劇画家・池上遼一の魅力『近代文学名作傑作選』& 耽美傑作集『肌の記憶』

2017年9月15日書籍と絵画, 男のドラマ

池上遼一『サンクチュアリ』 / 映画『キリング・フィールド』 / ポル・ポト政権の悲劇』にも書いたように、池上遼一作品との付き合いは長い。

『愛と誠』に登場する「悪の花園」「影の大番長」にも匹敵する、ギャグと迫力の『七人委員会』と、日本女性の強さと美しさを体現したようなヒロイン『幾代』に感銘を受けて以来(池上作品のヒロインはみな素晴らしい)、すっかり池上作品に魅了されてしまった私。

その後、世界中の著名な男女を出演させる神のポルノグラフィ・ムービーを作成する悪の組織『GPX(ゴッド・ポルノグラフィ・エックスレイフィルム)』に復讐するアダルト・アクション劇画『傷老い人』にはまり・・

前述の『サンクチュアリ』にノックアウトされ・・

以来、書店や漫画誌で「池上遼一」の名前を見かけると、目がエレクチオンするようになった私・・(これは小池一夫センセのネタですが)

そんな池上氏の実力をあますことなく見せつける究極の一冊がこちら。

きっかけは、看護婦時代、深夜勤務の友だった青年誌『ビッグコミック』に掲載された『地獄変』。

心卑しい天才絵師が、帝から命じられた「地獄変」の屏風絵を完成させるため、「世にも美しい女が火に焼かれて悶え死ぬところが見たい」と申し出たところ、帝の計らいで実現する。だが、絵師の目の前で火にかけられたのは、なんと彼が心から愛する一人娘だった……

芸術家のどうしようもないエゴと、人の心に巣くう邪悪さを『地獄変』という一枚の絵に描き上げた芥川龍之介の短編。

それまで読者はこの「地獄絵」を頭の中で想像するしかなく、人それぞれ幻の業火を思い描いてきたわけだが、この文学的かつ絵画的チャレンジに真っ向から挑んだのが池上遼一。

もちろん今のアニメや特撮の技術なら、いくらでもこの業火を演出することができるだろうが、『地獄編』に渦巻く炎は単なる視覚にとどまらず、エゴと憎しみに阿鼻叫喚する心の炎でもある。

よって「原作のイメージを壊されたくない」という読者や見識者も多数存在し、それを劇画にするのは大変勇気が要ったと思うのだが、そこは大家の池上さんのこと。

2ページ、どーんと見開きで、見事に描いて下さった。

屏風絵にとどまらず、炎に悶え死ぬ美しい娘の姿も凄まじい。

肉を焼き、骨を焦がす地獄の苦しみが悲鳴になって聞こえてきそうな迫力の描写は、どんな映画やアニメも超えるものだと思う。

そしてまた、胸の奥に屈折した恋慕と憎しみを宿らせる帝の不気味な表情も素晴らしい。
地獄というなら、この帝の心底こそ業火に焼かれたのではないかと思うほど。

池上遼一 地獄変

池上遼一 地獄変 池上遼一 地獄変

原作は「地獄変・邪宗門・好色・薮の中 他七篇 (岩波文庫)」に収録されています。

この「近代文学傑作選」に収録されているその他の作品は次の5つ。

江戸川乱歩『お勢登場』

肺病もちの格太郎にはお勢という美しい妻がいるが、彼女は若い書生と不倫している。
しかし、格太郎は、引け目と執着心からお勢を勘当することができない。
ある日、子供達とかくれんぼしていた格太郎は、大きな長持ちの中に閉じ込められてしまい、お勢が気付いて長持ちを開けてくれるが……

池上氏は究極の「悪女」が描きたかったんだろうなぁ、とつくづく。
平凡な一人の女が、突然冷酷無比な殺意を宿らせ、夫殺しに転じる、その一瞬一瞬の表情の移り変わりが数ページにわたってつぶさに描かれ、まさに池田劇画の真骨頂という感じ。

池上遼一の『お勢 登場』

原作は『人間椅子 (江戸川乱歩文庫)』に収録されています。

菊池寛『藤十郎の恋』

芸に行き詰まった人気役者の藤十郎は、一座の命運をかけて、実際の姦通事件を題材にした近松門左衛門の新作を演じようとするが、どうしても密夫の芸を会得することができない。
そんな時、貞淑と名高いお茶屋の女房・お梶に偽りの恋を告白し、自らの芸を開くことに成功する。
真に迫った藤十郎の演技は評判を呼ぶが、心を傷つけられたお梶は……

当時、姦通は死罪だっただけに、藤十郎の偽りの恋も命懸けである。
だからこそお梶も貞女の操を捨てて「今宵一夜」に懸けたのだが、その結末はあまりに哀しい。
にもかかわらず、「藤十郎の芸のためなら、一人や二人の女の命など……」とつぶやく。
これもまた芸に憑かれた男のエゴが滲み出て、池上氏自身と重ね見ずにいない。

池上遼一の『藤十郎の恋』

原作はコチラ
http://www.lang.nagoya-u.ac.jp/~matsuoka/Kikuchi-tojuro.html

山本周五郎『松風の門』

伊予国の総領・宗利は、幼い頃、剣の稽古の最中、家臣の子で秀才と名高い小次郎に右の眼を傷つけられた。
宗利も小次郎もその事実を胸の奥に隠し、今日まで来たが、成人して家督を継いだ宗利に農民一揆の危機が訪れる。
その時、小次郎のとった行動は……

これは男同士の熱い物語。
命を懸けて宗利に恩を返し、家臣の務めを果たした小次郎の覚悟が泣かせる。

池上遼一の『松風の門』

原作は『松風の門 (新潮文庫)』に収録されています。
中学校の教科書でお馴染みの「鼓くらべ」も収録。

泉鏡花『天守物語』

姫路城の天守に住む夫人のもとに眉目秀麗な若者、姫川図書之助が訪れる。
城主の鷹狩りの折、夫人が逃がした鷹の責任をとって、図書之助が天守に行くよう命じられたのだ。
そこで夫人と図書之助は恋に落ち……

坂東玉三郎と宮沢りえ主演で映画化もされた、「夜叉が池」に続く鏡花の傑作。
幻想的な設定と、上品な色気が美しい夫人の描写が見物。
姫路城にこんな方が住んでいたとは・・昔は姫路市中にもっと美しく映えて見えたのでしょうね。

池上遼一の『天守物語』

原作は『夜叉ヶ池・天守物語 (岩波文庫)』に収録されています。

§ 『肌の記憶』について

あともう一点、特筆すべきが『池上遼一 耽美傑作選 肌の記憶 (ビッグコミックススペシャル)』。

池上作品の中でも特に「性愛」をテーマにした短編が収録されています。

ここに収録された作品も、深夜勤務の休憩時間に読んで感銘を受けたものばかり。

青年向けの劇画と言えば、激しい濡れ場がお約束事のように登場して、近頃はもろに性器とわかるような直截的な表現が多いけど、池上氏のそれは女性の表情だけで十分に官能的。
ピアスがぶるぶる揺れている一コマだけで想像を掻き立てる、というんですか。
「スケベー」じゃなくて、「えっち」というやつです。
その他をAVにたとえるなら、池上氏の濡れ場はヨーロッパのマイナーな恋愛映画に出てくるベッドシーンという感じ。
特にここに収録されている作品は「芸術」といっても過言ではないです。

水中花

まじめな銀行課長の主人公は、同じ女子行員の彩香と肉体関係をもつようになる。
彼は妻にない激しさを秘めた彩香との情事に溺れるが、ある夜、彼女に求められるがままに首を絞め……

妻帯者の隠れた願望、保守的な狡さ、たちがたい誘惑など、決して表に出ることのない男心を生々しく描いた秀作。
一方、肉欲だけではない、女性に対する男の情愛が感じられ、なんとも言えない読後感がある。
でも、この人、いつかこの女のために破滅するんだろうな……。

池上遼一の『水中花』

ピアス

ある日、産婦人科医の園井のもとに、恐ろしく顔立ちの整った上流夫人の夕子が診察に訪れる。
しかもその夫人の股間には、鍵付きのピアスが光っていた。
後日、大学時代の先輩である田中に再会し、夕子が彼の妻であることを知るが、彼女の誘惑に抗えず、肉体関係をもつようになる……。

夫をして「魔界の女」といわしめる夕子の妖艶な魅力が全編に漂う。
哀れな男の執着心とプライドが「ピアス」という一つのシンボルに集約されたゴシック・ミステリー調の物語。
煩悩に取り憑かれた後輩を呪ってあの世からつぶやく、「ふふふ……苦しみたまえ、園井くん」の最後の一コマが、いかにも池上遼一らしい。
このコマを見るだけでも価値があるよ。

池上遼一の『ピアス』

魔都

国家の一命をおびて上海に赴任した菊野夫妻は、上海の影の支配者である劉大人の盛大なもてなしを受けるが、上品な妻の雅子はそこで繰り広げられる卑猥なショーに吐き気をもよおす。
そんな彼女に大人が送って寄越したのが、病死した息子にうり二つの少年だった。
不在がちな夫との夫婦生活の隙間を埋めるように、少年に奉仕させるうち、雅子はある事実に気付き……

これも深夜勤務の合間に読んだ印象が強烈だった。
母子相姦を思わせる衝撃かつ官能的な場面をはじめ、生々しいセックスショーや暗黒世界の描写。
池上氏のマンガにはしばしば中国や香港の闇の人物が登場するけども、劉大人もその王道を行くような存在感で、これをメインキャラにしても盛り上がったのではないかと思うぐらい。
上品な顔の向こうに見え隠れする夫人の秘めた欲望が妖しい。

池上遼一の『魔都』

夕雨子のとき

売れない漫画家の村田は、麻雀の賭けの肩代わりとして、郷里から連れてきた恋人の夕雨子をSM雑誌の編集長でイラストレーターでもある黒崎に屏風絵「雪責めの折檻」のモデルとして差し出す。
黒崎に犯され、身も心も傷ついた夕子は「一緒に死のう」とつぶやくが、すでに前金を受け取ったは村田「ごめん」と謝るばかり。
ついに心が切れた夕子は村田の元を去り、やがて大女優へと華麗に変貌を遂げて行く……

追い詰められ、開き直った女の強さと美しさが切れ味鋭く描かれた秀作。
おぼこい田舎娘が、一本のタバコをきっかけに、男の欲望を土台にのしあがってゆく女へと変身する場面が印象的。

池上遼一の『夕子のとき』

泉の淵

戦で追われ、瀕死の重傷を負った落ち武者と、泉に棲むという大蛇の化身が繰り広げる詩的なエロティック・ロマンス。

鬼火

ある吹雪の夜、戦で滅ぼされた村の外れの一軒家に、修行僧が一夜の宿を求めて転がり込む。
だが、そこにはすでに泥だらけの美しい娘が息を潜めていた。
「私をお抱きくださいませ。このままでは二人とも凍えて死んでしまいまする……」と懇願する娘に哀れみを感じた僧は、慈愛の気持ちから娘を抱擁するが、翌日、身なりをととのえ、菩薩のように美しく変身した娘の姿を目にすると、僧は肉欲にかられるようになる。
だが、その後、娘は傷ついた若い武士と恋に落ち……

煩悩にとりつかれた修行僧の破滅。
鬼火がどこに燃えさかるか、結末が印象的な短編。

肌の記憶

不正事件に巻き込まれて会社を追われ、今は「なんでもや」に転じた東の前に一人の老人が現れ、行方不明になった妻を探して欲しいと懇願する。
老人の哀れな姿に、東は亡くなった妻を思い出すが、ある駅のプラットホームで信じられないような光景を目にする……。

妻に先立たれた男心が如実に描かれた作品。
行方不明になった妻の写真を差し出し、いい年をした男性が「どうしても妻を見つけてもらわないと、わたし、だめになってしまうでしょう」とボロボロ涙を流す姿は非常にリアル。
日頃エラそうにしていても、こんなものだよなあ、とつくづく。

池上遼一の『肌の記憶』

残念ながら傑作選『肌の記憶』は現在廃刊になっており、マーケットプレイスでしか手に入りません。

その代わり、2010年10月に『池上遼一自選集「YUKO」 (ビッグコミックススペシャル)』が刊行され、上に紹介された大半の短編が収録されています。

・夕雨子のころ
・魔都
・ピアス
・水中花
・蛇
・天守物語
・藤十郎の恋
・地獄変
・夢魔の感触
・肌の記憶
・鬼火
・泉の淵

他に谷崎潤一郎の『刺青』』が劇画化されており、私としてはこれが一番読みたかったのだけども、著作権問題で単行本化されておらず、まさに幻の名作になっている。

池上さんのことだから、さぞや妖艶で迫力満点の刺青が見られただろうに……本当に残念。

ともあれ、女性が読んでも嘆息せしめるばかりの池上遼一作品。

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