子供の成長の副作用

2017年9月15日子育てコラム

この世に、子供の成長を願わない親はないと思いますが、一方で、成長には必ずネガティブな側面がついてくるということを忘れてはならないと思います。
薬にたとえれば、「副作用」とでも言うのでしょうか。
好奇心が旺盛になれば、危険なイタズラが始まるし、離乳食が進めば、味の好みが出てきて偏食が始まります。
知恵がつけば、ウソをつくことを覚えるし、自立心が高まれば、親や周囲と軋轢を起こすようになってきます。
どんな子供でも、100%、良いことだけの成長などあり得ないのではないでしょうか。

この世に、子供の成長を願わない親はないと思いますが、一方で、成長には必ずネガティブな側面がついてくるということを忘れてはならないと思います。
薬にたとえれば、「副作用」とでも言うのでしょうか。
好奇心が旺盛になれば、危険なイタズラが始まるし、離乳食が進めば、味の好みが出てきて偏食が始まります。
知恵がつけば、ウソをつくことを覚えるし、自立心が高まれば、親や周囲と軋轢を起こすようになってきます。
どんな子供でも、100%、良いことだけの成長などあり得ないのではないでしょうか。

確かに、子供の成長は悦ばしいことですが、それに伴う副作用も受け入れる気持ちがなければ、育児はどこまで行ってもストレスでしかないと思います。
「歩けば、転ぶ」「話せば、楯突く」、成長に問題は付き物なのです。
成長の良い面ばかり期待していると、親も子供も疲れきって、お互いに顔を付き合わすのも嫌になってしまうでしょう。
「出来ないことを出来るようにする」のが子育てではなく、親も子供も幸せに感じる生活を作り出すのが、本当の目的ではないでしょうか。

そもそも、「頭のいい、優しい子供に育てよう」という標語からして、私は好きではないのです。
極めて現実的な話をすれば、本当に頭のいい人間は周囲の妬みを買うだけだし、優しい心を持てば傷つくことも多いです。感受性が豊かであれば、小さなことにクヨクヨして、鬱やらノイローゼになりやすいし、独創的であればあるほど、社会においては嫌われるだけでしょう。
いわゆる「長所」と呼ばれることでも、裏を返せば、ネガティブに作用するのです。
「頭のいい、優しい子供に育てさえすれば、幸せになれる」かのような考え方は、現実的な物の見方として、あまりにも単純すぎるのではないでしょうか。

子供というのは、自分が生きていくために必要な運も、気質も、才能も、全部持って生まれてくるものだと私は思っています。
彼らが生きていくために必要なものは、彼ら自身の手で掴み取るし、「親が手取り足取り教えなければ、子供は何も出来ない」というのは、子供に対して、おこがましい考え方ではないでしょうか。

もし、本当に、母親の努力一つで子供の将来が、あるいは能力や気質が100%決まるとしたら、新生児室の赤ちゃんなんて、みんな、同じように眠り、同じように泣き、同じように母乳を飲むはずでしょう。
が、そうではなく、よく眠る赤ちゃんもいれば、一日中、グズグズ泣いているような赤ちゃんもいて、生まれた時から、「個性」は存在します。
それは母親の手による個性ではなく、持って生まれた個性です。
そして、子供というのは、この持って生まれた個性の上にバリエーションを重ねながら大きくなっていくものではないでしょうか。

ですから、内気な子に「活発になれ」とか、ノロマな子に「鋭敏になれ」とか求めることは、子供にとっては拷問に等しいことではないかと私は思います。
でも、親の頭の中に、「活発な子が良い」という思い込みがあると、そういう個性を強要するし、また親の接し方一つで、子供がそのように変わっていく、いや変えられるはずだという、ファシズム的な考えに囚われてしまうのです。
それは「子育て」ではなく、「改造」です。
親は育てているつもりかもしれないけど、持って生まれた子供の個性をいじくり回して、自分の都合の良いように作りかえようとしているだけの話です。
相手を愛しているようで、その実、自分のプライドしか愛していないのです。

子育てとは、「肯定」だと私は思います。
内気でもいい。ノロマでもいい。それでいいんだよ――というメッセージが、親の愛ではないでしょうか。

「頭が良くなりさえすれば、積極性がありさえすれば……幸せになれる」というのではなく、「内気でノロマな子でも、どうやったら幸せに生きていけるか」、それを示し、助けてあげるのが、本当の親の役目だと思います。
子供の個性を無視して、親が良いと思うように改造しても、それはいつか破綻するのではないでしょうか。

これは私の経験も含めてですが、子育てに悩んでいる親というのは、たいがい、自分の思う通りに子供を変えようとして、苦しんでいるものなんです。
「こういうことは止めさせなければ」
「もっとこうしなければ」
リクエストばっかりで、子供の個性を受け入れる余裕がないのです。

しかし、自分自身を見てごらんなさい。子供にあれこれ指図できるほど、立派な人間ですか。

自分はだらしない格好で、部屋もろくに片付けず、「しんどい、しんどい」って朝から溜め息ばかりついているようなくせに、子供には「ちゃんとしろ」なんて、メチャクチャな話ですよね。
子供に行儀良くして欲しかったら、自分もスーツ着て、化粧して、勤務中のOLみたいにピシリとしてればいいんですよ、家の中でも。

子供ってのは、結局、親に似るものだし、基本的に親以上のものにはならない、と私は思っています。

ですから、子供に、頭の良さとか、行儀の良さとか、教養だの、感性だの、積極性だの、自立心だの要求する前に、親自身がかくあれ、という事ですね。

子供の尻ばかり追いかけて、あれこれ画策しなくても、親の器が大きければ、子供もその後を追いかけて、自然に伸びていくものじゃないでしょうか。