17-1 金がなければ調査船も出ない

2017年9月14日海について, 自然と科学

悪天候が迫る中、メテオラ海丘のカルデラ底に向けて、二度目の潜航に挑む。
海洋調査もニムロディウムの研究もいっこうに進まない中、サンチェス博士はその理由を問う。
ヴァルターは経済的価値ばかりが優先され、学術がなおざりにされている現実を訴える。

芳しい結果は得られなかったが、乗組員や研究者の真摯な態度でスタッフの士気も高まっていく。

様子を心配するリズに、ヴァルターは答える。

[adinserter name=”inyo”]

 プロテウスが潜水を始めると、ステラマリスと似た海中の様子に目を凝らしながら、「オーシャン・リサーチがソロモン・プロジェクトの海底熱水鉱床の探査に協力したのは六十年以上前なんだがね」と苦笑する。
「まさか、こんな所でもやってるとは思わなかった。ローレンシア海域の海台クラストというのはステラマリスのマンガンクラストと似たような感じかい?」
「そうですね。同じように黒色で、大小様々な粒子が含まれているものもあれば、薄いクラストが何層にも重なって、石の年輪みたいな外観を呈しているのもあります。でも、大きな違いは一目でそれと分かる金属光沢があることですね」
「それがニムロディウム?」
「複数の金属が混じっているんです。マンガンクラストのように海水中の金属成分が沈殿して凝集したと言われていますが、詳しいことは何も分かっていません。そもそも、なぜアステリアの地殻の大半が海面下に存在するのか、かつては広大な陸地が存在したのか否かも全く分かっていません」
「どうして研究しないんだ?」
「助成金も出ないし、設備もない。トリヴィアの国立研究所にサンプルを最善の状態で持ち帰るだけでも大変だからです」
「もったいない話だね。目の前に生命誕生や環境変異の謎を解く鍵があるかもしれないのに。学究的探求には目もくれず宝探しか」
「それも、ウェストフィリアの資源開発に成功して、アステリア全体が豊かになれば、学術調査にも弾みがつくのかもしれません」
「まったく、『金、金、金』だな。金がなければ、調査船も出ない。正規の研究が日の目を見るかどうかもスポンサー次第だ。案外、天体望遠鏡一つで研究に集中できた時代の方が科学者にとっては幸せだったんじゃないかと思うこともある」

<中略>

 いったんカルデラ底に着底すると、しばらく周りを観察した後、海上チームと連絡を取りながら、音波探査で水温上昇が見られた第五マウンドに向かう。
 昨日調査した北側と同じく、この辺りの岩盤もかなり黒っぽい。海底面にも凹凸があり、数センチから十数センチの礫岩があちこちに転がっている。
 地下からの熱水の噴出を示唆するデータは、SEATECH社が所有する自律式無人探査機のサイドスキャンソナーによって得られた。
 探査機から発せられた音響が海底で反射する時、海底面の地形や、岩や砂の性質などによって、反射の強度が異なる。それをソフトウェアで解析し、強度に応じて色分けしたり、立体的に描画することで、海底面の微細な地形の変化や底質の違い(岩礁、砂、泥など)、熱水噴出によって生じる海水の変化などを視覚的に捉えることができる。
 この探査法は、沈没船の発見や魚礁の確認などにも効果を上げており、解析プログラムもどんどん進化している。
 今回、音響データから熱水噴出のイメージ画像を描出したのはルノーだ。
 解析プログラムが描き出すイメージは、音響の反射率が高い部分(堅い岩盤など)を薄黄色、反射強度が弱い部分(海水など)をダークオレンジの濃淡で描き分けている。
 画像では細かな地形を把握するのが精一杯で、表面の細かな色形や岩石質までは分からない。
 しかし、岩盤の隙間から立ち上る熱水の存在は、湯気のように揺らめく陰影ではっきりと見て取れる。
 計測ポイントが正確ならば、かなりの確率で目視することが出来るだろう。
 やがてナビゲーションスタッフから目標位置に到達したことを告げると、彼はコマロフに着底するよう指示した。
 微細な堆積物がほのかに舞い上がる中、覗き窓の外にじっと目を凝らすと前方に黒ずんだ岩の斜面が見える。
 操縦席のリアルタイム解析モニターにもマウンド状の海底地形図が映し出され、間違いなく目標の第五マウンドの麓に着底したようだ。
「データ上では三〇メートル先に熱水の湧き出すポイントがある。まずはそこにアクセスしよう」
 サンチェス博士が言うと、コマロフは数十センチほど浮上して、鍾乳石のようなマウンドに接近する。
 ハロゲンライトに照らし出されたマウンドの斜面は、基底部は黒いが、上に行くほど表面が白い鍾乳石に覆われたみたいにゴツゴツして、所々、黄白色に変色した箇所が認められる。
 こうした色の変化は音響分析データには現れず、目視の重要性が問われる所以だ。
 さらに左方に移動すると、白い沈殿物の隙間からポコポコと気泡が立っているが目に入る。
 このマウンドに活発な熱水活動が存在するのは明らかで、音響分析データに認められた「陰影」が次第に現実味を帯びてくる。
 操縦するコマロフも窓の外の光景に見入っているのか、ふと前方に軽い衝撃を感じ、プロテウスが斜面にぶつかったことを認識する。
 一瞬、サンチェス博士は蒼白となったが、
「これぐらいなら大丈夫です」と彼は答えた。「船体そのものをぶつけたのではなく、下方のサンプルバスケットかマニピュレーターが接触したんですよ」
「それならいいんだ。潜水艇というのは数ミリの亀裂でも命取りになるというからねぇ」
 サンチェス博士は海洋パニック映画のワンシーンを重ねるようにつぶやく。

<中略>

「あの白い堆積物は何だと思う?」
「ケイ酸塩鉱物や炭酸塩鉱物、ガラス質のものがメインで、硫化物は少なそうですね。熱水活動はあるけれど、非常に高温のまま海底の深部から湧き上がり、重金属を豊富に溶かし込んだ熱水とは異なるような気がします」
「わたしも長年、海洋地質調査に携わっているが、ニムロディウム鉱床がどのように作られ、どんな形で存在するのか、話に聞くだけで、実物は見たことがないから、まったく見当もつかないのだが、少なくとも、この場にはなさそうだね。地下の奥深くから地表面に運ばれてくる物質なら、こんなチョロチョロした熱水では力不足だろう」
「俺も、海底のニムロディウム鉱床を探すなら、もっと地殻活動の激しい所に行かないと無理だと思います。中央海嶺のように新しい地殻プレートがどんどん生成されている場所や、高温高圧のブラックスモーカーが林立するような海底火山……」
「なんにせよ、小手先の海洋調査では追いつかないだろうな。数百億の予算を組んで、十ヶ年計画でも立てないと、とてもじゃないが全海域の把握は無理だ」
 まったくその通りだ――と彼も思う。
 海のことは本当に計り知れない。
 海台クラストの採鉱に成功しても、それは全海洋のほんの数パーセントの現象を物語っているに過ぎず、大部分は水深数千メートルの闇の中だ。
 だが、果たして、トリヴィア政府や開発公社が数百億の予算を組んで海洋システムの解明に乗り出すだろうか。
 調査、研究、データ共有、利益の還元。
 アステリアの抱える課題は多い。
 これら一つ一つを乗り越えるのは果てしない道程に見える。
 だが、調査前は意欲を削がれたような感じでも、いざプロテウスに乗って深海に潜ってみれば、目の前の自然現象に目を輝かせずにいない科学者の姿を見ていると、遅かれ早かれ、人間の純粋な知的探究心によって物事は進歩するような希望もある。
 オリアナからオファーを受けた時は、プロの意地とプライドから受託したが、今では受けてよかったと心の底から思える。
 彼も遠ざかるマウンドを覗き窓の向こうに見ながら、人間の思惑とはまったくかけ離れた次元で生き続ける宇宙の意思に畏敬の念を覚えずにいないかった。

Product Notes

こちらは潜水艇Nautileを使った深海調査の実況です。
船の構造や機能なども紹介しています。
こんな海の深いところをクジラがゆっくり泳いでいくのがいいですね。

こちらはアメリカ海洋大気庁NOAAによる海洋物理学アルバム(Flickr)より。
海底とは思えない美しさですね。
expl0058

海底で発見された噴気孔(?)生き物の巣になっています。
expn0365

海底峡谷の斜面(だと思います)に現れた、不思議な窪み。なぜ、これが注目すべき事かといえば、海底は地上のように雨が降ったリ、風が吹いたり、植物が生い茂ったり、雪に埋もれたりしませんから、数十年、数百年まえの自然現象が、そのまま残っていたりします。もしかしたら、何万、何十万年、あるいはそれ以上。
一面、なだらかな斜面に、ぽつんと窪みがあるのは、やはり「何かが起きた」という証ですし、その「何か」が重大な科学的発見の糸口となるかもしれない。調査や研究の積み重ねは、こういう地道なものだと思います。目の前に突然、不思議なイカが現れるわけではないですし。
expn2446

こちらは海底生物が描いたであろう、「足跡」です。でも、なぜ、こんな形状なのか、彼らはどこから現れて、どこに消えてしまったのか。こんな生物の痕跡がいつまでも残っているのが海底です。地上では雨が降ったら、熊の足跡も数日で消えてしまいますが。
expn2432