曙光 Morgenrood

第4章 ウェストフィリア

-調査のオファー-

潜航開始 パイロットの矜持とメテオラ海丘

Introduction

『One Heart, One Ocean』の標語のもと、いっそう社会に、身の回りの人に心を尽くそうという時、リズの又従妹で、ファルコン・マイニング・リサーチ社に身を置くオリアナがウェストフィリア開発公社の名代としてアステリア・エンタープライズ社に訪れ、ヴァルターに深海調査の協力を求める。最初は反発するが、ウェストフィリア探鉱が一方で社会の活性化に繋がること、また潜水艇の新人パイロットが置かれた厳しい状況を知り、渋々ながら調査を引き受ける。その見返りに、潜水艇からの実況を要求するが、オリアナは知らぬ存ぜぬで無視を続ける。
そんな彼の苦労を知り、アル・マクダエルの娘として関係者に精力的に働きかけるリズ。彼女の気遣いを見るうち、自分に足りなかったものは何か、そして『運命』とは何か、思い巡らせる。


Quote

 ミーティングルームはトップレベルの船橋甲板の中程に位置し、船尾の第一研究室と可動式のパーティションで仕切られている。  最初に、船長、甲板部、機関部の責任者と、オーシャンリサーチ社の代表が挨拶し、全行程のスケジュール確認と各部署の業務説明、船内生活や安全に関する二、三の注意を与えると、甲板部と機関部のスタッフはそれぞれの持ち場に戻った。
 その後、オーシャンリサーチ社の研究員とカーネリアンⅡ号の調査オペレーションが改めて集合し、海洋調査に関する詳細な打ち合わせを行う。
 長方形のカンファレンステーブルにはタッチパネル式の大型ディスプレイが埋め込まれ、どの位置からもデータや画像を閲覧することができる。彼はプロテウスの運航スタッフの隣で、今回の調査対象域であるマーテル沖の海底地形図や音響分析データに見入った。
 ウェストフィリアも、ブルーディアナイトの悲話や政治的な思惑を抜きにすれば、非常に興味深い調査対象ではある。
 島の南方には大小五六個の無人島を含む海底山脈が一直線に連なり、本島のマーテル山脈も含めれば全長三〇〇〇キロメートルにも及ぶ造山帯を形成している。
 火山活動も活発で、上空写真でも、あちこちの火山から勢いよく噴煙が上がっている様子がはっきりと見て取れる。
 噴火を繰り返しているのは海底山脈も同様で、この週明けにも島の南端から三〇〇キロメートル離れた沖合で火山性の噴出物が原因と思われる海面の黄土色の濁りが確認されたばかりだ。
 また、島の北方、東側には、広大な東大洋底プレートと、北半球から広がる北海プレートが接する境界があり、ここに形成されているのが北冠状造山帯だ。北海プレートの縁に形成された造山帯は全長二〇〇〇キロメートルにも及び、平均水深四〇〇〇メートルの海溝を伴っている。この海溝に沿って何百もの海山が数珠つなぎに形成され、その幾つかは岩石島のように海上に突出しているが、大部分は水深数千メートルに存在し、全容はほとんど判っていない。
 ウェストフィリア島は、この二つの長大な活動帯がト型に接する場所に位置することから、アステリアの中でも特に地殻運動が激しい。噴火、地震、ガスや熱水の噴出など、絶え間なくイベントが繰り返され、現在確認されている火山の数だけでも一〇〇以上にのぼる。
 それだけに科学的には非常に興味深く、惑星のダイナミズムを直に感じ取れる場所だ。詳しく調べれば、ステラマリスからは想像もつかないような自然現象が数多く存在するにちがいない。
 彼はしばしパイロットの気持ちに戻り、モニターいっぱいに映し出された三次元海底地形図や、無人探査機によって撮影された画像やビデオ、サンプリングや音響分析のデータなどに見入った。
 彼の斜め向かいにはオリアナが立ち、随時、メモを取りながら、熱心に説明に耳を傾けている。大学の惑星資源学科で地質学や岩石鉱物学、惑星物理学などを修得しているだけあって、研究員の話も正確に理解できるようだ。
 その姿だけ見れば、リズと同じ血筋を感じるが、油断ならない雰囲気はまるで黒鳥(オディール)かオルトルートだ。同じ船に乗り、同じ方角に向かっていても、何を考えているのかさっぱり読み取れない。突然、マレフィセントみたいに現れて、善良な科学者諸氏を何処へ連れて行こうというのか。
 今回、有人潜水調査の対象となるのは、マーテル海岸の東沖一四〇キロメートルに位置する『メテオラ海丘』だ。水深三〇〇〇メートルの海底面から盛り上がる「深海の丘」は、最大幅八キロメートル、最長二十六キロメートル、標高八〇〇メートルのなだらかな海底火山である。ウェストフィリア島が存在するウェストフィリア・プレートの東端に位置し、その先には東大洋底プレートと、北冠状造山帯が存在する北海プレートの境界がある。いわば三つのプレートがト型に交叉する場所に形成された海底火山で、幅七四キロメートルのダイヤ型の海底盆地にぽつんとそびえ立っている。複数方向から力が働くせいか、きれいな山形ではなく、粘土を左右に引き延ばしたような歪な形状をしており、頂上にはU字型の扁平なカルデラを有している。カルデラ底の大きさは、南北幅三キロメートル、東西幅七キロメートル。カルデラ底の水深は平均二五五〇メートル。カルデラ壁の高さは三〇〇から五〇〇メートル。U字型の開口部の東側には溶岩流が何層にも積み重なり、雪崩のように海丘の麓に続いている。
 またカルデラ内には高さ一五〇メートル、直径四〇〇メートルの中央火口丘がそびえ、東側には大小四つの隆起地形(マウンド)(いずれも数十メートルの小さなものだ)、南側には深さ約八〇メートルの二つの大きな凹地があり、いずれも度重なる火山活動で形成されたものだ。
 さらに海丘の周辺には高さ数メートルから数百メートルの大小様々なマウンドが無数に存在し、その幾つかは頂部が凹んで、さながらミニ火山の様相だ。この奇妙なマウンド群は、年明けの精査で詳細な海底地形が明らかにされたばかりで、地質もメカニズムもほとんど解っていない。
 メテオラ海丘が発見されたのは一六四年の事だ。
 当時、ウェストフィリア島の南海岸に白金砂鉱床が発見されたのを皮切りに、山間の熱水鉱床や正マグマ鉱床の可能性が浮かび上がり、鉱物資源への関心がにわかに高まった。だが、ウェストフィリアの南端から東側にかけては地震と噴火の多発地帯であり、もし開発基地を建設するとなれば自然災害の対策は必須だ。その準備として、トリヴィア政府は東海岸を中心とするマッピング・プログラムを実施し、激しい火山活動や地震を引き起こすメカニズムの分析を様々な研究機関に依頼した。
 とりわけ重点が置かれたのがマーテル海岸沖だ。
 マーテル海岸は、ウェストフィリア最大の活火山、マグナマテル火山の裾野に広がる広大な黒色砂浜で、マーテル山脈の水脈を源流とするマーテル河の注ぎ口でもある。また、南北に連なるウェストフィリア造山帯と、東西に延びる北冠状造山帯がト型に交わるエネルギースポットでもあり、マグナマテル火山はその最たるものだ。
 そして、マグナマテル火山の幾つかのスポットでは、火山ガスから晶出されたと思われる硫化ニムロディウムが発見されており、それ以外にも重要な鉱物が存在する可能性が高い。その一部はマーテル川によって海岸まで運ばれていることも考えられ、ニムロディウムの起源を探る上でも重要な調査ポイントだった。
 これらの集中的なマッピング・プログラムにより、ウェストフィリアに活発な地殻活動を引き起こしている三つのプレートの境界や、その境界域に形成された南端の長大な海底山脈や北冠状造山帯の形状が徐々に明らかになり始めた。
 その過程で興味を引いたのがメテオラ海丘だ。
 一六五年五月下旬から六月にかけて、マーテル海岸沖の広域調査を請け負ったコンチネンタル号は、ほどなく奇妙な海山群を発見した。
 それがメテオラ海丘と周辺のマウンドだ。
 南の海底山脈や、北冠状海山列がきれいに一直線に並んでいるのと異なり、ここだけは形も大きさも異なるマウンドが無秩序に散らばっている。コンチネンタル号は奇妙なU字型カルデラに注目し、三度にわたって無人探査機を使ってカルデラ内部を調査した。しかしながら、当時は予算や機材の不足から十分な精査が行われず、おおまかな地形の把握と、海水や沈殿物の部分的な分析のみにとどまっている。
 メテオラ海丘の調査が再開されたのはこの年明けで、ローランド島に新しくオープンした海洋調査会社『SEATECH(シーテツク)』が請け負った。ソナーや無人探査機による調査の結果、カルデラ底の中央、南寄りに見つかった高さ三〇メートルほどのマウンドの周囲で、熱水の噴出を示唆する水温異常や、サイドスキャンソナーの音響イメージで熱水の揺らめくような陰影が認められたからだ。
 活動中の火山では、地中の水がマグマによって温められ、岩の隙間から水蒸気となって噴出したり、温泉として湧き出たり、強酸性の火山湖を形成することがある。こうした熱水は、地中に含まれる様々な物質――硫黄、鉄、銅、亜鉛、金、銀、マグネシウム、ニッケル、マンガンなど――を水中に溶かし込み、地表面に湧き出して冷やされた時に「湯の花」のような沈殿物や金属鉱床を形成することがある。それは海底の火山や熱水噴出域でも同様で、様々な金属成分を溶かし込んだ熱水が地表面に湧き出した時、海水で急激に冷やされ、噴出孔の周囲にマンガン、コバルト、ニッケル、金、銀、銅など重金属硫化物を沈殿させることがある。条件によっては、地上の鉱山に匹敵するほどの巨大な金属鉱床を形成し、これらは一般に「海底熱水鉱床」と知られている。
 一時期、ステラマリスでも三基の海上プラットフォームが稼働し、それなりの成果を上げていたが、領海にまつわる政治的問題や各国ごとの税制、廃棄物による海洋汚染、生物環境の破壊、地元住民や自然保護団体の反発など、技術以外の課題も多く、結局、陸上の鉱山業ほど収益を得られなかったことから、いずれも数年で操業停止に追い込まれている。
 その点、アステリアには領海もなく、複雑な税制もなく、厳重な環境保護法もなく、原生生物も発見されていない。ある意味、技術さえあれば、企業の自在に採鉱活動ができる旨味があり、開発公社が興味を示すのも頷ける話だ。
 だが、開発公社の最大の関心は、やはりニムロディウムだろう。
 マグナマテル火山の噴気孔や温泉の滝でニムロディウムを含む鉱物が生成されているなら、その他の火山でも似たようなものが存在する可能性は高い。あるいはイーサン・リースの言うように、『人間には想像もつかない方法でニムロディウムを凝集する何か』が存在するかだ。
 実際、海水中にニムロディウムが溶け出し、それが積もり積もってティターン海台のクラストを形成していることを考えれば、マグナマテル火山だけが供給源とは考えにくい。
 イーサン・リースやジオ・サイエンス・ソサエティが主張してきたように、元々、惑星内部に存在するニムロディウムが火成活動によって地表に運ばれ、鉱床を形成するならば、マグナマテル火山やウェストフィリアのみならず、アステリアを構成する海洋地殻の至る所にクラストや硫化物鉱床といった濃縮された形で存在するはずだ。あるいは、もっと思いがけない形――地下から噴き出す高温の熱水や地殻の割れ目に貫入したマグマなどの中に濃縮されている可能性もある。
 何にせよ、小天体衝突説を頑なに支持し、その他の学説を黙殺してきたマイニング社とそのお抱え学者らが、自説を撤回してでも海のニムロディウムに興味を示し、探鉱に乗り出したのは、よほど採鉱プラットフォームの成功が衝撃だったと見える。
 いろんな意味で「あれは可能性の象徴」とアル・マクダエルが主張してきた所以だ。技術革新や事業拡張はもちろんのこと、科学をねじ曲げてでも市場を支配してきたマイニング社に対し、これほど痛快なしっぺ返しもない。海台クラストの登場に溜飲を下げたのは学者だけではないだろう。

--中略--

 確かに目の前に表示されているデータを見る限り、カルデラ内の海水中のメタンやヘリウムの濃度以上、音響分析から推測される熱水の立ち上るような「ゆらぎ」と、数カ所での水温上昇、堆積物によって形成されたと思われる地形の盛り上がりや煙突状のもの、無人機のサンプリングから検出された堆積物中の重金属……と、手掛かりは多いが、範囲が広範で、同一のポイントを指し示しているようには思えない。
 いくら『プロテウス』が高性能といっても、深海では人間が歩くほどの速度しか出ないし、視界もわずか一〇メートルだ。一回の潜航時間も四~六時間が限度で、海底を一〇キロも移動できればいい方だろう。
 水深三〇〇〇メートル潜航するのは大きな問題ではないが、こうも漠然とした中で熱水鉱床の手掛かりを見つけろといわれても、真夜中の火山でGPSと懐中電灯だけを便りに温泉を探すようなものである。
 もっとも、事前調査に協力したノボロスキ社のスキルや、オーシャン・リサーチ社のキャリアを考えると、これが「精一杯」とも思えず、何か見切り発車せずにいない事情があったのではないか――。

 

*

 ルノーはそんな彼の横顔を窺いながら、ぽつりと言った。
「君も聞き及んでいるかもしれないが、海洋技術センターのプロテウス、廃船に決まったよ」
「廃船?」
 彼は信じられないような思いで聞き返した。
「そう、廃船だ。本年度のスケジュールを消化したら解体されて、一部は新しい潜水艇に再利用される」
 数年前から噂には聞いていたが、船体自体はまだまだ使用に耐える状態だ。有人潜水調査も徐々に減少していたが、将来的に完全にゼロになるわけではない。廃船になるとしても、もっと先の話か、あるいは部分的なバージョンアップを重ねて、十年後も、二十年後も、存続するものと思っていた。
 それがこんなに早く廃船になるとは、まさに寝耳に水だ。
「それじゃあ、新しい潜水艇を建造するのかい?」
「いや。大深度の有人潜水艇は当分造らないそうだ。少なくとも海洋技術センターでは扱わない。今後は無人探査機が主流になる。今、開発チームが力を入れているのは、水深一万メートルにも耐える自走式探査ロボットだ。二つのサブロボットを従えて、カメラ撮影やサンプリングを行う。宇宙探査機の技術の応用だよ。人間が小さな覗き窓から観察するよりはるかに鮮明で広い視野を確保できるらしい。深海での航行速度もプロテウスの数倍で、小回りも利くそうだ」
「そう……」
「皮肉な話じゃないか。海洋調査は遅々として進まないのに、宇宙探査の方はどんどん技術が進んでいく。百万光年先の惑星より、水深一万メートルの方がうんと遠いんだからな」

*

 翌朝六時に目を覚ますと、相部屋の司厨士は既に朝食の準備に入って船室にはおらず、ヴァルターは一人でベッドから起き出すと、寝ぼけ眼で共用洗面所に行った。
 洗面所では既に数人が歯を磨いたり、髭を剃ったり、運航の準備に慌ただしい。一人が彼に気付いて場所を空けてくれたが、彼はシャワーブースに直行すると、カランを目一杯開いて、頭から熱い湯を浴びた。
 今日の調査対象は、ドームが撮影された北側カルデラ壁の直下だ。水深二五〇〇メートルのカルデラ底と、そこから崖のようにそびえる高さ三〇〇メートルのカルデラ壁を中心に目視する。
 予定潜航時間は六時間、午後四時には浮上して揚収の予定だが、天候が悪化すれば早めに切り上げる。
 潜航に往復一時間かかるとして、実質的に調査できるのは約五時間。
 平均一・五ノットで潜航したとして、一時間に移動できる距離は約二・七キロメートル、単純計算すれば五時間で十三キロメートルは動けるが、始終、一・五ノットのスピードで航行するわけではないし、途中、ビデオ撮影やサンプリングの為に停止もするから、十キロメートルも調査できればいい方だろう。
 彼は海底地形図を脳裏に浮かべ、おおよそのルートを思い描いた。
 まずはカルデラ底に着底し、周囲を観察した後、ドームが発見されたポイントを重点的に潜航。次いでカルデラ壁に沿って徐々に上昇し、階段状になった地形や堆積物などを観察する。三十六年経った今も、同じ場所にドームが存在するとは思えないが、ともかくカルデラ底の礫岩や堆積物など科学的に役立つサンプルは良い状態で持ち帰りたい。

*

「ユーリ?」  彼が声をかけると、男性ははっと顔を上げて、席を立ちかけた。
「いいよ、座って。搭乗まで、まだ半時間ある」
 彼はユーリの隣に腰を下ろすと、「緊張するだろ?」と、以前の自分を重ね見るように言った。ユーリは「ほんの二五〇〇メートルですから」と気丈に答えたが、声が少しうわずっている。 「君らの置かれている状況は、俺の時よりずっと難しい。俺が初めて操縦席に着いた時は、この道二十年のベテラン操縦士長が隣でサポートし、海上では最先端の知識とキャリアを備えたスタッフがナビゲートしてくれた。それこそ大船に乗った気分だった。だが、君の置かれた状況はまったく違う。怖くて当たり前だ」
「しかし、情けないですね」
「そんなことはない。航海士でも、飛行士でも、最初から自信満々で操縦桿を握る人などないよ。それに、ニムロディウム合金の耐圧殻を使った旧式の潜水艇は、珊瑚礁ツアーで使われているメタクリル型の観光潜水艇より、ずっと安全で、頑丈だ。プルザネのプロテウスも建造されてから半世紀以上経つが、事故は一度も起きたことがない。さらに遡れば、Anno(アンノ) Domini(ドミニ)の時代から数千メートル級の有人潜水調査は行われているが、その間も死傷者が出るような事故はいっさい無しだ。それぐらい安全管理が行き届いている。むしろ水上スキーやスクーバダイビングの方が危険なぐらいだよ」
 ユーリは青白い顔を両手で撫でながら、
「僕は元々、操船に興味があって、将来、大きな船の一等航海士にでもなれたらと、ローレル・インスティテュートで船舶工学や航海術を学びました。昨年、たまたまノボロスキ社の求人を見つけて、話だけでも聞いてみようと訪れたら、いきなり潜水艇がどうのこうのと言われて、格納庫に連れて行かれて……。家族や知人に相談したら、特殊技能を身に付けた方が就職にも有利とか何とか言われて、軽い気持ちで講習会に参加したら、そのままパイロットに」
「潜水艇は嫌い?」
「そんなことはないですよ。操船は楽しいです。一般の船と全く違うし、特殊な感じで、ちょっと格好いいかな、って。でも、海の怖さを知れば、嫌なことも考えます。今は二〇〇〇メートルの経験しかないですが、これが四〇〇〇メートルになり、六〇〇〇メートルになり、もっと過酷な現場に赴くようになれば、どうなるんだろうと――。なんで潜るんですかね。無人機でも十分なのに。ノボロスキ社でも、すごい自航能力をもった潜水ロボットを開発中です。七〇〇〇メートルの海底でも魚みたいに自由に行き来できるそうですよ。そんなのが出来たら、もうプロテウスなんて必要ないじゃないですか。こんな危険を冒しても、人が潜水する意義があるんでしょうか?」
「気持ちは分かるよ。潜水艇で五〇〇〇メートルや七〇〇〇メートルの深海に潜って、何が見えるかと言えば、一面の暗闇だ。まるで真っ暗闇の火口を懐中電灯一本でさ迷っているような気分になる。一年に何十回と潜っても、学界があっと驚くような大発見など、一生に一度、あるか、ないかだ。大深度潜水艇といっても、航行速度は人の歩く程度、視界はほんの十メートルで、色彩もない。潜航時間も限られて、数キロも動けたら上等だ。大西洋の隅から隅までくまなく調べようと思ったら、千年かけてもまだ足りない。しかも、海洋底は日に日に移動し、少しずつ形状を変えてゆく。相手は何十億年という尺度の中で生きているんだ、人間の知識や技術が簡単に追いつくわけがない。それでも、人は見たい、知りたいと思う。水中カメラを通してではなく、自分自身の眼で確かめたいと願う。何度も潜っていたら、いつか宇宙を形作るエネルギーを身近に感じるようになるよ」
「ずいぶん深遠な話ですね」
「本当のことさ。このアステリアにも宇宙に通じる場所はたくさんある。水深数千メートルに阻まれて、人間の目には見えないだけだ」
「それを発見すれば、パイロットとしての格も上がりますかね?」
「そうじゃなくて、一生、誇りに思える」
「あなたも誇りに思うことが?」
「曲がりなりにも一所懸命に取り組んでよかったと思ってる」

*

「君はあのドームをどう思う? 地底から水が湧き出して、バクテリアの巣になっているようだが」
とノックスが聞いた。
「あれと似たような熱水噴出孔や冷水湧出帯はステラマリスでもよく目にしました。でも、あれほど毛足の長いものは初めてです」
「確かにな。まるでイソギンチャクかミミズの巣みたいだ。アステリアは今まで一度も宇宙開発法に触れなかったのかい? 俗に言う『宇宙人コード』だ」
 ノックスは宇宙開発法で厳しく定められている『土着生物保護法』のことを口にした。
 今ではステラマリス以外の惑星や衛星でナノスケールの原始生物が見つかることは珍しくない。だからといって、ナノスケールの生命を発見する度に工事をストップしていたら、数兆とも数十兆とも言われる開発費が宙に浮く。ゆえに曖昧な線引きで「保護すべき生物」とそうでない生物種に区分けしている。「保護すべき生物」に指定されたものはラボラトリで厳重に保管され、場合によっては、開発予定区一帯が立ち入り禁止になることもある。
 一方、無視された種はブルドーザーの下敷きだ。それが数十億年かけて独自の進化を遂げる可能性があったとしても、産業活動が優先される。ある意味、「人類の究極のエゴイズム」と言ってもいい。何をもって生命とし、何をもって保護の対象とするか、いまだに万人が納得するような論拠はない。その時々の権威者が科学的判断を下し、その解釈も開発業者の意向で大きく変わる。そして、一方的に線引きされた生命は宇宙の片隅で淘汰され、二度と再び本来の姿に戻ることはない。
「もし、アステリアの熱水噴出孔にも生物圏が見つかったらどうする?」
 ノックスがシニカルに笑った。
「宇宙人コードで全ての産業活動に待ったがかかるな。開発者にとって恐怖の瞬間だ」
 科学の発達に伴い、それまで生命の存続は絶対不可能と考えられてきた、超高温、超高圧、高酸性などの過酷な環境でも生育する細菌や単細胞生物――いわゆる「極限環境微生物」は数多く発見されてきた。深海でも、水深一万メートルの超水圧の海底や、摂氏数百度の熱水噴出孔といった、想像を絶するような環境で、チューブワームや目のないエビなどユニークな生物が独自の進化を遂げている。そして、アステリアの本格的な海洋調査はまだ始まったばかりだ。全海域をくまなく探せば、土着生物に出会うこともあるだろう。その時、開発公社や政府はどのような態度に出るのか。「自然と科学を愛する人にはウェストフィリアも真の姿を見せてくれる」というダナ・マクダエルの言葉が思い出される。

*

 やがてプロテウスは崖錐の上部に到達した。
 垂直に切り立つカルデラ壁の一部が幾度となく崩落し、大量の礫岩が半円錐状に滞積した地形の天辺だ。これが地上のカルデラなら、砂利山のように盛り上がる崖錐を一望できるのだが、深海ではそれらしき斜面の一部がハロゲンライトの下にぼんやり照らし出されるだけだ。それでも深海には何百万年、何千万年、時には何十億年にもわたる地殻活動の歴史が自然のままに残っている。地上の山なら観光道路が敷設されたり、ホテルや展望台が新築されたり、人間の都合のいいように作り替えられていくが、深海は未踏の世界だ。今、目にしている巨大な礫岩も、最後に崩落したのは数年前か、あるいは数万年前か。岩は黙して語らないが、そこには確かに星の生きた軌跡がある。
 ノックスはユーリに指示して扇状に盛り上がった堆積物に接近し、水中カメラの映像や覗き窓の外に見える礫岩の一つ一つに目をこらしながら、地学的に役立ちそうなものを採取するよう依頼した。
「これだけで足りますか? あっちの方にも、形状や色合いの異なる岩石が落ちてますよ。必要ならそこまでアプローチします」
 ユーリも自分の役回りを理解したように応答する。
 そうして一通り崖錐の観察を終えると、ヴァルターはユーリに西に移動するよう指示した。耐圧殻のモニターには、年開けにSEATECHが作成した立体地形図が映し出され、その中にプロテウスの現在位置が赤いマークで表示される。
 とはいえ、厳密な位置関係を示しているわけではなく、自船の位置を知らせるソナーの音波が複雑な地形で二重三重に反響すれば正確に把握できないし、受信側の船舶が波や風で大きく揺れたり、定位置からずれれば、それも計算誤差の原因になる。また、SEATECHの地図も一メートル単位のグリッドで抽出されている為、およその地形しか掴めない。
 深海で自身の位置を見失い、また船上からも追跡できないのが一番プレッシャーだ。浮上できても、支援船に見つけてもらえなければ、迷子のブイみたいに何時間も大洋に漂うことになる。幸い、彼には迷子の経験はないけれど。
 そうして二、三分も経った頃、水中電話のスピーカーから「おい、どっちに行く気だ、進路がほとんど南に向いてるじゃないか。西だろ、西!」とフーリエの声が聞こえてきた。
 ノックスとすっかり話し込んでいたヴァルターは慌てて身体を起こし、ユーリの横に肩を並べて計器を確認した。なるほど、プロテウスは方向感覚を無くしたラジコンみたいに蛇行しながら、カルデラ壁とは反対方向に向かっている。
「初歩的な操舵ミスだよ、おい、大丈夫か?」
 ユーリの顔を覗き込むと、
「少し疲れてきました。自分がどこを航行しているのか、まったく分からなくて……」
 ユーリは目を見開いたまま、ぽかんとした顔で答える。
「みんな、そうだよ。こんな狭い耐圧殻に閉じ込められて、真っ暗な水の中を潜航してたら、まともな方向感覚を無くす。そういう時は、こまめに上に呼びかけて、誘導してもらうんだ。不安なら『不安』と正直に伝える。パニックに陥るより、ずっといい」

*

「あれはガスですか……それとも、他の……」
 ユーリが覗き窓に顔をくっつけるようにして尋ねると、
「このメテオラ海丘が生きている証拠だ」
 ノックスが言った。
「ガスの成分は詳しく調べてみないと分からないが、地底にマグマ溜まりがあって、地層全体が熱せられているんだよ。地上の火山でも、岩の割れ目から水蒸気や硫黄ガスが噴出している箇所があるだろう。海底ではそれが気泡となって現れる。ガスが発生する機序は同じだよ。気泡は採取できるかい?」
「やってみます」
 ユーリがマニピュレーターを操作し、片方に柄の長い取っ手、片方が蓋付きの開口部になった直径十センチほどの透明なガラスの筒を気泡の立っている箇所に近づけた。取っ手を引くと蓋が閉まり、気泡の成分をガラスの筒の中に閉じ込めることができる。だが、泥のように柔らかいシルトの凹みにガラスの筒を突き立てても、気泡が筒の外に漏れて、なかなか上手く採取できない。
「そういう時は、ガラスの筒を突き立てたまま、左右に振って周囲の堆積物を崩すんだ。栓が抜けたみたいに泡が噴き出すことがある」
「左右に……ですか……」
 ユーリはその動作がイメージできないように首を傾げる。
「俺が替わろうか」
 彼はユーリからマニピュレーターのコンソールを受け取ると、水中カメラのモニターを見ながら、ガラス筒を堆積物の中に深く突き立てた。それから棒で砂山を掻き回すような要領で、多少荒っぽくガラスの筒を左右に揺らすと、噴出孔を塞いでいた堆積物が一時的に取り除かれ、ビール栓が抜けたように気泡がボコボコと勢いよく立ち始める。それを素早くガラス筒でキャッチして、十五秒ほど筒を下向きに維持する。気泡が十分に集まったら、それを逃さないよう、下向きの状態でゆっくり堆積物から引き抜き、もう片方のマニピュレーターで速やかに取っ手を引いて、蓋をする。

   

--中略--

   

 ガスの採取が終わると、ユーリもだいぶ慣れてきたのか、ノックスにも積極的に話しかけ、ステラマリスの海底の様子も興味深く聞いている。最初はぎくしゃくしていたが、狭い耐圧殻の中で、何時間も同じ世界を共有するうちに不思議な連帯感が湧くものだ。
 多くの場合、潜航調査は「一回限りのランデブー」。同じ研究者と何度も乗り合わせることは非常に少ない。一度の潜航調査に何万、何十万ユーロと経費のかかるミッションを自分の都合良くチャーターできる研究者など無いからだ。
 それに、せっかく搭乗のチャンスを得ても、海況に恵まれず、潜航自体がキャンセルになることもある。パイロットはともかく、多くの研究者にとっては、生涯のテーマと定める水深数千メートルの海底火山や生物圏を間近で見るチャンスは一生に一度あるか、ないかだ。その万感の思いが強い連帯感を生み出す。長い人生の、ほんの数時間、その場に乗り合わせただけでも、一つ一つのミッションは感慨深い。
 そして今、外惑星で生まれ育った新米パイロットのユーリと、ステラマリスの海で研究を積み重ねてきたノックスの間にも、不思議な連帯感が芽生えている。ノックスのベテランらしいアドバイスに熱心に耳を傾けながら、ユーリもこの仕事を選んでよかったと思い始めているのではないだろうか。
   そして今、外惑星で生まれ育った新米パイロットのユーリと、ステラマリスの海で研究を積み重ねてきたノックスの間にも、不思議な連帯感が芽生えている。ノックスのベテランらしいアドバイスに熱心に耳を傾けながら、ユーリもこの仕事を選んでよかったと思い始めているのではないだろうか。
 そうして調査時間も終わりに近づくと、ユーリは落ち着いた口調で海上のナビゲーションスタッフと連絡を取りながら浮上の準備に入った。
「なんだか、あっという間でしたね」
 搭乗前の不安と打って変わって、名残惜しそうに呟く。
「結局、めぼしいものは何も見つかりませんでしたけど、こんなので良かったのでしょうか」
「どんな調査にも価値があるよ」
 ノックスが答えた。
「あんな気泡一つにしても、メテオラ海丘の全容を解く鍵に違いないし、何年も経ってから『あれは、こういう意味だったのか』と明らかになることもある。どんなデータが決め手となるか、一日を見ただけでは分からない」
「熱水噴出孔や、チムニーや、学術的に興味深いものって、割と簡単に見つかるものですか?」
「それは微妙な質問だな。ヴァルター、君はどう思う?」
 ノックスが彼に質問を振ると、彼はプロテウスのパイロットとして務めた日々を振り返り、
「昔に比べればヒットする確率は高いと思う。事前調査の段階で、かなり正確に場所を絞り込めるようになったからね。それに、この辺りは地殻活動が活発で、噴火や地震も頻発してる。アステリアの全ての海水が干上がれば、あそこにも、ここにも、と、興味深い発見がたくさんあるだろう。だが、ここは海底だ。カルデラの形状を一つ調べるにも調査船を派遣して、大層な装置を幾つも使わねばならん。そして、多くの場合、人間の目で確認できるのは全体のごく一部だ。それがどんな形をして、どんな風に活動しているか、音響や磁気や温度などのデジタルデータを加工した3D画像やグラフで推測するしかない。地上の火山なら十キロ先からでもよく見えるし、無人航空機で写真撮影したり、観測衛星でリアルタイムに噴火の様子を分析したり、肉眼で容易に観察できるけどもね。たとえ、この深海にグランドキャニオンやテーブルマウンテンのような素晴らしい自然の造形があったとしても、人間の目で一望することはできないし、存在にすら気付かないかもしれない」
「そうでしょうねえ」
「先の事前調査でも水温の異常から熱水噴出域が認められているわけだし、ここも全く何も無いわけじゃない。いつかは何か見つかるさ。ここにしか存在しない『何か』がね」

 

Product Notes

海洋調査船って、カッコいいですよね。こちらはフランスの国立海洋開発研究所(IFREMER)の支援船、『Le Pourquoi Pas?』

http://flotte.ifremer.fr/fleet/Presentation-of-the-fleet/Vessels/Deep-sea-vessels/Pourquoi-pas
IFREMER_-_Pourquoi_pas_-

船の内部も、馴れたらオフィスか工場みたい。一度、乗ってみたいですね。

こちらはフランスの国立海洋開発研究所(IFREMER) が所有する潜水艇『Nautile』と支援船の様子です。客船や貨物船と違って、船全体が研究施設付きのオフィスみたい。こういう所で働いてみたいですよね。長時間、洋上に拘束されて大変だとは思いますが

カリフォルニア湾、ペスカデロ海盆の、熱水噴出孔。地上で見たら、もっとカラフルで、壮大だと思います。水中カメラの性能も本当に向上しましたね。

      B! 

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