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雪印事件と企業と消費者の嗜好

2001年3月18日

我々はいつから腐ることが安全の印だということを忘れてしまったのか。次々に露呈される雪印乳業の衛生管理のずさんさは、徹底的に糾弾されて然るべきだが、そうした意識のたるみを企業に許したのは、我々消費者ではないかと思うことがある。

現代はとかく利便性が重視される。食品は、手軽に調理できて、一日も長く保存できる方がありがたいし、種類も飽きがこないくらい豊富であるにこしたことはない。その上「何月何日まで安全に食べられる」と太鼓判が押されていれば、なお楽だ。製品の選択や保存に神経を尖らせる必要が無い。
そうしたニーズが増えているせいか、企業も「安全で健康的」というよりは、「便利で売れる」製品を市場に送り出すようになった。
今や店頭には、工業化された食品が電化製品のごとく並んでいる。海の幸も山の幸もあったものではない。だが、そういう食品を作らせているのは、我々消費者でもあるのだ。

企業はニーズのない製品など作らない。ある意味、企業が提供するものは、消費者の姿を映しているとも言えよう。
まだ、製品に消費期限や賞味期限が明記されていなかった時代、父母は色を見たり、臭いを嗅いだり、味見したりして、食品を見分けた。「いつまで安全」というお墨付きが無くても、五感で察した。一つ間違えば、家族全員を危険に曝すという意識があったからである。

そしてまた「食品は腐る」から、様々な保存方法が考えられた。天日にさらしたり、火であぶったり、塩に漬けたり……そうした家庭独自の工夫が家族の食生活を守り、日本の食文化を繊細で多彩なものにしてきたと思う。

今は消費期限が明記されていれば、それまでは絶対安全と信じて疑わない。自らの五感で確認することもない。企業の保証にすっかり依存し、人間が本来持つべき感覚を鈍磨させているような気がする。

「食品は腐る」のだ。卵やハムのような生ものをふんだんに使った惣菜パンが何日も持ったり、豆腐がひと月も冷蔵庫で保存できる方がおかしいのだ。

意識がたるんでいるのは企業ばかりではない。消費者も食品に対する意識を見直すべきである。

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