詩想

『一体全体こころって何でしょう』 #『質問』の答え

2017年9月19日
オランダ 海 小径
https://flyingquestions.tumblr.com/post/162388092675/街中の質問の写真について紹介します2004年東京丸の内周辺エリアに大小さまざまな365の質問が氾

8歳の時、私のことをとても可愛がってくれていた近所のおばさんが亡くなりました。

家族に促され、初めて『葬式』というものに参列し、棺桶に入れられたおばさんの姿を見ました。

ほんの数ヶ月前まで陽気に笑い、スナック菓子を振る舞ってくれたおばさんが、すごく小さくなって、口と鼻に綿花を詰められ、もう動きもしなければ、喋りもしない、まるで人形か肉の塊みたいになってしまったのを見て、つくづく思ったものです。

人間って、心の生き物だな、と。

その後も、亡くなった患者さんの死後処置をしたり、自殺患者の後処理をしたり、心電図がフラットになって、人が本当に亡くなる瞬間も何度か目にしました。

死んだら、本当に物を言わなくなるし、もう誰もその人の「明日」のことなど心配しなくなる。

その人が昨日まで感じていたことも、考えていたことも、みな灰になって、永久にこの世から消えてしまうのです。

だとしたら、人がこの世に生きて、笑ったり、泣いたりすることに何の意味があるのかと思うでしょう。どうせ百年経ったら、誰も覚えてないのに、何をそんなに必死に生きる必要があるのかな、と。

心って、恐らく、どの人にとっても一番大事なものに違いないけど、それは自分の世界の中だけのものであって、傍からは見ることもできないし、手に触れることもできない、自分とは異なる誰かの心を完璧に理解することなど不可能でしょう?

思えば、心って、一つの電気信号で、その人の脳が機能している間だけ感じられる夢みたいなものです。

自分自身でさえ、一瞬たりと同じ形に留めておくことはできない。それくらい、あやふやで、無節操なものです。

にもかかわらず、人が自分の考えや感覚に拘り、「(我が)心を大事にしろ」と叫ぶのは、肉体が常に食物を欲するのと同じように、心もまた誰かの関心や愛情、悦びや達成感といったプラスの刺激なしには、すぐに痩せ衰え、いずれ肉体も死んでしまうことを、脳味噌が認識しているからかもしれません。

心というのは、肉体が生きている間だけ、そして、この世に自分だけが体感できる、小さな宇宙です。

たとえ、そこに生じるのがブラックホールであれ、恒星の崩壊であれ、隅から隅まで味わって、肉体が死ぬ時には「いろいろ体験して面白かった」と思えるのが、最高の生き方だと思います。

「もしも心がすべてなら、いとしいお金は何になる」という歌だってあるじゃないか。ジューク・ボックスに十円入れて、畠山みどりの歌にあわせて怒鳴りまくっていれば、心なんか、ひとりで路地を曲がってどっっかへ帰っていってしまうのさ。心なんか、川をわたって群集の中へ、地下鉄にのって遠い田舎へ、帰っていってしまうさ。心なんて、一種の排泄物みたいなもんで、「夜になるとたまって来るが、朝になると出ていっちまう」ものだ。そう考えると何となく可笑しくなって来た」
寺山修司『あゝ荒野』

オランダ 海 小径

道の先に、微かに海が見えてくると、それだけで人は歩き続けることができます。

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