18-1 深海のバラと潜航調査の実況

2017年9月14日海について, 自然と科学

地下に間隙が見られる謎のマウンド群に向けて三度目の潜航を開始する。
実況では親しみやすさを最優先に、子供との質疑応答を楽しむ。
潜航する意義や船内の様子、無人機と有人調査の違い、海底鉱物資源や水蒸気爆発などを説明しながら、目標地点を目指す。

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 タオは最近買い換えたフォグレスグラス曇らない眼鏡のメタルフレームを指先で押し上げながら、「操船って、どれくらいで慣れるものでしょうか」と細い声で尋ねた。
「人によりけりだ。場数にもよる。浅い潜航しか経験がないのに、いきなり五〇〇〇、六〇〇〇とか言われたら、慣れたパイロットでも緊張する」
「慣れたら、楽しいものですか」
「楽しいというより、やり甲斐があるよ。毎回、学会誌を飾るような発見があるわけではないが、海の上からは想像もつかないような自然の造形や現象を目にすることができる。海洋科学に役立つデータを持ち帰れた時は大きな達成感も得られる。ずっと続けていたら、いつか忘れられないような出会いがあるよ。一匹の深海魚が君の世界観を変えるんだ」

<中略>

「ずいぶん狭いのね! これならスペースシャトルの脱出ポットの方がよっぽど快適に見えるわ」
「そうだよ。海中では十メートル深くなるごとに1気圧の圧力が加わるからね。フェリーみたいに大きな箱形の乗り物は設計できないんだ。それに、僅か数ミリの穴でも、ひとたび水が入り込んだら、深海ではレーザービームみたいに強烈な噴射になって、金属でも簡単に破壊してしまう。超合金を使った分厚い真球でないと、人間はとても深海に潜ることはできないんだよ」
「お手洗いや食事をする所はあるの」
「ないよ。潜航中は何時間もこの狭い耐圧殻に座りっぱなし、立って歩くこともできない」
「それは苦行だわ」
「慣れたらそうでもないよ。いったん潜ったら、観察やオペレーションに集中して、足の痛みも忘れてる。それぐらいエキサイティングな体験だ」
「冷暖房は付いてるの?」
「使える電力も限られているから、冷暖房もなしだ」
「室温はどれくらい?」
「深い海の底では水温と同じくらい。摂氏二、三度だよ」
「そんなにまでして潜航する意味があるの?」
「研究者なら自分の目で実物を見たいと思うものだ。無人探査機でも鮮明な水中カメラの画像が得られるが、やはり視界の奥行きや質感において人間の目に勝るものはない。また、何かを感じ取る人間の勘と経験も侮れないものだよ」

<中略>

 講義用の海底地形図は、情報保護の意味もあり、ルノーがわざと解像度を落としたカラフルなマップを用意してくれた。オリジナルは十センチ単位で地形の凹凸が描出されるが、こちらは一メートル単位に調整し、子供でも識別しやすいように、高さに応じて七色に色付けしている。一番深い所が青色、標高が上がるにつれ赤色になる。
 画面いっぱいに、七色に色分けされた巨大な深海の山が映し出されると、モニターの向こうから生徒らの歓声が聞こえてくるようだ。

《すごいや! これ、本当にウェストフィリアの海底にあるの?》

「これは水深三〇〇〇メートルの海底にそびえるメテオラ海丘だ。南北八キロメートル、東西二六キロメートルに及ぶ巨大な深海の山だよ。何度か噴火を繰り返し、海底面が山のように盛り上がった。その後、多方向から引っ張られ、こんな歪なスライムみたいになったんだ。でも、このメテオラ海丘もアステリアに存在する無数の海山の一つに過ぎない。今、プロテウスが居るのはここ、南の麓に広がるマウンド群のど真ん中だ。なぜ、ここを調べることになったのか。それは、このマウンド群やメテオラ海丘が今も生きているからだよ」

《深海の山が生きている?》

「そう、君たちが呼吸して、食べたり、遊んだりするように、メテオラ海丘も何百万年という果てしない時間の中で生きている。伸びたり、膨らんだり、崩落したり。じゃあ、これからその証拠を見てみよう」
 二回目の潜航で撮影したカルデラ底東部マウンドの熱水噴出孔のビデオを一分間流した。
「これ、何? 岩の隙間から温泉が湧いてるの?」
 今度はゾーイが質問した。
「分かりやすく言えば、そうだ。海水は、洗面器の水みたいに、ずっとそこに貯留しているわけじゃない。水深数千メートルの海底にも海流はあるし、水分も海底の堆積物や岩の隙間から徐々に地層に染みこんでいく。やがてそれは海底の深い所でマグマに熱せられて、時には数百度という高温で地表面に噴き出す。一〇〇度を超えても気化しないのは、深海が超水圧の世界だからだ。そういう特殊な環境下では、二〇〇度や三〇〇度といった高温のままで海水中に湧き出てくるんだよ。ちなみに、この映像は、メテオラ海丘のU字型火口にある火口丘の一つから湧き出ていたものだ。温度は一七〇度もある。冷たい水のように見えるけど、人間が手をかざしたら大火傷だ。それに、この熱水は高温なだけじゃない。地殻に含まれる金属成分をたっぷり溶かし込んだ、重金属スープみたいなものだよ。それが海水中に湧き出て、急激に冷やされると、孔の周りに金属の成分を沈殿させる。沈殿物の中には、君の大好きな金や銀、白金が含まれることもある。他にも、マンガン、コバルト、ニッケル、亜鉛など、いろいろだ。まさに地殻の血液だ」
「海の底に金鉱があるの?!」
「いや、金鉱じゃなくて、通常よりも濃度の高い沈殿物だ。極端な喩えだが、金粉入りの噴水を何百万年と吹き続けたら、その周りにどんどん金が積もっていくだろう。それと同じだよ」
「じゃあ、それを掘れば大金持ちになれる?」
「そう簡単にはいかないよ。第一、どこにでも金の混ざった熱水噴出孔があるわけじゃない。仮にたっぷり金が溜まった場所があったとしても、水深数千メートルの海の底だと掘り出しようがない。水深四〇〇〇メートルなんて山一つ分だ。その頂上からホースを垂らして、金だけを上手にポンプで吸い上げられると思うかい? 第一に、技術的に困難だ。第二にコストがかかり過ぎる。何百億と開発費を注ぎ込んで、それに見合うだけの採算が取れればいいけれど、そんなのは地上の鉱山業でも難しい。だから『存在する』と分かっても、そう簡単には回収できないんだよ」

<中略>

「これ、本当にアステリアの海の底なの? まるで地上の山脈そのものじゃない」
「そうだよ。本当に凄いだろう。でも、この海底火山の連なりも、アステリアの海底のほんの一部だ。まだ九十八パーセント以上が詳しい精査もされず、深い海の底に眠っている。本格的に調べれば、水深一万メートル以上の海溝があるかもしれないし、ニムロデ鉱山より遙かに大きい海底火山もあるかもしれない。他にも、氷の下の海底湖、メタンガスの噴き出す窪地、誰も見たことのないような海底下の大河やミクロの生物圏もあるかもしれないね」
「そういうのは観測衛星や無人航空機で形を捉えることはできないの?」
「ある程度は捕捉できるけど、正確さや精密さではやはり船や測深機を使ったデータに劣る。それに、水中では電波も使えないし、光もほとんど届かない。音波だけが頼りだから、地上の山の形を調べるようにはいかないんだよ。電波望遠鏡を使えば数百億光年離れた星の輝きも見えるけど、海の中は本当に手探りだ。分野によっては、無重力より超水圧をコントロールする方がはるかに難しい。だから、月の裏側に行けても、海の底はまだまだ未知の世界なんだよ」
「自分の足元が分からないというのは頼りないわね」
「だから、こうして働きかけている。広報には大変な時間と手間がかかるけど、全ては知ることから始まるからだ」
「今、その場所を調べているのは、熱水の湧いている所を探すため?」
「それもあるし、地形や地層が他と異なる箇所もある。無人機も使えなくはないが、ケーブル付きだと動ける範囲が限られる。自律型無人機も便利だが、臨機応変に動けない上、搭載できない調査機器もあるので、今日はプロテウスで見に来たんだよ」
「だけど、真っ暗で、ほとんど何も見えないわね」
「視野は一〇メートルぐらいだ。全力を出しても、人が歩くほどの速さしか出ない。だから本当に潜航して調べられる場所は限られている」
「それでも潜る価値があるわけね」
「そういうこと。たとえば、あそこに小高い丘みたいに盛り上がっている箇所があるだろう。表面の細かな凹凸、微かな海水の揺らぎ、堆積物の色や質感、形状などを、その場でじっくり観察することができる。馴れてくると、この先にガスが噴出している箇所があるんじゃないか、亀裂や断崖になっているのではないか、いろんな勘が働くようになる。その場ですぐにビデオ撮影したり、堆積物をサンプリングしたり、さっきの場所に引き返したり、無人機よりも、人間の勘と経験の方がはるかに勝ることもある。ケーブルより深い海溝や、地形の複雑な場所など、無人機のキャパシティを越えた場所に行けるのも有人潜航ならではだ。どちらが優秀という話ではなく、それぞれに機能や役割が違うんだよ」

Product Notes

こちらは潜水艇アルヴィン号のスタッフによる「無人機 VS 人間」のインタビューです。
作中でもありますが、どちらが上等という話ではなく、それぞれにメリット・デメリットがあり、目的や役割が違うということです。
さらに無人機の性能が向上したとしても、有人潜航が完全にゼロになることはないと思います。(と、みな言ってます^^)

こちらはアラスカ湾の海山群。(映像データとしては古いです)
コンピュータで描画されています。

七色に色づけされた3Dの海底地形図。深度の大きな底面が青色、標高が高くなるにつれ赤色に着色されています。

海山
Photo : http://oceanservice.noaa.gov/facts/seamounts.html

こちらはアメリカ海洋大気庁NOAAのフォトアルバムより。
無人機の海中降下の模様。
NOAA Ocean Explorer: NOAA Ship Okeanos Explorer: Galapagos Rift Exploration 2011 - EX1103 Leg2

潜水艇の覗き窓より。
expl0510

深海の熱水噴出孔。
Hydrothermal Vent Chimeny

expl1233

小さなチムニー。
expl1546

宇宙人のような深海の生物。クラゲ?
Jellyfish

こちらは浅海用の潜水艇ですね。
expl0361

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