愛と破滅の旋律 マーロン・ブランドの『ラストタンゴ・イン・パリ』 

2017年11月13日映画, 愛と耽美の映画, 映画音楽

今日もサウンドトラック盤を聞きながら考えていた。
なぜこれほどまでにこの作品に惹きつけられるのだろう、他にも恋愛映画はたくさんあるのに、『ラストタンゴ・イン・パリ』には及びもつかないのだろう、と。

一番の理由は、マーロン・ブランド。
妻に自殺され、若い娘とのアバンチュールに溺れるうらぶれた中年男の淋しさと哀しさが、彼の姿や声色に芸術的なまでに凝縮されて、見れば見るほど胸に迫るものがある。
現実に存在したら絶対に関わりたくないし、近寄りたくもないタイプだが、映画の中では後ろからぎゅっと抱きしめたくなるほど愛らしく、せつない。
この世のありとあらゆる幸運に見捨てられ、最後の望みの綱であった愛人にまで冷たく振りほどかれる。
パリの高級カフェでふざけながらタンゴを踊り、追いすがる彼の姿は、まさに神の恩寵の手からこぼれ落ちた愚人そのものだ。
にもかかわらず、私には彼が一番人間らしい存在に思えてならないし、人生って、そんなに幸せにならなければ意味がないのかと思ったりもする。

破滅するのも、また人の生き方ではないか。

むしろ、破滅の中にこそ、本当の味わい深い真実があるかもしれない。

まるで冷たい秋風に散りじりにされる木の葉のように、流れ落ちる旋律と哀愁に満ちた響きは、人生のもう一つの意味を遠くに照らし出している。

そして、繰り返し『ラストタンゴ・イン・パリ』の音楽を聴く度に、この世を生きることの痛みもまた美しい魂の体験にちがいないことを思わずにいられないのである。

2010/09/14 追記

ラストタンゴ・イン・パリ

『ラストタンゴ・イン・パリ』というタイトルを知ったのは、あるジャズ・ミュージシャンのアレンジした曲がきっかけだ。

流れるようなピアノに合わせて、人間離れしたサックス・ソロが炸裂する。

「ラストタンゴ・イン・パリ」というお洒落なタイトルとは裏腹に、まるでパリの町を全力疾走するような迫力にすっかり魅せられ、来る日も来る日も聞き惚れていた。

やがてそれが、1970年代、「芸術か、猥褻か」で大問題になったベルトリッチ監督作品のテーマ曲だと知り、映画にも大いに興味をもったものの、なかなか見る機会がなくて、記憶の片隅に追いやられること数年。

最近、YouTubeで、ようやく再会することがかない、改めて、この作品への思いを深めた次第だ。

*

私が「ラスト・タンゴ・イン・パリ」にのめりこむキッカケとなったリッチー・コールの『Last Tango in Paris』。
技巧派と呼ばれたリッチーの、疾走するようなサックスが素晴らしい。
これをYouYubeで見つけた時は本当に嬉しかった♪

※ Richie Cole / Last tango in Paris で検索してみて下さい。

『ラストタンゴ・イン・パリ』。

それは破滅と退廃の象徴であり、夜の袋小路に迷った人間の投げやりなラストダンスのようである。

だが一方で、はかなくも美しい。

『男と女の愛』って、ただ触れ合い、求め合うだけでもいいんじゃないか、と。

そこに優しさや思いやりなどなくても、一瞬狂おしいほど燃えることができたら、その記憶は永遠に残るのではないか──と。

そんなことを感じさせてくれる名曲である。


STORY


あらすじ Goo映画情報より

ある冬の朝、パリのアパートの空室で男女が偶然に出会った。
中年の男ポール(M・ブランド)と若い娘ジャンヌ(M・シュナイダー)は、お互に興味も持たず室内を点検していたが、間違い電話に刺激された男の強い腕がジャンヌを捕え、彼女を犯す。
その後、二人は何事もなかったように別れた。

ジャンヌにはTVプロデューサーのトム(J・P・レオ)という婚約者があったが、ジャンヌはあのアパートでの悪夢にも似た一瞬の暴力が忘れられなかった。
彼女は憑かれたように再び部屋を訪れた。
彼女がひそかに予想していたように、ポールがいた。
彼は提案した。ここにいる間はただの男と女。
名も知らず、過去も一際明かさない。ここではセックス以外存在しない、と。
ジャンヌはこの異様なアバンチュールに身を投じた。
二人は孤島のようなアパートの一室で会い、オスとメスになって肉欲に身を焦がす。

ポールには、ポールは下町で簡易ホテルを経営していた。
彼の妻ローザは自殺し、彼にはその理由が分らなかった。
彼は、妻と肉体関係を結んでいたホテルの住人マルセル(M・ジロッティ)を訪れ、妻の話を聞いた。
妻は自分よりもこの男を愛していたようだ。

一方、ジャンヌは次第に耐えられなくなってきた。
ポールとの“隔絶した肉欲の時”とトムとの自然な愛の流れの使い分が困難になってきたのだ。

この不思議な契約が消滅する日がきた。彼女は呪縛から解放され、トムをともない新しい生活の場としてこの部屋を見直した。その帰り道、ポールはジャンヌを待ち伏せていた。
彼女はポールにはっきり宣告しなければならなかった。
昼間のダンスホールは社交ダンス・コンテストが開かれていた。
タンゴの曲が流れ、二人は酒に酔いしれた。
逃げるジャンヌを、ポールは執拗に追い、彼女の家へ押し入った……。

こちらにより詳しい解説があります。上手にまとめておられますので、ぜひご覧下さい。
Miu’s Works 『ラストタンゴ・イン・パリ』


映画レビュー

1972年に公開され、過激な性描写から世界中でセンセーションを巻き起こした、ベルナルド・ベルトリッチ監督の『ラストタンゴ・イン・パリ』と言えば、一般に「男と女の肉体愛を描いた作品」で知られているが、この映画が本当にテーマとしているのは、マーロン・ブランド演じる中年男の悲哀と破滅、人間の救いようのない孤独であり、”過激な性描写”はあくまで破戒のシンボルに過ぎない。

それだけに、妻に理由なく自殺され、幼少の頃から人並みな幸せなど何一つ味わったことがなく、行きずりで出会った女と肉欲のままに交わる「ポール」を演じたマーロン・ブランドが、その演技を絶賛され、ニューヨーク批評家協会賞を受賞したのも頷ける話だ。

同年公開された映画『ゴッドファーザー』では、愛と威厳に満ちたドン・コルレオーネをこれ以上ないくらい立派に演じたマーロンが、本作では、気持ち悪いほど暗く、しつこく、厭世観に取り憑かれた中年になりきっている。

とりわけ、死に化粧をほどこした妻の亡骸に、恨みとも嘆きともつかない独白をする場面は、映画史上に残る名演と言ってもいいのではないだろうか。

パリの一角の薄汚れたアパートの一室に偶然居合わせた「男」と「女」。

そこにかかってきた一本の間違い電話が、突如、二人の緊張を解き放ち、得も言われぬ欲望を掻き立てる。

まるで磁石が引かれ合うように抱き合い、立ったまま激しく交わるが、その後、二人は、互いの素性を聞くこともなく別れ、男は自殺した妻の実母が待つ我が家へ、女は婚約者の所へ、帰って行く。

だが、肉体の余韻に誘われるように、再びアパートを訪れる二人。

それから名も知らず、素性も分からない、奇妙な逢瀬が始まる。

女は自己紹介しようとするが、男は、「名前は言うな、聞きたくない。ここでは外のことは一切忘れて、ただの男と女として交わるんだ」。

そんなスリリングな状況に最初は心を躍らせるが、女は「何ものにもなれない」ことに不満をつのらせ、男はやり場のない気持ちを持て余すようになる。

そんな時、恋人からのプロポーズ。

一度は、仮縫いの花嫁衣装を着けたまま、「やっぱり別れられない」と男に取りすがるが、現実にかえり、魅力的に見えた男が、ただのルーザーであることに気付いた女は、「もう終わりにしましょう」と冷たく突き放す。

だが、こうなってはじめて真実の愛に気付いた男は、必死に彼女の後を追いかけ、真心を打ち明けるが、女のとった行動は思いがけないものだった──。

この映画の最大の見所は、孤独と絶望にうちひしがれ、「この世にいいことなど何一つない」と捨て鉢だった男が、最後の最後にやっと愛に目覚め、人生に希望をもった瞬間、その夢がもっとも残酷な形で絶たれてしまうことである。

「もうイヤよ、終わったのよ」と突き放す彼女に、恐らく、今まで誰にも感じたことがない、まして本気で口にしたこともない、聖なる言葉『I Love You』を告げるポールの顔は、まるで天の光に浄化されたように真摯で清らかだ。

童話なら、感動のうちに抱き合い、永遠の幸福にいたる場面だが、ベルトリッチは容赦なく人生の現実を突きつける。

幼少時から家族愛に飢え、家畜の糞にまみれるような貧しい生い立ちの男と違い、立派なお屋敷で、将校の父親と貴婦人の母親に大事に育てられ、将来有望で優しいフィアンセもある若い女には、妻に自殺された45歳の、生殖能力もない男が夢に描く田舎暮らしなど、とても魅力的には思えない。

かといって、上手く言いくるめて疎遠にできるほど大人としての知恵もなく、「イヤよ」と言って逃げ回るだけだ。

小娘の放った一撃を浴び、男はようやく人生の真実を悟る。

人は孤独から逃げようがなく、誰一人として、本当に分かり合うことなどないのだ、ということを。

そして、おそらく、彼女は自分の罪を最後まで言い逃れるだろう。

「しつこく私を追い回して、レイプしようとした。名前も知らない男よ」

周りも納得し、美しい花嫁としてバージンロードを歩く。

ハンサムな夫との幸せな結婚生活が待っている。

昨日までの出来事は、悪い夢。

何でもないこと、だと。

若い女には、無限に広がる未来があり、チャンスがある。

だが、人生半ばに達した男は、新しい道を行くことも、後に戻ることも叶わない。

この温度差が、人間の悲哀をいっそう色濃く浮き上がらせる。

そして、恐るべきは、人間の辛い真実を、30歳のベルトリッチが見事に描ききったことだ。

神の救済までも突き放すような監督の鋭い眼差しは、キリスト教において固く禁じられているある種の「性行為」を通じて、人間の救いようのない不幸と無力さを観客にとことん突きつける。

それは、性表現がいっそう派手になった21世紀に見直しても、下品で、破廉恥で、宗教的感情を逆撫でするような場面ではある。

だからこそ、肉欲にまかせた触れ合いの中で、神の助けも借りずに真実の愛に目覚めたポールが、いっそう神々しく映らずにいないのである。

『ラスト・タンゴ・イン・パリ』。

紳士淑女が集う高級バーの片隅で、二人は最後の杯を飲み交わし、酔いにまかせてダンス・コンテストの会場に転がり込む。

そして、下品きわまりないタンゴを披露し、審査員に叱責され、上品ぶったおばさんにお尻の穴を見せて去って行く。

哀愁に満ちたタンゴをバックに、無邪気に絡み合う二人の姿は、幸せそうな恋人同士にしか見えない。

そして、若い恋人ともう一度、新しい人生を生き直したいというポールの願いは、あまりに残酷な仕打ちで返されてしまう。

それでも「愛」は愚かだろうか。

希望は常に裏切られるのだろうか。

否──。

この世のことも、人が生きることも、それほど単純ではないことをベルトリッチは教えてくれる。

ポールが最後に辿り着いた『I Love You』の想いと、すべてを納得したような静かな死に顔。

一見、マリア像を後ろから陵辱するような作品に見えて、実は、人間の内なる『神』を描いているように思えてならないのである。

期:2010年4月24日

*

こちらは、映画のタイトルが象徴する『二人のラストタンゴ』。
若い恋人同志のようにじゃれ合う姿がかえって痛々しい。


ラストタンゴ・イン・パリとバター

ところで、なぜ『バター』かと言うと、生娘に横暴を働くために、あのマーロン・ブランドが!!

私の敬愛する『ゴッドファーザー』が!!

生娘と事に及ぶために、『バター』を使ったから。

……ショックでした。

しばらく、バターを見るのが哀しかったほど。

バターが見たい人は、You Tubeでどうぞ。

last tango in paris butter で検索してね。

*

撮影時、女優のマリア・シュタイナーはわずか19歳。
Youtubeにアップされた情報によると、最初、この場面はオリジナルの脚本にはなく、マーロン・ブランドのアイデアで取り入れられたらしい。
マリアは自分のエージェントか弁護士を呼ぶべきだったと述懐。
この場面で、彼女は本物の涙を流したと言う。

またWikiによれば、マーロン・ブランドは、前妻に『こんな恥さらしなセックス映画に出た人に父親の資格がない!』と言われ、全面的に親権を奪われてしまったのだとか。
「役者として拷問のような体験だった」と語っていたそうだ。

当たり前だわなー。

いくら演技でも「バター」はちょっと……。

*

しかし、ミッキー・ロークがこれに触発されて「映画『ナインハーフ』 恋と性の9週間半」を制作した――というエピソードも納得です。

そして、このテーマ曲『ラストタンゴ・イン・パリ』は古今東西のアーティストに様々にアレンジされ、今に語り継がれています。

こちらはマリーナ・ショウが歌う『ラストタンゴ・イン・パリ』。


歌詞もとてもロマンチックで、求め合う二人の心情をよく表しています。

「Making love not by choice, but by chance = 選んだのではなく、偶然によって愛し合う」

という言葉が象徴的ですね。

We are two illusions who touch in a trance
Making love not by choice, but by chance

We don’t exist
We are nothing but shadow and mist
In the mirror we look as we pass
Our reflections revealed in the glass

Don’t you know that the blood in your veins
Is as lifeless as yesterday’s rain
It’s a game where we come and conceal
The confusion we feel
As long as we’re nameless
Our bodies are blameless

You cried when we kissed
It was nothing but shadow and mist
Two illusion who touch in a trance
Making love not by choice, but by chance
To a theme we tore from their past
To a tango we swore was their last
We are shadows of dance

As long as we’re nameless
Our bodies are blameless

You cried when we kissed
It was nothing but shadow and mist
Two illusions who touch in a trance
Making love not by choice, but by chance
To a theme that we tore from their past
To a tango we swore was their last
We are shadows of dance

The last tango…
The last tango…

私たちは 恍惚に溺れる 二つの幻想
選択ではなく 偶然によって 愛を確かめ合う

私たちは存在しない
この世の何ものでもなく ただの影と霧にすぎない
鏡の中に 私たちが通り過ぎたように見つめる・・・?? (この部分がわからん・・)
私たちの姿が ガラスの中に現れる

あなたの血管の中を流れる血潮は 
昨日の雨のように 
死に絶えたものだということが分からないの?

これは私たちの秘かなゲーム
二人が感じる混沌たる世界

二人が名乗らない限り
私たちの交わりは 誰にも咎められることはない

二人が口付けた時 あなたは涙を流した
それはただの影と霧に過ぎなかったのに

恍惚たる二つの幻想は
選択ではなく 偶然によって 愛を確かめ合う

過去に涙する旋律に寄せて
これが最後と誓ったタンゴに寄せて
私たちは踊る影となる

ラストタンゴ
ラストタンゴ・・

雰囲気は分かるんだけど・・翻訳するのって、難しいですよね~。
英語は英語として味わうのが一番! ……というのは、やはり言い訳か。

これを見たら、もう『ゴッドファーザー』は見られなくなります。

ついでにバターも。

……ああ。

でもやっぱりマーロン・ブランドは素敵・・♪

DVD&CD

欲しい欲しいと思いながらなかなか手が出せなかったDVDとCD。やっと購入しました。

フォトカードの付いたDVD。

ラストタンゴ・イン・パリ

紙仕様のCDジャケットもお洒落です。

ラストタンゴ・イン・パリ

どちらも私の家宝です♪

全編を貫く官能的で、哀愁に満ちたサウンドは、ラテン・ジャズの巨匠ガトー・バルビエリによるもの。
とりわけ二人が踊るラスト・タンゴのメロディは、これ以上ないほど甘く、切なく、愛の悲劇をいっそう際だたせる。
廃盤間近。信じられない。幻の名盤にならないように。

英語・仏語、2カ国語による無修正版。日本語・英語字幕あり。
映像は1970年代のものだが、色あせた感じがかえって作品にマッチしている。
ヒロインの、ロングコートにミニのワンピース、黒い帽子とロングブーツのファッションもお洒落。
これはストーリーを追うより、人間の淋しい内面をとことん感じ取る映画だと思う。
「過激な性描写」の過激さは、エッチ度ではなく、「キリスト教的な」と解釈すべし。
マーロン・ブランドいわく「映画の世界から抜けられなくて、精神的におかしくなった」というほど、取り憑かれたような演技は、それだけで見物である。
一言では語り尽くせない、様々なテーマを感じさせる芸術作品である。

ガトー・バルビエリ

あと忘れちゃならんのが、サックス奏者のガトー・バルビエリ。私も「ラストタンゴ」を通して初めて存在を知ったのですが、もう、ムンムンに熱い。これぞラテン! これぞサックス! 
濃厚ブルドッグソースな演奏は「たまに聞くと」心を癒やされます。(毎日は暑すぎて・・)

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初稿:2010年9月14日