繊細だと絵は売れない 映画『ビッグ・アイ』

2017年9月15日映画, 感動ドラマ

世の中には、臆面もせず、自分を10にも100にも見せることができる人がいる。

それとは正反対に、控えめで、自信がなくて、臆病で、どれほど優れたものを持っていても、集団の中で小さく縮こまり、隅っこにぼんやり立ち尽くすしか術のない人がいる。

繊細な人に絵は売れない

その一点に乗っかり、また乗っかられ、不思議な運命を辿ることになった女性画家と人気画『ビッグ・アイズ』の顛末を描いたのが、ティム・バートンの映画『ビッグ・アイズ』だ。

目だけがぎょろりと飛び出でたような、印象的な子供の絵が得意なマーガレット。

最初の夫の横暴から逃れるように家を出て、シングルマザーとなり、家具屋でイラストを描く仕事をしながら、日曜日は往来で肖像画を描くアルバイトをしながら一所懸命に生計を立てている。

道行く人の目を留めるだけの実力がありながら、自信のないマーガレットはどこかオドオドし、自分の絵に適正な価格をつけることができない。
「この絵はいくら?」と聞かれ、「今日は特別に2ドルです」と答えても、客に「1ドルでどうだ」と押し切られると、「分かりました・・」と答えてしまう。

BigEyes ビッグアイ

絵の自信もない。シングルマザーとして生きてゆく自信もない。
いろんな意味で疲れ切ったマーガレットの目の前に現れたのが、お調子者のウォルター。
彼女とは対照的に、よく喋り、社交的で、下手な絵でも一流画廊に堂々と売りにでかける押しの強さがある。
マーガレットの才能をいち早く見抜いたウォルターは、ライブハウスと強引に交渉し、トイレの前の廊下で絵を売るという離れ業(?)をやってのける。
大勢の目に触れるうち、マーガレットの絵は徐々に人気を集めるが、自身がギャラリーの前に立って高値でアピールするほど厚かましくもなれない。
そんなマーガレットの躊躇を尻目に、ウォルターはあたかも自分が描いたかのように客にアピールし、がんがん金を稼ぎまくる。

そう、まさに『繊細だと絵は売れない』のである。

BigEyes

口の上手いウォルターは臆面もせず自画自賛。あの手この手で『ビッグ・アイズ』を売り込み、知名度を高める。

BigEyes ビッグアイ

ビッグ・アイズ

商品価値のなさそうなチラシやパンフレットにも値段をつけ、堂々と売りまくる。

ビッグ・アイズ

自身が作者であるにもかかわらず、それを言い出せないマーガレット。

BigEyes ビッグアイ

ウォルターのように下品にも尊大にもなれないマーガレットは、一度は、ウォルターの提案を呑み、対外的なマーケティングはウォルターに任せ、自身は絵の制作に徹する道を選ぶ。

だが、友人の目はごまかせない。「ぴんとこないわ 彼と絵が結びつかないの」と不審がる。

ビッグ・アイズ

世間も友人も、最愛の娘さえも欺き続けることに激しい良心の呵責を覚えるマーガレット。
そんな彼女の葛藤を尻目に、『ビッグ・アイズ』は国民的人気となっていく。
行きつけのスーパーでも大量販売されているのを見て、茫然自失。しかもそれは『夫の手柄』

ビッグ・アイズ

しまいに店内にいる人がみな『ビッグ・アイズ』に見えるほど。
まるで世界中に責められているみたい。
このあたりの不気味で人形的な演出はティム・バートンならでは。

ビッグ・アイズ

ビッグ・アイズ

やがてマーガレットは、芸術家としての自分自身さえ欺いているように感じ、『ビッグ・アイズ』とは異なる絵を描いて、静かに自己主張を始める。

ビッグ・アイズ

それでも「これが私の絵よ」と堂々と名乗れないマーガレット。
人に理由を尋ねられると、「女性の絵は軽く見られるから名乗らないの」と哀しそうに答える。

ビッグ・アイズ

そんなウォルターの商法も暗礁に乗り上げる事件があった。
ニューヨーク万博に出品された『ビッグ・アイズ』が酷評されたのだ。
ウォルターは世界進出の野望を挫かれ、その怒りをマーガレットにぶつける。

狂ったように妻子を追いかけ、鍵穴からぎょろりと覗いて、火の付いたマッチを投げ込むシーンは、スタンリー・キューブリックの『シャイニング』を彷彿とさせる(オマージュでしょうか)

ビッグ・アイズ

ビッグ・アイズ

夫の横暴に耐えられなくなったマーガレットは、ついに娘を連れてハワイに逃亡。
そこで神の教えを説く『エホバの証人』から聖書を授かり、「誠実」という言葉の前に立ち止まる。

ビッグ・アイズ

ラジオのインタビューでついに真相を打ち明けるマーガレット。
彼女の告白は世間を騒然とさせ、ついに法廷で争うことになる。

ビッグ・アイズ

陪審員の前で絵を描けば、答えは一目瞭然。
勝訴したマーガレットは、ようやく夫の呪縛から解き放たれ、名実共に本物の画家として前に歩み始める。

ビッグ・アイズ

作者を食い物にする

作中でもさりげなく語られているが、おそらく、マーガレットとウォルターの間には家庭内DV、あるいはパワーハラスメントに相当するやり取りがあったのだろう。

「お前はダメだ、臆病だ」「女ごときに商売ができるわけがない」「お前は黙って絵を描いていればいい」「俺の言う通りに従っておればいい」etc

それに対し、疑問や反発を感じながらも、自身の臆病や負い目、自信の無さを知っているマーガレットは、「確かに夫の言う通りかもしれない」と自分に言い聞かせ、黙って言われた通りにする。

逆らえば、どんな暴言や暴力を受けるかわからず、その恐怖心もあったかもしれない。

そしてまた、真実が露呈した時の、世間の非難。

マーガレットが10年もの間、自らが作者であると名乗ることができず、口八丁手八丁の夫に隷属してきた心中は容易に計り知れる。

まして現代よりもっと女性が蔑まれ、キャリアウーマンだの自己実現だの、はるか雲の上の時代。

「女性の絵は軽く見られるから名乗らないの」というマーガレットの言葉が全てを物語っている。

彼女もまた、名乗りを上げたところで、「なんだ、女の絵か」と見下されることを肌で感じ取っていたに違いない。

「こんなに絵の才能があるのに、どうして堂々と名乗ることが出来ないの? 私なら皆に見せびらかすのに」と普通の人は思うだろう。

いや、むしろ、大衆を魅了するような絵が描けるだけの感性や知性を兼ね備えているから、ウォルターのように「オレが、オレが」と下品に自分を売り込むことができないのだ。

ネット界隈でも、1のものを10にも100にも見せて、自己アピールする人はあるだろう。

普通なら臆面して言えないようなキャッチフレーズ。経歴の盛り。加工写真。これみよがしなポーズ。

そして、それを真に受けて、中身スカスカの、いかがわしいサービスや作品に、500円、1000円とお金を落とすギャラリー(信者)。

それはネット界隈に限らず、実際のエンターテイメントやアートの世界もそうなのかもしれない。

誰一人ゴーストの存在を疑わず、世間の絶賛に煽られて拍手喝采、CDやコンサートチケットも飛ぶように売れた、音楽のゴーストライター事件のように。

ウォルターを「出版社」「プロデューサー」「音楽レーベル」「芸能事務所」「大手ショップ」等々に置き換えれば、非常に分かりやすい。

おどおどと自信のないマーガレットに「お前は黙って言われた通りに絵を描いておればいい」と威圧し、売り上げや名声など、美味しいところは全部持っていく、搾取の存在だ。

だが、こちらにも言い分はある。

マーガレット一人なら、『ビッグ・アイズ』はここまで有名にならなかったかもしれない。

ウォルターが「収容所の子供たちの傷ついた姿に心を動かされた」と臆面もなく聴衆の前で感動のエピソードを語り、「チラシも50セントだ」と、コピーのチラシにも値付けするような押しの強さがあればこそ、人は「ああ、それほどに価値のあるものか」と騙され、有り難がって、絵の評価もうなぎ登りになったのだから。

そして、長くエンターテイメントの世界に身を置くティム・バートン監督は、そんな現実を誰よりも知っていたのかもしれない。

大根女優も「○○が大絶賛」「○○賞を受賞」「○○の再来」と持ち上げれば、ガチョウも白鳥に見えるし、陳腐な作りでも「今年最高の感動作」「全米が泣いた! ノミネート作品」と銘打っておけば、見る人が「たいしたことないやん」と感じても、「皆がそれほど絶賛するなら、やはり名作なのだろう。つまらないと感じる自分がオカシイのか」と思い込むようになる。

そうした皮肉を、マーガレットとウォルターの関係になぞらえて訴えたかったのだろう。

作中では、ウォルター一人が悪人のように描かれているが、彼の言い分を信じ、全米をあげてヨイショし、チラシ一枚にも有り難がってお金を落とし続けたのは誰なのか。

「僕たちはウォルターに10ドルを使ったのではない。『ビッグ・アイズ』という名作にお金を払ってきたんだ」という人もあるだろう。

だが、どう繕うと、大衆も評論家も、ウォルターの演出に心を動かされ、ブームに乗っかった事実は否めない。

『ビッグ・アイズ』を買ったつもりでも、彼らは確かにウォルターのインチキにお金を使わされたのだ。

最後には真実が勝つ

一方、虐げられ、抑圧されてきた画家の魂はどうなるか。

やはり真実は強し。

最後にはマーガレットが良心に立ち返り、ウォルターの嘘を暴いて、勝利する。

搾取する者(=ウォルター)が、どれほど押さえつけようと、芸術家の魂までは支配できない。

本来の情熱が少しずつ目を覚ますように、マーガレットは、あの手この手で、作品の中に自身を表現しようとする。

それは「成功を独り占めするなど許せない」という嫉妬や嫌悪の感情ではなく、芸術家たるもの、自身の作品と離れて生きてはいけないからだ。

まして、売れたいが為に、でっちあげのエピソードを語って聞かせたり、あれにもこれにも値段を付けて売りさばくなど、どうして自分に許せるだろう。

そんな彼女を勇気づけたのが、愛する娘だ。

世間は騙せても、娘だけは騙せない。

たとえ真実が露呈して、世間から袋だたきにあっても、娘は誠実な母を選ぶだろう。

その確信が、ラジオでの告白に繋がった。

芸術と親心。

この二つの偽りない真心を描くことで、ティム・バートンは何でもかんでも商業化された世界に最上の答えを用意してくれた。

『真実は勝利する』

マーガレットの芸術家としての魂は商業化にも毒されず、母としての愛と自覚は世間や搾取に打ち克つ勇気に昇華した。

勝訴したマーガレットの晴れ晴れとした笑顔は、芸術の力を信じるティム・バートンの確信でもあると信じたい。

世間の評判やキャッチフレーズに惑わされることなく、『真実を見ろ』。

絵の中の大きな瞳は見る人にそう語りかけているような気がする。

アイテム

一見、夫婦のドタバタを描いたコメディタッチの作品に見えるが、その根底にあるものは奥深い。

女性アーティストに対する蔑視、芸術の商業化、権威のパワーハラスメント(この場合、マーケティング担当のウォルターがそれに相当)、騙される大衆、等々。ティム・バートンの風刺がきいている。
登場人物に「芸術とはかくあるべき」を語らせず、ひたすらマーガレットに絵を描かせることで、より印象的に訴えかける。

なんにせよ、勇気を出してよかった。

爽やかに感動する映画です。

ウォルター役も好演ですね。途中で殴りたくなるような卑しく浅ましい人柄を爽やかに演じています(^_^;

Photo : http://moviemezzanine.com/big-eyes-review/