29-2 苗木の死は森の死 政府への陳情

樹木

オリアナはヴァルターの言葉を真摯に受け止め、仕事を再開することを考えるが、父レイモンにまたも揶揄され、贅沢な暮らしを選ぶ。そんなオリアナにレイモンが命じたのは、ある高級住宅の売買をとりまとめることだった。
それはゲーテッド・コミュニティでも随一と言われるマクダエル一家の邸宅だった。

オリアナはその足でリズのオフィスを訪れ、「今に天罰が下るわよ」と呪いの言葉を吐く。

その後、リズはウィレム・ヴェルハーレンの口添えで、臨海開発機構で、開発行政に強い発言力をもつ高官と面談する。
だが彼らの物言いは高圧的で、「全体を見直して欲しい」という必死の陳情にも耳を貸さない。
見るに見かねたヴェルハーレンが横から意見する。

引用

WEBに掲載している文章は『第二稿』です。書籍版とは内容が若干異なります。
「では、どうあっても、アステリアを分断し、新しい経済特区を創設するつもりですか」
 リズが強い口調で返すと、高官は困惑の表情を浮かべた。
「第二の経済特区がそれほど問題ですか? ネンブロットも幾つもの区に分かれ、地域の特色に見合った優遇制度を導入して成功しています。アステリアでも将来性や経済力に応じた柔軟な政策を施すというだけで、税制からペット条例まで何もかも差を付けようという話ではないのですよ」
「ですが、ネンブロットとアステリアでは人口も経済基盤も桁違いです。あんな小さな島社会に二通りのルールを持ち込み、後から来たほど有利になるような優遇策を施して、良い方向に向かうとは思いません」
「どのように?」
「たとえば海洋観測です。島の周辺だけデータを集めればいいというものではありません。本当にアステリアの海を理解するなら、全海洋をカヴァーするリアルタイム観測システムが必要です。なのに、この海域はうちの領分、ここから先はあちらの領分と互いに競り合うようでは前に進むものも進まなくなります」
「どのみち、今すぐそんなものを構築するのは至難の業ですよ。それでなくても、あれを設置しろ、これも改修しろと、各方面から要望が目白押しなのに」
「ですから、区全体をあげて……」
「我々も一部の利害で物事を決めているわけではありません。総合的に鑑みて、それが大多数の益になると判断すればこそです。あまり感情的にならず、第二の経済特区を新設するメリットにも目を向けてはいかがです? どうも貴女は父親思いが高じて、一派に偏り過ぎだと、もっぱらの噂ですよ」
「偏り過ぎというなら、ろくに現場の意見も聞かず、強引に話を推し進めている臨海開発機構も似たようなものだと思いますが」
 ヴェルハーレンが間に入った。
「そもそも島の総人口が十万人に達し、そのうち七割が永住者、もしくはトリヴィアに市民権を持つ定住者で占められる町に、独自の選挙制もなく、全体の意見を問う機会もなく、一から十まで上からの通達で取り決められる事自体が問題ではないですか。人口一万人のトリヴィアのサテライト・シティにさえ、市議の選挙制がありますよ」
「サテライト・シティと経済特区は行政区分が異なります。それに、アステリアは未だ開発途中にあり、同等とみなすわけにはゆきません」
「人口が一〇倍で、経済規模ではサテライト・シティをはるかに上回るエリアでも開発途中というのですか。メアリポートの現状をご覧なさい。産業省の提示する年度予算や事業計画に項目が無いというだけで港の改修案に着手することさえ出来ない。地元には何十年と操業している土木や造船の専門会社が幾つも存在するにもかかわらずです。今にあれらが倒れたら、他も連鎖して窮地に追い込まれるでしょう。JP SODAだけで港が持っているわけじゃなし、それらを差し置いて、ペネロペ湾に総工費二十兆の海上リゾートを建設するというから大勢が反発するのです。そして、これは一例に過ぎません。技術者を招聘したくても、その家族を住まわせる安価な住居が無い為に躊躇している研究所もあれば、思い切って設備投資したいが、先行き不安で足踏みし、本来の実力を発揮できない会社もある。あなた方の目から見れば取るに足らない問題かもしれないが、小さな苗木が一つ、また一つと倒れれば、いずれ森の死滅を招く。社会の底が抜ければ、もはや経済特区だの、優遇制度だのと言っておれなくなりますよ」