積まれてもお断りだ。あんたみたいに、生まれながらに何でも持ってる人間に、俺の悔しさや住民の苦難など絶対に分からない」
「わしが生まれながらに何でも持っているだと? では、アステリアに来るといい。札束だけで船が作れるか。鋼材さえあれば、採鉱プラットフォームが建設できるのか。カネと権力さえあれば何でも出来ると思い込んでいるなら、それこそ世間知らずのお坊ちゃんだ。今お前がわしと同じ地位と資本を手にしたところで、人ひとり動かせまい。お前が本気でアイデアを形にしたいと願うなら、どんな事をしてもやり遂げようとするはずだ。百億の資本が無くとも、砂浜に一本の杭を打つところから始めるだろう。だが、お前は逃げ出した。もっと粘れば何とかなったものを、自棄糞で宇宙船に飛び乗って、挙げ句の果てが不法滞在で逮捕だ。それでもまだ意固地になって、母親に助けも求めず、荒野で野垂れ死ぬのが格好いいと思ってる。だが、そんなものは心の強さでも何でもない。負け犬が最後の痩せ我慢でワンワン吠えているだけの話だ。だから、わしがお前のアイデアを買おうと言ってる。わしならお前の胸の底に沈んだアイデアを社会に活かすことができる。『水を治める技術のアーカイブ』も、きっとアステリアの役に立つだろう。お前みたいな腰抜けが後生大事に持っていても、一銭の価値にもなりはしない」
 彼は唇を噛んで横を向き、目には悔し涙が浮かんでいる。
 そりゃ、そうだ――とアルは思う。
 人間、真摯なほど悔しいものだ。こんな時に乙に澄ましたり、笑いで誤魔化すような人間をアルは決して信用しない。
「お前は十万で飼うには惜しい男だ。もっといろいろ話してみたい気もする。海が好きなんだろう? だったら、もう一度、生き直すつもりで、その希有な技能をアステリアで活かしてみないか? 意地を張ってこんなトレーラーで暮らしても、何の得にもなりはしまい。わしがこうしてお前の目の前に現れたのも、いまだに海と臍の緒で繋がれている証だと思わんか? お前の負い目は海でしか返せない。それが運命だ。歴史に名を残したくないか、ヴァルター?」


Product Notes

『海底鉱物資源の採掘』は、20世紀半ば、発見当初から、何度も繰り返しクローズアップされてきました。しかし、商業的に価値のある部分だけ効率的に海上に引き上げるのは至難の業です。地上の鉱山業のように、メガ重機でがんがん露天掘りするわけにもいきません。

参考文献リストにも書いていますが、作中に登場する採鉱システムは実際に企画実験中の『Nautilus Minerals』を参考にしています。
『Offshore Production System Definition and Cost Study』NAUTILUS Minerals
Document No: SL01-NSG-XSR-RPT-7105-001
『Seafloor mining robots and equipment nearing completion to mine for gold, silver and copper』
http://www.nextbigfuture.com./2013/10/seafloor-mining-robots-and-equipment.html

海底鉱物資源の採鉱システムのイメージはこんな感じ。 簡単そうに見えますが、技術的にどれぐらい難しいかは、海洋科学や海洋工学関連の文献を読むと、容易に想像がつきます。

ちなみに水深数千メートルはこういう規模です。
深海 水深 地形

実際、海底鉱物資源の採掘が海洋環境の破壊であるとする主張はあります。

洋上プラットフォームからの重油や産業廃棄物の流失
タンカーや石油リグでも問題になっています。

鯨やイルカなど、海洋生物への騒音被害
海の中では音波は遠くまで伝わりますから、イルカのように超音波でコミュニケーションをとっている生物への被害が懸念されます。

破砕機や集鉱機が海洋性植物までカットしてしまう
海底の重機には植物と鉱物を選別する機能はありませんから、貴重な海洋性植物の群生を破壊する可能性は高いです。

地学的にもユニークな熱水噴出孔を破壊する
たとえ活動を終えたデッドチムニーでも、地学的にはもちろん、生物学的にも貴重な存在であることに代わりありません。海底鉱物資源の採掘は、これらを根こそぎ破壊しますので、様々な悪影響が予想されます。

ミクロの生命圏を脅かす
目に見えなくても、海底には様々な生命が存在します。たとえ微生物でも、海洋システムの一端を担う貴重な存在です。未だ解明されていない部分も多いので、たとえ水深数百メートル、数千メートルの海底であっても、これらの生命圏が破壊された時の影響が皆無とはいえません。

作中では「ヘリクツばかり並べおって」と苦言を呈していますが、ヴァルターの主張も決して誤りではないのです。

海底鉱物資源

      B! 

Kindle Store

Amazon Kindleストアにて販売中。