腐っても、母親 ~親の愛、子供の愛~

2017年9月15日子育てコラム, 幼子と向き合う

私は年に一度、雑誌『婦人公論』の前年度のバックナンバーを幾つか取り寄せて読むのが楽しみなんですけど、2007年4月22日号「子育ての正解は『自分流』」の特集で、こんな言葉を見つけました。

親の育て方が子供の個性に影響を与えるのではなく、子供の個性が親の育て方を決めている、とも言えるわけですよ

発言者はお茶の水女子大学教授で、子育てに関する本もたくさん著しておられる菅原ますみ先生。

対談相手の脳学者・茂木健一郎さんの「世間で流布している議論と、研究されていることとの間にギャップを感じませんか」という問いかけに対し、

実際の研究で得られた結果は、そんな単純なものじゃありません。子供が遺伝子的に持っている特徴、家庭外の環境といった複雑な要素が絡んで、個性は育っていくわけです。

さらに、親の子供に対する態度だって、穏やかな子供か、やんちゃ坊主かで違ってくることは、よくあるじゃないですか

と前置きした後、「親の育て方が……」と続くわけです。

私もこの言葉には大いに共感しました。

私は元々、
「子供は白紙だから、親が何でも教えるべき」
「子供は何もできない非力な存在だから、親が手助けしてやらないといけない」
といった考え方が好きではないし、こちらが与えるものより、子供が本来もっている力の方がはるかに大きいと感じているので、『子供の個性が親の育て方を決めている』という考え方の方が納得できるからです。

確かに、子供は、親に愛され、いろいろ教わるべきなのかもしれません。

でも、それ以上に、子供は親を愛していますし、教わっているのも親の方じゃないですか。

親と子供を秤にかけたら、「親の方がよほど助けられている」と思わずにいないのです。

私は、親子関係における一番の過ちは、親が子供の愛情を認識していないことに始まるのではないかと思います。

子供は、親が思う以上に、親のことを愛しています。

だから、親の理不尽の要求にも「うん」と頷くし、自分では「ああしたい、こうしたい」と思っても、黙って親の後をついてくる。

学校で嫌なことがあっても黙っているのは、親を動揺させたくないからだし、親の財布からお金を盗むのは、「無いものを出せ」と求めても困らせるだけだから、黙って持っていく――という理由も一部あることを、世の親はどれぐらい理解しているでしょう。

子供がハイハイと言うことを聞けば、「私の育児が正しいからだ」と思い、子供が隠し事をすれば、「裏切られた」「信頼されてない」と慌て、憤慨する。

こんな調子では、思春期の頃に、「親は何も分かってくれない」と子供がひねくれだすのも当たり前ですよね。

私は、子供というのは、自分の親がどれほど軽蔑すべき人間でも、「こいつだけは絶対に許せん」と感じても、心の奥底では、親とういものを神聖視し、求めてやまないものだと思っています。

よく、「腐っても鯛」と言いますでしょう。

これは、『鯛は腐っても魚の王様である。上等なもの、優秀なものは、痛んでもその品格を失わない』という意味の諺なんですけど、子供にとっては、『親』がまさにそう。

『腐っても、母親』

どんなにだらしない親でも、鬼みたいな母親でも、母親は永遠に『母親』であって、子供というのは、最悪の思い出の底にも、どこかマドンナのように美しい母の面影を信じずにいないものだと思っています。

大人になって母親との関係に傷つき、たとえ殺意を抱くほどの憎しみを感じたとしても、自分の母親は、本当は優しく、美しいものだと思いたいし、思っていたいものなんですよ、多くの場合は。

でも、母親は違うでしょう。

たとえば、子供の言葉が遅い、3歳になるのにまだオムツが取れない、何か気に入らないことがあると、すぐ「自分の子供はダメだ」「イライラする」、その子の秘めている潜在能力や持って生まれた自然力を信じることもなく、一方的に切り捨てたり、否定したり。

冷たいですよね。

私は、子供が「お母さん」を信じる気持ちに比べたら――たとえ、お母さんのイヤな面を見て傷つこうと、お母さんを赦そうとする情の深さに比べたら、「あるべき姿」を求め、いとも簡単に自分の子供を見切ってしまう母親というのは、どれほど頼りなく、器の小さいものかと思います。

「その人のあるがまま」を愛しているのは、母親ではなく、むしろ子供の方ではないでしょうか。

それだけに、母親に信じてもらえなくて、だんだんひねくれてゆく子供の気持ちが私には痛いほどよく分かるし、子育てにおいて何が悲劇と言えば、「出来の悪い子」より「親に理解されない子」だとつくづく思わずにいません。

出来が悪くても、他人にはミソクソに言われても、母親に心の底から「ええ子や」と思ってもらえる子供というのは、この世で最強の力を得たも同然なんですよね。

有名な心理学者の加藤締三先生も『愛される法則』という著書の中で、

母親に『バカ』と言われるのは、世界中の人間に『バカ』と言われるのも同じこと。
だから、世界的に成功を収めても、自己の無価値感に苦しんでいる人間が大勢いる。

といった言葉を著しておられます。

そして、この言葉をいつも思わずにいないのが、ヒップホップのスーパースターエミネム eminem です。

『エミネム』は、1972年生まれの米国のアーティストで、1990年代に最も成功したラッパーと言われ、音楽プロデューサーとしても数々のヒットアルバムを生み出してきました。

そのエミネムが、実母のことを歌った「Cleanin’ Out My Closet」という曲があるのですが、このビデオクリップが本当に切ないです。

愛憎と虐待の間 ~エミネム 『Cleanin’ Out My Closet』より

母親の癇癪から逃れるためにクローゼットに隠れていると、力づくで引きずり出されたり。
キッチンで、母親がドラッグをあおるっている隙に、母親の財布からお金を盗み出したり。
一番哀しかったのは、「お母さん、ごめんなさい」と書いた母の日のカードを「なによ、こんなもの!」とばかりに足元に投げ捨てられる場面でしょうか。

実際、エミネムはシングルマザーに育てられ、非常に不安定な子供時代を過ごしてきました。
大人になって、ラッパーとなって成功してからも母親との関係は変わらず、事実報道をめぐって母親に訴訟を起こされるなど、今も傷だらけです。

この曲の中で、エミネムは歌っています。

親からぶつけられた癇癪は 無視して前に進むだけ
誰からも何も奪うつもりはない

さあ、今のオレを見てくれ
きっとあんたはオレにうんざりしているんだろうけど
そうだろう、母さん、
今度はあんたを笑いものにしてやるぜ

ごめんよ、母さん
あんたを傷つけるつもりは全然ないんだ
あんたを泣かせるつもりは全然ないんだ

でも今夜はクロゼットに隠されていたものを全部ぶちまけるんだ

この愛憎、分かります?

サビの「ごめんよ、母さん。あんたを傷つけるつもりは全然ないんだ」が、この人の本心なんだろうなと思います。

表面では、「アンタ」呼ばわりしても――クローゼットから子供を引きずり出すようなジャンキーの母親でも――子供はどこか母親の神聖を信じているし、思いやらずにいないものなのですよ。

言い換えれば、母親に対する気持ちがそれだけ深いからこそ、母親の態度に余計傷つくのかもしれないですね。

『腐っても、母親』

エミネムにとっては、やはり世界でただ一人の母親なのですよ。

それだけの愛情、数々の赦しを注がれていると思えば、子供に対して、「親として、どうのこうの」なんて気持ちもおこがましいと感じませんか。

生涯のスケールで考えたら、親が子供に与えるものより、子供から与えられるものの方がよほど大きいと思いますよ。

子供が大人になった時、エミネムのような歌を歌われないように、せめてその心だけは信じてあげて欲しいなあと思います。

能力があって、スターになっても、親の愛が得られずに苦しむ子は、一生苦しむんですから。