Notes of Life

アーティストの心、ファンは知らず

2015年10月27日

私もこのサイトにいろんなレビューを書いていますが、一度だけ「本人」からメールをもらったことがあります。

流れとしては

1)ある人が、私の記事を見つけた

2)仕事を通じて「本人」と知り合い、「個人ブログで、こんなに熱く応援してくれてる人がいるよ」と本人に紹介した

3)どんな事が書かれているのだろうと、当サイトを見た。

4)「……」 → メール

という流れです。

私も初めてメーラーに受信した時、「またしょうもないイタズラ?」と思いました。

でも、その前後に「紹介者」からメールを頂いたこと(その方も顔出し・実名で別の分野で活躍されています)。

ある一点に関する記述で、「本人」と悟りました。

おそらく、あのページを目にした99パーセントの訪問者がさらっと読み飛ばす箇所で、その方が一番反応されていたからです。

そして、それはファンの間では有名なエピソード。

その為に、ご本人が非常に心を傷つけられ、今も恐らく葛藤に苦しんでおられるであろう事も、ファンの間ではよく知られています。

私はそのエピソードを具体的に取り上げたわけではなく、喩えるなら、「ユーミンといえば、やっぱ荒井由美の時代が最高ですよね☆」みたいな記述です。

もちろん悪気はない。

「あの作品が素晴らしいから、皆さんもぜひ!!」みたいな応援の気持ちです。

それでも、アーティストから見れば、いつまでも一時代前の作品が最高傑作のように語られ、それ以降の作品にはあまり触れられていないのは、屈辱的な気持ちなのかもしれません。

ユーミンでも、やはりいつまでも「荒井由美、最高」と言われ続けたら、悦んでいいのか、悲しんでいいのか、複雑な気持ちだと思いますよ。ファンにとっては「荒井由美」も「松任谷由実」も同じ愛すべきアーティストに変わりないのですけど。

そして、その方も、決して怒りにまかせてエクスキューズされたわけではありません。

とても優しく、控えめに、だけども「これだけは言わせて欲しい」という感じで、ある一文をしたためられた。

その口調がこちらにも気遣った優しい言い方だっただけに、私も余計でガツーーーンときたんですよ。

ファンは適当な気持ちで「あの作品が最高っすね!!」とはしゃぐけど、それは必ずしもアーティストの本意ではない。

そして、その為に、ずっと苦しまれるものなんだ、と。

*

私の方は、単純に応援して、世に広めたい気持ちで書いたのですが、気持ちを傷つけてしまったみたいでごめんなさい、でもやっぱりあの作品が最高に好きだし、これからも応援しています。。というお返事を差し上げたのですが、、、

まあ、嬉しくはないでしょうね。

だって私は、その方が本当に分かって欲しい自分、評価して欲しい作品の方に向いてなかったわけですから。

*

その後、その箇所を削除しようかなと何度も考えたのですが、でもやっぱりその作品がその方にとって最高傑作に感じ、それゆえに好きであり続ける自身の気持ちも本物なので、削除せずに今に至ります。

まあ、何度もご覧になることはないでしょうし、何度言っても、やっぱり分かってもらえない・・というのは、お互いにとってそうだと思うので、そのままにしてますけど。

まあ、本当に辛いですよ。

私も応援のつもりで書いたのだけど、ちっとも応援になってない。

むしろ、一番心の傷になってる部分をグサっとやっちゃったみたいでね。

それでも、そのままに置いてますけど。

だって、あれは決して悪口でも批評でもない。

純粋に最高傑作で、代名詞のような作品だと思うし、今でも一人でも多くの人に知ってもらいたいと願ってる。

アーティストから見れば、それはすごく不本意な解釈で、過ったイメージを流しているように感じるのかもしれないけれど、でも、それもまた私の感想ですし(的外れな批判や罵倒ならともかく)

そのまま手を着けず、残しているのですけどね。(私も頑固ですよ)

*

それでも、ファンなんていい加減なものだと思います。

あれほど「SADEは神」「STINGのいない人生なんて・・」と心酔していたにもかかわらず、やはり新作の方向が自分の期待と違っていたら「あれ、あれ、あれ、、、」と気持ちもフェードアウトしてしまう。そして、最新作には目もくれず、昔のヒット曲ばかり聴いている。それでも自称・大ファンなんですよ。あの曲について語らせたら、右に出る者はおらんわい! ぐらいの自負がある。でも、最新作には見向きもしない。それでもファンか?! アーティストにしたら、腹立ちますよね(^_^;

ファンは時にアーティストにとっては重石でしかない。

自分が右に舵を切って、新しい方向に突き進もうとしても、「いつまでも私たちの愛するあゆでいて欲しい(浜崎あゆみのこと)」みたいに、自分たちの幻想や願望を押しつけようとする。

ファンは確かにCDやDVDや本を買い、コンサートにもたくさん来てくれるけど、基本、自分たちの愉しみしか考えてないでしょう。
私みたいに、STINGがいきなりクラシックの新盤だしたら、「は???」と思ったりする。
私はいつまでも「シンクロニシティ」や「孤独のメッセージ」みたいなパンクなSTINGが聴きたいのに、なんでそっちに行くの?? と、がっくり肩を落としてしまう。
それがSTINGのアーティストとしての生き様であり挑戦だとしても、理解しない──というか、もう理解できなくなってしまってたりね。

そういう意味で、ファンは足枷になるし、成長を阻む重石にもなる。

自らの信じる道に突き進むことを、ファンは決して許してくれない。

いつまでも「私の大好きな●●」で居続けることを要求し、違う方に舵を切れば裏切りと感じる。

ある意味、善意の押し売り集団と言えなくもない。

今までさんざんCDも買い、DVDも買い、こんなに応援してやってんだ! ファンを裏切るつもりか!!

……。

その事で「ご本人」が深く心を傷つけられ、何とか脱皮しよう、転身しようと試みながらも、いまいち、その手応えが感じられなくて、心の底でずっと懊悩される気持ちも解ります。

私に対しても、「だから、そうじゃないんだって! 新しい自分を見て!」と大声で叫びたかったかもしれません。

意欲的で、一つのところに留まっていたくない大志のある方だからこそ、その怒り、葛藤、心の傷も、人一倍で。

*

それでも、市井の者は素晴らしい作品や作者との出会いを常に求めています。それが何時、どのような形で生まれたものであっても、商品として出てきたもの──今、自分が耳にして、目にしているものが全てです。

そこにはアーティストへの理解も思いやりも何もなく、ただ自分の退屈な日常を紛らわす為の娯楽のひとつだったり、夢だったり、生き甲斐だったり、「好きで応援したい」と思う気持ち自体が得手勝手な善意なのかもしれません。

だとしても、その作品に出会えたことは幸せだし、作り出した人のパワーや才能も素晴らしいと思う。

それがアーティストにとって不本意な反応であり、解釈としても、最高なものは最高であり続けるのです。

*

私の方は今もその作品が好きで、年に二、三回はどっぷり堪能しています。

それでも、あのメールを思い出すと、今でも「ごめんなさい」って気持ちになるし、自分では応援してるつもりが、やっぱり解ってあげられなかった事実が何時までも心に刺さります。

いつか、あの作品を肯定的に受け止め、会場で騒いだ人たちのことも許せるようになって下さるでしょうか。

もしかしたら、既にそういうお気持ちかもしれませんが(10年ぐらい前の話なので)、今も、ずっと、苦い思い出です(´`;)

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