ミス・ゼロ ~働くということ~

2017年9月15日メルマガ書庫

二十歳の時、臨床検査センターで検査技師のアルバイトをしていた。扱うのは、主に血液。他には尿や便、喀痰や臓器組織など。取引先の病院や診療所などで採取された検体を営業部員が回収し、検査結果を通知書に打ち出して、病院に提供するのがメインの業務だ。

私が所属していたのは、放射性同位元素を使ったRI測定室。
部屋中、微細な放射線が飛び交う(一応、人体には無害なレベル)、とってもキケンなアルバイトだったが、いろんな試験薬や機械をいじれて、とても楽しかった。

アルバイトを始めて半年も経った頃、社内のあちこちに、『ミス・ゼロ』と記された社長の御触書が張り出されるようになった。「我が社のデータには絶対的な自信がある。だが人為的ミスの多さには非常に情けないものを感じる。お前ら、仕事をする時は、身内の検体だと思ってやれ。ミスは絶対に許さない」というのが、社長の訓戒だ。

実際、検体の取り違い、検査の手順ミス、機械不調、データ記入漏れなど、小さな人為的ミスは毎日のように生じていた。

機械の不調なら、機械自身に精巧なチェックシステムがあるので、割に対処がしやすいが、サンプリング間違いやナンバリングの打ち間違いなどは、本人に確かな記憶が無く、データ異常を指摘されて初めて気が付くケースが多いため、非常に厄介である。

私の先輩の大失敗談──採用検診の梅毒検査での話である。

先輩と助手Aがペアを組んで、血液の入ったスピッツから、検査用試験管に必要量の血清を取るサンプリング作業を行っていた。通常、スピッツには名前が記入されているが、検査用試験管には通し番号が打たれているだけで、名前は記入されていない。一人が名簿を見ながら血液の入ったスピッツをスタンドから取り上げ、検査用試験管に適量をサンプリングし、もう一人が、スピッツの名前と番号、検査用試験管の通し番号を確認しながら、サンプリングされた検査用試験管を受け取り、検査用のケースに並べてゆく。

先輩「(名簿を見ながら、血液スピッツを取り上げ)
イズミヤ シゲル ID 5699、No.1に取ります (検査用試験管に適量をサンプリングし、助手に渡す)」
助手「(血液スピッツの名前と試験管の通し番号を確認し)OK、
(と受け取り、検査用ケースに並べてゆく)」
先輩「モリシゲ ヒサヤ ID 5701、No.2に取ります」
助手「OK 」

……という手順の繰り返しだ。

そして、とある就職試験の健康診断において、検診者ヤマダ氏は梅毒反応「陽性」と判定され、結果はすぐに雇用側と本人に通知された。ヤマダ氏は、即、入院加療となり、雇用側も不採用と決定した。

ところが、入院加療しても、経過がどうもおかしい。その後、何度検査しても結果は「陰性」で、梅毒に感染した徴候が全く無いのである。

病院側は検査センターの報告を疑い、採用検診で採取された血液の再検査を求めた。その結果、ヤマダ氏は、最初から「陰性」であることが判明したのである。

検査センターで原因を徹底追及したところ、どうやらサンプリング・ミスのようだった。つまり、ヤマダ氏の「陰性」血液と、その隣にあった**氏「陽性」血液を取り違え、検査にかけていたのである。

更に事情を聞くと、ペアでサンプリングしていた最中、助手Aが他の用事で呼ばれ、長いブランクができてしまった。助手Aを待ちきれなかった先輩が、数本の検体を一人でサンプリングし、その中にヤマダ氏の検体があったようだ。

先輩は、上司と社長と三人で謝罪に行ったが、ヤマダ氏の不採用通知はもはや取り消せず、当然、ものすごく怨まれたらしい。今から考えれば、裁判沙汰にならなかったのが不思議なくらいだ。

以後、会社の方針として、いかなる事情があろうと「サンプリングは二人で行う」のが鉄則となった。それから絶望的なサンプリング・ミスは無くなったそうだが、二人で組んでいても「ヒヤッ」とする瞬間は多々あるらしい。人間のことだから、ナンバーを読み間違えたり、隣のスピッツを取り上げたり、分量を間違えたり・・というニアミスはどうしても生じてしまうようだ。

今や臨床検査の世界も、機械化・合理化で、どんどん人員削減の方向で進んでいるらしい。検体を並べて機械にかければ、通知書を打ち出すところまで自動的にやってくれるのだから、人手など以前ほど必要でなくなったからだ。

機械は毎日確実に調整すれば、“うっかり”間違う事はない。故障すれば、見た目に分かるし、記録にも残る。解析すれば、方策も立つし、機能を向上することもできる。ある意味、正確無比な仕事には、機械の方が断然上だ。

その点、人間はその日の気分で調子もいろいろ──判断力、集中力、機動力、あらゆる面で一定のレベルを保つのが難しい。どんなに腕の立つベテラン技師でも、ある日、ポカっとミスしてしまう。まるでブラックアウトしたみたいに、とんでもない間違いを犯してしまう。

その瞬間の事など、本人にはまるで自覚もないし、記憶もないのだ。「どうして、そんな間違いをしたんだ!」と問いつめたところで、答えのしようがない。本人も、どうしてそんな事をしてしまったのか、まるで理解できないからだ。

張り詰めた糸がプツンと切れるように、どんな人間もブラックアウトする瞬間がある。むしろ、絶えずその危険性の中で物事に従事していると言ってもいい。有るのは、それが未然に防げるか、大事故につながるかの違いだけで、本質的には全く同じだ。人間が携わる限り、人為的なミスは永久に無くならないし、安全が100パーセント保証される事もない。私たちは、誰もがミスを犯し、犯される危険性の中に生きている。悲劇を回避する最も有効な術は、ありとあらゆる危険を想定して行動することだろう。

車の運転も、初心者よりベテランの方が致命的な事故を起こしやすいという。人が危険を忘れた時、危険の方からやって来るのかもしれない。

初稿:01/02/09