書籍と絵画

本田宗一郎 「一日一話」より 得手に帆を上げて

2017年9月25日
車 HONDA

古いメモ書きより。

本田宗一郎の言葉

人生は「得てに帆あげて」生きるのが最上だと信じている。
だから今でも機会があると、若い人に得意な分野で働けといっている。

だから、全ての始まりは『汝自身を知れ』なのです。

自分で自分の得意な分野も分からない、営業向きか、経理向きかも判断つかない、自分自身に対して何の知識もないのが一番の過ちの元です。
それは会社情報を収集したり、面接のスキルを磨いたりする以前の話です。
「やりたいこと」が明確でなくても、外向きか、内向きかの判断ぐらいはできるでしょう。
セールストークや対人が苦手なのに、無理に営業職に就いても苦しいだけ。
やりたいことや得意なことが分からなければ、せめて「自分に向かないこと」を選択肢から外すだけでも、ずいぶん生きやすくなります。

1パーセントの成功のため、得意な分野でさえ99パーセントのつまづきを経験した。私のように得意なことを一途にやっても、つぶれかけることがあるのだ。不得意な分野に手を出して失敗するのも当然かもしれない。
しかし、何年か前にまいて生えなかった種子が、忘れた頃になって固い土を割り芽生えてくることもあった。そうしてすべての進歩が生まれてきたのだ。

上記の言葉と似て非なるものです。
こちらは『実行』に関する話。目的をもって打ち込む限り、無駄なことはない、という喩え。
ただし、めくらめっぽうにやっても、糧にはなりません。
「世界最速の車を作る」という明確な目的があって初めて、サイドで失敗した事業も、後年、何らかのヒントになるという話です。

そもそも、従来の常識などというものは破られるものであり、そのために能力を酷使しなければならないのだ。
苦しいときもある。夜も眠れぬこともあるだろう。
どうしても壁が突き破れなくて、オレはダメな人間だと劣等感にさいなまれるかもしれない。私自身、その繰り返しだった。
しかしその悩みを乗り越え、一歩前に進んだときの喜びは大きい。それがまた、次の壁に挑戦する意欲につながるのだと思う。

技術も経営も進化を目指せば、従来のやり方では間に合わなくなるのが当たり前。
理論でぶつかり、運営でぶつかり、外部の理解でぶつかり、そりゃもう衝突の連続と推察します。
自分に好都合な条件下、世界のHONDAになれたら、これほど楽なことはありません♪

ほんとは、現職にいるとき、うちの社員と名のつく人に全部会って握手してやりたかった。社長を辞めて、やっとその念願を果たすことができた。日本国内で700箇所、回るのに一年半かかったよ。それから海外の駐在員のところを飛行機で回った。それも半年かかったもんだ。
うちの社員でありながら、オレの顔を見たことがないのが大勢いるんだ。ことに地方の出張所や、SFというサービス機関の社員とかね。一人一人手を握ったんだ。オレは涙が出た。向こうの若い連中も泣いたよ。けど、オレは士気を鼓舞するなんて気じゃない。自分が嬉しいからやるんだ。オレは社長を辞めて、やっと人間らしいものにいきあったよ。

事業の基本は『人』。良質な人材なくして、技術も、資本も、成り立たない。

自分の得意な分野でつまづく人は、結局、自分に裏切られているのである。その原因は、やはりおのれの力に対する過信だろう。
「若さ」とは、一言でいえば、過去を持たないことだ。なまじっかの知識がないからこそ、いつも前向きの姿勢でいられるのだ。

経験は知識や強さになる反面、頑迷や傲慢の元になります。
余計な知識や経験がない分、思い切りやれるのが若さの特権と思いますし、年寄りみたいにあれこれ考え過ぎて、手も足も出なくなるのは、やはりもったいない。

人間てのは、困難がなければ知恵が出るもんじゃないですヨ、ネ。
「オレは忙しくて発明できない」なんてヤツは、よっぽど間抜けなんです。

そうそう。「やる人」は、5分、10分の隙間を見つけてやる。そのように習慣化しているから、何事も苦痛ではありません。

動機の大本は、「どうにかこれを実現(改善)したい」ですから、動機が弱ければ、5分、10分の隙間を見つけてでもやる気にはならないし「忙しい」を言い訳に、結局何もやらずに終わるのではないでしょうか。

人間の経験には、アテにならないものが多い。人前で得意になってひけらかすことのできる経験など、果たしてどれほどあるのか疑問である。
肝心なのは、経験そのものというよりは、それを通して正しい知識を学び取ることだ。

「たこ焼きを食べる」というたった一つの経験の中からも、「このたこ焼きは東京のものと味が違う」「こんなロケーションに屋台を出して、果たして儲かるのか」「あの親父の接客は上手いな」「10個800円でも売れる秘訣は何か」等々、学ぶ人は学ぶし、何を食べても、何を見ても、「おいしかった」としか感じない人もいる。

要は経験の数より、感性や知性の問題ですよ。

天才とか聖人とかいう人を除けば、人間はみな似たり寄ったりの能力と、感情の持ち主である。これを悟らなければならないと思う。つまり、我も人なら、彼も人なのである。

人付き合いの極意は「許し」です。なくて七癖、あって四十八癖と言いますが、この世に欠点も弱点もない人間などおりません。でも、それを許し合い、理解しながら、付き合っていくのであって、その基本となるものは何かと問われたら、『我も人なら、彼も人なり』という平たい考え方です。

すぐに相手を定義づけし、自分にとって都合の悪いものは全て切り捨てていく、という考えでは、友達どころか、近所付き合いさえ出来ません。

すべての社会的現象がスピードアップして、万物流転、優位転変の様相も実にすばやいものになってきた。しかし、そういう変転きわまりない時代にあって、根本的に変わらないものがひとつある。それは何かというと、人の心というやつだ。つまりはその思想であり、その根っこの哲学である。しっかりした思想と哲学を持たぬ企業は、これから先、どんどんつぶれていくだろう。

1985年の刊行以来、仰せの通りになりました。

こんな分かりきったことが実行できない。

それはひとえに、自社の看板に対する過信です。

皆でオヤジの遺産を食い潰して……オヤジが草葉の陰で泣いてるぞ。

私もどうしてこの箇所を書き出したのか謎。2000年頃のメモです。

年を重ねれば、読み方も変わるね。

参考までに。

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