死は人生の集積 ~より良く生きるために~

2017年9月15日メルマガ書庫

『死は、人生の集積(インテグレート)である』

十八の時、医療関係の本を読んでから、この一言が私の座右の銘になった。死に際こそ、その人が生きた人生の集大成だと思うようになった。

そんな動機から、終末医療を目指し、実際、たくさんの人を看取ってきたのだが、本当に立派な死に際を迎えた人は数えるほどしかない。

それくらい……生きるのと同じくらい……死ぬのも難しいのである。

私が一番印象に残っているのは、実に対照的な死に方をされたマツおばあちゃんと、英子さんだ。

マツおばあちゃんは、息子さんが今の天皇陛下のご学友という、えらく門地の高い方だったが、気さくで、飾り気が無くて、それでいて気品に満ち溢れた清楚なおばあちゃまだった。

私が出会った時には、既に膵臓ガンの末期で、もう余命いくばくもない状態だったが、いつも微笑みを絶やさず、私にもいつもおっしゃったものだ。

「私はもう十分に生きた。素晴らしい人生だった。だからいつ死んでも悔いはないの。だって、そのように生きてきたんだもの!」

マツおばあちゃんは、お嫁さんをとても可愛がっておられたし、お嫁さんも一生懸命、おばあちゃんに尽くされていた。

身体が痒いと言えば、家の近くに生えているヨモギを摘み、ヨモギ汁を作って身体を拭き、食欲が無いと言えば、手作りの料理をいろいろ差し入れられる。

マツおばあちゃんは、いつもおっしゃったものだ。

「どこの姑さんも、すぐに嫁が至らぬと悪口を言うけど、自分達だって至らぬ時代があったはず。女の子が家族と離れて、見知らぬ他人の家に一人でやって来るのだもの。姑が味方になってやらなかったら、誰が味方になってあげるの」

いよいよ死期が近づくと、たっての望み通り、お嫁さんはおばあちゃんを家に連れて帰り、ご主人と、息子さんと力を合わせて看病された。

そうして一ヶ月後、おばあちゃんは大好きな家のベッドで、眠るように息を引き取られた。

本当に安らかで、満ち足りた死の訪れだった。

英子さんは、三人の子持ちだった。

まだ三十八歳の若さだったが、乳ガンから転移したガンが腰椎や脊椎に散らばり、私が出会ったときには、ベッドから起き上がることさえできない状態だった。

本人には本当の病状はいっさい知らされておらず、骨の痛みはぎっくり腰だと説明されていた。本人もまたそう思い込んでいた。思い込もうとしていた。

私が「いろいろと思う事があるでしょう。良かったら、話してくれませんか」と言うと、英子さんはじっと私の目を見つめ、

「聞いたって、本当の事は誰も教えてくれないでしょう。誰も教えてくれない事を、あれこれ思い巡らせたって仕方ない。それより生きることを考えたい。私は直る、絶対に直ってみせる」

それからガンが肝臓に転移すると、強力な化学療法が開始された。

猛烈な嘔気に頭痛、発熱、倦怠感──どんな人も泣かずにいない、厳しい治療に、英子さんは歯を食いしばって耐えた。

一度たりと「しんどい」とか「苦しい」とか弱音を吐くことはなかった。

一度、見るに見かねた英子さんの母親が、
「もういい加減にしてちょうだい!苦しまずに治療できる方法は無いの!」
と医療スタッフに食ってかかった事があるが、その時でさえ、英子さんはタオルを噛みながら、

「皆さんが一生懸命、治療して下さってるんじゃない。化学療法が辛いのは誰しも同じ事、お母さんは黙ってて!」
と言われたほどだった。

それからひと月も経たぬうちに、英子さんは肝性昏睡に陥り、ほとんど動くことも、話すこともなくなった。

私がベッドサイドの丸椅子に腰掛け、浮腫でパンパンに腫れ上がった黄色い手を握りながら、

「しんどかろ?」

と聞いたら、その時、初めて英子さんは小さく頷き、微かに手を握り返してくれた。それから涙が一筋、頬をつたって落ちた。

私はその顔を見た時、生きて欲しい、寝たきりでもいい、どんな姿になってもいいから、生きていて欲しいと強く願わずにいなかった。

そして、英子さんの生きた手の温もりを、自分の手の中いっぱいに感じながら、「愛する」という事がどういう事なのか、初めて実感したのだった。

英子さんは、ある寒い冬の夜、ご主人と三人の子供、両親兄弟に看取られて息を引き取った。下のお子さんは、まだ二歳になったばかりだった。

後から看護婦さんに聞いた。

身体への負担を少しでも軽減する為、化学療法が打ち切りになった時、英子さんは朦朧とする意識の下から、医師と看護婦に叫んだそうだ。

「治療して下さい、お願いだから、薬を続けて下さい!」

医師と看護婦は相談して、薬液の入っていない生理食塩水のボトルを見せて、

「新しい薬です。治療は続けますからね」

と説明した。

すると英子さんは満足げに頷いたらしい。

後日、英子さんの家にお焼香に訪ねたら、二歳になったばかりの女の子が、仏壇の鐘をチンチン鳴らしながら、大人を真似るように位牌に手を合わせていた。女の子には、死の意味は分からないが、母親が失われたことは肌で感じるらしい。時々、仏壇の前にやって来て、何か言いながら遺影を指差したり、温もりを求めるように座布団に寝ころんだりするそうだ。

英子さんのお母さんが話してくれた。

「弔問に来る人、来る人、みな口を揃えて言います。『英子さんは立派だった。この子達は、そのように語り継がれる母親を持って、本当に幸せだ』と」

生きて側にいるばかりが愛ではない。

死んで心に根付く愛もある。

そして英子さんは、力強く生き抜くことで、愛と生の素晴らしさを私たちに教えてくれたような気がする。

今は、死に際し、悔いを残す人がなんと多いことか。

乱れ、わめき、呪い呪って死んで行く人もある。

どんな地位や財産を築いても、死ぬときは心一つだ。

心以外、何も持っては行けない。

そして、その心の在り方が、最終的に人生の価値を決めるのだ。

もう一度、生き直そうと思っても、過ぎた人生は二度と帰ってこない。

今というこの瞬間を大切に、生きて下さい。

初稿:01/02/23