理由探しに明け暮れない

2017年9月15日恋と女性の生き方

世の多くの人が「いいよ」と勧める事──「結婚しなさい」「働きなさい」「子どもを作りなさい」「学校に行きなさい」etc──について、否定的な考えの人がいます。

「結婚したくない」「働きたくない」「子どもなんか欲しくない」「学校なんか行きたくない」etc という気持ちは、心のものなので、どう考えようと個人の自由なのですが、ただ一点だけ、自分に問いかけてほしいことがあります。

それは、『○○しなくていい理由探し』、自分も周りも納得するような理由探しに躍起になってないか、ということです。

たとえば、誰かに「結婚しなさいよ」と言われる。すると、「結婚しなくていい理由」「すべきではない理由」をズラズラと並べ立て、「だから、しない私は正しいのだ」という結論に何が何でも持って行こうとする人がいますね。

そういう人は、「した方がいい理由」というのは考えないし、考えようともしない。

ただただ「自分の考えが正しい」ということを、自分自身にも、周りにも、納得させたいだけ、そういう部分がないでしょうか。

本当に「自分に必要ない」という考えは、そのメリットを肯定しつつも、デメリットの方を選択することです。

たとえば、熱心なシャネラーが、「自立した女性ならシャネルみたいなブランド物の一つも持つべきよ」という主張した時、でも、自分は本当にブランド物には興味ないし、それを持ってないからといって自分の価値が下がるとも思えない、という場合、「何が何でもシャネルをもつ必要はない」という理由を目くじら立ててまくしたてるでしょうか。普通の感覚の持ち主なら、「シャネルも素敵だなあ、と思うけど、私はそんなに贅沢もできないし、手頃なブランドで十分お洒落できるから、特に必要ないのよ」とさらりとかわすのではないでしょうか。

それと同じで、「今の自分には本当に必要ない」と思える時、人は、その肯定的な部分も素直に認められるものです。

「いい人がいれば結婚してもいいかなぁ、とも思うけど、今は仕事が楽しくって、とてもとても・・」

と笑って答えればいいだけの話ではないでしょうか。

「だって、結婚しても、女性が不自由になるだけだし、必ずしも幸せになると限らないし、既婚者でも孤独になってる人はいっぱいいるし・・」

等々、機関銃のごとく「しなくていい理由」を並べる時、あるいは、「いいよ」とすすめる人の肯定的な理由にことごとく腹を立てる時、人は「していない自分を正当化する」ための理由を、自分にも、他人にも、必死に求めているだけのような気がします。

だから、自分の気持ちは、本当はどうなのか。

いろんな状況を照らし合わせて、「本当に必要ない」と思っているのか、あるいは現在の自分を何としても正当化したいか、そのあたりが、分かれ目だと思います。

周りに腫れ物みたいに思われ、「あの人には何を言っても無駄だから」と敬遠される時、たいがい人は正当化の理由探しに躍起になっていることが多いです。

もちろん、自分の考えを周りに理解してもらうことは大切ですが、肯定的な部分も認めようとせず、「だって、だって」とリクツを返せば、周りの人もうんざりするし、自分もしんどいと思います。

そして、自分の気持ちときちんと向き合うこともなく、そういう理由探しに明け暮れて、結局、仕事も、人間関係も、何もかもがつまらなくなってしまう人、決して少なくないのです。