歴史の気まぐれなロシアン・ルーレット 映画『ディアハンター』

2017年9月15日映画

いわゆる『反戦映画』というのは無くなったような気がする。

昔、オリバー・ストーンが『プラトーン』で描いていたような、「とにかく戦争は駄目なんだ、悲惨なんだ、こんなに不幸なんだ!!」と声高に叫ぶ作品だ。

今でも『ブラックホーク・ダウン』や『ローン・サバイバー』、最近では『アメリカン・スナイパー』のように、戦場とそこで闘う兵士をリアルに描いた作品は多数存在するけれど、70年代から80年代にかけて、とりわけ『プラトーン』以降、主にベトナム戦争を舞台にした『反戦色』の濃い作品は、作られなくなったように思う。

特に、9.11 の後。

*

それまでハリウッド映画のお決まりの仮想敵国と言えば『ソ連(東側)』だった。

そして、ソ連の適役といえば、ドルフ・ラングレンが演じるような「無口」「無表情」「無血」、殺人サイボーグのように人間的な血の通わぬ冷酷なキャラクターというのが典型で、勧善懲悪の場合は「ソ連のスパイ全滅」、ハッピーエンドの場合は、「ソ連のスパイも心を開き、人間的な交流が始まる」というのがお決まりのパターンだったように思う。

ところが、あの頃を境に、仮想敵国といえば『アラブ』『北朝鮮』『テロリスト(東側ではなく、アラブの)』が主流になり、ストーリーも反戦を声高に叫ぶものではなく、メッセージ性は抑え、ただただ、その場のリアルを映し出すような作品が多くなったように思う。

70年代から戦争モノを見てきている私の印象では、「それでも国(たいていアメリカ)の為に戦う兵士は尊い」という流れになっているんじゃないか、と。(もちろん任務を全うされる方々に何の咎も無いのですよ。ただ作品において、どこかにプロパガンダの匂いがする・・というか、以前の戦争モノとは明らかに違ってきている、という印象を拭えない)

あえて言うなら、「武力で応戦するのは仕方ない」という流れ。

「だって、あいつら、血も涙もないんだもン。あんな奴らに攻撃されたら、武器もって応戦する以外にないでしょ」という、諦念のようなもの。

ジョン・レノンが掲げた「Love & Peace」や「反戦」のメッセージは、所詮、夢に過ぎなかった。

この世からテロや紛争を撲滅するのは不可能であり、我々もそれに備えて武力や法律を万全にせねばならない……という諦めの世界全体に漂い、「恒久平和! 戦争反対!」と叫ぶ方がお花畑と侮蔑される時代に変わってきたように思う。

もちろん、それが「現実」には違いないけれど、もう一段、高い所に登って考えれば、世界全体が昔ほど「戦争なき世界」を求めず、武力を容認し、消極的に賛同するようになる……という流れも恐ろしくないか?

いわば、戦争というものに「慣らされてる」状態だ。

*

身近に喩えれば、校内暴力が日常茶飯事で、普通の学生も護身の為に短銃やナイフの携帯が許可されたとしよう。

いつ後ろから蹴られ、殴られするか分からない。

いざとなたら、オレもナイフで応戦するんだ、当然の権利じゃないか。

「自己防衛のため、ナイフの携帯OK」を前提に、誰もがそれに何の違和感も持たなくなったら、どこまでが自衛で、どこからが攻撃か、その線引きも曖昧になる。

やがて疑問も違和感も薄らぎ、いずれナイフの携帯が「当然」にシフトした時、社会はどこかで判断を誤るのではないだろうか。

*

世の中の動きはあまりに複雑で、誰にも絶対的に正しい方策など分からない。

だが、一つだけ、失ってはならないものがある。

それは『武力』に対する違和感だ。(たとえそれが求められたとしても)

違和感が無くなれば、抑止力も失われる。

歴史のロシアンルーレット

『ディアハンター』といえば、ロシアンルーレット。

ロシアンルーレットといえば『ディアハンター』。

というくらい、強烈な印象を与えた1978年の名作だ。

「これが好き」という人は、私のようなおっさん・おばはんか、ロバート・デニーロの大ファンか、筋金入りのハリウッド・オタクか。

今は忘れ去られたような感がなきにしもあらず。

実際にベトナム戦争で捕虜がロシアン・ルーレットを強要されたという事実はなく、あくまで映画の演出ですが、それでも史実と錯覚させるぐらいの演技力と臨場感である。

ロバート・デニーロとクリストファー・ウォーケンの鬼気迫る演技は、何度見ても圧倒される。

*

なぜロシアン・ルーレットなのか? という問いかけには、見る人の数だけ答えがあるだろう。

そこには正義も真理も人類愛もない。

ただ『運』があるだけ。

この機械的な『選別』こそ、歴史や社会の不条理を見事に表している。

誰も好んで紛争地に生まれ落ちるわけでもなければ、執政者を選んで育つわけでもない。

「その時、その場に居た」というだけで、生命も未来も全てが左右され、個人の愛や努力や正義感で変えられるものでもない。

まるでロシアン・ルーレットのように、当たりが悪ければ死に、運が良ければ生き延びるという、不可抗力があるだけだ。

*

戦場もロシアン・ルーレットに似ている。

そこには善人も悪人もなく、ロシアン・ルーレットのように「当たり・ハズレ」があるだけだ。

もし本当に愛や正義が絶対的なものであるなら、弾丸は善人を避けて通るだろう。

だが、そんな結末には決してならない。

思想も人間性もまったく関係ない、無慈悲な歴史のロシアン・ルーレットが戦争の現実だ。

『ディアハンター』でも、ロシア系アメリカ人がベトナムの代理戦争を戦うが、そこに大義も思いやりもなく、あるのは『死』だけ。誰が勝っても、傷つき、失った人の命は帰ってこない。

*

『ディアハンター』は声高々に反戦を叫ぶ作品ではなく、戦場で傷ついた若者の姿をリアルに映し出し、見る人に深い悲しみや虚しさを感じさせる。

川に墜落して足の骨を折り、一生の不具者となったスティーブン。

戦場を経験したが為に、普通の庶民に戻れなくなったマイケル。

そして、陥落前のサイゴンでロシアン・ルーレットに耽るニック。

登場人物が政治について語らない分、余計で考えさせられる傑作だ。

見終わった後のこの虚脱感こそ、戦争が過ぎ去った後の世界の心象だということを教えてくれる。

そして、いつも、つくづく思うけど、どこの国がどんな大義を掲げようと、焼け出され、逃げ惑うのは貧乏人(庶民)だけ。

当たるか、外れるか。

敵国だろうが同盟軍だろうが、貧乏人に待ち受ける運命はみな同じだ。

そして、気まぐれにロシアン・ルーレットを弾く手は、決して自ら汚れることはないのである。

心を病んだニックは陥落寸前のサイゴンで秘密のゲームに耽る(ネタバレ)

ジョン・ウィリアムスの演奏が心にしみるテーマ曲の『カヴァティーナ』

アイテム

コアなファンから字幕版への不満が続出してますが、とりあえず購入しました。

吹替も最強メンバーでしょう。

マイク(ロバート・デニーロ) 山本圭
ニック(クリストファー・ウォーケン) 羽佐間道夫
スティーブン(ジョン・サヴェージ)野沢那智
リンダ(メリル・ストリープ) 池田昌子
スタンリー(ジョン・カザール) 青野武

特典のブックレット。ファン垂涎の品ということで。

ディア・ハンター

ディア・ハンター

ディア・ハンター

クリストファー・ウォーケンもこの一作で名優です。

かなり長いですが、じっくり映画を鑑賞したい方におすすめ。

で、有名な「カバティナ」が、ジョン・ウィリアムスのベスト盤には収録されていないという、あら不思議。

興味のある方はどうぞ。