子育てコラム

「安産」より「納得産」

2004年11月15日

皆さんは、『安産』というと、どのようなイメージをお持ちでしょうか。
「痛みも少なく、短時間で、楽に産める」
そういう安楽なイメージを思い描かないでしょうか。

私も、『安産』というのは、時間もかからず、痛みも少なく、二、三回のいきみでスポーンと産まれるのが「安産」だと思っていました。
そして、そういうお産を願って、神社仏閣に手を合わし、お守りを身に付け、戌の日に腹帯を巻いたりしたものです。

でも、妊娠後期、それも臨月の直前になってトラブルが重なり、どうやら自分のお産が難しいらしい、緊急手術になる可能性もなきにしもあらず……という状態になって初めて、「安産」というものが必ずしも「楽なお産」を意味するものではない、たとえ楽に産めたとしても、自分が納得しなければ、それは「安産」ではないのだという事を思い知らされたのです。

前に連絡用マガジンでもお知らせしましたが、私は臨月間近になってコンディションを崩し、二度、入院しました。
一度目は、前駆陣痛がにわかに強くなった為。
二度目は、羊水が少量の為、臍帯が圧迫されて、血行障害を起こしかけていたからでした。

前駆陣痛はともかく、血行障害で、「今夜か明日の朝にも緊急OPが必要かもしれない」と言われた時は、全身から血の気が引いて、一体、自分は何をしてたのか、そんな馬鹿なことがあるか、と、激しく自分を責めたものでした。
そして、前から、「高齢の初産だから、帝王切開した方が良い」と言われても、私自身はどんなに時間がかかってもやはり自然分娩したいという希望があったので、この展開は本当にショッキングだったのです。

幸い、臍帯の圧迫は、体位を工夫することですぐに解除され、胎児にも全く問題はなかったのですが、それでも「自分の希望通りのお産が出来ないかもしれない」という事は、気持ちを暗くせずにいませんでした。
たとえ、その方が、子供にとってより安全だとしても、私にはとても受け入れがたい事だったのです。

それから12日間入院して、どうにか正期産まで持ちこたえ、いよいよ自然な陣痛を待つ段階に入ったのですが、おしるし(胎児が下がることで卵膜から生じる少量の出血)があって入院した時、主治医から言われたのは、やはり「帝王切開しよう」の一言だったのです。
理由はいつもと同じ、「高齢の初産で、子宮口も硬いから、自然分娩は無理だ」という事でした。

それでも、私は自然分娩したかったし、「出来ないことはない」という確信めいたものがあったので、「一晩、様子を見させて下さい」とお願いせずにいませんでした。
理屈ではそうだとしても、本能とも運命とも知れない『何か』が、自身の可能性と、「今、安易に同意すべきではない」という判断を揺るぎないものにしていたからです。

そうして、何の兆候もないまま、私は一晩、考えに考え抜きました。

「自然分娩したい」というのは、あくまで私のこだわりであって、子供の意志ではない。
帝王切開した方が母子共に安全というなら、子供の為にも、変なこだわりは捨てて、医師の判断に任せた方がいいのではないか。
自分の意固地の為に、子供に万一のことがあったら、その時はどうするのか――といったことをです。

最終的には、無事、自然分娩することが出来ましたが、「帝王切開か、自然分娩か」という葛藤は、私が想像していた以上に深刻なものでした。

確かに、帝王切開も立派なお産の一つであり、手術したからといって何かが劣ったり、欠けたりする訳ではないのですが、それでも、「自然でない」には違いないし、一度、帝王切開すれば、次も帝王切開になりやすいという事実がどうしても引っ掛かります。
何より、「自分に自然分娩する能力がない」という事を知らしめられるのが激しく嫌だったんですね。

最初、そういう気持ちになるのは、私のこだわり過ぎではないか、と思っていました。
が、それを機に、帝王切開に関するサイトを閲覧したところ、思いがけず帝王切開になったが為に傷ついたり、苦しんだりしている人が大勢いるという事を知り、これは単なる事実の問題ではないな――と考えさせられたのです。

たとえば、自身の女性としての能力に対する失望や劣等感。
「帝王切開した人は一人前とは言えない」といった周囲の偏見。
医師への不信。
後悔。

たとえ、子供が無事に産まれたとしても、予期せぬ形で、あるいは自分の意思に反する形で、帝王切開という経緯をたどると、どんな人も、多かれ少なかれ、心に思い残さずにいないようです。
あるいは、母親(女性)としての自分に自信を無くしたり、周囲の心ない言葉に傷ついたり。

子供が元気に育つにつれ、そういう気持ちも徐々に薄れていくようですが、それでも一生に一度、女性が全身全霊を懸けて挑む物事に、悔いやわだかまりを残したくないというのは、誰しもの願いではないでしょうか。

もちろん、医学的に帝王切開が必要なケースも多々あり、本人が納得の上でそれを選んだのであれば、何の問題もないのかもしれません。
が、中には、十分な説明がなされないまま、一方的に手術を推し進められたり、自分では納得ずくだったのに、周囲に「あなたはダメだったのね」みたいな言い方をされたりする場合もあるようで、どこでどう割り切るかは、個人の感性や周囲の理解次第という気がします。

私も、主治医の予測通り、お産の進みが非常に遅く、9時間、悶絶苦闘したわけですが、それでも「難産」とか「苦産」とかいう思いは全くありませんでした。
なぜなら、全て、納得済みだったからです。
そして、自分が納得できたら、どんな痛み苦しみを経験しようと、それは『幸せなお産』に違いないのです。

そういう意味で、「安産」よりは「納得産」を目指すのが、幸せなお産への近道ではないかと思います。
たとえ、ホテルみたいな病院で産もうと、記録に残るスピード産だろうと、「あんな事をされた」とか、「こうしたかったのに、させてもらえなかった」とか、悔いやわだかまりが残るようなら、それは辛い出来事に違いないでしょうから。

今は、そうしたメンタリティの部分が重視され、いろんなスタイルのお産が開発されているようですので、皆さんも「納得産」できるよう、心身の健康管理はもちろんのこと、自分の意思や周囲の環境をしっかり整えて、本番に臨んで下さいね。

初稿:2005年春

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