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ある田舎の『土葬』の思い出

2000年1月26日

先日、同僚のお父さんが亡くなった。十数年ぶりにお通夜に弔問したら、一昔前とはすっかり様変わりしているのに驚いた。業者さんによる司会、運行、お茶サービス、「ただ今より、**様のご入場でございます」という坊さん入場アナウンスなどなど、まさに披露宴を悲しみの色にアレンジしたような、一つのセレモニーだった。

もちろん、悲しみに暮れる遺族や、何から手を付けていいか分からない親族に代わって、業者さんが何もかも準備し、取り仕切ってくれるのは有り難いが、一分の乱れもない『セレモニー』として演出しようとする業者意識が見え隠れすると、かえって本物の悲しみに水を差すような気がしてならない。まるで機内のスチュワーデスのように弔問客の前に等間隔で並び、もっともらしい顔で、「本日は、お忙しい中、ご弔問下さいまして誠に有り難うございます」と、遺族とは何の関係もない業者さんに一斉にお辞儀をされても、何も伝わってこないのだ。もっとも、業者さんは、それが仕事なのだけれど。

帰りの電車の中で、若い後輩が聞いた。「お通夜と告別式って、どう違うの?」あの作られたセレモニーの部分だけを見れば、そう思っても致し方ないだろう。業者さんのアナウンスに従ってお坊さんの読経を聞き、焼香をし、生け花の前に敷かれた絨毯の上に並ぶ遺族に挨拶をし、お礼の品を受け取り……と、全てが型通りに過ぎて行く。弔問客の中には、会社がらみとか、「顔を出しとかなきゃマズイ」という動機で来る人もあるわけだから、人が死んでから葬られるまでの一連のドラマを、型通りの中から感じ取るのは難しいだろう。

二十年前、私の母方の田舎は土葬だった。伯父が亡くなった時、その有り様に本当に驚いた。本家の跡取りだった事もあり、その葬儀は「式」というより「祭り」。まさに一族と村の衆が集う一大行事だった。

通夜の日、うちの一家が到着すると、まず初めに奥の一室に通され、伯父の亡骸と対面させられた。伯父は、白い着物を着せられ、白い布団に横たわっていた。死後三日目だったので、何となくヘンな臭いがしてたし、姉いわく「紫色の斑点があった」。

夕方には納棺。土葬だから、棺は漬け物桶を大きくしたようなもの。亡骸の額には白い三角巾が付けられ(まさしく昔のユ~レイそのもの)、胡座をかくように棺の中に座らせる。

だが、その前に、不思議な儀式があった。皆で亡骸を取り囲み、半紙でこすりながら、お浄めするのである。祖母は泣きながら「ここもさすってやって、あそこもさすってやって」と周りの者に言っていた。私も見よう見真似で半紙を手に取り、冷たくなった足や手の先をカサカサとさすり続けた。それが終わると、なぜか裸足で家の周りを何周も歩かされ(忌みを払うらしい)、家に入る前にホースの水で足を洗われた。よく冷えた秋の日だったせいか、足が真っ赤になって、叔母にさすってもらったのを覚えている。

そうしている間に、亡骸は男達の手によって運ばれ、納棺された。死んだ肉体は、意識が無いからずっしりと重い。何人もの男達が汗だくになりながら、やっとの思いで納棺すると、蓋が閉められ、釘が打ちつけられた。

そして夜になると、一族と村の衆を集めての大宴会。広間には、寿司、煮物、焼き魚、酒などのご馳走が所狭しと並べられ、次々と訪れる弔問客の胃袋に収まってゆく。子供たちは、お供えのお菓子を頬張りながら部屋の隅で遊び、男達は酒を飲みながら故人の思い出話や世間話に花を咲かせ、女達は子供に注意を払いながら、一時も手を止めることなく料理を作り、酒を運ぶ。その宴が、それこそ一晩中、続けられるのだ。

宴の最中には、わあわあ泣き出す者もあれば、酒が回って人に絡む者もある。あるいは家の裏手に人魂が出たと言って子供を怖がらせる叔父もあれば、妙な宴会芸を披露して笑わせる従兄もある。

私と姉は、早々に二階の居間に引きこもり、夢中で漫画を読んでいた。その傍らで、寡婦となった伯母が一人ぐったりと横たわっていたが、当時は人の悲しみを知る術もなく、「伯母ちゃん、そんな所で寝てたら、風邪ひくえ」ぐらいなものだった。そして伯母も、漫画片手にキャッキャ笑う私と姉に「ちゃんとお風呂入ったんか」「お腹すいたら、言いや」という感じで、その感情をぶちまけようとはしなかった。あるいは、宴に顔を出して、下手に大人に慰められるより、無邪気な子供の側に居た方が楽だったのかもしれない。

そうして、夜通しの宴が終わり、いよいよ本葬になると、仰々しい格好の坊さんがやって来て、読経してくれた。その時はさすがに厳粛な雰囲気だったが、私と姉は時々顔を見合わせながら、「んにゃ~んにゃ~」とした読経の響きに笑いを洩らしていたものだった。

その後、男達は修験者みたいな白装束に身を包むと、漬け物桶みたいな棺に紐をかけた。そして二本の棒を通して担ぎ上げると、坊さんを先頭に墓地に向かって歩き出した。遺族はその後ろに二列になって続き、村の人々が沿道に並んでそれを見送る。その間も、坊さんはお経を読み、手にしたお香をたやさない。「ちり~んちり~ん」と鐘が鳴り響く中、棺桶を担いだ行列があぜ道を踏み、河を横切る。これぞまさしく『野辺送り』。途中すれ違う人々も、自ずと道を譲り、葬列に手を合わせてくれる。悲しいというよりは、別の世界にゆっくり歩いて行くようだった。

そうして墓地に到着すると、男達がスコップで穴を掘り、大きな墓穴を掘る。再びお経が読まれ、皆が手を合わせると、いよいよ棺は土の奥深くに収められ、一人一人がその上から土をかけてゆく。棺がすっかり収まる頃には、その部分が山のように盛り上がり、生々しい気さえする。傍らには、もうすっかり平たくなった古い墓もあり、人間の命がいかに土に還ってゆくかということを物語っているようだった。

葬儀が終わり、お供えのお菓子の残りをお土産の袋いっぱいに詰めてもらって、ほくほくだった私と姉は、帰りの車の中で恐ろしい話を聞かされた。宴も一段落し、皆が広間で雑魚寝し始めた時、伯父の棺から「ゴトッ」という音が聞こえたというのである。「それ、亡骸がバランス崩して、棺にぶつかっただけちゃうの」姉は反論したが、父と母は、「いいや、棺の中にきちきちに収められている亡骸が右に左に崩れるわけがない。あれは棺の中で何かが動いた音や。お前らが漫画ばっかり読んでるから、伯父さんが怒って、棺を叩いたんや」おまけに、母は、窓の外を火の玉が飛んでいったと言う。私と姉は怖くて、しばらく夜中にトイレに行けなかった。

それでも伯父の葬式は、滅多に会わない人に会い、飲めや食えやで賑わい、故人の思い出話に花を咲かせ、一族の血の繋がりと村の絆を改めて実感させてくれる、一大イベントだった。「村八分の残り二分は、火事と葬式」と言うが、昔から、人は、葬儀というものが永訣であると同時に結束の場であることを重んじてきたのだ。

「**ちゃんのお父さんが亡くなったって!」という知らせが職場中を駆けめぐる。ひと時、言葉を無くした後、「葬儀場はどこ」「誰の名前で弔電を打つ」「誰と誰が弔問する」「香典はいくら包む」「喪服はどのようにする」「焼香や挨拶はどうする」……etcという話が、早速、取り交わされる。いかに形を繕うかという点で。

もちろん、気持ちを形に表すのは大切だが、あまり形ばかり追い求めるのも美しくない。当たり前の事だけど、飾り立てられた祭壇より、本物の涙や言葉の方がより大きな力を持つものだから。

そうした様を見ながら、私はぼんやりと自分の葬式について考えた。私は愛する人に本物の涙をこぼしてもらえたら、それでいい。その後、酒でも飲みながら、皆で賑やかにやって欲しい。そして、小さな骨のかけらになったら、暗いじめじめした墓になど葬らず、大好きな南の海に、ば~っと派手に撒いて欲しい。

とにかく、人を煩わせる事はしたくないし、形だけのものは欲しくないというのが正直な気持ち。

死ぬも生きるも一度なら、実のあるものを手にして逝きたいものだ。

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