カール・マルクス  ~労働、社会、そして人生の哲学~

2017年9月15日書籍と絵画, 仕事と人生, 詩心と哲学

「人はパンのみに生きるにあらず」――というなら、「人は賃金のみに働くにあらず」というのが私の仕事哲学だ。
ソビエト連邦が崩壊し、ベルリンの壁も取っ払われた今、何故マルクスなのか、と思う人もいるかもしれないが、今だからこそ“マルクス”を冷静に見直せるのではないだろうか。
私は安保に揺れたあの時期を知らないし、マルクスや共産主義について本格的に勉強したわけでもないので、偉そうなことは言えないが、彼の、こと労働に関する分析と思想は、未だ新しく、現代に、そして未来に通じるものがあると私は確信している。

マルクス 名言集

プロレタリアートとは、自分の生活の維持する費用を、ただ自分の労働力を得ることによってのみ得ていて、あらゆる種類の資本の利潤からは得ていない社会階級である。
その幸福と不幸、生と死、その存在全体は、労働の需要、景気の変動、どう決まるかわからない競争の結果などにかかっている。

「今日までのあらゆる社会の歴史は、階級闘争の歴史である」――
かの有名な『共産党宣言』は、この一節から始まっています。
それはまた、この社会が「支配する者と支配される者」「もつ者ともたざる者」といった二極の層から成ることを示唆したものともいえるでしょう。

マルクスは、資本主義社会を構成する二極の層を「ブルジョアジー」「プロレタリアート」という名称で表しました。
そして彼の眼は絶えず「ブルジョアジー」の下にある「プロレタリアート」に向けられ、どうすればこれらの人々が真に豊かに暮らせるか――
生活の不安に脅かされることなく、この社会で生存してゆけるか――という想いから彼の思想の旅が始まったのです。

プロレタリアにおける最大の不幸は何か?
それは生存は保証されず、生産手段をもたない裸の存在であり、その代わり売るものは唯一つ、“労働力”であり、生きるも死ぬも、これにすべてがかかっている――

というのが彼の分析です。
自分がどっちの層に属するか分からなければ、まず自分に「生産手段」があるかどうか考えてみましょう。
もしリストラで会社をクビになった時、あなたは明日から食べていくことができますか?
電気代やガス代はどうなりますか?
家のローンが払えなくなっても、住み続けることができますか?
何らかの原因でサラリーが打ち切られた時、もう路頭に迷うしかないとなれば、あなたは立派な「プロレタリア」です。
人や会社に雇われる以外、食ってゆく道が無いならば、あなたはこの社会に何の「生産手段」ももたない、ただ労働力を売ることによってのみ生存可能な「プロレタリア」なんです。
今は「中流」という言葉にごまかされ、適度な豊かさに身を置いているから分からないけど、もし、いつかあなたが会社をクビになり、もうどこからも生活費を得ることができなくなったとしたら――
そしてこの社会に生存し続けることさえ、誰にも保証してもらえなくなったとしたら――
マルクスの言葉をきっと実感することでしょう。

人間は労働を通して社会的存在になる。
社会的存在とは、自分一人の世界の中ではなく、人々との交流の中に生きているということである。

この一節に、マルクスの労働に対する思想が集約されていると思います。
【人は賃金のみに働くにあらず】 ――どんな人でも、自分の仕事には賃金以上の“何か”を求めているのではないでしょうか。
たとえば『やり甲斐』。自分がこの仕事を通して人や社会に役立っているという喜びや自負。その仕事によって人から認められる誇らしさ。
組織の中で自分ならではのポジションを確立しているという自信。
それは決してお金で得られるものではありません。
たとえそこそこに収入があったとしても、自分の仕事に何の意味もやり甲斐も持てないなら、それはいたずらに心身を消耗する“苦役”でしかなく、その人に何をも与えはしないと思います。

労働の生み出したもの――つまり生産物が労働者にとって疎遠なものになるのは、労働という行為そのものが労働者にとって疎遠になっているからである。
苦役にしか感じられないような労働は、まさしく【疎外された労働】であって、苦役の労働者は働くことにも、また働いた成果にも何の興味を抱こうともしないだろう。
そういう不遇な労働者はすべてを金のためと割り切って、自分を慰め、自分の行為を正当化するしかない。

マルクスは、「人間は働けば働くほど、その生産したもの中に生命を奪われていく」状態を、【疎外】という言葉で表しました。
たとえば製造に携わる人がいるとします。彼は賃金を得る為、会社の為、ものを作っているけれど、彼がその行為=労働に何の意味も感じぬまま、ただひたすら機械のように物を作り続けるだけだとしたら、それは単なる苦役でしかないのでは?
そして彼の労働力――すなわち彼の肉体的精神的エネルギーは、彼が製造し続けるモノの中にどんどん吸い取られ、彼に何の見返りも与えないのです。
それでも働き続けられるものでしょうか?
人間としての充足は何処に求めればいいのでしょう?

一般に労働の目的が富の増大である限り、私はあえていうが、労働そのものは有害であり、破滅的である。

労働の疎外は、第一に、労働が労働者にとって外的であること、すなわち、労働が労働の本質に属していないこと、そのため彼は自分の労働において肯定されないで、かえって否定され、幸福と感ぜずに不幸と感じ、自由な肉体的および精神的エネルギーがまったく発展せず、かえって彼の肉体は消耗し、彼の精神は荒廃するということである。
だから労働者は、労働の外部ではじめて自己のもとにあると感じ、そして労働の中では自己の外にあると感ずる。
彼の労働は自発的なものではなく、強いられたもの、強制労働である。
したがって、労働は欲求を満足させるものではなく、労働以外のところで欲求を満足させるための手段にすぎない。

人間にとって最大の幸福は、「自分を生かせる仕事に巡り合うこと」ではないでしょうか。
人は誰しも社会で認められ、社会に役立ちたいと願っている、社会的な生き物です。社会から切り離された“自我”など有り得ないし、社会と無関係に生きることなど何人たりとも出来ない。どんな人間も、多かれ少なかれ、社会に依存しながら生きているものです。

また人間の中には、何にもまして、「自分を表現したい」という強烈な自己実現の願望が在り、全ての人がそのキッカケを求めています。
ある意味で、人の一生というのは、社会の中で自分を完成させる為の道程であるといっても過言ではありません。

そして「仕事」というものは、人を社会的存在とならしめ、自己実現のキッカケを与えてくれる最良のものなのです。
自分のもてるもの全てを注ぎ込める、あるいは一生を賭けるに値するような「仕事」に巡り会えた人は幸せです。
その人にとって、「仕事」はもはや賃金を得る為の「生業 =JOB」でもなければ、辛いだけの「苦役=LABOR」でもありません。自己実現の行為であり、人生そのものです。
たとえ作業に見合った報酬が無くても、万人に認められなくても、彼は心からの充足を感じ、たった一人でも続けていくでしょう。
それが真の意味での「仕事= WORK」なのです。

人間が集団で生きてゆくにあたってもっとも肝心なことは、
ひとりひとりの人間の柔軟な感性と個性に対応できるようなシステムが保証されていることである。
そして同時に大切なのは、社会に対してほとんど「能力」を発揮できない人にも、そういうこととはまったく無関係に、必要とするものが十分に与えられることなのである。

たとえば、
「君、明日からもう会社に来なくていいよ」と言われたら――。
故意に仕事を止められ、何もする事がないまま朝から晩までオフィスに居なければならないとしたら――。
「お前は仕事が出来ないから、もう何もしなくていい」と皆の前でなじられたとしたら――
それは仕事上の問題では済みません。
その人の全人格に関わる問題です。
なぜなら“仕事”というものは、どんな職種であれ、その人の存在価値であり、意義であり、全てだからです。
人は仕事を通じて自分を知り、自分の存在を認識し、社会に位置を築きます。仕事が無ければ、「お前は要らない」といわれたも同然なのです。
人は“仕事”を失った時――あるいは仕事で認められなかった時、自分自身を失ってしまうのです。
昨今、リストラが深刻な問題になっていますが、リストラが人に与える傷は経済に限ったことではありません。
「お前は要らない」と切り捨てられたその事実が、その人の全存在を傷つけるのです。
お金の問題なら取り返せば済みますが、人格についた傷は一生消えません。
仕事を失う(奪われる)という事は、生きる術を絶たれるのも同然なのです。

共産主義社会のより高度の段階で、すなわち個人が分業に奴隷的に従事することがなくなり、それとともに精神的労働と肉体的労働との対立がなくなったのち――、
労働が単に生活の為の手段であるだけでなく、労働そのものが第一の生命の欲求となったのち――、
個人の全面的な発展にともなって、またその生産力も増大し、共同的富のあらゆる泉がいっそう豊かに湧き出るようになったのち――
そのとき、はじめてブルジョア的権利の狭い視野を完全に踏み越える事ができ、社会はその旗にこう書く事ができる。
「各人はその能力に応じて、各人にはその必要に応じて!」

これも有名な一節です。
が、付け加えるなら、こうした「労働の喜び」「賃金以外の精神的充足」は、資本主義システムの中でも十分見出せるものであり、結局は「個人の意識」と「社会の認識」によるのではないでしょうか。

賃上げは、奴隷の報酬改善以外のなにものでもないだろうし、
労働者にとっても、労働にとっても、その人間的使命や品位をかちとったことにはならないだろう。

現実には様々な問題が存在します。人間が労働に賃金以外の「何か」を求める以上、賃金を上げればすべての問題が解決するわけではありません。なぜなら人間は心で働く生き物だからです。

人間の物質的生活を決めるのは社会の経済システムであり、この現実の土台の上に、法律的政治的上部構造が聳え立ち、また人々の意識もこの土台に対応する。
物質的生活の生産様式は、社会的、政治的、精神的生活の様々なプロセスを制約し、人間の意識が存在を規定するのではなく、逆に人間の社会的存在がその意識を規定する。
そして、経済システムという下部構造の変化によって、巨大な上部構造はくつがえる。
つまり経済が社会と人間の全てを決める要因であって、経済のシステムが変われば、社会も人間も変わるのである。

……という思想に支えられ、あちこちで革命が起きました。(それだけが理由じゃないんでしょうけどね)
経済システムを変革し、ブルジョアジーが独占してきた生産手段を解放し、平等な社会が実現すれば、人間もまた幸福になる――と本気で考えていた人がたくさんいたわけですね。
そしてマルクスの望むように革命が起き、共産主義という新しい国家が誕生しました。でも21世紀を待たずして、その多くが崩壊しました。

なぜでしょう?

――新世紀の社会・経済学者にその回答を期待します。

世界を変えるにはどうすればいいのか。
革命の担い手であるプロレタリアに自らの使命と任務を自覚させることである。

「世界を変える」=「革命」と結び付けなくても、世界は変わる。
個人が意識を変えさえすれば。
本当に必要なのは、個々の中の「意識革命」であり、システムの変革ではないと思うのは私だけだろうか。

そして、くどいようだが、個々の「意識革命」を説いたのがニーチェであり、 彼に言わせれば、どんなシステムにおいても人間の本質は変わらないし、結局は「個」の在り方によるのである。

自分の生産物の販路にたえず拡張していく必要にうながされて、ブルジョアジーは全地球上を駆け回る。
彼らはどこにでも腰をおろし、どこにでも住み着き、どこにでも結びつきを作らなければならない。

これも非常に有名な一節です。現代にも十分通じます。
一つの理想として、「地球連邦」みたいな考えがありますが、近頃の経済情勢を見ていると、世界地図から国境を消すのは企業であり、金融であり、経済そのものでないかという気がします。
ホント、今まで予想もしなかったような、国境を超えた合併・吸収劇が次々に展開してますものね。
で、それに政治や思想がついていってないのが現状か……?
いずれ宇宙にも大々的に進出するでしょう。
それを推進するのも、結局は企業です。多分。
宇宙開発の本当の意味は、科学技術の発展や平和の為なんかではなく、新しい市場と利権の獲得ではないでしょうか。
もっとも、こうした利益追求が社会や経済を活性化し、技術を進歩させ、人々の生活を向上させてきたのは事実ですが――。
でも、その一方で取り返しのつかない問題も多数生み出してきました。
いろんな矛盾を抱えたまま、これからも企業はとどまる事を知らず、その販路を拡張してゆくのでしょうね。

*

マルクスは単なる【怨念】から社会のシステムを覆そうとしていたのでしょうか。
答えは断じて「否」。
彼は“革命そのもの”を望んだのではなく、革命を通じて、理想的な社会を実現する事を願っていたのだと思います。
革命はあくまで手段であって、目的ではありません。
その思想の根底にあるもの、そして方向性が重要なのです。
マルクスといえば、「反権力・反社会」の過激運動家みたいに思われがちですが、彼を突き動かした動機――その情熱の源は、社会や権力に対する【怨念】ではなく、(それも多少あったかもしれないが)「人々を救いたい」「社会を良くしたい」という純粋な理想だったと思います。
そうでなければ、食うにも困る極貧と病苦の中で、あれだけの書物を書き、あれだけの運動を持続させる事はできません。

が、理想実現に向けて彼が説いた“方法論(=革命)”は、結局、現実と反りが合わず、完全な理想社会の実現を見る事なく終わりました。
私は経済学も社会学もきちんと勉強した事ないので、彼の“方法論”の是非について判断を下すことはできませんが、先々、マルクス旋風(?)の吹き荒れたあの時代や、彼の思想そのものについて、冷静な分析がなされ、新しい回答が導き出されることを願っています。

木原武一氏の言葉

思想を支え、それに生気と力を与えているのは理想と願望である。

今は理想というものを持ちにくい時代になりました。
現実があまりにも重くなりすぎて、理想というものの価値が失われつつあるような――。
けれど「最初に理想ありき」です。
「こうありたい」「こうあって欲しい」という純粋な願いがあって初めて、新しい思想が生まれ育つのです。

「どこにもない」ユートピアについて考えるのは、大きな尺度によって現実の卑小さを知るためであり、現実の中にある理想を発見するためでもある。理想の形を知ってこそ、現実の歪みがわかってくるのである。

大人社会に反発を感じていた子供も、成長し、大人社会に交わるようになると、あの頃の反発などすっかり忘れて、大人になりきってしまう。
「大人なんてズルイ」「あんな大人にはなりたくない」なんて憤りも何処へやら。今じゃすっかりその“ズルイ大人”になりきっている。
人間てのは何にでも馴れてしまうものなんだ。
だからこそ、心のどこかに『理想の尺度』というものを持ち続ける必要があるのでは――?

子供たちが、仮に『この世界には善も悪もなく、要するに歴史はでたらめであり、この世は無意味な場所である』と知ったら、彼は生きる意欲を失い、勉強する気にもならないだろう。
もし、この世が無意味な世界であるとしたら、何を学んでも無意味と言うことになってしまう。この世界に意味があるからこそ、そこで人間がすることも意味を持つことができるのである。
教育の出発点はそのことを教えることである。
この世界は生きるに値する、意味あるところなのだと。

今ほど「虚無感」に憑かれた時代も無いでしょう。
一世紀も前から名だたる哲学者や文学者によって警告されてきたニヒリズムの到来は、今や大人だけでなく、子供の心にも深く入り込み、世界をまるで無意味なものにおとしめています。
本当の意味で物事を教える大人がいなくなった、というのもあるし、大人自身が意味を見失っているせいもあるでしょう。
何にせよ、子供たちが哀れです。
それでも「生きろ」と、いったい誰が彼らに胸張って言えるんでしょう?

↓ これは青少年向けの本ですが、大人が読んでも入門編として面白いですよ。

§ 共産党先生の思い出

私の小学校の担任はバリバリの“アカ”でした。(5~6年生時の担任)
多分、大学時代には、率先して学生運動に身を投じていた事と思います。
授業の合間(特に歴史)に時々共産主義の話をするので、PTAからクレームが出たぐらいですが、先生は決して私たちに自分の主義主張を押し付けたりしなかったし、
「資本主義が正しいのか、共産主義が良いのか、それは君たちが大人になってから判断しなさい」といつも教えられていました。
そして、「社会学」こと「歴史」というものは、過去の過ちを学び、より良い未来を作る為にある“考える学問”だとも――。

ソビエトが崩壊した時、私は真っ先にその先生の顔を思い浮かべ、心の中で「先生、共産主義、崩壊しちゃったよ~」とつぶやいたものです。
あの時、「マルクスは間違いだった!」と叫んだ人は、きっと大勢いたことでしょう。
かつて自分がマルクスにかぶれていた事を恥じてる人もいるかもしれません。

20世紀を嵐のごとく駆け抜け、世界中の若者や労働者を熱狂させたカール・マルクスの思想。
今の私には、彼の説いた“方法論=共産主義=革命”の是非を判断することはできません。

でも、一言言うなら……

彼の思想に突き動かされて共産主義運動を展開した人々、また実際に革命を起こし、共産国を確立した人々は、本当に彼の唱えた理想を実践しようとしたのでしょうかね――?

もし彼が存命し、これらの運動を先導していたとしたら、もっと違う形のものが生まれていたのではないかという気が時々します。
――彼が望んでいたのは、こんなものじゃなかったのでは……とね。

ともかく時代の流れとともに、マルクスもお亡くなりになり、今じゃ「あれは間違いだった」派が多数を占めていますが、真実、彼の“方法論”が間違いだったとしても、
労働者を見つめる彼の眼――人間にとって労働とは何か、社会の中で真に人間を生かすものは何なのか――という、彼の分析、思想、そして理想は、未来まで通じるものだと私は確信しています。

なぜなら、「共産党宣言」も「資本論」も、すべては労働者を思う彼の理想と正義感から生まれたものだからです。

§ マルクスに関する書籍

マルクスに関する本も非常にたくさん出ていますが、初めての方は、いきなり著作から読まずに、まずは生い立ちや当時の社会背景について書かれたバイオグラフィーから入ることをおすすめします。

そうすれば、なぜマルクスがこういう主張をするに至ったか、という動機が見えてくるからです。

いたずらに体制批判したがるヒネクレ者ではなく、虐げられた労働者に対する社会的義憤なのだ、と分かれば、きっと身近に感じると思います。

とりあえずマルクスのキャラクターと資本論の概略を理解したいなら、「人と思想」のビギナーシリーズがおすすめ。
1970年代調のサイケデリックなイラストも楽しく、文章も砕けた感じで、判りやすいです。
マルクスのみならず、なぜあの時代、このような思想が生まれたのか、そのあたりの時代背景もしっかり説明されていますので、雑学的に親しんで欲しい一冊です。

とても分厚くて、難解な本を想像しがちだけども、実物は非常にコンパクト、本というより冊子という感じで、案外簡単に読めます。
過激でもなく、扇情的でもなく、「幸福な社会とはこうあるべきではないか」という、マルクスおよびエンゲルスの熱い気持ちが伝わってくる、おすすめの一冊です。

こちらはマルクスの思想と現代の問題を重ねながら、彼の名言を1節=1ページで紹介する初心者向けの本。
「難しい」というイメージを払拭する、手軽な一冊です。
ぱらぱらっと読みたい方におすすめ。
また、「あとがき」として、「マルクスに興味をもったら、次はこの本を読んでみるといいよ」という分かりやすい解説が添えられているので、若い方にも馴染みやすいと思います。


なぜ給料は横並び・右肩上がりなのか? 残業代が支払われるのは「搾取されている証拠」? 労働者が裕福になれない構造とは? 3時間でマルクス経済学の基礎が身につく超入門本。

難しそうなマルクスを生い立ちと思想の両面から分かりやすく解説する書。
案外読みやすかった。
マルクスの壮絶な暮らしぶりは何度読んでも泣ける・・

Photo : http://www.rollingstone.com/music/news/marx-was-right-five-surprising-ways-karl-marx-predicted-2014-20140130