生きることは霧の中を走るが如く 映画『ミスト』

2017年9月15日映画, 生きていくこと

※ ネタバレあります。この作品に関しては、先にオチを知ると、「ブルース・ウィルスの正体を知っているシックス・センス」並に白けます。これから見る予定の方は必ずスルーして下さい。

映画『ミスト』(The Mist)・2007年 は、「ラストが悲惨」という評判以外、何の予備知識も持たずに見始めました。

どうやらホラーらしいので、私はてっきり『ジョン・カーペンターの『ザ・フォッグ』』のリメイクと思い、「ラストが悲惨」=「全員、皆殺し」みたいに思い描いていたのです。

そうしたら、謎の霧と怪物に襲われ、スーパーマーケットに閉じ込められた人々が、なにやら疑心暗鬼になるわ、互いに詰り合うわ、神の怒りだ、黙示録だと騒ぎ立てる「キャリー」のおかんみたいなオバサンが登場するわ、、、どうもジョン・カーペンターのおちゃらけホラーとは様相が違う。

このノリはもしかして・・と、どうしてもそこだけ気になって、鑑賞途中にネットで調べてみたら、原作=スティーブン・キング。

また、お前か (-.-)y-~~

ええ、そう、B級パニックの体を取りながらも、実質的には人間心理の暗部を描いた憂鬱なドラマで、奈良ドリームランド「怪奇の館」みたいなクモの怪物より、聖書片手に狂いまくるオバハンの方がよっぽど神経に障りますがな。

最後に、一見小心そうな店長さんがズドンと一発お見舞いした時には、目の前に「THE END」というタイトルロールが浮かびませんでしたか?

地獄というなら、狭い店内で繰り広げられる鬱々とした人間同士のやり取りそのもの。

主人公のパパが「脱出しよう」と決意するのは、怪物のみならず、あの場に居合わせた人々の社会でもあると思います。恐れ、疑い、憤りながらも、自ら動く勇気は持てず、その場に囚われて自滅を待つだけの現実です。

どうにかTOYOTAのランドクルーザーに乗り込み、行ける所まで走り続けるけれど、霧の中でついにガソリンが突き、希望は絶望へと変わる。

そんな彼らに追い打ちをかけるように、巨大な怪物が彼らの頭上をのっそりと横切り、結局、霧から脱出することは叶わなかったことを思い知らされます。

もはや怪物に食い殺されるのも時間の問題。

彼らの手の中には一丁の拳銃と四発の弾丸があるのみ。

もはや何も言う必要はありませんでした。

そして……。

多くの人は、「何事も諦めなければ、いつかは霧が晴れ、救いが訪れる」という力強いメッセージを感じ取るでしょう。

それは全くその通りなのですが、一方で、私はおじいさんとおばあさんの語るこの台詞も一つの真実を表しているように思います。

仕方ない。
できる限り努力した。
誰も否定できない。

そうね。誰も否定などできないわ。

この場面、英語では次のように語られています。

Well.. we gave it a good shot.
Nobody can say we didn’t.

Nope.
Nobody can say that.

直訳すれば、「我々だって、奴らに一発お見舞いしてやった。我々が何もしなかったなんて、誰にも言えない」「ええ、そうよ。誰にも言えないわ」という感じ。

この部分の字幕も彼らの言いたいことを上手に表現してますよね。

a good shot には、反撃、忍耐、決断、勇気、いろんな意味が含まれていると思います。

ただ状況に流されるだけでなく、我々だって必死に戦ったのだと。

だから、ここで自ら死を選んでも悔いはない。

その事について、誰も弱虫とか愚かとか責めることはできない。

本当にその通りです。

だから、おじいさんの死に顔も決して苦痛に歪んではない。

安らかな気持ちで逝けたことを表しています。

主人公や巻き添えになった子供の視点で見れば、彼はもう少し頑張るべきだったし、どんな時も死を選ぶのは間違いだ、という気持ちになるでしょう。

でも、そんな事はラストを知っている人間が客観視できるから言えることで、実際に自分がその場に居れば、何が正しくて、何が間違いかなど、正しい判断など出来ないと思うのですよ。

ただ一つ確かなのは、どんな状況でも精一杯力を尽くせば、たとえ思わぬ結果になったとしても、良い意味で諦めがつくということ。

霧が晴れて、向こうから戦車が現れた時、まさに人生はかくの如しと感じた人が大半かもしれません。

人生は霧の中を訳も分からず走り続けるようなもの、その結末は誰にも分からないし、どこに救いがあるかも知れない。

ただただ現実の恐怖や不条理や災いから逃れ、いつかこの霧が晴れて幸せになれるよう、一縷の望みを託して走り続けるばかり、と。

でも、おじいさんとおばあさんの視点に立てば、必ずしも霧の向こうに辿り着き、万歳三唱するだけが人生でもないと思うのですよ。

要は、いかに戦うか、そして納得するかが重要で、霧の向こうにあるものが幸不幸を決めるわけではないと。

そして、それぞれの決断と行動は、誰に責められるものでもない。

ただただ、私たちは自ら選び、生きて行くだけ。

それだけでも十分価値があるのだと、あの奈良ドリームランド「怪奇の館」みたいなクリーチャーと見比べながら思った次第です。人間には意志もあれば思いやりもあるという点で。

ちなみに、私はスーパーに取り残された人達も助かって欲しいと思ってます。

多分、それが普通の人間の姿であり、彼らにもまた幸せに生きるチャンスはあるから。

霧(ミスト)の中で待ち受ける運命を悟る
ミスト スティーブン・キング

ミスト スティーブン・キング

答えは言うまでもない
ミスト スティーブン・キング

*

この作品には良い意味で騙されました。

最後は、霧の中をひた走るスティーブン・キングの原作も、いつか機会があれば読んでみたいと思います。

スティーブン・キングの原作