松田優作の映画『蘇る金狼』『野獣死すべし』~今に失われたもの~

70年~80年代の角川映画全盛の頃、『松田優作』という俳優は決して好きなタイプではなかった。

中学女子の王子様像とはあまりにかけ離れた鋭さや激しさ、そしてナルシストぶりが、私にはインパクトが強すぎて、まともに正面から見ることができなかったからだ。

だけど時が過ぎ、懐かしさから映画の予告編を見直すと、なんと色気のある役者さんだこと。

腰から下に真っ直ぐに伸びたスリムな脚に、くわえ煙草の似合うニヒルな口元。死にかけた兵士のような土色の顔の中に、眼だけが爬虫類のように見開き、この世のすべてのものを否定し、噛みついてみせる──。

誰でも表面でイキがることは出来るけど、演技と現実の境目がなくなるほど芯から狼になりきれる人はない。

もしそんな人が現実に存在するとしたら、それこそ伝説の野獣だと思わずにいないくらい、予告編の優作は他を圧倒して見えた。

*

松田優作の代表作『蘇る金狼』『野獣死すべし』(大藪春彦・原作)。

中学生の時は、キザで、凶暴なナルシストにしか見えなかった優作さんだけども、思えば、あれは役柄のせいだったんだと、つくづく。

今、彼が生きていたら、ハリウッドの赤絨毯で、レオナルド・ディカプリオの隣で、にっこり笑っているのはこの人だったかもしれない……と思わずにいない。

この作品については、思い入れたっぷりの素晴らしいレビューがたくさん公開されているので、私は違う角度からアプローチしようと思う。

★おすすめレビュー★

レビューサイト「藝術大全」より。
どちらもネタバレですが、所々に笑いを取り入れた、スピード感のある文章が絶妙。
「あの世代」にしか書けない珠玉のレビューだと思います。

『蘇る金狼』 http://summaars.net/yomigaeru.html
『野獣死すべし』 http://summaars.net/yajyu.html

予告編と名シーン

前野曜子の主題歌が大ヒットした『蘇る金狼』。
レビュアーの皆さん、書いておられますけど、中学生の私にも、風吹ジュンとのベッドシーンは(特に朝食の場面)衝撃でした(汗)。殿方の中にはあれを実践した人がいるんだね(ウソかマコトか知らないが)。それぐらい男性は刺激される作品ってこと。
とにかく松田優作の魅力をギュっと詰め込んだ、せつなく、痛快なハードボイルド。
脇役の成田三樹夫さんも素晴らしすぎる。ラスト、大量の麻薬を手に入れて「キヒヒヒヒ」と笑い出す場面は個人的にアカデミー賞をあげたいぐらい。


何もかも手に入れて、まさに「笑いがこみあげる」主人公・朝倉。
こういう演技って、できそうでできないよ。
これを演じた時、優作は30才。今の30才の俳優にこの不適な笑いができるだろうか。

※ 動画は削除されました

こちらは賛否両論わかれる『野獣死すべし』。大藪氏の原作は息の長いロングセラーであり、主人公の伊達邦彦は珠玉のキャラクターとして愛読者の記憶に刻まれる。
銀行強盗の後、彼を追跡してきた刑事にロシアン・ルーレットを仕掛け、アメリカの古典『リップ・ヴァン・ウィンクル』について語って聞かせる場面は、まさに狂気が乗り移ったかのよう。この迫力、日本映画史に残る名場面と思う。
「料理の鉄人」でスマートな進行役をつとめた鹿賀丈史さんが、ここでは血の気の多いチンピラを演じているのがポイント。
この作品は「たかしまあきひこ」さんのBGMが素晴らしい。


ネタバレになりますが、淡い恋心を抱く女性にも非情に銃を向ける伊達邦彦。
小林麻美さんの男性ファンって、根強いんですね。私はやはり同性ゆえに、あまり記憶に残ってなかったのですが。

※動画削除

§ 野獣亡きあと

今、もし、優作が生きていて、ライブでこのような映画を制作したとしたら、果たして世間は両手を広げて迎え入れただろうか。

演出が過激だとか、性格がワガママだとか、重箱の隅を突くような批判を浴びせて、血祭りに上げないだろうか。

今、伝説として懐かしむからこそ、誰もが「いい映画だ」と惜しんでくれる。

でも、これが、明日にも大手の映画館で公開されるとすれば、多分、口汚く罵る人の方が多いのではないか、と思ったりする。

いちびるな。

自惚れるな。

なにカッコつけてんだよ、アホか、てめえ。

そんな声が聞こえてくるんだな、ネットの隅々から。

たとえ優作がいたにせよ、日本の映画界は、もう二度とこんなアクの強い作品は作らないだろう。

あり得ない設定でも、主演俳優の独壇場でも、「映画ってのはね、とことん面白くなきゃ」そんなエンターテイメントに撤したような作品は、手がける人もないし、演じる人もないと思う。

いわば、誰も彼もが小さくまとまって、波風立てないように媚び売ってるような感じ。

冒険もしないし、ワガママも言わない。

まして、「伊達邦彦を演じるために、足を5センチ切断して、理想の身長になりたい」などと、サイケな妄想に取り憑かれ、狂気の限界まで役に近づこうとするような役者さんは、少なくともメジャーな舞台にはもう二度と現れない。出たとしても、潰される。そういう青臭い土壌が、今の日本の客層にはある。

だから、つまらない。見る方も、作る方も、つまらない。

今の若い世代もさぞかし退屈だろうと思うよ。

次から次にアイドルグループや人気作品は登場するけども、酔えるほど面白くないもの。

まさに素人に毛が生えたような役者ばかりが世間の顔色を窺って、嫌われないよう、叩かれないよう、ビクビクしながら物を作ってるような感じ。

でも、それは、必ずしも作り手や演じ手が著しく衰えたからではない。

ネットや口コミを通じて、くだらない批判がワッと飛び込んでくるようになったからだ。

批判やスキャンダルはプロの宿命とはいえ、物には限度がある。

聞くに値する批判ならともかく、言いがかりとしか思えないようなクレームをあちこちに書き散らされて、それでも自分の世界観を貫こうなんて強い気持ちになれたら大したもの。たとえ当人にヤル気があっても、周りが顔色を窺って止めさせる。

ことなかれ主義がクリエイティブな世界をも浸食して、中身が空っぽになりつつある、それが今のエンターテイメントだ……というのは、言い過ぎだろうか。

多くのファンは、「今、もし優作が生きていたら」と輝くようなキャリアを思い描かずにいない。

でも、一方で、今のエンターテイメントに優作のような俳優の生き場所があるのだろうか、とも思う。

完璧主義の優作のこと、今の世の有様に苛立ち、憤死してたかもしれない。

野獣が野獣らしく生きられたのは80年代まで。

野獣亡きあと、エンターテイメントの世界も急速に乾いていった。

優作と一緒に自由も死んだ。

伊達邦彦が愛したニーチェの言葉を借りるなら、クリエイティブな世界における本当の意味での「自由」を、オレたちが殺してしまったのだ。何かあると、万匹の犬が訳も分からず一斉に吠えたてる、くだらない意見の海の中で。

『自由な表現』──それによって、世界がもっと面白く有意義に変わることを誰もが期待したけども、現実はかえって逆の方向に後退したような気がする。

ツールや技術がどう、というよりは、元々、本当の意味での個人の自由を受け入れる精神的土壌を欠いているからだろう。

まだ俳優や映画監督や脚本家が「特別な存在」であり、表現することが本当に才能ある一部の人たちだけに許された時代は、彼らのアクの強い主張も仰ぎ見るしかない歴然たるボーダーがあった。

でも、その境界線もぼやけ、誰もが一流、誰もが平等の錯覚に陥っている今は、他を圧倒するような本物のキラメキは、モグラを刺激する太陽でしかない。

牙を剥いた野獣さえもがんじがらめにして窒息死させる土壌においては、野獣であるそのこと自体が罪なのだ。

かくして、時代が変わる前に、優作はこの世の人ではなくなった。

あるいは映画の神様が、誇り高き野獣がズタズタにされる前に、そっとねぐらに帰してやったのかもしれない。

「もし、今、優作が生きていたら」と思う時、その才能を惜しみながらも、早すぎる死がかえって幸いしたのではないか、と感じる人は、きっと私だけではないはずだ。

松田優作の「伊達邦彦」

『野獣死すべし』の中で、主人公の伊達邦彦が、自分の心情を託して詠みあげる荻原朔太郎の詩。
私もこの映画を見て初めて知ったのだけど、優作が朗読すると、それだけでドラマになりそうな感じ。

漂泊者の歌(1921)  萩原朔太郎

日は断崖の上に登り
憂ひは陸橋の下を低く歩めり。
無限に遠き空の彼方
続ける鉄路の柵の背後(うしろ)に
一つの寂しき影は漂う。

ああ汝、漂泊者!
過去より来たりて未来を過ぎ
久遠(くおん)の郷愁を追ひ行くもの。
いかなれば蹌爾(そうじ)として
時計の如く憂ひ歩むぞ。
石をもて蛇を殺すごとく
一つの輪廻を断絶して
意志なき寂寥(せきりょう)を踏み切れかし。

ああ 悪魔よりも孤独にして
汝は氷霜の冬に耐えたるかな!
かつては何物をも信ずることなく
汝の信ずるところに憤怒を知れり。
かつて欲情の否定を知らず
汝の欲情する者を弾劾せり。
いかなればまた愁ひ疲れて
優しく抱かれ接吻(きす)する者の家に帰へらん。
かつて何物をも汝は愛せず
何物もまたかつて汝を愛せざるべし。

ああ汝 寂寥の人
悲しき落日の坂を登りて
意志なき断崖を漂泊(さまよ)ひ行けど
いずこに家郷はあらざるべし。
汝の家郷は有らざるべし!

関連アイテム

昼間は冴えないサラリーマン、夜になると牙を剥き、会社乗っ取りをたくらむ朝倉哲也。
上司の愛人に近づき、クスリ漬けにして、ついには会社経営権と社長令嬢まで手にするが……。

狼のように鋭く、強靭な野心を秘めた朝倉はまさに優作のはまり役。
多少ご都合主義な話運びはともかく、優作はじめ名脇役たちもこれ以上ないほど生き生きと輝いている。
特に小心で小賢しい上司を演じる成田三樹夫のうろたえ方は最高。脇役を見るだけでも十分に楽しめる。
千葉真一もちょろっと登場するけども、優作の存在感をかすめないよう、ちょっと間の抜けた感じで演技しているのが印象的。

これはもう、松田優作という俳優を堪能するための作品。
大藪春彦の原作がずっと再版されないのが悔しいね。

日本の映画も昔はこんなアダルトで色濃い濡れ場を撮ってたんだよなー、とつくづく。
女優さんも肉感的で、世界ダントツの色気があります。

松田優作みたいな俳優なんて、二度と出てこんでしょうね。

こういうこと言うと、ホント不謹慎かもしれんけど、
精気がギラギラした狐狼のまま亡くなって、俳優としては良かったのかもしれん・・
「白髪のおじいさん」になっても、それはそれで魅力的だったかもしれないけど、果たして今の時代にマッチしたかなー、と、つくづく思う。高倉健さんや緒方拳さんや山崎努さんの色気とはまたちゃうからねー。

(数年前まで)こんなに根強い人気があるのに、なぜか廃刊になってるんですよねー。古本しか入手できないなんて不思議。

だったのが……

見事、復刊してました! 嬉しいですね。機会があれば、また購入しよう☆

小説でも一番人気のキャラクター伊達邦彦が都会の真ん中で狂気を炸裂する。
戦争ジャーナリストとして世界中の激戦地を体験するうち、他人には到底理解し得ない独特の哲学を体得した伊達は、たまたま出会ったチンピラを感化して、凶悪な銀行強盗を働く。追跡してきた刑事をめった打ちにし、彼らの逃亡は成功したかに見えたが……。

「蘇る金狼」が素直に受け入れられるのに対し、この作品は賛否両論で、松田優作のワンマンぶりに嫌悪感をもよおす人も多い。
にしても、ロシアン・ルーレットを仕掛けて『リップ・ヴァン・ウィンクル』の物語を語り聞かせる演技は、常人には絶対に真似できないもの。
この場面を鑑賞するだけでも見るに値する。
バックに流れている無機質なジャズ・バラードも秀逸。
最後はわけわからないけど、いつまでも心に残る映画です。

これは未だに根強い人気を誇り、ずっと刊行されています。
いつか原作も読んでみたいです。

つい購入してしまった四枚組。「蘇る金狼」「野獣死すべし」「人間の証明」「探偵物語(薬師丸ひろ子))」。
でも、「蘇る金狼」が一番いいね。

初稿:2010年12月10日

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