美輪明宏とダンサー・インザ・ダーク

2017年9月15日メルマガ書庫

私は美輪明宏さんが好きで、よく舞台やトークライブに出掛けるのだけど、一番意外なのが、会場に若い女の子の姿が非常に多いという事だ。美輪明宏の公演なら、四十代から六十代ぐらいの中高年女性が主流と思っていたのだが、会場はいつも若い女の子の熱気でムンムン。SMAPのコンサート会場にも似た雰囲気だ。プレゼントの花束や手紙を抱えた人も多い。

美輪明宏といえば、歌も演技も素晴らしいが、何といっても味があるのがトークだ。人生の酸いも甘いも噛み分けて、宇宙の深奥まで覗き見たような、そんな濃厚な話をたくさん聞かせて下さる。もちろん真面目一辺倒ではなく、時にジョークあり、毒舌ありで、会場には笑いが絶えることがない。その様を見ていて、つくづく思う。「若い子達も、こういうものを求めているんだなあ」って。

美輪明宏さんの言葉には、他の人からは到底感じられない味があり、真実があり、ドラマがある。そして、人は、道を正し、高い次元に導いてくれる何かをいつの時代も求めているのだ。たとえ表面は無関心を装い、突っ張っていても。

美輪さんの言葉に耳を傾ける若い女の子達の姿を見ていると、「この子達も不安なんだなあ、迷っているんだなあ」と、つくづく思わずにいない。人はいつだって本物に吸い寄せられる。彼女らだって教えて欲しいのだ。何が正しくて、何に価値があるかを。

音楽も映画も文学も「儲かればいい」という商業主義がばかりが先行し、私の目から見れば、本当に価値あるもの、次代に受け継がれるべきもの、大切にしなければならないものが、非常にないがしろにされているような気がするのだが、人はまだまだ“本物”を求めている。表面では流行ものを追い掛けていても、心の奥底では、魂を揺さぶるような価値あるものや美しいものを欲しがっているという事を実感する。

だけど提供する側は、余り分かってないような……。先日、新聞の映画コラムを見ていて、びっくりした。今、着実に観客を集めている、『ダンサー・イン・ザ・ダーク』だが、配給会社は、「こんな作品はどうせ当たらない。ロードショー向きではない」と見切っていたそうだ。

視力を失いつつある女性の悲劇的な結末を描いた『ダンサー・イン・ザ・ダーク』は、好き派嫌い派が両極端に分かれそうな個性的な作品だが、久しぶりに腰が抜けるほど感動した私としては、「こんなもの当たらない」と見切っていた配給会社の感性をちょっと疑ってしまう。というより、「観客を舐めるな」という気持ちだ。

もし、大衆が、大掛かりなアクションや過激なSEXシーンなど、派手な演出ばかりを追い求めていると思い込んでいるとしたら、それはとんでもない読み違いと思う。大衆はそこまで浅はかではないし、いつもいつも実のないショーに拍手するほど盲目でもない。どこの評論家が勿体付けて採点しようと、本当に価値あるものが何か分かっているし、本物を求める気持ちも少しも薄れていない。むしろ提供する側こそ、商業主義にかぶれて、人間の自然な希求や高次な感情に対する認識が鈍磨しているのではないかという気さえする。

『ダンサー・イン・ザ・ダーク』は配給側の読みを大きく裏切って、確実に観客を動員し、主演ビョークの歌うサントラ盤も好調な売れ行きを示している。派手な仕掛けも濡れ場もない、ただ人間のあふれるがままの感情をビョークという素晴らしい歌い手に託して描いたこの個性的な作品が、多くの観客の支持を集めている事実を思うと、『本物志向』は今後も根強く生き続け、本物の作り手を底辺から支えてくれるような気がする。

ところで──先の美輪さんのトークライブだが、質疑応答のコーナーがあり、勇気を出して手を挙げたら、目に留まって、美輪さんとお話することができた。私が質問したのは、「どうしたら、迷いなく、自分のスタイルを貫けるか」ということ。それに対し、「自分は自分で信じるもの。強くなりたいという気持ちがあれば、誰だって強くなれる」というようなお答えが返ってきた。その後、握手して、お手紙を渡した。大きくて、温かい手だった。

興味のある方は、一度、舞台をご覧になって下さい。「王子」こと及川光博サマと共演の『毛皮のマリー』も良いけれど、来年公演予定の『黒蜥蜴(江戸川乱歩 作)』は超必見ですヨ。

{参考記事}

  • ビョーク 『ダンサー・イン・ザ・ダーク』&『レオン』
  • 母と息子の歪な愛 寺山修司の戯曲『毛皮のマリー』