悪魔は嘘に巧妙に真実を織り交ぜる / 映画『エクソシスト』

2016年8月25日映画, キリスト教

悪魔の言うことに、耳を傾けてはならない。

悪魔は嘘に巧妙に真実を織り交ぜる。

なぜ人がネットの言説に惑わされるかというと、「そこに一片の真実があるから」です。

たとえば、「ビートたけしとキムタクは禁断の恋仲」なんて話、誰も信じませんよね。

でも、「レオナルド・ディカプリオとケイト・ウィンスレットはデキている」という話になると、「もしかして」と誰もが疑う。撮影アシスタントAの話として、「あの二人が同じホテルから出てくるのを見かけた」という情報が出てくると、余計に噂に尾ひれがつく(情報の真偽は別として)。

実際に「二人が私生活でも交流して、いい雰囲気で撮影が進んだ」という真実があればこそ、人は疑うのです。

それは芸能界のウワサに限らず、政治でも、市場でも、災害でも、何でもそう。

そこに一片の真実があればこそ、人は嘘に惑わされる。

そして、デマを流す側は、明らかに嘘と分かるようなデッチアゲはしない。

そこにある真実を利用して、巧みに話をすり替える。

その嘘は真実をも歪め、人の心に憎しみや疑いを植え付ける。

だから悪質なのです。

*

上記のセリフが語られるのがオカルト映画の金字塔『エクソシスト』です。

悪魔に憑かれた少女と神父の壮絶な戦い……といえばそうですが、実際には「それが本当に悪魔だったのか」という点は、少しぼかして語られている。

だとしても、『現代における悪魔とは何か』(70年代の話ですが)というのを、いろんな形で示唆している名作だと思います。

これは本当に「ソウ」や「エルム街の悪夢」系とは格が違います。

私が初めてエクソシストを見たのは小学生の時、TVロードショーですが(確かTBS版)、上記のセリフは今も鮮明に記憶しています。

そして、「なるほど」と納得した。

『悪魔』というと、残虐で、えげつない事をする、というイメージガありますが(そして、その通りですが)、一方で、日常的に存在する悪魔もいる。

『嘘に巧妙に真実を織り交ぜる』という悪魔です。

もしかしたら、平凡に生活している者にとっては、「言葉」(情報)という形で忍び込む悪魔の方がもっとタチが悪いかもしれない。

そこに悪意があろうが、なかろうが、言葉というのは人間の意識や心に深く染みこむからです。

ちなみにDVD版の吹替のセリフは次の通りです。

(悪魔と接するに対し)

特に大事なのは、悪魔との会話を避けることです。

必要な話はするが、深入りするのは危険です。

悪魔は嘘つきです。

悪魔は嘘に真実を混ぜるのです。

TVロードショーの方は「悪魔の言うことに耳を傾けてはならない。悪魔は嘘に巧妙に真実を織り交ぜる」という風に、もっとハードな邦訳だったと記憶していますが、どちらにしても主旨は同じ。「真に受けるな」という戒めです。

悪魔祓いはベテランの老神父と、心理学も修めた若い神父の二人で行いますが、若い神父には年老いた母を施設に入れて見捨てた……という罪悪感がある。

悪魔はその心の弱みにつけ込んで、神父の信仰心や闘志を削ぐのです。

悪魔が悪魔祓いの最中に神父の母を装って「お願い、私を苦しめないで」と懇願すれば、どうしても若い神父は惑わされる。

誰もが心の奥底に抱いている罪悪感や劣等感、弱気、自信のなさを突いて、逆に心を支配するわけですね。

やらせのカスタマーレビューも同じですよ。

通販で、実際の商品を手にとって見られないのをいいことに、「この美肌クリーム、本当に効くのかなぁ」と、興味はあるけど迷っている消費者の心を掴んで、ポチっとカートに入れさせるわけですからね。

ちゃんと「広告です」と銘打った中で「お肌ぷるぷる♪」とPRするのと違って、「カスタマーレビューを投稿しているのは、実際にそれを使ったお客さんに違いない」という思い込みを利用して印象操作するわけですから、本当に悪質ですよ。そして、こんなのは、これからまたいくらでも出てきます。

*

日常において、悪魔とは言葉(情報)そのものです。

「はじめに言葉ありき。言葉は神と共にあり、言葉は神であった」という聖書の一文の通り、人間にとっての救いや慰めや学びが言葉のなかに在るのと同じく、悪魔も言葉の中に居ます。

イエス・キリストの時代から、「言葉の影響力」というのは少しも変わっていないのです。

そして、明日からも、言葉が人間の意識や印象を支配し続けるでしょう。

私たちに出来るのは「見分けること」しかありません。

でも、それも、非常に巧妙に、また難しくなってきているのが、インターネットのある社会なのかもしれません。

ギャラリィ

悪魔祓いに訪れた神父の一コマ。有名な抽象画家ルネ・マグリットの「The Empire of Lights」からインスピレーションを得たことは非常に有名。

当たりは暗闇。目の前の家には悪魔に怯える母と子が居る。
神父だけが希望の光。だけども闇の方が圧倒的に強い。

得体の知れない闇と、これから何が起こるのかという不安と、いろんな負の感情を映したいい場面ですよね。

エクソシスト ルネ・マグリット

The Empire of Lights (René Magritte) inspired The Exorcistより

こちらは意味不明なことを喚き叫ぶ少女の声を録音して、若い神父が分析しようとする場面。
これは精神異常なのか、それとも本当に「悪魔憑き」なのか。

エクソシスト

少女は逆さま言葉で叫ぶ「オレは誰でもない」。

この言葉も言い当てています。

本来、悪魔には実体がない。

それを見る人の心が悪魔の影を作り出すのです。

若い神父の場合は実母に対する負い目です。ポルターガイストでベッドを揺さぶる悪魔よりも、「私を苦しめないで」という実母の懇願こそが悪魔となって襲いかかるんですね。

エクソシスト2

カトリック教には、洗礼・堅信・聖体・ゆるし・病者の塗油・叙階・結婚という「七つの秘跡」がありますが、その中で根幹になっているのは「ゆるしの秘跡」ではないかと思います。

許可する「許し」ではなく、神の慈愛によって人の過ちを受け入れ、すくい上げる『赦し』です。

エクソシストでは、若い神父の葛藤が大きなテーマになっています。

最後は少女を庇う形で息絶えますが、この赦しは母への負い目に対する赦しでもあり、少女も救われたが、神父も救われた……という結末ですよね。

今でも外国の熱心な所では神父さんに悩みや迷いなどを打ち明ける「告解」をやってますが、分かりやすくいえば、カウンセラー的な存在ですよね。(現代においても、あの小さい告解部屋の前に長蛇の列が出来ているのには本当にびっくりしましたよ。あ、懺悔って、ホントにあるんだ~、みたいな)

そんでまた、人のとんでもない過ちを延々と聞かされるのも、神父さまにとっては大変な心の修行と想像します。(匿名の相談掲示板と違って、たいがい相手の事も知ってますからね)

ほんと、聞く方も大変ですよ。。。

エクソシスト

少女の首がぐるりと180度回転する。有名な場面です。
「上映中に老婦人が心臓発作で亡くなった」というエピソードも、作品PRとして大いに功を奏しました。
(もともと心臓病があったそうですが)

ちなみに、TVロードショーの解説で、一番最後に「少女を演じたリンダ・ブレアさんは、現在も女優として元気にご活躍です」と言い添えられたのが今も印象に残っています。

この一言こそ、視聴者にとっては最大の救いでした。

アイテム

この作品は脚本が素晴らしい。

娘の突然変異に我を失う有名女優の母親。

これは「シングルマザー」という設定がいいんですよ。

家に問題が起きても、身をもって解決してくれる男親はいない。

その代役を果たすのが神父です。

70年代、女性の社会進出により、離婚問題もクローズアップされるようになった頃ですから(「クレイマー・クレイマー」とかね)、ある意味、家庭問題の側面を描いているホームドラマといえるかもしれません。