e な症候群(2) -インビジブル-

2017年9月15日メルマガ書庫

【人間、顔が見えなくなると、脳みそまで無くなる】

ポール・バーホーベン監督の最新作は『インビジブル』。

「人間の透明化が邪悪を呼び覚ます」が今回のテーマだ。

「トータル・リコール」でハラハラドキドキ、「氷の微笑」でアヘアヘさせてくれたバーホーベン監督だが、ナイスバディがトップレスで踊りまくる「ショー・ガール」でコケ、SF小説の名作に泥を塗った「スターシップ・トゥルーパーズ」で愛想尽かしされた“時の人”は、とうとう予算も得られなくなったのか、B級パニック映画監督にランクダウンしてしまった。

ご贔屓のケビン・ベーコン(彼の演技はいつも鬼気迫るものがある)を“透明人間”にしてしまった暴挙は許せないが、それでも『人間の透明化』というテーマは、今のネット社会に通じるものがあって、なかなか面白かった。

顔の見えない匿名サンが、透明人間よろしく、言いたい放題やりたい放題する様を、私もずっと見てきたからだ。

映画『インビジブル』に登場する天才科学者セバスチャンは、動物を透明化する薬液の開発に成功し、名声を求めて自ら実験台となる。
その決定的な動機は、自分に振り向いてくれない「元恋人への嫉妬」だった。
『嫉妬』という動機付けは、デビッド・クローネンバーグの傑作『ザ・フライ(ハエ男)』に通じるものがある。
恋人の愛を疑う高慢な男が自棄を起こして物質転送ポッドに身を投じ、ハエと合体してしまったように、天才科学者セバスチャンも自ら薬液を投与して、透明人間になる。

ところが未完の薬液は、セバスチャンの身体を実体に戻れなくしてしまった。研究スタッフはセバスチャンを研究室の一室に閉じ込め、様々な調査や処置を試みるが、セバスチャンは透明化したまま、一向に元に戻れない。

やがて自暴自棄になったセバスチャンは、研究室を抜け出し、透明人間であることを利用して、近くに住む美女を暴行し、恋人の私生活を覗き見る。

それに気付いたスタッフが国防省に訴えたことを知ると、セバスチャンは「この自由を手放したくない」と、スタッフ全員を研究所に閉じ込め、次々に殺害してゆく。

殺人鬼となって襲い掛かるセバスチャンに親しい仲間は言う。

「人間、顔が見えなくなると、脳みそまで無くなるようだな」

最後は元恋人の猛攻により、火の海となった地下研究所に落ちて滅ぶが、透明人間になって邪悪な感情を剥き出しにしたセバスチャンは、ついに理性を取り戻すことはなかった。

どんな人間にも、悪しき面がある。「悪しき面」」というよりは、生々しい動物的側面と言うべきか。それを制御しているのが理性で、理性の源になっているのは、自分が人間(あるいは社会人)であるという自覚である。

人はそれぞれに名前を持ち、肩書きを持ち、属する社会を持ち、他者との関係性の中で生きている。
もちろん人間は、何ものにも束縛されない自由を有するが、社会においては社会の秩序や法則に添うことを要求される。

本人が好む好まざるに関わらず、人はそれぞれに「OO家の長男」「++会社の部長」「**クラブの会員」といった社会的属性を有し、それに準じて生きているが現実だ。
この社会で生きていく以上、社会との関係性を無視することはできないし、社会的責任を放棄することも許されない。言い換えれば、その束縛があってこそ、人は一個の人格を保ち、社会生活を営むことが出来るのだ。

その個人から、属性や社会性を取っ払えばどうなるだろう。透明人間のように、顔も名前も持たない、無責任な自由を手に入れれば?

以前、メーリングリストを主催していた時、ネットの覆面性について考えさせられる機会がたくさんあった。メンバーはもちろん、何処の誰かも分からない40数名の集まりである。毎日のようにメールを投稿する人もあれば、決して姿を現すことなくROMに徹する人もあり、人それぞれにスタンスが違っていた。
中には、メーリングリストで発言することなく、ひたすら主催者である私にDMを送って来る人もあり、内容といえば、「アイツが気に入らない。アイツを強制退会させろ」といった、メンバーの悪口ばかりである。
時には、「**さんのメールの内容を、ボクのホームページで紹介しました。事後報告になってスミマセン」というものもあった。
メンバーのメールを読むだけ読んで、その内容を勝手に外に持ち出しているのである。
一体、誰が、どのような意図をもって皆のメールを読んでいるのか、管理人の私にも全く見えない無気味さがいつも付きまとった。

メーリングリストといっても、顔も名も見えない不特定多数の集まりである。
親しく話し掛けている相手が何所の誰かも分からなければ、誰に覗き見されているかも分からない。皆が皆、リストの趣旨に賛同し、興味や好意をもって参加している訳ではないということを知ったのは、某メンバーから文句だけ書かれた一行DMを送りつけられるようになってからだ。

そこは、まさしく「言葉だけの世界」で、「読む側の解釈」だけで成り立っていた。あらゆる好意も気遣いも、「A」を「アンチA」と読み取れば、それはたちまち悪意に変わる。目に入るのは、ただただ画面に浮かぶ「言葉だけ」、自分の解釈を全てと思い込み、自分の主義主張に凝り固まってしまう。

『議論』というよりは、自我の張り合い。

『反論』というよりは、ただの揚げ足とり。

しかも、自分の言葉が自分の望む通りに解釈される訳がないのに(メルマガでも、100人の読者がいれば、100通りの解釈があるんですよ)、「アイツは俺を否定した」「アイツの考えは間違っている」とばかり、ただ言葉尻だけを追いかけて、メールに情念を燃やす人の多いこと、多いこと。
場はいつも盛り上がっていたが、のめりこむ人も多く、理性も気遣いも無いメールのやり取りに、ヘトヘトになった人も多かったように思う。

こんな匿名の自由がまかり通る世界で「自制心」を求めたところで、ブレーキがかかる訳がない。そもそも、現実社会との関係性や属性から解き放たれ、新たなペルソナ(人格・仮面)を手に入れてネットに入ってきているのだから、現実社会と同じような自制や理性など、誰も求めていないのだろう。

話は戻るが──透明人間の研究に明け暮れるセバスチャンは、向かいのアパートに住む美女に欲望を抱いていた。
彼女は部屋に帰ってくるとすぐに着替えを始めるのだが、いつも「あと一枚」のところでブラインドを閉め、セバスチャンの視界を遮ってしまうのだ。

透明化する前のセバスチャンが、彼女に何も出来なかったのは、顔も名前も有していたからだ。
無理に彼女の部屋に押し入れば、たとえ欲望は果たしても、必ず身元が割れ、罰を受ける。社会人としての自覚や人間としての理性があればこそ、彼はブラインドの向こうで欲望を抑え、我が身を律してきたのだ。

だが、透明人間になり、顔も名前も無くなれば、もう恐れるものは何も無い。自暴自棄になったセバスチャンが、邪悪な感情に身を委ね、美女の部屋に忍び込んで、今まで抑えてきた欲望を一気に爆発させたのも、顔と一緒に理性も人間性も社会性も無くしてしまったからだろう。

ネットの中にも似たような透明人間は大勢いる。現実社会ではとても勇気をもって発言できないような事を、ネットの中では平気で口にし、悪意や嫉妬、怒りを爆発させる。

『匿名』ゆえに、人間の美点が強調されたという話はほとんど聞いたことが無い。大抵は、匿名であるのを良いことに、日頃抑圧している怨みや不満を好き勝手にぶちまけているのが現状だ。
人間とは本質的にルサンチマン(怨念)を有しているからだろう。それを昇華するよりは、撒き散らした方がラクだから(根本的な解決にならないにしても)、人間としてのタガが外れれば、止めどなくなるのかもしれない。

ネットの中の「ヒト」など、実体の無い影のようなものだ。偽名と言葉だけが横行し、全人格的なものはほとんど感じられない。

「人間、顔が見えなくなると、脳みそも無くなる」というのは真実で、多くの人が、透明なペルソナの中で、無責任な自由を謳歌している。
理性から解き放たれた感情の発露に酔いしれいてる。

私もまた、「阿月ヒカル」という影の部分でやっているからこそ、これだけ無責任に書けるのであって、実社会ではこうはいかない。
プロフィールを公開し、自分の名において言論するということは、様々な責任がつきまとう。そして自分の発した言葉の結果も、全て自身で負わねばならない。それに比べて、ネットは気楽だし、言葉の垂れ流しと思う。
こんな規制の無い世界で、好き放題に書き綴れるなら、誰だってやる。
だからこそメルマガも爆発的に普及したのだ。

私も、そうした恥や引け目を感じつつ、実像と影がかけ離れないよう──透明人間の無責任な自由に溺れることなく、抑制しながら書く事を心掛けているが、それでも、やっぱり「顔が見えない心地よさ」というのは恐ろしいもので、ふと気を抜けば、たちまち言葉が暴走し始める。

相手の顔が全く見えず、自分も顔を見せる必要が無い──というのは、真っ先に、人間の理性や社会性を麻痺させるようだ。

近頃は、通りかかった女子学生にコーヒー牛乳をぶかっけるような、卑劣なイタズラが増えている。これからネット世界を筆頭に、どんどん陰湿な覆面社会になってゆくのかと思うと、『ITブーム』なんてお寒い気がするのですけどね。

何にせよ、皆さんも気をつけてください。
たとえ自分の姿が相手に見えなくても、自分が発した言葉や感情は、回り回って、いつか必ず自分に跳ね返ってきますよ。

初稿: 00/11/19

天才科学者が、人間を透明化する血清を発明。しかし、自分で人体実験を試みた結果、透明になったまま元に戻れず、狂気に落ちていく…。
誰にも気づかれずに好きなことができる透明人間は、これまでファンタジーのように描かれていたテーマだが、『氷の微笑』『トータル・リコール』のポール・バーホーベン監督は、男の野望と欲望をむき出しにした、えげつない透明人間に作りあげた。
新しいパワーに酔い、秘密を握る研究所の人間を皆殺しにしようとする主人公は、残酷で愚かな男だが、狂気に落ちた人間の歯止めのきかない行動力とバカ力には圧倒される。
自己中心的で野蛮な主人公を演じるケビン・ベーコンは、後半ほとんど透明だが、キャラクターを力演。