プロとアマの違い ~池田理代子のインタビューより~

2017年9月15日メルマガ書庫

これについて的確にコメントできる人は少ないだろう。
ましてや今は何もかもがボーダーレスの時代だから。
Marieもその違いについていろいろ考えた。

看護の仕事を引き合いに出すなら、「看護婦」と「看護助手」の違いといえるだろう。

看護婦は、看護学校で、看護の専門教育を受け、ライセンスを取得した人。

看護助手は、ライセンスは無いけれど、看護婦と一緒に看護に携わり、看護婦の補助業務を担当する人。

どちらが上とか、優れているとかの問題ではない。
職能が違うのだ。
そして、職能の違いとは、責任の持ち方の違いでもある。

看護助手暦20年のベテラン助手さんと、新卒のペーペー看護婦。

看護の場において、どちらが機敏で知恵があるかというと、ベテラン助手さんの方だ。
患者の気持ちを見抜くのも早いし、気難しい患者も上手に諭す。

看護婦でも見落としがちなミスにも気付くし、緊急の場面でも、下手な看護婦より早く、的確に物品を揃えてくれる。

傍で見ていたら、オロオロした新米看護婦よりよほど頼もしい。
患者の信頼度や親密度も、看護婦よりはるかに上の場合がある。

それでも、職能(責任)の上では、看護婦と看護助手は厳密な境界線で区分されていて、いくらベテラン助手さんにキャリアや信用があっても、職能を超える行為は許されないのである。

看護助手は、たとえ薬一粒といえど患者に手渡してはならない。

治療や投薬のことで患者に説明を求められても、安易に答えてはならない。(たとえ分かりきっていることでも)
点滴が終了していても、クレンメを操作してはならない。

(チューブについたクルクルっと回す部分。あんなもん、子供でも操作できるが、それでも資格の無い者が触れてはならないのである)
使用済みの注射器や医療器具などを無断で処理してはならない。
……etc。

ちょっと出来そうなことでも、医療行為に関する事は、無資格者は絶対にしてはならないのが、まともな病院の世界(ルーズな所もある)。

私も、看護助手時代、薬局から上がってきた入院患者用の薬を無断で仕分けして、メチャクチャ叱られた。

それは個々の薬袋を、詰所の薬箱に名前別に収納するという、小学生でも出来そうな簡単な作業だった。

忙しい看護婦さんをちょっとでも手助けするつもりでやったのだが、看護婦さんから見れば、『職能を無視した許しがたい行為』だったのだ。

その時、副婦長に言われた事が、

「たとえ”自分にも出来そう”と思っても、治療や薬に関する仕事は、絶対にしてはなりません!あなたは看護の勉強もしてないし、資格も無いのだから。もし、あなたが薬を仕分けた事で、何か事故が起こった時、あなたにはその責任を取る能力がありますか?!私たちがこんなに厳しく言うのは、患者を守ると同時に、あなた自身を守る為でもあります。自分の職能をわきまえなさい!」

当時は、私も若かったから、
(ふ~んだ、人がせっかく親切でしてやったのに……)
と、一人すねていた。

でも、今ふりかえれば、その意味が恐ろしいほど良く分かる。

もし、あの時、私が名前を間違えて、別の患者の薬箱に入れていたら? その間違いに誰も気付かず、誤った薬を患者に手渡していた?
その薬がビタミン剤なんかじゃなく、降圧剤や強心剤だったら??

謝って済む問題ではない。

私だって、責任の取りようがない。

『これぐらい、私にも出来るわ』と軽く考えて行った事も、一つ間違えば重大な事故につながるということを予測できないのが、勉強してないノー・ライセンスの看護助手であり、一見、簡単そうに見える医療行為(投薬とか看護記録とか)でも、一つ一つ意味を考えながら、責任もって行うのが、きちんと専門教育を受けた有資格者の看護婦だ。

その意識の差――

職務に対する責任の持ち方や、自分のスキルにかける努力の差が、プロとアマの違いではないかと思う。

これはね、決して「看護助手さん」を見下して言ってるのではないよ。
経験によって培われたものは、もちろん大事。
看護婦も、看護助手さんに見習わなければならない事がたくさんある。

ただ、「医療行為」「看護」という観点から見れば、専門職としての訓練を受けた者と、そうでない者の差が歴然としてあるの。

看護婦はね、食事介助ひとつするにしても、

「この患者は今どういう状態か、最近の食事摂取量はどうか、そろそろ五分粥から米飯にアップできないか、この姿勢では食事がしにくいんじゃないか、食後の内服薬は何だったか、吐気や腹満は無かったか……」

なんてことを、いろいろ考えながらやるわけよ。

で、その疑問や予測や観察の礎となっているのが、医学・看護の知識。
胃切除後の人間の身体がどうなっているのか知りもせんと、
「そ~か、腹がへったのか。さあ、好きなだけ食え」
といって食べさせたら、患者さん、死んでしまいまっせ。

そういう意味で、看護婦と看護助手さんとの間には、職能としての違いがあるの。

どっちが上とか、優れているとかの問題じゃなく。

そして、医療現場のように、職能に準じた厳密な境界線があり、各々が自分の職能と責任を自覚しながら、個の力を自由に発揮しているのと違い、自分の発した言葉の行方など考えもせず、

「何でもアリ」「お気軽・手軽」の感覚で言いたい放題してるのがネットの世界といえばお分かりいただけるだろうか?

言うなれば、「これくらい、私にも出来るわよ」と、せっせと患者の薬袋を仕分けしている看護助手のT.Kさんがそこらじゅうにいるわけだ。

世の中には、「趣味だからイイじゃん」「表現の自由よ」では済まされん事もいっぱいある。
「上手い」「下手」を問う前に、そのあたりのことも考えないとね。

~ オマケ ~

看護学校の実習でよくある光景。
「学生のT.Kさん。この薬は何という名前? 何の為に投薬するの?」
「え? ……え~と……、錠剤は***で、作用は……
「分からないなら、患者さんに渡してはいけません。
ちゃんと調べてから、与薬しなさい」
「――ハイ (→ 物品庫にこもって泣く)

Marieには上手くまとめられないので、
代わりに「ベルばら」で有名な池田理代子さんの言葉を紹介しとこ。

登山口”違う プロとアマ

1996年 読売新聞に掲載

- 趣味の延長では成長限界 芸術は厳しい鍛練と勉強 -

十年間、趣味でクラシックの声楽を勉強してきた。

音楽大学への受験を決めたのは二年前。何とかめでたくこの春から東京音楽大学音楽部声楽専攻の学生になることができた。

私の年齢を考えれば、もうただそれだけで”快挙”ということになるのだろうが、祝福の声に混じって、

「歌なんて、わざわざ大学へ行って勉強しなければいけないものなのか? ただ好きで歌うというだけじゃいけないのか?」
という疑問の声もあった。

そう問われれば、やっと専門的勉強の世界に爪先をちょいと踏み入れたに過ぎない私は、ただ「うーむ」と絶句するしかないのだった。

もう一つの趣味である日本舞踊は、いちおう藤間流の名取である。

名取ではあっても師範ではないのだから、こちらの方は、れっきとしたアマチュアである。とはいえ、本人はいつの日か師範にまで至ることを目指してそこそこは真面目にお稽古に励んできたつもりであった。
「筋がいいですよ」とか、「舞姿がお師匠さんに似ている」

とか言われ、着々と腕をあげていると自分では思い込んでいたのであるが、はっきりいうとそういった形容の前には括弧つきで【アマチュアとしては】という言葉が厳然として入るのであった。

というのも或る日のこと、私と稽古仲間の友人は目のあたりにしてしまったのである。

私達にはついぞきつい顔や言葉を向けられたことのない美しく柔和な師匠が、舞台を目前にしたある若手の弟子に、厳しくも凄みのある叱咤をなさっているのを。
彼女は、若手とはいえ今年新人賞をとったこの道のプロである。

「何のつもりなの、その踊りは!」と言われて、リハーサルの舞台からもう一度師匠の稽古場へ引っ張っていかれた彼女を見ていて、目から鱗が落ちる思いだった。

同時に、押しも押されもせぬプロとしての師と弟子の姿に、全身が粟立つほどの感動に打たれた。

同じことを学んでいても、プロとアマチュアでは始めから登る山が違うのだ、と実感せざるを得なかった。

アマチュアとは、決してある山の途中まで登ってきている者を指すわけではない。
本当に、登山口もまったく別なのだ。

私は、十年間趣味として声楽を学んできて、そして今、登りかけていたひとつの山を一旦下り、新たに別な山に登り直そうとしているのである。

学生というのは依然アマチュアには違いないのだが、それは、プロの道に至る登山口に一歩を踏み入れたアマチュアである。

優れた歌手の歌う声が、何故あれほどにまで人の心を打つのかといえば、ただひとつの音、ただひとつの言葉の発音にも、厳しい全身の鍛練と長い歳月の勉強があるからである。

歌ばかりではない。踊りであれ、楽器であれ、文章であれ、絵であれ、およそ”芸術”の域にまで達することのできるものはすべて同様だ。

もちろん、それが”芸術”の名にふさわしいものになり得るかどうかには、本人の内面の豊かさやインスピレーション、表現力などといったものが究極は問題になるのだろう。

しかし、それらを支えるものは、まず厳しい鍛練と長い歳月の勉強である。

それに耐えて自分に向き合う絶対的孤独の時間が、すべてを決めると言っても過言ではない。

学校に入るというのは、言ってみれば出来上がったメソッドの中に自分を投げ込むということで、本当は最も手っ取りばやい道なのかもしれない。

大学を出たその後の、生涯にわたる勉強がプロへの道であることは言うまでもない。

初稿:99/08/01  メールマガジン 【 Clair de Lune 】 より 

§ 池田理代子のおすすめ本

池田先生は漫画本以外にも女性の生き方に関するエッセーを何冊か書いておられます。

もう廃刊になって、マーケット・プレイスでしか手に入らないものもありますが、一読の価値あるものばかりですので、機会があればお手に取ってみてください。