七田式と早期教育 / 城山三郎『素直な戦士たち』抜粋

2017年9月15日子育てコラム, 毒親と子供

『なぜ早期教育は嫌われるのか?』

先に、私の体験から申せば、理解力のある子供に「ちょっと早めの」教育をすること自体は、間違いではないと思います。

私も、小学生の頃、1年早い教材に親しんでいた経験があるのですけど(私の親に早期教育の意図はなく、ただ単に「姉だけに教材を買い与えたら、まりが文句を言う」という理由で私にも同じものを与えていた、というだけの話)、内容はすべて理解していましたし、もう1年早い教材でもイケたんじゃないかと思います。

つまり、「5歳だから、ここまで知っていれば十分」とか、「この内容は6歳になってから学べばいい」という区別は、あくまでカリキュラム上の話であって、子供が本当に理解し、もっと知りたいと望んでいるのであれば、その理解度に応じて学習内容をレベルアップすること自体に問題はないのでは……と思います。

もちろん、学校に行けば授業が退屈で、「自分は努力しなくても、ものすごくデキる」と思い込み、「ウサギの昼寝」みたいに油断する可能性は大いにありますけれど。

今の「早期教育」が問題視されるのは、「他の子と差を付けたい」「我が子さえデキれば、それでいい」という親の利己心が見え隠れするのと、「だから一体、何がしたいのか」というヴィジョンの不透明さにあるのかもしれません。

言い換えれば、『才能』という神にすがりつく、親自身の不確かさに問題があるのではないかと。

子育てしていて、子供のデキがよければ、親はとりあえず安心ですし、「親として満点」という達成感も大きいです。
でも、その一点に、親としての自己肯定感を求めれば、子供は親を満足させ、親の自我を満たすために、一生「いい子」でいなければなりません。
そういう『すり替えの努力』に繋がりやすいのが、「早期教育に対する信奉」であり、「教育の専門家さまに、我が子を教育していただく」という依存心なのではないかと思います。

多くの親は、いろんな幻想を持ちながらも、いつか我が子が「神に祝福されしアマデウス」ではないことに気付き、癇癪やイヤイヤに手を焼きながらも、いつしか「そのまんまの我が子」を受け入れ、そこに満足するものです。

でも、そこで、我が子を完全に肯定することが出来ず、「もっと頭のイイ子でなければダメだ。この程度だと、親としての自分の甲斐性が疑われる」という点に掻き立てられてゆくと、「他の子より高いハードルを」「もっと早い進歩を」という観点だけで、ハイレベルな教育を望む親になっていくのかもしれません。

私が思うに、「早期教育」とか「英才教育」というのは、親の高学歴志向を後押しするために存在するのではなく、子供の「もっと知りたい」「もっと出来るようになりたい」を刺激する為にあるのであって、そこに『高学歴』的なエサをぶら下げるから、いろんな思い込みや幻想が生じるのだと思います。

1982年、作家の城山三郎さんが、子供が誕生する前から「東大合格」を目指す親(「最高の状態で妊娠したい」という受精計画から始まる)と、その子供達の行方を描いた『素直な戦士たち』という作品を発表され、大変話題になり、NHKでドラマ化もされたのですけれど、その母親が盲目的に言い続けるのが次のような言葉です。

「東大法学部に行けるほどの学力があれば、将来は、エリートにも、ルンペンにもなれる。子供達が大きくなった時、『ママは自由な選択肢を与えてくれた』と、万歳三唱して喜ぶはずよ」

この母親には、高学歴という目標はあっても、「生きる」という目的はなく、東大法学部に行くほどの学力さえあれば、そこから薔薇色の人生が開けると信じて疑わない、いわば『才能』に万能感を求める教育ママです。

もちろん、才能があるにこしたことはないけれど、そもそも「才能」などという定義のあいまいなものに(人に評価されない才能もある)、人生の確かな保証を求めようとするところから無理が生じるのであって、人より秀でたものを持っているからといって、必ずしも世に認められ、栄耀栄華に包まれるとは限らないのですよ。

おそらく、子供の教育に盲目的に打ち込んでおられる親御さんは、「才能」というものに過剰な期待を寄せ、この世のどんな願いも叶えてくれる、ドラえもんのポケットのように思い込んでおられるのでしょうけど、それほどの才能があるなら、むしろ「開発」するより、周りと歩調を合わせることを教えないと、いずれその子自身が才能を持て余し、下手すれば周囲と齟齬を起こして破滅する可能性だってあるのです。

言うなれば、「才能」というのは、本人が自覚し、自分で扱い方を学ばない限り、真に生かされないものであり、目的を持たない才能は、自己肥大や怨念の種になるだけで、かえって害悪なのですよ。

そして、その「目的」は、「東大法学部に入りさえすれば」見つかるというものでもありませんし、「他人に評価されなかった時、どう生きるか」という命題も持ち合わせます。

それをクリアしようと思ったら、盲目的に高学歴にすがったり、才能開発という甘い幻想にひたっているだけでは、いつか躓くのではないでしょうか。

世の中、いろんな子供がいるのですもの。

小学校に上がるまえから、高学年レベルの本をスラスラ読める子もいれば、足し算、引き算、寝ながらでもデキる、という子もいると思います。

そして、その子が「もっと知りたい」と望むなら、どんどん教えてあげればいいし、音楽、体操、絵、工作などに興味があるなら、いろんなことを体験させて、おおいに刺激してあげればいいと思います。

でも、そこには、「生きる」ということに対して明確なヴィジョンがあり、子供の出来不出来にかかわらず、親自身が豊かな肯定感を持っている、ということが必須ではないでしょうか。

子供は出来不出来でランク付けされる為にこの世に生まれてきたのではありませんし、親を満足させる為に生きているわけでもありません。

本来、「知って楽しい」はずの早期教育が、高学歴ビジネスのエサにされたり、親の不安を解消するための手段とされないことを願っています。



今読んでもまったく色褪せない、城山氏の傑作です。
20年以上も前にこういう作品が書かれていたというのは、非常に興味深いと同時に、不気味でもありますね。
全く状況が変わっていないのですから。
おすすめです。

§ 【素直な戦士たち】参考サイト

『素直な戦士たち』については、こちらのサイトで詳しく紹介されています。
読み応えのある書評なので、ぜひご覧になって下さい。


紙屋研究所 : 素直な戦士たち

本作より一部抜粋。

「英一郎は、自分で計画表をつくって勉強をはじめた。おどろくほど緻密な計画表であった。
 それまでの躾が実を結んだという満足を通り越し、千枝はおどろき、圧倒された。ついに英一郎が動き出した。千枝としては、その計画に従い、どんな下働きもいとわぬ覚悟である。
 まだるっこしいからと、英一郎は数学塾をやめた。学校の帰り、毎日七時ごろまで、図書館で勉強してくる。夕方は、食事の支度の音がうるさいし、家の内外の音が気になる、というのだ。
 そう聞かされてから、千枝は、夜、台所であとかたづけをするときなど、心臓のちぢむ思いで、音を立てぬよう気をつかった。隣のテレビ、裏の家の風鈴、三軒先のステレオ、一々、文句をいいに走った。家中どこに居ても耳をすまし、英一郎が鈴を鳴らすと、『はぁーい』と大声をあげ、すっとんで行く。茶をいれる。夜食をつくる。ノートを買ってくる。鉛筆を削る……。
 英一郎は、参考書を次々に揃えようとする。書名を書いたメモを渡され、千枝が買いに走る。
 『いますぐ読みたいんだ。さもないと、計画が狂ってしまう』
 夜になっていきなりいわれ、電車に乗って池袋まで探しに行ったこともある」

母・千秋のこの姿。決して誇張ではなく、現代の母親に通じるものがないだろうか。

子供の機嫌を損ねぬよう、「はぁーい」とお返事する「下女」のごとき母親。

自分では子供を育てているつもり。が、振り回されている。子供の言いなりになっている。

でも気がつかない。

そうすることが「子供にとってベスト」だと信じているから。

それは子供を愛しているのではない。自分の理想を愛しているに過ぎない。

子供が自分の理想通りになればそれでいい。

それが「子育て」だと思っているから、何でも出来る。下女にもなれる。

自分のもてる時間の全てを子供に捧げることができる。

そして自分は「いい母親だ」と思い込むことができる。

こういう母親は傷つかない。

たとえ子供がパンクして、鬱や、拒食症や、自殺未遂まで至っても、「じゃあ、他にもっと効果的な方法があるはずだ」と手を変え、塾を変え、自分の思う方向に突き進んで行く。

一見、子供のために、あれこれ尽くして苦労しているに見えるけど、その実、一番ラクな子育てを選んでいるのだ。

「自分の思う通りに育てる」という、最短距離の道を。

いつか、我が子が自分の思う通りに育ち、自分の願ったように親に感謝してくれた時、彼女は自己満足のうちに生涯を終えることができるだろう。

あなたの子育ては、子供が自分の思う通りに育っている限り、正しい。

その正しさを証すために、躍起になって手に入れようとしているのが、あまたの合格証書であり、肩書きであろう。

それはもはや子供のものではなく、母親のものである。

だから、子供は、いつか喪失感を味わって、自分自身を狂わせていくのだろう。

§ 七田式と早期教育について

こちらで非常に興味深い議論がなされています。
興味のある方はぜひご覧下さい。


「七田式幼児教育は、やっぱりまずいので」ブログ『kikulog』 by 菊池誠さま

– 一部抜粋 –

七田式についての議論がまた進みはじめたのですが、たしかに七田を幼児・小児教育の専門家とみなすような風潮はまずいので、項目を新たに作ります。
 
確認しておきたいのは、七田は「波動」の信奉者であって、また「超能力指向」であること。実際、ESPカードを使ったりもするようです。また、普通の言葉さえおぼつかない年齢の幼児に、難しい漢字だの四字熟語だのを憶えさせたり(そりゃ、憶えるでしょうけど、意味もわからん言葉を憶えてどうする)、どうも「教育」という範疇を越えているように思います。曲芸を仕込んでいるのに近いのではないかなあ。
 
すべての教室がそういう方針かといえば、必ずしもそうではないようですが。
 
で、繰り返しになりますが、

誰がなぜ七田を教育の専門家と信じさせているのか。
そして、世の中に多数いるはずの本当の「教育の専門家」はいったいこれにどう対処しようとしているのか。
「水伝授業」や「EM授業」もそうですが、「教育の専門家」の顔がほとんど見えてこないことに、苛立ちをおぼえます。

*

本当の「教育の専門家」はいったいこれにどう対処しようとしているのか。

本当に耳の痛い話です。
言い訳になりますが、七田に関して、しっかりと理解している教育関係者はほとんどいないように思います。
私も、きくちさんのご指摘で調べてはじめて分かったようなところもあります。TVで紹介されても、幼児教室では、必要以上に成果を誇示するところもありますので、「おおげさに紹介されている」程度の認識でした。
その他でも、いろいろな幼児教室や塾がありますが、それぞれどんな教育活動をされているのかは、ほとんど知りません。
今回も、すこちゃんさんの体験からの報告は、たいへん生々しく、勉強になりました。このような実態の報告が、どんどん出てくれば、批判もしやすくなると思います。
同様に、水伝やEMへの理解も教育界ではその程度なのだろうと思います。
また、教育関係者は、他人の批判が苦手な人たちでもあります。争うことを望まないというか。批判するとしても「一部の幼児教室では」などと、間接的な表現になってしまうでしょう。問題だと思っても、声には出さない。そのような人が多いように思います。
ほんとうに言い訳になりますが、それが実情と思います。

あんねさん
来月、数学教育の学会があり、数学検定に関わっている人たちともお会いできると思います。ちょっと聞いてみます。

*

・七田氏の言説の問題点
(・幼児教育の専門家とされる問題点)
・スクールのカリキュラムの問題点
老婆心ながら、このへんは分けて考えないと
ごっちゃになっているように思います。

誰が教育の専門家なのか判別する方法が分からない(分かりにくい)」ことが
七田氏の存在を過剰に大きく見せているように思います。
テレビで取り上げられたり、そこそこ名の通った出版社から本を出していたり、
博士号や賞(っぽいもの)を持っていれば
すごい専門家なのかと勘違いしてしまいます。
多くの人が理解を深めないと「本当の教育の専門家」が出てきたときに、
声の大きい方が勝つような事になりかねません。

きくちさまの「曲芸」という例えは的確なのですが
「内容を理解していなくとも幼児のうちから脳を使うことは
 子どもの発育にプラスになるでしょう」(スクールはこんな言い方します)
と反論されると、私自身は積極的な否定ができないのですがどうなんでしょうか。
(役に立たないがマイナスにはならない、ようにも思える)

七田式にかぎらず、「幼児教育」全体に幻想を持ちすぎな気がするのですが
そもそも本当に幼児からおこなうと効果がある教育内容・方法というのは
あるのでしょうか?(専門家の方のご意見をうかがいたいです)

*

はじめまして。
七田式の通信教育に申し込みしようと思っていた者で、1歳半の子供がいます。
様々な意見があり、興味深く読ませていただきました。

【七田式(通信教育)】
第一印象
そりゃこれだけの教材を駆使して家庭教育できる母親に育てられたら、頭のいい子になるだろうよ…と思いました。
そして、これは母親の教育だ!自分もがんばってみよう…と。

しかし、おまけについてきたIQ200がなんとかという本を読み、
「ん?IQ高いことってそんなにいいものなのか…?」と思ったこと、そして何より、内容に比して高価すぎる教材に手が出せずあきらめました。(年金が余ってるような親がいたら申し込んでいたことでしょう。)

しかし、IQが高いって幸せなんですかねぇ?

学校の勉強ができなくて嫌な思いをしたり、劣等感を持ったり、受験や就職で不利なことがない…というのは良いことかも知れません。職業選択の幅も広がるし。

でも、同じレベルで話し合える友人がなかなか見つからなかったり、勉強ができるだけで敬遠されたり、パートナーにめぐり合うチャンスが減ったりする(特に女子)(笑)…というデメリットもありますよ。

勉強できるだけでイジメの標的にもなりますしね。

だからIQが高い=幸せになれるとは思っていません。

でもそういう幻想を抱いている人もいるものなんですね。

ただ、七田の理念である 
『認めて ほめて 愛して 育てる』 
は、意識して実践していきたいと思います。

*

子どもは自分がもっと褒められたいが為にやる

みうらじゅん氏は母親からともかく「じゅんちゃんは何でもできる」と子供時代にほめまくられて育てられたらしいですが、ほめられすぎて逆に「いや、そらいくらなんでもそんなにうまくはいかんだろ」って早くから自分の限界を知り、道を踏み外さなかったとかw。

・・・などなどです。

「七田式」に関しては、早期教育の代名詞みたいになっている部分があるので、たまたまピックアップしただけです。
それ自体がどうこう、というより、「これが正統派です」みたいに祭り上げられている部分が気になるかな。

私は、上記に紹介した菊池さんの記事「『教育の専門家』の顔がほとんど見えてこないこと」に一票です。

2008/12/09 紙屋研究所へのリンクを追加