曙光 Morgenrood

第6章 断崖

-アステリア開発協議会-

今異議を唱えるか、永久に口をつぐむか 苗木の死は森の死

Introduction

アステリアの方向性を大きく左右する再建コンペの受賞者が決定する。予想通り、メイヤーの海上都市『パラディオン』が一位に選出される。流れが一気にパラディオンに向かう中、ヴァルターは表彰式の質疑応答で自身の『リング』をぶつける。
一方、リズは彼に道を開く為、開発協議会に『全体構想』の公募を持ちかける。だがパラディオン推進派の勢力は予想以上に強大だった。リズはヴェルハーレンの協力を得て、政府の主要機関にも陳情書を持って働きかけるが、高官の態度は頑なだ。
全てが八方塞がりに思える中、土地開発部のグレアムが意外なことを口にする。


Quote

 フランシス・メイヤーは、一五二年九月十一日、リゾート王と呼ばれる『メイヤー&パーマー・グループ』の創業者一族に生まれた。親兄弟はリゾートホテルの経営に携わっているが、次男のフランシスは学生時代から才能の片鱗を覗かせ、美術、建築学、コンピュータ支援設計などの英才教育を受けてきた。
 二十一歳の時、海上空港ターミナルビルの国際コンペに入賞して注目を集め、二十四歳の時、『サンシャインコーストの別荘』で建築賞を受賞。
 その後、世界的に有名な建築設計事務所『Kool Architects』にスカウトされ、研鑽を積んでいたが、四十歳で独立すると、デザインのみならず講演や執筆や個展も精力的にこなし、一気に活躍の場を広げた。
 後にヴァルターとコンペで争うことになる『フェールダム臨海都市計画』は、メイヤーが四十五歳の時に構想を手がけ、二年にわたって自治体や地元経済界に売り込みをかけている。
 メイヤーのメイン・オフィスはメルボルン市だが、フランスのモンルージュ市にも合資の形で設計事務所を有し、監修という形で携わっている。
 フェールダム再建コンペの前年にはトリヴィアを訪問し、早くもパラディオンの青写真を描いている点を見ても、同時に幾つものプロジェクトを手掛けるだけの組織力とコネクションがあるようだ。
 しかしながら、メイン・オフィスの内情はあまり好ましいものとはいえない。開業してから六年の間に設計スタッフの半数近くが入れ替わり、「メイヤーの元で研鑽を積む」という雰囲気ではないからだ。
 わけても興味深いのは、将来を嘱望されていた若手が二年目に辞表を出し、十万オーストラリアドルもの退職金を受け取った事実だ。自慢のつもりか、SNSの公開日記にその事実を面白おかしく書き綴り、「心機一転、前から欲しかったセーリングクルーザーを購入」と、ぴかぴかのヨットで船遊びする写真をいくつも掲載している。本人に目立った才能や業績があるわけでもなく、三十一歳の建築士にしては破格の待遇だ。
 その建築士と入れ替わりに入社したのが、同じメルボルン出身のオズワルド・ロッズという青年だ。有名大学の建築科をトップで卒業した俊英で、学生向けのコンペやエキシビションでも素晴らしい評価を得ている。
 メイヤーのオフィスに入って四年目。設計スタッフの中では最年少の二十八歳。仲間内の渾名は「ペット・ラビット(飼いウサギ)」「ピティ・ラビット(あわれなウサギ)」。
 リズは燃えるような眼で壇上のメイヤーを見詰め、「わたしはデザイナーですよ。誰よりも現実を知っているプロデューサーです」という言葉を思い返した。
 彼の設計チームは本当に機能しているのか。
 六年のうちに半数近くが入れ替わった理由は何なのか。 
 有名な設計事務所であれば、幾つもの大きなプロジェクトが同時進行するのは珍しくないし、ルネサンスの工房のように役割を分担し、数名の設計スタッフが細部を仕上げることも普通に行われている。パラディオンも、フェールダム臨海都市も、その他の作品も、基本はメイヤーが手掛け、細部はスタッフに任せてきたのだろう。
 その過程でメイヤーの仕事の進め方に反発し、設計スタッフが次々に辞めたとしても不思議はない。あれだけ個性の強い人なら、何事も一筋縄ではいかないはずだ。
 問題があるとしたら、メイヤー&パーマー・グループを介した裏の繋がりではないか。たとえば、リゾート開発を通じて関わりの深いロイヤルボーデン社や、建築行政を司る政府筋、巨大建設を支える多額の資金と、これを発注する団体もしくは個人……。
 そのからくりを暴くことができたら、メイヤーのみならず、アステリアにまで入り込んでいる黒いコネクションも一網打尽にできるのだが、相手もファルコン・グループに匹敵するほどの資本とコネクションをもつ巨大複合企業だ。一つの悪が露呈しても、そんなものは氷山の一角でしかないだろう。
 だからといって、彼らの思惑通りに運ぶのを黙って見過ごすわけにはいかない。どれほど利口でも、人間のやる事には必ず綻びがあるはずだ。

*

 そんな中、アイデアコンペのプレゼンテーションは粛々と進行する。
 今回は名だたる設計事務所や大企業が多数参加している為、最終審査に残った作品はどれもクオリティが高い。各チームのプレゼンテーションも企業の商品発表会のように洗練され、どれが一位に選ばれても納得だ。
 それでも壇上にフランシス・メイヤーが登場し、プロジェクタスクリーンにパラディオンが映し出されると、ひときわ高い歓声が上がり、彼も目が釘付けになった。
 以前から出回っているPR用画像とは精度も色彩も格段に違う。これが天才による「本気の絵」かと震撼するほどだ。
 ペネロペ湾に浮かぶ直径七キロメートルの海上都市は、円環の外郭と十字型のメインブリッジから成り、さらにL字型のサブブリッジを組み合わせて、美しいシンメトリーを作り出す。
 円環の外郭は電力プラント、倉庫、工場、大型係留所などエネルギー&産業セクションに当て、十字が交わる中央ブロックには行政施設とコントロールセンター、その他のブロックには住居、オフィス、学校、病院など公共施設をバランスよく配し、海上のヴェニスのように小さな橋梁やボートで繋ぐ。また高層ビルは作らず、建物の形状や色彩は全て統一され、精巧な模型を見るようだ。だが、それが決して機械的でなく、柔らかな印象を醸し出しているのは、全体に淡い色使いがなされ、随所にグリーンや噴水などを配して快適性を高めているからだろう。それは継ぎ接ぎに拡張したメアリポートやローレンシア島の旧い住宅地とは大きく異なり、全てが計算され尽くした魔方陣のような美しさであった。
 万雷の拍手の中、メイヤーがプレゼンテーションを終えると、マックスはぐいとブラウンエールを飲み干し、「これで決まりだな」と呟いた。
「いけ好かない野郎だが、誰がどう見てもパラディオンが抜きん出てる」
 だが、エヴァは「そうかしら」と首を傾げる。
「私は二番目に登場した段々畑みたいなデザインがいいと思うわ。シルベリーヒルのすり鉢地形に合わせて、パリの町並みみたいに放射状に街路を整えるの。個々の建物もスペインのアンダルシア村みたいに統一すれば、素晴らしく綺麗よ。自然の地形をそのまま活かすから、お金もかからないし」
「だが、新鮮みがない」
「それならパラディオンも同様よ。完成した当初は真新しくても、すぐに飽きるわよ。シドニーのオペラハウスを間近で見たら、全然大したことないのと同じよ。その点、ボンダイ・ブロンテ・ウォークはただの崖なのに、みんな繰り返し訪れる。何時までも愛されるのは自然な風景だと思うわ」
「自然の崖と建築は違うさ」
「でも、オペラハウスの近所に住みたい人はないでしょう。パラディオンも絵の中にあるから綺麗と思うだけで、実際に住んでみたら大したことないと思うわよ」
「お前はどうあっても奴が嫌いみたいだな」
「嫌いというより相容れないの。メイヤーが建築賞を獲った『ゴールドコーストの別荘』も形状が珍しいだけ、マッチ箱を組み合わせたような段違いの建物なんて、健康な時は楽しいけど、病気になって、年を取れば、たちまち不便な箱物に早変わりするわ。バリアフリーに改装したくても、元々の形状が不規則だから手の打ちようがないし。住人が年を取って、建物が古びたら、ただの悪趣味なコンクリートの塊でしかない」
「お前も手厳しいな」
「私だって住宅設計を手がけているのよ。どこに作り手の心があるかはデザインを見れば分かるわ」

--中略--

「デザインとしては抜きん出てるよ。本当にあの絵の通りに建設されたら、さぞかし綺麗だろうね」
「そうよ、絵として見るだけならね」
エヴァは息巻いた。
「でも、建築は絵じゃない。実際に人が住むのよ。安全性、耐久性、経済性、ありとあらゆる要素を考慮しても、まだ足りないくらい。あなた、本当にあんな橋の上に住みたいと思う? 埠頭の先端みたいに、鉄柵もロープも何も無いのよ? そんな所で子供を遊ばせられる? ボートでブリッジ間を移動というけれど、緊急時はどうするの? 全員が即時に退避できるライフボートも人口分用意するわけ? メイヤーも、それを支持する人たちも、そこまで考えが及んでいるとは思えない。五〇年後、一〇〇年後、ペネロペ湾がどうなろうと知ったことじゃない、ってノリじゃないの。本当にあんなものを建設するなら、山一つ削る羽目になるわよ。下手に削れば地滑りを起こして、とてつもなく危険よ。今のところ誰も強く言及しないけど、ペネロペ湾の海底は大半が粘土と腐食物で覆い尽くされて、ポタージュスープみたいに柔らかいの。その上に構造物を設置するとなれば、たとえ浮体式でも大量の埋め立てが必要だし、埋め立てに使った土砂もそれ自身の重みでどんどん沈下するから、コントロールするのは至難の業。それだけの技術がアステリアやトリヴィアの土木業者にあるのか、まともに巨大海洋構造物も扱ったことがないのに、とても正気の沙汰とは思えないわ」

*

 オリアナは胸を詰まらせた。どれほど待っても、それ以上の答えはない。初めから分かっていた事だが、実際に言葉に聞くと、目の前がくらりとする。
「でも、時々はここに来て構わない?」
「それより仕事を探せよ。何十万と小遣いをもらって楽しいかしれないが、今に暮らしも気持ちも堕落するぞ」
「また説教するのね」
「切実な問題だろう。仕事もせず、社会に参加するわけでもなく、パーティー三昧で一生を終えるつもりか」
「何もしたくないの」
「どうして」
「エリザベスと比べられる」
「またエリザベスか! 周りにどう見られようと、堂々としてればいいじゃないか。君もマイニング・リサーチ社に採用されるほどの能力があるんだ。短所はあっても、心根までは腐ってない。真面目にこつこつ働いておれば、周りも評価してくれるはずだ」
「またそんなお目出度い事を言うのね。あっちはサラブレッドのお姫さま、今は公益財団の代表理事でいらっしゃる。私は所詮、私生児で、それ以上のものでもそれ以下のものでもない。どうあがいても、世間の目は変わらないわ」
「でも、お父さんは有名な投資会社で働いておられるんだろう」
「所詮、雇われ人よ。マクダエルの名前を語ったところで、アルバート大伯父さまみたいに死んでも語り継がれるわけじゃない。皆、札束に頭を下げてるだけ、得体の知れないマンモンに心を許すほど愚かでもないわ」
「だが、世の中には、本当の実力や人間性を認めてくれる人もいる。儲け話やコネで近寄ってくるハイエナみたいな連中とは縁を切り、知性も真心もある人間と付き合えばいい」
「あなたって、いまだに人間を信じてるのね。まるで暢気な田舎者みたい。世間なんて、いい加減なものよ。相手がどれほど立派でも、貧乏人やノンキャリは腹の底で見下して、我こそ一番だと思ってる。あなただって分かっているはずよ。どう逆立ちしてもフランシス・メイヤーには敵わない。百万の正論を並べても、巨大資本にバックアップされた一流建築家に勝てるわけがない。反対派がどれほど異議を唱えようと、パラディオンは建設され、ペネロペ湾は空前の投資ブームに沸くでしょう。そして、一攫千金した後は、フナムシみたいにさっと引いていく。その後、アステリアがどうなろうと知ったことじゃない。私たちが生きているのは、そういう世界よ。諦めるか、流されるか、二つに一つなの」
「だとしても、人間としての誇りはまた別だ。良心に逆らってまで、あっちのルールに迎合しようとは思わない。それに君は『エリザベスみたいに』というけれど、仮に彼女と立場も暮らしも逆転して、全てが手に入ったとして、本当に幸福になれるのか? 彼女の持ち物が本当に人間を幸せにするなら、彼女は今頃、幸福の絶頂で輝いているはずだ。だが、そうじゃない。一時期、満たされたとしても、いずれ心の渇きを覚えるようになる。俺がマルセイユの豪邸で暮らしても、父のない淋しさに耐えられなかったようにね。俺の父はいつも言ってたよ。人間にとって最高の幸福は『これが生だったのか、よし、それならもう一度』と思えることだと。だが、君は否定ばかりだ。自分とまともに向き合おうとせず、エリザベスみたいになれば幸せになれると思い込んでいる。そんな調子で彼女の持ち物を全て手に入れたとしても、今度は別の不満に苦しむさ。あの人の方が綺麗、あの人の方がお金持ち、永遠に心が安らぐことなどない。それより仕事を頑張れよ。もう一度、マイニング・リサーチ社に戻って、資源調査に打ち込んで、『この分野はオリアナが一番だね』と周囲の信用を得る方がどれだけ自分を誇れるかしれない。自分で自分に『よし』と言えるようになれば、彼女がどんな綺麗な服を着ようと、周りにちやほやされようと、気にならなくなる」
「また田舎教師みたいなことを言うのね」
「だが真実だろう。自分がやらないことを言い訳するな。まずは仕事を探せよ。週に一、二度でもいいじゃないか。朝から晩まで自分の事だけ考えて、毎日ぶらぶらしてるから、怒りや妬みで消耗するんだ。曲がりなりにもウェストフィリアで海洋調査に取り組んでいた君の方がまだ生き生きしてた」
「本気で言ってるの?」
「俺は世辞は言わない」

*

 最後にメイヤーの番になると、質問が殺到するかと思われたが、逆に誰ひとり動く気配がない。遠慮しているのか、恥ずかしいのか、客席が水を打ったように静まり返ると、これにはベテラン司会者も慌てた。
「どなたか質問はございませんか? どんな小さな事でも結構です」
 やさしい口調で呼びかけるが、まるで示し合わせたように無反応だ。
 このままでは推進派の思うつぼではないかと、ヴァルターが船の舳先から飛び降りる覚悟で挙手しかけた時、一階客席の後方で誰かが手を挙げた。地味なスーツを着た中年男性だ。
 ホールスタッフがすぐさま駆け寄り、マイクを手渡すと、男性はぎこちなく立ち上がり、
「わたしは最近、ペネロペ湾で海洋土木に携わることになった技師です。浚渫船のオペレーターをしています。ステラマリスでも二十年ほど沿岸の浚渫工事に携わってきました。その上で伺いたいのですが、本当にペネロペ湾にこれほど巨大な浮体構造物を安全かつ恒久的に設置できるものでしょうか。最新の地質や地層データを見る限り、かなりの難工事になることが予想されます……」
 まさにエヴァの指摘通りだ。
 ペネロペ湾は周囲の丘陵地帯から河川によって大量の土砂が運ばれ、柔らかい干潟だった所に海面上昇で海水が流入し、半円形の内海となった。海底には分厚いヘドロが埋まり、直径七キロの浮体構造を設置するだけでも大量の土砂と複雑な工程を必要とする。
 だが、メイヤーはステラマリスでも有名な人工島や海上空港を例に挙げ、パラディオン建設も技術的に決して不可能ではなく、むしろ良質な土砂が採取できる丘陵地帯に囲まれている分、地理的にも有利と断言する。
 すると、男性もそれ以上は追及せず、黙って席に着いたが、まだ納得がゆかぬように顔をしかめている。

*

「他にございませんか?」
 再び男性司会者が客席を見渡すと、今度は初老の男性が立ち上がった。
「前から何度も指摘されていることですが、この巨大な海上都市が一体どんな公益をアステリアにもたらすのですか。数十年後には老朽化し、施設の維持が大きな負担となるのが目に見えています。それよりも、今研究が実を結びつつある海洋化学産業と養殖業にもっと予算を注ぎ込めないものですか。洋上プラントを拡張し、優れた技術者や研究機関を招き、工業原料生産や希少金属の抽出に弾みがつけば、何十年とアステリアのを支える基盤になります。二十年にわたり産業振興に努めてきた我々としては、このような計画に諸手を挙げて賛成とはゆきません。十年、二十年と長期にわたり、あなた自身はどのようなビジョンをお持ちなのか、改めて説明して頂きたい」
 男性が抑えた口調の中にも強い疑念と憤りを表すと、メイヤーもさすがに表情を硬くしたが、細長い足を悠然と組み替えると、
「お気持ちはよく分かります。傍目にはペネロペ湾の開発ばかりが優遇され、旧来の企業や社会には何の支援も得られないように感じるでしょう。ですが、それは大きな誤解です。産業省や経済研究機構が何度も説明しているように、ペネロペ湾の開発は多くの投資を呼び込み、経済を活性化させ、その利益は社会の隅々まで行き渡ります。パラディオンが『数十年後に無用の長物』になるというのも虚聞です。事実、ステラマリスに現存する海上空港や人工島は一世紀以上に渡り機能している。本当に海洋構造物が数十年で無用の長物と化すなら、現存する海上施設は半世紀以上前にスクラップになっているはずです。だが、そんな話は見た事も聞いた事もない。どうか虚聞に惑わされ、偏見の目で見るのは止めて下さい。建設の是非を判断するのは分析結果が出てからでも遅くないでしょう。まだ詳細な地質調査も始まっていないのですよ」
 メイヤーが堂々と反論すると、初老の男性も憤懣やるかたないように席に着いた。確かに実作を前提とした基礎調査がほとんど行われていない段階で、技術的な是非を問うても堂堂回りだろう。ステラマリスの人工島や海洋上空港が何十年と機能しているのもまた事実である。実例を挙げれば、メイヤーの方が圧倒的に弁が立つ。
「他にありませんか?」
 男性司会者が再び会場を見回し、他に動きがないのを見て取ると、他の進行係と目を見交わし、これで質疑を打ち切ろうとした。
 その時、彼が挙手し、「それは本当に社会の土台となるのですか」と質問を投げかけた。
 メイヤーが憮然と見返すと、彼はその場に立ち上がり、ホールスタッフからマイクを受け取った。
「ペネロペ湾の海底の地質は非常に柔らかく、コントロールの難しい泥土だと聞いています。構造物の沈下を防ぐ対策費だけでも莫大なものでしょう。それも実際にどのような現象が起こるか、数年先の予測もつかないのに、不安を虚聞と片付けるのですか」
「君に海洋土木が解るのかね」
「専門家ではありませんが、基本は理解できます」
「ならば専門家に任せたまえ。無知な素人が先入観だけで疑問を呈しても、何の解決にもならない」
「では、素人でも納得がゆくように説明して下さい。住民の大半は建築のことなど何も分からない素人です。みなが不安に感じるのは、技術うんぬんの問題ではない、ただでさえ規模の小さなこの島に総工費二〇兆エルクもの巨大構造物を建設して、経済的にも技術的にも何十年と持ちこたえるのかと心底懸念するからです」
「一部の不安にいちいち頷いていては何の進展も望めないよ。それに行政的な問題はわたしの管轄ではない。そうした問題は区政にぶつけるのが筋だろう」
「では、一体、誰の為です? 全区民が納得のいく形で未来の道筋を決めるのがコンペの目的でしょう。身内で解り合えればいいというなら、一般参加のコンペなど必要ありません。それとも一般には理解できない知識や用語を交え、疑問をけむに巻くのがあなたのやり方ですか」
 会場が騒然とし、ホールスタッフが彼を制したが、彼は「もう少しだけ発言させてて下さい」と振り切った。
「ローランド島の水上ハウスに暮らす一区民として率直な意見を申し上げます。ローランド島のサマーヴィルには三千人が暮らしていますが、安価な集合住宅に入りきれなかった人たちがムーバブルハウスを改造し、浅瀬に固定して、水上コロニーを形成しています。しかし、水上ハウスの安全性は確立されておらず、行政が検査に立ち入ることもありません。また、水上ハウスの建築基準もトリヴィアのものに準拠し、アステリアの海洋環境に則していません。こうした身近な問題は水上コロニーに限った話でなく、メアリポートの旧港や、開発初期に建てられた二十年前の公団なども同様です。それらを後手に回しても、数兆を投じて富裕層向けの観光施設や住居や隔絶された産業エリアを構築する必要があるのかと疑問を呈さずにいないのです」
「それはわたしの管轄外だ。そういうことは区政に申し立てたらどうかね」
「なぜ? あなたはパラディオンを通じて、アステリアの未来をデザインしたのでしょう。そこには当然、水上ハウスの住民や、旧来の企業や、今技術研究に取り組んでいる人達の気持ちも考慮されているはずです。大事な問題です。今、ここで答えて下さい。あなたは全体の発展を見据えてデザインしたんですね?」
「君はデザインというものを勘違いしている。ペネロペ湾のコンペはアステリアが内包する全ての問題を解決する為のものではない。デザインにそこまで要求されては、とてもじゃないが建築の仕事など成り立たない。同情すべき点は多いが、パラディオンの主眼はペネロペ湾の開発と、これを呼び水とした経済の活性化にある。それは必ずしも大勢が思い描く形でないかもしれないが、いずれその恩恵は全体に行き渡るのではないかな」
「俺が言ってるのは経済うんぬんではなく、庶民の暮らしです」
「経済こそ暮らしの基盤だよ」
「いいえ。最初に土地ありきです。社会の基盤となるのは安全な土地です。その基盤なくして、どんな発展が望めるのです? パラディオンが建設されても、あなたは日常的にそこに住むわけではない。仕事が一段落すれば、ステラマリスの自宅に帰り、アステリアの事など気にも留めないはずだ。だが、パラディオンも建設された後も、何年、何十年に渡ってこの地に暮らすのは我々です。一時期、巨額の投資を呼び込み、豪奢な建物が建ち並んだからと行って、それが万民にとってどんな助けになるのです? ここはステラマリスとは違う。数世紀にわたって国づくりがなされ、その延長に人工島や海上空港が建設された事例とは本質的に異なります。今、アステリアに必要なのは、万民に共通する展望と、人々が安心して暮らせる用地の確保です。将来どこまで沈下するか分からない、また施設の維持費に莫大なコストがかかる海上都市では断じてない。それだけのリスクを冒すなら、確実に成果に結びつく港湾の修理や、技術者の育成や、芽が出かけている産業開発の支援を優先して欲しいと多くの人が願っているのです」
「既存社会が口を差し挟むのは、自分たちが独占してきた市場を新参者に切り崩されたくないからだよ。そもそも民間主導で開発を進めてきたのが間違いだったんじゃないかね。行政の監督が行き届かないのをいいことに、一部の企業家が甘い汁を吸い続けた」
 メイヤーがアル・マクダエルとその周辺に当てこするように言うと、
「初期のアステリア開発は『私業』だと仰るなら、利用者は代金くらい支払うべきですね」
 彼は鋭く切り返した。
「だが、私企業によって建造された海洋調査船も、潜水艇も、道路も、係留施設も、その利用にあたってトリヴィア政府は一銭も支払っていません。ローレンシア島の病院や学校も大半が有志の基金を元に作られています。その経緯は無視ですか」
「それとペネロペ湾の開発は無関係だろう」
「そうでしょうか。三十年前、あまたの企業が自腹を切って社会基盤を築けばこそ、今、あなた方もローランド島に小洒落たホテルを建て、ボート遊びに興じる余裕もあるのでしょう。十数年前までローランド島は係留施設もない裸島だった。その可能性を信じ、政府を説き伏せ、ポートプレミエルの開港に漕ぎ着けたのは、いったい誰のおかげです? 半官半民のJP SODAが成功したのも、メアリポートの港湾を支える人手があったからでしょう。そして今、前時代から活躍してきた既存企業が技術者の高齢化や後継者不足、設備の老朽化や競争激化に直面し、息切れし始めている時に、あなた方はパラディオンに数十兆エルクを投入しようという。パラディオンが一時期、経済の起爆剤になる意義は否定しません。だけども、それと同時に、アステリアの人々は信頼できる未来のビジョンを求めています。この道を進めば、皆がより豊かに、より幸せになれるという確信が欲しいのです。パラディオンにはそれが見えないから、皆が不安になるのです」
 会場の一部から同調の声が上がると、メイヤーはむうっと口を尖らせ、威嚇するように彼を見下ろした。
「では、君にアイデアがあるのかね。そうまで言うなら、パラディオンに匹敵するような立派なビジョンを提示してもらいたいものだ」
 一瞬、彼は立ちすくんだが、「アイデアなら有ります」と振り絞るように答えた。

*

      

 そのうち協議員の一人が表彰式の質疑応答について言及し、
「そういえば、一人、メイヤー氏に食い下がっている者がおりましたな」
とヴァルターのことを口にした。 
 リズはどきりと聞き耳を立てた。
 すると別の協議員が「被害妄想だよ。メイヤー氏のせいで自分が嵌められたと思い込んでいる。前から因縁をつけている偏執狂という話だ」
と鼻先で笑った。
「だが、干拓がどうとか言ってましたな」
 さっきから退屈そうにやり取りを聞いていた白髪の協議員がぽつりと呟いた。確か経済特区管理委員の一人だ。区政センターの懇親会に出席した時、挨拶を交わした記憶がある。
 白髪の委員は手元の資料を読み返しながら、
「今、区の土地開発部でも干拓の可能性を探っているらしい。ローレンシア島やローランド島の内海を堤防で仕切って、農地を創出するそうだ。それもなかなか、いいアイデアじゃないですか」
「それはそれ、これはこれですよ、ミムラさん」
 先ほどの協議員が苦笑した。
「今、我々が議論しているのはパラディオン建設の是非で、干拓じゃない。それは区の管理委員会で話し合って下さい」
「何が可笑しいんだ。この協議会はアステリアの将来について話し合う場だろう。パラディオン以外にも可能性があれば討議すべきじゃないか」
 ミムラ管理委員が打って変わって強い口調で返すと、
「ですから、それは火急のテーマではなく、あくまで二の手、三の手です。まずはパラディオンの是非について決議しませんと」
 別の協議員が釘を刺すように言った。
「では、仮にパラディオンが否決されたらどうするんだ」
「否決ですって?」
「そうとも。総工費二十兆といわれる巨大建設だ、テーマパークと同じように考えてもらっては困る。大体、あんなものを誘致したのはどこのどいつだ。ただの宣伝かと思えば、本気で建設するとは」
 ミムラ管理委員が鼻の穴を膨らませると、それまで発言を控えていた細顔の男性も、
「コンペには優勝しましたが、あれは実作を前提とした競技ではないですよね。アイデアコンペということは、その名の通り『アイデア』であって、建設を確約するものではないはずです。ならば、今ここで話し合うべきは、パラディオン以外のアイデアも視野に入れた様々な可能姓ではないですか」
と初めて異議を唱えた。
「だから、それを決めるためにコンペを実施したんじゃないか。何をトンチンカンな事を言っている」
「選択肢はペネロペ湾に限ったことではないだろう。なぜ『アステリア開発』=(イコール)『パラディオン』になるのか、それが不自然だと言ってるのだ」
「話を蒸し返さないで下さい。この件については、何度も何度もコンペ実施前から話し合ったはずです。コンペの上位作品は実作の可能性も含むと」
「だが、実際問題、あれが最高と言えるのかね」

*

「では、どうあってもアステリアを分断し、新しい経済特区を創設するのですか」
 リズが強い口調で返すと、高官は困惑の表情を浮かべた。
「第二の経済特区がそれほど問題ですか? ネンブロットも幾つもの区に分かれ、地域の特色に見合った優遇制度を導入して成功しています。アステリアでも将来性や経済力に応じた柔軟な政策を施すというだけで、税制からペット条例まで何もかも差を付けようという話ではないのですよ」
「ですが、ネンブロットとアステリアでは人口も経済基盤も桁違いです。あんな小さな島社会に二通りのルールを持ち込み、後から来たほど有利になるような優遇策を施して、良い方向に向かうとは思いません」
「どのように?」
「たとえば海洋観測です。島の周辺だけデータを集めればいいというものではありません。本当にアステリアの海を理解するなら、全海洋をカヴァーするリアルタイム観測システムが必要です。なのに、この海域はうちの領分、ここから先はあちらの領分と互いに競り合うようでは前に進むものも進まなくなります」
「どのみち、今すぐそんなものを構築するのは至難の業ですよ。それでなくても、あれを設置しろ、これも改修しろと、各方面から要望が目白押しなのに」
「ですから、区全体をあげて……」
「我々も一部の利害で物事を決めているわけではありません。総合的に鑑みて、それが大多数の益になると判断すればこそです。あまり感情的にならず、第二の経済特区を新設するメリットにも目を向けてはいかがです? どうも貴女は父親思いが高じて、一派に偏り過ぎだと、もっぱらの噂ですよ」
「偏り過ぎというなら、ろくに現場の意見も聞かず、強引に話を推し進めている臨海開発機構も似たようなものだと思いますが」
 ヴェルハーレンが間に入った。
「そもそも島の総人口が十万人に達し、そのうち七割が永住者、もしくはトリヴィアに市民権を持つ定住者で占められる町に、独自の選挙制もなく、全体の意見を問う機会もなく、一から十まで上からの通達で取り決められる事自体が問題ではないですか。人口一万人のトリヴィアのサテライト・シティにさえ、市議の選挙制がありますよ」
「サテライト・シティと経済特区は行政区分が異なります。それに、アステリアは未だ開発途中にあり、同等とみなすわけにはゆきません」
「人口が一〇倍で、経済規模ではサテライト・シティをはるかに上回るエリアでも開発途中というのですか。メアリポートの現状をご覧なさい。産業省の提示する年度予算や事業計画に項目が無いというだけで港の改修案に着手することさえ出来ない。地元には何十年と操業している土木や造船の専門会社が幾つも存在するにもかかわらずです。これらが倒れたら、他も連鎖して窮地に追い込まれるでしょう。JP SODAだけで港が持っているわけじゃなし、それらを差し置いて、ペネロペ湾に総工費二十兆の海上リゾートを建設するというから大勢が反発するのです。そして、これは一例に過ぎません。技術者を招聘したくても、その家族を住まわせる安価な住居が無い為に躊躇している研究所もあれば、設備投資したくても、先行き不安で足踏みしている会社もある。あなた方の目から見れば取るに足らない問題かもしれないが、小さな苗木が一つ、また一つと倒れれば、いずれ森の死滅を招く。社会の底が抜ければ、もはや経済特区だの、優遇制度だのと言っておれなくなりますよ」

*

「そう言えば、君はメイヤーにも噛みついていたな」
 突然、グレアムが面白そうに言った。
 こんな人でもメディアの誇張を真に受けるのかと身構えたら、
「あの人も聞こえのいいことを右から左にペラペラ喋るが、あんな言説を鵜呑みにする住人がいるのかね」
と意外な言葉が返ってきた。自分の身内以外で懐疑的な意見は初めて耳にした。
「僕もね、パラディオンなんか建設するより、海岸の地形を活かして埋め立てたり、護岸整備しながら、徐々に用地を拡張する方がよほど実用的だと思うよ。意外と話題に上らないが、アステリアは食料自給率が絶望的に低い。経済うんぬんの前に、住民の生命に関わる大事な話だよ。毎日、トリヴィアから大量の食糧が輸送されてくるし、グリーンファクトリーや養殖プールもそこそこに機能しているが、生産力が人口増加にまったく追いついてないし、一つ間違えば衛生面で重大な問題を引き起こす。みな『食糧は金で買えばいい』と思っているようだが、それも輸送やグリーンファクトリーが正常に機能すればこそだ。万一、供給に問題が生じれば、大変な事態になるのが想像がつかないんだろうか。だが、それを言うと、パラディオンにもグリーンファクトリーが作れるという話になる。もはや『大地で育てる』なんて発想は無いみたいだ。そういう面でも、干拓で農地を増やす方に可能性を広げたかったんだが、結局、パラディオン一色だ。残念というより呆れるね。目先のことしか考えてない」
「百年の計が感じられないのは産業や教育も同じだと思います」


Product Notes

海洋のフローティングシティの一例として。移動が大変そう。

こちらは信じられないような施工の失敗例。設計が誤ったのか、それとも施工管理のミスか。
どこかで気付きそうなものなのにね。大規模な失敗の場合、どうやって修正するのでしょう。

こちらも虚無感、ハンパない。誰が、どうやって責任を取るのか・・。

オランダの干拓をテーマにした動画です。

      B! 

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