子育てコラム

Home Sweet Home ~心のホームレス~

2008年7月20日

皆さんは、収入の道を断たれ、住まいを失うかもしれない……という恐怖に直面したことがありますか?

私は一人暮らしが長かったので、やはりキツイ時もありましたね。

職場とのちょっとした行き違いから退職せざるをえなかった時、病気で長期療養しなければならなかった時……。

今、思い出しても、あの目の前が真っ暗になるような衝撃と恐怖感、足元がガラガラと崩れ落ちるような心もとなさ、とても言葉で表すことはできません。

「明日から何を食べて生活すればいいの?」

「いつまでこの部屋で、布団をかぶって、ぐっすり眠ることができるの?」

決して大げさではなく、朝が来るのが怖いくらい思い詰めたものです。

それだけに、安定した収入がある時でも、

「またこの収入が途絶えたら、私の生活はどうなってしまうのだろう」

という不安に絶えずさらされ、まるで住まいを背負って生きているような心境で
した。

恐らく、世の稼ぎ手というのは、大なり小なり、こういう不安を抱えて生活しているものだとは思いますが、一人暮らしのプレッシャーというのはまた格別なんですよね。

「オレも一緒に頑張るよ」と言ってくれる人もなければ、元気をくれるチビちゃん達も無いわけですからね。

そう考えると、「安定した収入がある」というのは、社会的にも精神的にも絶対不可欠な要素であり、それを失えば一切が崩壊するという、非常に脆い側面も持っています。

これがプロレタリアートであり、資本主義社会で生きる――ということなのですけど、今は社会保障も整っていますから、生活レベルにこだわらなければ、正真正銘、路頭で野垂れ死ぬ……ということはまずありません。

憲法25条における「健康で文化的な最低限度の生活の保障」というものです。

にもかかわらず、路上で生活する人、そうなりかけている人は、しかるべき機関に救済を求めないのか。

路上で一人野垂れ死ぬことを選ぶのか。

一口に「ホームレス」と言っても、いろんな背景があり、決して一括りにはできないのですけど、最近、問題になっている『ネットカフェ難民』――家に帰らない、帰れない、若い人のプレ・ホームレスに関しては、『心のホームレス』になっている部分が大きいのではないかと思います。

両親もなく、親兄弟もなく、天涯孤独の身の上なら別ですが、10代や20代の若い人なら、親はまだ健在で、実家もあるケースが大半でしょうに。

たとえ一人暮らしを始めて、職を失い、住まいも失ったとしても、いったん家に帰って、再就職の為の勉強をするなり、親と同居の方向性を探ったりして、とりあえず「仕切り直し」のチャンスがあるでしょう。

にもかかわらず、どうして彼らは家に帰ろうとせず、ネットカフェに寝泊まりし続けるのか。

多くの場合、精神的な理由から、家に帰れない、帰りたくない部分が大きいのではないかと私は思うのです。

たとえば、先月の歩行者天国の通り魔事件。

あの犯人も、実家とは5年間、音信不通だったと言います。

身分の不安定な派遣社員で、いつ職を失うか、住まいを失うか、たえず恐怖とストレスにさらされていたと言いますが、普通に考えれば、実家に帰ればいいだけの話ですもの。

いったん家に帰って、そこで勉強するなり、求職活動するなりして、仕切り直しできそうなものでしょう。

でも、実家には帰らなかった。

帰れない理由があった。

だから、恐怖とストレスも倍増した。

そんなところが本音じゃないかと思います。

根っこにあるのは、派遣労働の云々ではなく、『心のホームレス』なのですよ。

それは、港のない船と同じです。

人生の拠り所となる場所がないから、船が傷んでも走り続けるしかない。

燃料が尽きたら、大西洋のど真ん中に沈むしかない。

そうやって瀕死の状態で生きている、それが『ネットカフェ難民』と呼ばれる若い人の本当の姿ではないかと思います。

普通の親なら、自分の息子、娘が、定職にも就けず、ネットカフェで寝泊まりするような生活を続けていると知ったら、「とりあえず帰って来いよ」と言いませんか。

自立するにしても、いったん家で休ませて、それから次の道を考えるのではないでしょうか。

言い換えれば、自分の息子、娘が、どこでどんな暮らしをしていようと、親は気にならないし、したくもない……というような親子関係なのでしょうね。

家に帰れない。帰りたくない。

私は、こういう『心のホームレス』は、ネットカフェ難民に限ったことではないと思います。

帰宅恐怖症のサラリーマン。

夜遊びする子供。

何かと用事を作っては外出する母親。

家で暮らしてはいるけども、家族としてはまったく機能していない、とでも言うのでしょうか。

本来、自分が自分であることを許される、たった一つの場所に『自分の居場所』がなくて、そこに帰ることを躊躇う人というのは、『心のホームレス』といっても過言ではないと思います。

何かあっても『帰る家』がない。

その苦しさは、ガンバリズムでどうにかなるものでは決してないのです。

では、我が子を『心のホームレス』にしない為にはどうすればいいか。

私は、大きな問題の一つに、『自立』というものに対する勘違いがあるのではないかと思います。

独立して自活できれば、それが『自立』だと思っている。

人生の困難を、自分一人で解決するだけの能力があれば、それが『自立』の証拠だと。

だから「一人で生きていけ、いや、生きていってくれなければ困る」、それを育児のゴールに据えてしまっているんですね。

私も、『自立』というのは、「独立して自活すること」だと思っていましたし、実際、そうして一人暮らしで頑張ってもきました。

職場のトラブル、不動産のトラブル、すべて自力で乗りきってきました。

では、その頃の私は完全に自立した人間だったか――と言えば、今ではそうは思いません。

ただ単に、「一人で生きていただけ」。

『自立』とは違うのです。

一見、定職にも就き、自分の住まいも持ち、社会的に完全に独立しているように見えても、「一人で生きているだけの人」と、「自立した人」の間には大きな違いがあって、漢字をもとに喩えれば、『自立』というのは、大地を基に立っている状態を言います。

でも、一人で生きているだけの人には、自分の足を下ろす大地がありません。

自立というのは、立った状態を意味しますから、立つべき大地を持たないのは、「自立している」とは言えないのですよ。

ただ一人で生きている(存在している)だけです。

この「大地」が意味するところは、自尊心、周囲への信頼感、自己肯定感といったものですが、その象徴となるのは『家族』ですよね。

自分が自分で居られる場所。

自分という存在の全ての基盤。

この大地にしっかり足をつけて立っている人のことを「自立した人」と言い、一人暮らしかどうか、社会生活に対応できるか、というのは、あくまで二次的な事なのです。

親と同居していても、自立している人はいっぱいいますからね。

そこを履き違えて、「親に頼らず、一人で生きていけることが自立だ」と思い込み、子供の尻を叩いたり、突き放したり、鍛えようとしたり、『立つべき大地』を作る前に「立て、立て」と追い立てるから、自分の立つべき場所を見失って、心のホームレスになってしまうのではないかと思います。

それ以前に、家庭に安らぎを見出せず、自分の方から離れて行ってしまうケースもあるでしょう。

いずれにせよ、子供が「帰りたい」と思うような場所でなかったら、それは一生の負荷を背負わせたも同じ事だと私は思います。

その分野で成功した有名人のインタビュー記事などを読んでいますと、単身アメリカに渡ったり、何十回もオーディションに落ちたりして、「もうダメだ、限界だ」という時、実家の親に、

「そこまで頑張ったら、いいじゃないの。一度、家に帰ってきなさいよ」

と言ってもらっている人が多いですよね。

親にそう言われたからこそ、「じゃあ、もうちょっとだけ頑張ってみよう」という気持ちになるし、「いつでも帰れる」という安心感が大きな支えになってくれる――。

これが本当の親の愛であり、「家」だと思います。

自分の子供が『心のホームレス』になって、ギリギリと追い立てられるような人生を生きて行かない為にも、温かい家庭作りというのは本当に欠かせないと思います。

◆━━━【 編集後記 】━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━◆

最近、事件について書かれたブログや、悩み相談の掲示板などを見ていますと、悩んだり、困ったりしている人に対して、『自己責任』という言葉が安易に使われるのに、ちょっと疑問を感じています。

確かに、その人が仕事や恋愛に躓き、世を拗ね、人を恨み、ますます不幸のドツ
ボにはまるのは、その人の気持ちの持ち方に因るものが大きいとは思います。

しかし、誰もがガンバリズムや前向き志向で突破口を開き、不幸のドツボから脱出できるかと言えば決してそうではなく、問題点そのものが分からなくて、孤独の闇に必死でもがいている人の方が圧倒的に多いと思うのです。

言うなれば、数学の「三角関数」そのものが分からない。

誰にも教えてもらったことがない。

そういう生徒に対し、

「この問題が解けないのは自己責任だ」

と言うのは、単なる突き放しではないでしょうか。

もちろん、中には自分で参考書を開き、自主的に勉強して理解する人もあるでし
ょう。
そういう人から言わせたら、「自己責任」なのかもしれません。

しかし、この問題を解くには三角関数を知る必要があるよ、三角関数とはこういうものだよ、とアドバイスする事も同じくらい大切なのではないでしょうか。

何でもかんでも「自己責任」、そうなったのはお前のせいだ、と切って捨てるのは一番簡単なやり方で、単なる思考停止ではないかと思います。

最近は、親が子供に対しても、「あんたが勉強できないのは自己責任だ」「定職に就けないのは自己責任だ」と、突き放しにかかるケースが多いですが、それこそ親の責任転嫁であって、ちゃんと育てられてきた子というのは、成績の良し悪しにかかわらず「努力する」ことを知っているし、将来のことも堅実に考えて、自分を大切に生きていくものだと思います。

行き当たりばったりの生き方を選んで、「どうなってもエエわ」なんて投げやりな気持ちにはならないですよ。

私の尊敬する親御さんは、子供が30代、40代になっても、サポートの手を緩めないし、時に厳しく諭したり、赤ちゃんの頃のように優しく慰めたりと、死ぬまで「その子の親」であり続けるものです。

その人たちの気持ちに、「20歳過ぎれば、幸も不幸も自己責任」などという言葉はありません。

子供が何歳になっても、「我が子の苦しみは私の苦しみ」と正面から受けとめ、共に泣き、共に苦労しながら、子供の幸せを第一に考えるものです。

「自己責任でしょ、私は知りません」と突き放すことが格好いい親だと思っているなら、それは大きな間違いだと思います。

そうやって切り捨てられる愛の薄さが、子供を破滅に追い込むのではないでしょうか。

最近流行りの『自己責任論』、私は危険だな、と感じているんですけど、皆さんはいかがですか。

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