子供は「いい親」より「アナタ」が好き

2017年9月22日子育てコラム

まずは、「育児のメルマガ」でお馴染みの『ぴっかりさん』こと荻原光さんの記事の抜粋をご紹介します。

“良い親”になろうと頑張りすぎると、子どもに対しても、“よい子”であることを、過大に要求しがち。でも、良い意味で“いい加減な親”であれば、子どもの非も、おおらかに許してあげられる余裕が出てきそうですね。

家庭というのは、良くも悪くも“素顔の自分”でいてよい場所なのではないでしょうか。親にとっても、子どもにとっても。だからこそ、ホッと安心できる場所なのです。

“まあ、人間、怒りたい時もあるさ”とおおらかに構えるていると、“ニコニコ”と“大爆発”の中間ぐらいの、
“プチ切れ”ぐらいですむようになります。そうなると、しつこい叱り方になりにくく、かえって、親子共々、気持ちの切り替えが早くなるはずです。

親のイライラが溜まりすぎるような子育てのアドバイスは、どこか変なのではないでしょうか。親がそんなに無理をしなくても、子どもの心の中には“ちゃんと育っていく力”が生まれながらに備わっているのです。だから肩の力を抜いて、自然体でいっていいのですよ。

私の子育てに対する考え方は、荻原光さんや、『ダダこね育ちのすすめ』の阿部秀雄さんとほとんど同じで、「普通」「自然」「人間らしく」――自分の中の良い面も悪い面も肯定的に受けとめて、子供とのドタバタを楽しめばいいと思っています。

たとえ、怒りすぎたり、八つ当たりするような事があっても、根本的なところで間違いがなければ、子供は子供で、親の悪い面からも学んで、自然に成長していくものじゃないか、と。

皆さんだって、自分の両親を思い返した時、非の打ち所のない、パーフェクト・ソルジャーみたいな親だったとは思わないでしょう。

短気なところもあった。八つ当たりもされた。でも、全体的にいい親だった。ありがとう

そんな気持ちじゃないでしょうか。

私だって、子供時代の細かい記憶を辿れば、「あの時、あんな事を言われて傷ついた」みたいなものは、いっぱいありますよ。
そして、その時は、ものすごくショックだったし、ふてくされもしました。
でも、時が経ってみれば、どうってことない思い出だし、その為に、一生を棒に振るようなこともありませんでした。

つまり、親と一悶着あっても、成長するにつれて自分の中で自然に癒されたし、いちいち親に謝ってもらわなくても、理解して、許せるようになったことがたくさんあるんです。(多分、皆さんもそうではないでしょうか)

丸いばかりでは、心も伸びないんですよ。

私は、『子供が大人になる』ということは、「あれがイヤ、これがイヤ」という感情主体から、「自分はこう思うけど、相手はこうかもしれない」「世の中にはこういう考え方もあるのだ」という理性や想像力が発達し、最終的に、自分の親を一人の人間として受け入れ、許せるようになることだと思っています。

ですから、親として「アチャー」な事をやってしまったとしても、根本的なところで間違いがない限り、子供はそれを浄化していく力があるし、パーフェクト・ソルジャーみたいな「いい親」でなくても、子供は子供で、親のバカな一面からも学んで育っていくと思うんですね。

しかし、子供に対する影響を必要以上に意識して、「いい親」でなければと頑張り過ぎると、自分にも子供にも要求するものが高くなり、かえって、双方を追い詰める結果になってしまう……。

そのことを、荻原さんは仰っているのだと思います。

ところが、荻原さんのブログ「今、子供と親に何が起きているのか」を読んでいると、この「普通」とか「自然」といった感覚が、親の側からだんだん失われてきているそうなんですね。

その理由の一つとして、義務教育の荒廃や、倫理・常識の乱れ、親殺しや異常な少年犯罪など、子供にとって決して幸福とはいえない社会環境があるでしょう。

こんな状況で子育てをしていたら、「とにかく勝ち組に乗せなければ」「いい子にしなければ」と、必死になるのが当たり前だと思います。
その中で、母親同士の競争も加熱して、余計で追い詰められている人も多いんじゃないでしょうか。
その一方で、今、子育てをしている世代が、精神的にもろく、敏感になってきているという点も挙げられるのではないか――と思います。
(オウム問題や17歳の凶行、酒鬼薔薇事件などで、10代の心の問題がクローズアップされた頃、ティーンエイジャーだった人達が子育て期に入ってきていると思うのですが・・、違っていたら、ごめんなさいね)

私の印象を申せば、『90年代の癒しブームで癒しきれなかった世代が、メンタリティな問題を抱えたまま子育てをしている』という感があります。

当人は、「ちゃんと社会生活も送っているし、経済的にも自立している、知識もスキルもあるし、人間関係だって構築している、私は一人前の大人のつもり」――でも、その心の奥底には解決されなかった『不安な子供の心』が残っていて、我が子に揺さぶりをかけられている――という印象があるのです。

私たちは、子供を産んだ瞬間から、一足飛びに『親』という何者かにステップアップするわけではありませんし、今まで子供として生きていた歴史が一夜にして消えるわけでもありません。

私だって、心の奥底に「子供の心」は残されていますし、我が子を前に、その子供の部分が浮上して、ものすごくイヤーな気分になることもあります。

ただ私は、こうした、まだ少し癒しきれていない「子供の部分」をコントロールする術を知っていて、それを客観的に分析する余裕があるから、いつまでもクヨクヨ悩まないだけで、もし、お母さんが、自分の中に残された「子供の部分」――子育て期に持ち越した心の問題を自覚しないまま、絶対的に愛を与える側に回ったら、それはもう押し潰されて当然だと思うんですよ。

じゃあ、「癒しきれていない子供の部分」を残していたら、一人前の親になれないのか――と言えば、決してそうではないんです。
子育てがそれを解決してくれるのです。

なぜかといいますと、阿部秀雄さんの言葉を借りれば、「子育てとは、もう一度、自分の子供時代をやり直すこと」だからです。

私の場合、上の子の癇癪が始まって、精神的にすごく苦しかった時、遠い昔に忘れ去ったような記憶が次々にフラッシュバックした経験がありました。

母親にあしらわれた事とか、父親に当たられた事とか、とりとめもない子供時代の思い出です。

なぜそんなものがフラッシュバックしたかというと、その頃、私は二人目を妊娠していて、上の子を十分に構ってやれなかったんです。
それが精神的な負い目になって、子供の泣き声が、「苦しいよう、淋しいよう、助けてよう」という声に聞こえたんです。
だから、子供に泣かれると、自分が責められているような気分になって、「あ、結局、私は自分の親と同じ事をしている」と思い、子供時代の辛い経験を次々に思い出したのです。(妊娠中で情動過多だったのもありますけどね
こうした心理を分かりやすく解説しておられたのが、阿部秀雄さんの『ダダこね育ちのすすめ』でした。
これはあまたの育児書と違って、「なぜお母さんは子供の泣き声が辛く感じられるのか」という点からアプローチしている良書です。
レビューでもたくさんの方が書いておられますけども、「この本を読みながら、自分が泣いた」という方、とても多いです。私も泣けました。

阿部さんの論旨を要約すれば、「私たちは、子育てという経験を通して、もう一度、自分の子供時代を体験し、自浄するチャンスを与えられている」ということです。
子育ての中で感じる「辛い、苦しい」は、自分の内なる子供が、我が子と一緒になって叫び声をあげているんですね。

私も、上の子の癇癪を通して、ほとんど記憶の隅に埋もれていたような事を次々に思い出し、「あの時、あんなこと言われて、ずいぶん恨んだけど、お母さんも大変だったんだなー」とか、「忙しい時に子供にムカっときて、つらく当たってしまう気持ちも今ならわかるなぁ」とか、本当にいろいろ考えました。

そうした理解と許しのプロセスをもう一度体験することで、私は、いろんな思い込みから抜けだして、我が子の前で「人間であること」を恐れなくなったんです。 分かりやすく言えば、「『親なんだから』ってリキまなくても、普通でええねん」ってことが実感できたのです。

「自然体になれない」「普通が、どういうことか分からない」というお母さんは、子供に対して、「人間としての自分を出す」のが怖い、あるいは絶対的に悪いことだと思い込んでおられるのではないかな、と思います。

その根っこには、「親たるもの、完璧な人間であらねば」という思い込みもあるでしょうし、「世の中これだけ悪いのだから、私だけはしっかりせねば」という気負いもあるでしょう。
あるいは、あまりにも子供というものを無知、無力に考え、「私が教えなければ、この子は何も出来ない」と、親主導の考えに固執している場合もあるかもしれません。

また逆に、前回お話ししたような、「自分に対する自信のなさ」というものもあるかもしれませんね。
つまり、人間としての自分の本当の姿を知られたら、子供に嫌われ、軽蔑されるのではないか――という恐れです。(こちらの方が強いかもしれませんね)

*

「子供はこんな怒りっぽい私を嫌い、軽蔑するに違いない」
「子供にこんな弱々しい面を見せたら、バカにするに違いない」
と恐れ、自分のいい面だけ、強い面だけを繕えば、いつか精神的に破綻するし、自分のことも子供のことも、『ありのまま』というものを受け入れられなくなっていくでしょう。

そうなったら、『仮面親子』とでも言うのですか。
子供も自分を見せないし、親も本音を吐かない。
上辺の、きれいな部分だけで繋がって、一見平和な親子を演じてはいるけれど、裏側は不信と不安が渦巻くような、脆い関係になっていくんじゃないかなぁ、と思います。

「いい子」と思われる子供が突然キレたり、一見、出来た子供が大人になってから親を粗末にするのは、そういう事じゃないでしょうか。

私は、自分や周りの子供を見ていて、また自分の子供時代を振り返って、つくづく思いますけど、子供って、「いい親」を欲してるワケじゃないんです。

人間としてのアナタを知りたいし、人間としてのアナタと触れ合いたいのです。

だって、親が神様みたいに完璧な人間だったら、触れ合う必要など無いでしょう。

一方的に与えてもらって、それで終わり。 いつまでも子供のまんまです。

でも、そうじゃなくて、親だってムカつくことをする。
「なんだよ、お母さんのバカ」と噛みつく。
でも、かなわない。
だから、もう一回、噛みつく。
そしたら、お母さんも痛そうにした。
ボクも悪かったかもしれない。
ゴメンネ、お母さん。
私こそ、ごめんね。
ゴメンネ、ごめんね、ゴメンネ……。

そういう一見ムダな繰り返しの中で、子供は、知恵や優しさなど、いろんなものを掴み取っていくんじゃないでしょうか。

子供だって、きっと、つくろったり、無理した「いい親」よりも、「アナタ自身」が好きなはずですよ。

【編集後記】

第2回の「母親である自分を楽しむ」にお便りを頂きましたので、ご紹介しますね。

はじめまして。

育児歴11年の母親です。

笑いは大切ですよね~。心からそう思います。それでも笑った後に、本当に笑っててもいいのか・・・と悩むこともあり、私の人生、悩み苦しみには尽きることはありませ
ん。

それよりも少ないとはいえ、楽しいことや、充実した時間もあります。だからやっていられるのですが。

それでも結局は何が正しいのか判らず、何をするにも自信がなく、他人との付き合いならごまかせることも、子育てとなるとごまかすこともできない。

ごまかしがきかないから、真剣にならざるを得ず、大変なのです。

夫婦と子供4人、平和に仲良く楽しく暮らしたいのに、なかなかうまくいきません。
結局ごまかし方をさぐっていくしかないのかなと感じたり、いやいや体当たりよとがんばってみたり、とにかく一筋縄でいきません。

あきらめるというのが、一番の処方箋のような気がするのです。
が、それでいいんだろうか・・・とここでも堂々巡り。
あきらめるというのは、諦めると、明らめるというのがあるのですね。どっちがどうなんだ?

子供のこと愛しているのかなあ。
楽しみながらやれることをやるしかないですね。
それがEnjoy yourself かしら。
育児にはサプライズだらけ。それをどう楽しめるかってことかもね、なんて思ったり。
楽しむのも大変です。

ばらばらな文章で申し訳ないです。
お礼と感想を伝えたかったのです・・・。

とりあえず今回はこれでー。

素敵なお便りを本当にありがとうございました(^^)

育児歴3年の私がこんな事を言うのもなんですが、これでいいんだと思います。
「これが育児なんだ」って。
このドタバタのプロセスこそが、「親子関係」の思い出として、一生心に残るんじゃないでしょうか。

今って、「成功育児」だとか、「こうすればいい子に育つ」といった眉唾ものの情報があふれかえってますけど、「このやり方が正しい」って、自信たっぷりに育てる方がコワイですよ。

迷って、焦って、落ち込んで、ケンカして、仲直りして、またケンカして……って、一見、ムダなように見えますけど、それが相手と触れ合っている証だし(隣の子供と必死になってケンカなんかしませんものね)、真剣に触れ合う相手が間近にいるうちが、やっぱ花だと思います。
誰とも触れ合わない人生は侘びしいです。

とはいえ、疲れますよね。
私も、こんなエラソーなメルマガを書いたりしていますけど、気持ちに余裕なくして、ヒーヒー言ってることが多いです。

記事の中で、「楽しみましょう」と書きましたけど、たとえ楽しめなくても、そういう風に気持ちを持っていこうとするだけ、上等としましょうよ。

ですから、母親である自分のことをずっと好きでいて下さいね。

もう一つ、おすすめが「お母さんの目からウロコが落ちる本」です。<Amazonの中身検索ページに飛びます>

「子育てなんか、なるようにしかならない」と、あっさり言い切っている本です。

「幼児期に、栄養、栄養と目くじら立ててみても、中学生になったら、塾帰りにハンバーガーを食べたり、コーラやポテトチップスを食べたりするようになるんだから、そんな必死にならなくてよろしい」というノリの本です。

笑えますよ。