漫画家の育成に必要な「場」とは ~中野晴行の「まんがのしくみ」より~

2017年9月15日アニメ&漫画

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中野晴行さんは、私に「神の子供」というエログロ漫画を衝動買いさせた、漫画コラムニストです。
『まんがのソムリエ』もとても面白いです。
そんなに危険で美しいのか?? と立ち読みし、オチが気になって衝動買い(´ヘ`;)
感想は・・でした、私の場合。
でも西岡兄妹さんのセンスは好きです。カフカの短編は読んでみたいですね。



そんな中野さんの面白コラム、今回のお題は「京都にトキワ荘が生まれる!? 京都市が計画する「京都版トキワ荘事業(仮称)」でした。

京都らしいなぁ、と思いながらも、本当にこういう場所から偉大な漫画家が育つのかしら? という疑問も。

若い人が一定期間でも共同生活する経験は貴重だし、それで互いにモチベーションが上がるなら意義もあるのでしょうが、「デビュー」を担保にされたら、挑む方も、提供する側も、ちょっとキツイんでないかい? というのが私の印象です。中野さんの指摘通り「トキワ荘があったからデビューできたわけではない」というのが本当のところでしょう。

それでも何の機会も与えずに「若者ガンバレ」と言うよりは、京都市の姿勢は評価できると思います。たとえデビューできなくても、本当に「学び」が目的で来ている子なら、将来、何かの形に結びつけてゆくでしょうしね。

まあ、何にせよ、一番肝心なのは、こういう評価の定まらない職業や分野に、「こうしたらなれますよ」マニュアルは存在しない、ってことですね。

国家試験にパスして医師免許を取ったり、プログラミングの基礎を学んでとりあえずIT企業に就職・・というのとは訳が違う。

漫画家でも、作家でも、歌手でも、ダンサーでも、いろんな要素が噛み合わないと上には行けません。

「それでも、どうしても」というなら、新人賞やコンテストに応募して上位入賞する、それが昔も今もこれからも王道だと思います。よく「どうしたら○○になれますか?」というアーティスト志望の質問を目にしますが、どうしたらもクソも、上位入賞して認めてもらえればいいだけの話。誰にも評価されない原稿を抱えて「どうしたら、どうしたら」と訊ねて回っても、返ってくる答えはみな同じだと思います。

そもそも、「どうしたら漫画家になれますか?」という質問自体がおかしいね。

描きたいものがあって、とにもかくにも描く。その結晶が「作品」であり、その先に、入賞とか、同人誌売り上げNo.1とか、プロの道がある。

描きたいものがある人は、プロであろうが、アマチュアであろうが、もうとっくに描いてるし、誰に何を言われなくても、描くものだと思います。おそらく描いている本人には「オレ、漫画家です!」なんて自覚、ないんじゃないでしょうか。好きで始めて、周りにも認められて、いろいろ描き続けてたら一流と呼ばれる人気作家になってた・・という人も多いんじゃないか、と。

何にせよ『テーマ』ありきですよ。描きたいテーマ、歌いたい音楽、踊りで表現したいもの、そういう生涯を貫くテーマがあって始めて、漫画という手段が生きてくる。

史実を通して、人間の愚かさや社会の本質を表現したい。

少年少女の胸キュン物語を通して、「愛」の大切さを伝えたい。

恐怖の極限の中に、生命の本質を見極めたい。

神と悪魔の戦いを通して、「善」とは何かを問いかけたい。

描きたいテーマもないのに、漠然と「漫画家になりてぇ」と思っても、カラッポの箱を振ってダイヤモンドを出せ!と言ってるのと同じですからね。せめて熱エネルギーと炭素ぐらいは無いと。

もちろん漫画の技術も大切だけど、一番肝心なのは、自分が生涯を通して描きたい!と思うテーマを見つけることですよ。

描きたいテーマが見つかれば、技術の未熟さや要領の悪さはさほど気にならなくなる……といより、「何が何でも、これを形にするんじゃぁ~」という勢いで、後から付いて来ると思います。あの池田理代子でも、ベルばら連載の初期と終盤では全然絵のレベルが違いますし、ほんの1年ちょっとであそこまで上達するんですから、やはり「初めにテーマありき」ですよ。それぐらい執念を燃やせるテーマのある人は幸せです。

ともあれ、青春とはテーマ探しの旅。漫画家育成の「場」というなら、生きて、生活すること、そのものが「場」でしょう。「ガラスの仮面」の月影先生も言うてるじゃないですか。「恋すること、苦しむこと、すべてが『紅天女』につながる」と。漫画も「描くべき者」は「どうしたら漫画家になれるでしょうか」という点ではなく、どうしたらこのネタを面白いプロットにまとめられるか、で悩んでる。描く人は、コンビニのお姉ちゃんに「ありがとうございましたぁ」とニッコリ微笑みかけられた出来事からでも、一本、メシの種する。朝起きてから夜寝床に入るまで、頭の中のすべてが「さあ、次は、何を描こうか」ですよ。酒を飲むのも、TVを見るのも、友達と話すのも、週刊誌を立ち読みするのも、全てネタ探しの旅。その日常において無駄な動作などないのです。

そんな訳で、京都のトキワ荘事業も、若い人にとって良い経験の場になるといいですね。

「石の上にも三年」の『三年』に標準を合わせているところがポイントではないでしょうか。

3年はがむしゃらに頑張る。でも3年の間に何かの結果が出せなかったら、潔く撤退する。

回り道して、白旗あげて、でも、またしぶとく人生やり直すのも若者の特権です。

がんばってください。

中野晴行の「まんがのしくみ」より。

京都にトキワ荘が生まれる!?
京都市が計画する「京都版トキワ荘事業(仮称)」。

先日、新聞などで、京都市が若いマンガ家を育てる「京都版トキワ荘事業(仮称)」に乗り出すというニュースが流れた。

新聞によれば、石ノ森章太郎や赤塚不二夫ら人気マンガ家を生み出した「トキワ荘」(東京都豊島区にあった木造アパート)をモデルに、京都の伝統建築である京町家を使って、20~30代のマンガ家志望者を全国から募り、約3年の共同生活をしながらデビューを目指す、という。募集人員は8人で、4人ずつに分かれて入居。家賃はひとり4万円程度になる。

近年保存が叫ばれている町家の再生と、クリエーター育成を実現する一石二鳥を狙ったプロジェクトで、2012年度中に物件を探し、13年度に募集、入居者選定、入居が本格始動する予定だ。京都市は住居の提供だけでなく、マンガの仕事のあっせんや勉強会などでマンガ家としての自立を支えていくとしている。

東京では、NPO法人ニューベリーによる同様の「トキワ荘プロジェクト」があり、すでに実績をあげているが、京都市の場合は自治体が主体になっているのが特徴だ。

ただ、もともとのトキワ荘は、デビュー間もない地方の新人マンガ家たちを、編集部の都合で1か所に集めたもので、トキワ荘があったからデビューできたわけではない。編集者の目の届くところにまとめて住まわせておけば、打ち合わせや締切管理が便利な上に、誰かが忙しいときには手の空いたものに手伝ってもらうこともできる。

当の住人達が書いたもの(描いたもの)を読めば、集まってマンガばかり描いていた、というよりは、映画を観たり、駄べったり、音楽を聴いたり、ときにはふざけ合う時間のほうが多かったこともわかる。

若いのだから当たり前である。そして、このマンガ以外の部分が、のちの作品の糧となっている。

お上が仕事をあっせんしたり、勉強会を開くのなら、若い連中が自由に集まって自由に趣味に没頭したり、遅くまで話し込んだりできる場をつくったほうがいいような気がするのは私だけなのだろうか。

何よりも心配なのは、マンガ出版社のない京都ではデビューそのものが難しいのではないか? という点だ。今のマンガのほとんどは、マンガ家と編集者が二人三脚でつくりあげるようになっている。ファックスやメールが発達したとは言いながら、クリエイティブな仕事は実際に顔を突き合わせてアイディアを出し合い、それを検討し合って進めたほうがいいものができることが多い。

ヒットのカギは編集者との雑談にある、と言い切るベテランマンガ家もいるほどだ。あまり編集者に干渉されたくないタイプのマンガ家にとっては地方在住はベターな選択かもしれないが、これからデビューを目指すなら、編集部のそば、つまり東京に住むほうがいいに決まっている。

東京のトキワ荘プロジェクトの場合は、家賃の高い東京でマンガ家を目指す若者に安い物件を提供することを主体に、その付加価値としてモチベーションをあげるためのプログラムや、プログラムを補完するために調査を行っている。これなら意味がある。

じゃあ、京都に住んでマンガ家を目指すメリットはどこにあるのだろうか。

京都には京都国際マンガミュージアムというマンガ研究の拠点があり、マンガ学部を持つ大学がふたつもある。京都精華大学と京都造形芸術大学だ。どちらの大学も日本を代表するマンガ家や原作者、編集者、マンガ研究者が教員として名を連ねている。

マンガの描き方を学ぶという点では大学のマンガ学部に学ぶほうが合理的だ。デビューへのサポートに関しても一日の長がある。ここで学んで、東京に出たほうがいいのではないか?

藤子・F・不二雄や藤子不二雄A 、石ノ森章太郎たちをトキワ荘に集めたのは、「漫画少年」という雑誌の編集部だった。「漫画少年」で『ジャングル大帝』を連載していた手塚治虫がトキワ荘に入居したのが始まりで、手塚が引っ越したあとの部屋には藤子たちが入居した。

「漫画少年」はマンガ家を目指す子どもたちの投稿作品を取り上げ、マンガの登竜門とも言われた。トキワ荘の住民は元投稿家たちだ。実は「漫画少年」のほうが本質で、トキワ荘はそこから派生したひとつの現象にすぎないのだ。

マンガクリエーターを育てるなら、まず新人たちを育てるための媒体をつくることが重要だ。それができないのなら、いくら現代のトキワ荘をつくっても、藤子や石ノ森や赤塚のような、マンガ表現の歴史を変えるようなマンガ家は生まれてこないだろう。

若いクリエーターが持っている、規制のものを打ちこわし新しいものを生み出そうというエネルギーは、発表の〈場〉を与えることで、初めて開花する。マンガの場合の<場>はアパートではなく、マンガ雑誌だ。

京都版トキワ荘に対する私の考えが、杞憂に終わってくれればいいのだけど。